瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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3c7fb77c.jpg 明け初めたばかりの墨田公園を吾妻橋に向って南下する。アヤメかショウブかはたまたカキツバタか散り始めたソメイヨシノの木の下ではや純白の清楚な花を付けていた。隅田公園にはオオカンザクラやソメイヨシノのほかに、珍しい桜が植わっている。「御衣黄」という里桜があるが、一見葉桜に見えるが、良く見るとおやおや緑色の花を付けている。クスの木は新緑の鮮やかな新芽を伸ばし始めた。やはり里桜の仲間で「寒山」というのはソメイヨシノよりは遅咲きで、色も緋色をしており、花と同時に赤茶色の葉も吹き出している。
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75034b63.jpg 吾妻橋を渡ると、「隅田公園入口」という古い石標が建っているが、これは関東大震災後に隅田公園が開かれた当時のものであるということである。枕橋を渡り、遊歩道の脇に作られた花壇に「ムラサキハナナ」が咲いている。紫花菜は、春にアブラナ科特有の十字形をした紫色の小さな4弁花を咲かせるアブラナ科オオアラセイトウ属の耐寒性一・ニ年草で、ハナナ(花菜)とは、ふつうの黄色い花の咲くナノハナ(菜の花)のことで、紫色の菜の花という意味である。花の中央に6本の雄しべと1本の雌しべがあり、雄しべの葯(ヤク、先端部)と雌しべの柱頭はいずれも黄色。こぼれ種から芽が出て半野生化したものが土手などさくという。ムラサキハナナ(紫花菜)は、別名、「平和の花」や、「ピースフラワー」と呼ばれるがが、これは南京(中国)ゆかりの花であり日中戦争時の悲惨な経験を繰り返してはならないと言う願いを込めて呼ばれるようになったということらしい。
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ef34f67f.jpg そのまま北上、青色御殿通りを抜けて、白鬚橋を渡り台東区側の遊歩道を南下したが、野球場の手前で、街中に下りることにした。今戸公園ではちょうどラジオ体操が終わる所であったが、時計を見ると6時40分を指していた。そのまま、吉野通りまで西進することにした。吉野通りの手前、今戸2-13-6に、熱田神社がある。猫の額ほどの狭い境内であるが、由緒書きなど一切表示されていない。なんでも、元亀2辛未(1571)年に創建されたという。鳥越三所明神に数えられていた鳥越神社の末社であるといわれている。
a622a0fa.jpg 山谷堀公園の吉野橋を過ぎた所に小松橋通りという千束に通じる通りがあるが、この通りの両側は一葉桜の並木になっているが、いまが盛りという所か。最近はクロネコのメール便を使うことが多いので、あまり使わなくなったが、聖天郵便局はこの通りを入ってすぐにある。
 今朝は昨日のコースを逆回り、すなわち台東区側の遊歩道、汐入公園を通って、千住汐入大橋渡り、足立区に入った。ビルの中道を抜けて、新装のイニシア千住曙町のマンションの前に出る。綾瀬橋を渡り、北入口より東白鬚公園に入り、明治通りに抜けて、墨堤通りを通り、言問団子の前を通り、桜橋を渡って帰宅した。
 まだ、完全に明け切れていない遊歩道を通っているとチラリホラリと桜の花びらが舞いかかる。春靄に霞んだ隅田川では頭が黒くなりかけたユリカモメが遊んでいる。
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e965850e.jpg 橋場に入るとマンションが並んでいるが、この遊歩道はその裏庭に当たり、いろいろな庭木や草花が植えてある。なかに多分ハナモモだと思われるのだが、根本は1本の幹であるが、真紅の花を咲かせている枝とピンク色の花を咲かせている枝がある。中には、1つの花房の中に真紅とピンクが並んで咲いているものもある。
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8bea1043.jpg 白鬚橋に出ると、明治通りを渡り、昨日記したマテバシイの傍をぬけて、汐入公園に入る。川面を見ると今しもご来光、その光りを浴びて黒鵜が2羽杭の上で休んでいる。まあ、逆光なのであまり旨くは映像に映し出すことは出来ない。
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7ec3e27e.jpg 瑞光橋を過ぎて、シティヌーブ北千住の高いビルが見える付近で、親水テラスに降りる。水神大橋の下近くに河口10kmの標識があるが、その傍では早くも小粒な花ではあるが、皐月系の花が今を盛りと咲いている。
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 千住汐入大橋近くになると最近新装なったイニシア千住曙町のマンションが、従来のシティヌーブと並んでその威容を誇っているようである。千住汐入大橋を渡り、ビルの中道をとおって、イニシア千住曙町の前に出てみた。ビルの間道や正面には東南アジア系の珍しい木が並木に用いられ整然と植えられている。
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c6dc95a0.jpg 綾瀬橋を渡り、北入口から東白鬚公園に入る。梅若橋に上り、一番高い位置から公園の南方向を見下ろすと、緑の中に薄ピンクの桜が咲き、リバーサイドの高いビルや台東区の町並みが望まれる。橋を降りるとそこは木母寺で、前の花壇にはチューリップをはじめいろいろな草花が植えられている。木母寺の門前には青々とした紅葉が若葉を付け、境内の枝垂れ柳と鮮やかな薄紅色とその雅を競っているようである。隅田川神社前には防災公園らしく、纏の像があり、遊歩道に沿って所々には色とりどりに草花が植わっている。
b39ef437.jpg 公園の出口付近に、コブシの花を見つけたが、はや盛りを過ぎて、辺り一面春の到来を告げているようである。


 夜が明けるのが随分早くなった。日の出は5時10分頃というから、5時前には東の空が白み始める。
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 山谷堀水門前の桜まつり設備はすっかり取り払われていた。今朝は花曇り、朝靄を付いて桜橋の上から、隅田川の下流・上流の花景色を撮ってみた。花はもう散り始めている。良く見ると所々に赤茶っぽい葉芽が覗いている。もう1週間もすれば、葉桜になってしまうのだろう。
4643e9cd.jpg 桜橋を渡ると、墨堤通りを北上。明治通りも横切って、防災住宅と並行する墨堤を進むと、朝日を浴びて桜をバックに榎本武揚先生の銅像が建っている。昨日勝海舟先生の銅像を撮ったので、幕臣にして同じように藩閥政府に貢献した榎本先生もと、カメラのシャッターを押していた。

d937080d.jpg 文化7(1810年)3月28日、小林一茶は流山に向かう途中で木母寺から鐘ヶ淵を通りがかった。その時の様子を『句日記』に記している。「川の東にすこし曲たる所を鐘が淵といふ。昔普門院の釣鐘舟より落てぬしとなりけるより、かくいひ伝へるとなんかたる。あはれならくの底に生をうけし竜女さへ、御法《り》に逢ふ(う)て法土におもぶくとあるに、仏縁に引るゝ梵鐘の、なじかは蛇身となりて今の世迄浮まざらん。鐘成仏の御経は如来もとき給はぬにや」
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4e9c8dfa.jpg 現在はここは鐘ヶ淵陸橋というらしく、この下は隧道なっていて、車輌の往来に利用されている。さらに進むと、東白鬚公園の北出入口がある。公園のすぐ北側は墨田区立鐘ヶ淵中学校で、池波正太郎は『剣客商売』の秋山小兵衛の隠居所をこの辺りに想定したという。
 旧綾瀬川が隅田川と荒川を繋ぎ、ここに綾瀬橋が架かる。その上をぎりぎりに高速6号線が通る。旧綾瀬川の河口には荷役船の造船所がある。最近、此処と千住汐入大橋の間に『千住曙町イニシア』と名付けられたマンション群が建てられ、このほど完成したらしい。盛んに入居者を応募しているようだが、一体全体、不景気不景気といわれながら聞くのと見るのとでは大違いの感である。
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 千住汐入大橋を渡り、汐入公園を南下する。ヨウコウザクラの並木はもう殆んど花が散って、葉桜になりかけているが、水神大橋を過ぎて瑞光橋までの間はソメイヨシノが若木ながら満開、これと並行して柳が植えられているが、桜も柳も成長して大木になれば「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(素性法師 844?~910?年)という光景が見られるかもしれない。
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694e861c.jpg マテバシイは防火に効果的ということで、かの防災住宅の周りや東白鬚公園に沢山植えられている。今まで気付かなかったが、白鬚橋の西詰に説明書付きで植えられていた。
 明治通りを横切ると件の落書き遊歩道を通って、桜橋から山谷堀水門前広場を通って、帰宅した。広場の入口には空缶の買い取り収集車が来ていて、現金で買い取られて収集されていた。
 

 一昨日・昨日と花見客で賑わった、隅田公園を南下し吾妻橋を渡り、墨堤遊歩道を北上、白鬚橋をわたって、帰宅した。
689fbb21.jpg 公園内にはゴミ捨て場が何箇所も設置してあるが、どこもいっぱいでこれだけで花見の人出が想像できる。場所によっては昨夜の花見の宴で飲んだと思われる酒の匂いが漂っている。

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4715d917.jpg 今日も一日好い天気になるだろう。早寝早起き三文の得というけれど、人の少ない静かな早朝の花見もまた乙なものである。ソメイヨシノは今が満開であるが、所々にすでに盛りを終えて葉桜になる品種も見られ、何よりもゆっくりと鑑賞できるのが良い。
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 吾妻橋を渡って墨田区役所の裏手にいます海舟先生も朝日の光りの中で花見を満喫なさっていらっしゃる。浮世絵等にみられる江戸時代の墨堤とはすっかり変わってしまったのだろうが、現代の墨堤も当時以上に風情のあるものかもしれない。
d33c9e34.jpg 「春や春 春爛漫の花の色」隅田公園の野球場脇の満開の桜並木を通って、山谷堀水門広場に来ると、すでに桜まつりのために建てられたテント村の解体が始っていた。
 昨日は少し歩きすぎた所為か、今朝は明るくなるまで眠ってしまった。
99edd6c4.jpg 仕事場の窓をあけると今しもご来光というところであった。今日は日曜日、それに何となく疲れていたこともあって朝の徘徊はやめにした。
 朝の報道番組は何だか北朝鮮のミサイル発射に振り回されている感じ。

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 午後3時を過ぎて、山谷堀の水門前に行って見た。まあ、何処から集まってきたのか凄い人出である。広場に設えられた舞台では次か次へとこれから世に出ようかというあまり名の知られていない歌手か、すでに花を咲かせ年老いた歌手が入れ替わり立ち替わり声を張り上げていた。
4b5ad780.jpg 公園をひと回りして、桜橋から山谷堀公園に出るとそこは満開の桜の下は一大宴会場と化していた。
 まあ、明日からは少しは静かになるだろうが、昨日今日とスピーカーの音に煩わされた日ではあった。
 今日・明日は花見のピークになりそう。朝のうちは先日の水門会関東地区有志の花見の会報編集。朝から隅田公園で行われるスピーカの音が流れてくる。
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昼食後、午後1時から始るという潮江院に出かける。山谷堀公園の桜は満開で、随分の人出である。超行員にはほぼ満員の人々が本堂を埋めていた。一番後ろの席をとり、堰の上に立ち上がって写真を撮ったが、逆光なのでどうしても画像が暗くなってしまう。九代目可楽さんの写真は何とかインターネットから借用できたが他の面々の写真は見つけ出すことが出来なかった。まあ、落語はさすがにプロ級でこれが無料で聞けるのは見っけもんである。落語が終って、墓地に出て初代可楽のお墓にお詣りしてきた。
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b5302767.jpg 午後3時に帰宅、朝のうちに編集した「気まぐれ会報Ⅱ」の化粧落としをして、婆様にも手伝って貰って、封筒につめる。花川戸のクロネコに立ち寄ったついでに隅田公園に入り、再び水門前の広場を回って帰宅した。

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 夕刻、夜桜を見学すべく婆様と一緒に再び言問橋を渡り、牛島神社から水戸邸の庭園を回り吾妻橋を渡ることになった。松屋の地下の食品売り場で夕食を買い、またもや隅田公園に入り、夜桜を見て帰宅した。
 一昨日は雨、そして昨日は春の嵐で2日続けて徘徊はお休み。先日の水門会の花見のアルバムを主とした「気まぐれ会報Ⅱ」の編集に費やした。
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随分、夜明けがはやくなった。5時30分だともう明るくなる。我が家から隅田公園を南下、吾妻橋を渡って、墨堤の遊歩道に出る。桜は5分咲きというところか、場所によってはまだ3分咲きというところ。今朝はうららかな春の兆しであるから、桜も満開になり、明日・明後日の土・日は人出で賑わうことであろう。
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3f473811.jpg 桜橋を過ぎたところでワンさんと出会う。白鬚橋を渡り、台東区側の遊歩道を南下する。野球場脇の桜はまだ5分咲きにもなっていない。野球場とテニスコートの間の道を抜けて石浜通り(人によって呼び方が違い「橋場通り」となったり、地図によっては「五浜通り」となっている)に出て、山谷堀公園に行ってみる。
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4431c069.jpg 山谷堀公園に沿う道に「潮江院」という禅寺があり、ここに初代三笑亭可楽(1777~1833年)の墓があるというので、墓地に入ってみたが、標識も何も無いので墓地を出ようとする所で住職らしき方がゴルフクラブを振ってらした。「明4日午後1時より『可楽祭り』がありますので、いらしてください」ということである。九代目可楽がきて3題噺をするという。
 3・4日は土・日とあって、山谷堀水門広場には舞台が立ち、桜まつりが行われるということである。まあ、気が向いたら出掛けてみるか。

d82d3f68.jpg 今日で、もう3月もおしまい。昨日と同じコースを取って墨堤通りを北上。明治通りとの交差点で品種はわからないが桜が7分咲き。花は白っぽく、緑色の葉も出ている所を見ると、ソメイヨシノではないことは確かである。

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535e361d.jpg 明治通りを横切り、そのまま墨堤通りを北上する。この墨堤通りと東白鬚公園は防災都営住宅で仕切られているが、白鬚門・寺島門・水神門、梅若門・鐘淵門などのゲートで通り抜けできるようになっている。水神門を入ると隅田川神社までの参道は桜並木になっていて、花は5分咲きというところか。水神大橋を通す通り(けやき通りというらしい)には、梅若橋がかかっていてその先に水神大橋がかかっている。
45c44671.jpg 東白鬚公園の北の入口から公園に入り、梅若橋の下道を通ってけやき通りに出て、水神大橋の北側歩道を通っていると、警視庁の巡視艇「らいちょう」が、川を下ってくる。

71c85ddd.jpg 汐入公園の高台の広場に上ってみるとクローバーが、白い花を付けている。ほんのちょっと四葉のクローバーを探しては見たが、面倒くさくなって止めてしまった。
 あとは、真っ直ぐ件(くだん)の遊歩道を通って、帰宅した。
 本日のomron万歩計は11251歩、7.3kmを示していた。
 

 3月26日(木)、水門会関東地区の有志13名で、花見の会を催した。
 はてさて、3月19日に、J・COMより、モデムの交換の来訪があり、以来どうもインターネットの立ち上がりが遅い。立ち上がってからも、ブログの編集にかなりの時間がかかり、28日(土)に、J・COM二電話を入れ、指示に従っていろいろ操作をしてみたのであるが、どうもうまくいかないということで以来昨日まで、ブログを休んでしまった。30日(月)にモデム交換に来訪するとのこと。
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0761d4f3.jpg 3月26日(木):午前11時浅草駅集合。松屋地下でそれぞれの弁当購入の上、東部線浅草駅北口から隅田公園に入り、桜橋下で宴会、昼飯。桜橋を渡ると長命寺・弘福寺・三囲神社・牛嶋神社・水戸邸庭園をぬけて、枕橋茶やで小休止。北十間川に沿って、源森橋・小梅橋そして東武橋の上で東京スカイツリーの建設現場を見学、浅草通りから吾妻橋を渡り、東武浅草駅の前で解散。桜は満開には程遠かったが、天気は上々愉快な1日だった。当日の写真はURL http://anzqp.ath.cx/minatokai/ の「平成21年 関東地区 花見会 参会者 花見会」でご覧になれるよ。
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71479627.jpg 3月29日(日):山谷堀水門広場での日の出を拝み、桜橋を渡り、墨堤通りを北上、東白鬚公園に入る。隅田川神社付近の桜並木では雪洞が下げられ、花見の客を待っているようだ。木母寺の前ではユキヤナギが満開で雪が積もったように真っ白な花を咲かせていた。水神大橋を渡って、汐入公園に入ると、川では間もなく行われるレガッタを前にその練習風景が見られた。
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72c8ad72.jpg 3月30日(月):本日は昨日と同じコースをたどったが、東白鬚公園には入らずに墨堤通りを水神大橋まで北上し、何時もは大橋の下流側の歩道を通るのだが、今日は上流側を通り汐入公園に入った。明治通りを過ぎ、件の遊歩道を通って帰宅したが、野球場の傍の桜は満開までにもう少し時間がかかるようだ。
a8d24f89.jpg 午後11時過ぎ、J・COMからモデムの交換に来た。いやはや、今度はインターネットの立ち上げも前よりはスムーズに行くようである。


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2646b655.jpg 明日は、水門会の花見が予定されている。明日のコースの下見も兼ねて、言問橋を渡って、言問通りを西に向うと東武伊勢崎線の業平橋駅、そして東武橋を渡ればそこは浅草通りである。ここのところ、花冷えの気候で、東京の桜の開花宣言はされたものの、満開まではかなり日数がかかるようだ。言問橋脇の桜もほんの僅かしか開いていない。
a9af478a.jpg 東武橋の上に立つと東京スカイツリーの建設現場が丸見えである。まだ地上約2・30mの高さというところであるが、完成すれば約610mの大樹となる予定だという。「東京スカイツリー」のタワーの脚となる3本の「塔体鉄骨」の設置工事も始まっているということである。
99cae689.jpg 浅草通りを西進し、吾妻橋を渡り、隅田公園を抜けて桜橋まで来たが、野球場脇の桜が木になり、様子の偵察に向かい、改装工事中のリバーサイドスポーツセンターの前を通って、帰宅した。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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