瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今朝のウェブニュースより、
「同じ思いの人がこんなに」=脱原発集会に「17万人」-酷暑の中、最大規模・東京 ―― 脱原発を求め、再稼働を進める政府に抗議する「さようなら原発10万人集会」が16日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれ、主催者発表で17万人が集まった。東京電力福島第1原発事故後に行われた脱原発集会の中で最大規模とみられる。「同じ思いの人がこんなにいるなんて」「ぜひ、また来たい」。強い日差しが照りつけ、真夏日を記録する中、参加者らは声を上げ続ける決意を新たにした。/集会では、ルポライターの鎌田慧さんが「大成功です」と興奮冷めやらぬ様子で語り、会場を沸かせた。今秋にも脱原発集会を企画するとし、「まだまだやりましょう」と呼び掛けた。/政治への不信をあらわにしたのは経済評論家の内橋克人さん。「福島の悲劇から学ぼうとしない政治家を二度と国会に送ってはいけない」と声を張り上げた。/作家の落合恵子さんは、民主党が国民の生活重視を訴えて政権を獲得したにもかかわらず「命より原発を選んだ」と痛烈に批判した。ノーベル文学賞作家の大江健三郎さん、音楽家の坂本龍一さんらも次々と脱原発への思いを訴えた。/東京都板橋区の会社員で長崎市出身の池田剛さん(68)は「毎週、官邸前で行われるデモを見て来ようと思った。原発の存在そのものが問題だと思っている」と汗を拭いながら語った。/初めて脱原発集会に参加したという人も。埼玉県川口市の会社員、江田昭敏さん(37)は「同じ気持ちの人がこんなにたくさんいると分かった」と顔をほころばせた。長男(9)と次男(2)を連れて来た東京都府中市の主婦、浅野敦子さん(43)は「野田首相にはがっかりしている。大勢の方がこの問題を考えていると分かり、また参加したい」と話した。 〔jijicom 2012/07/16-17:47〕
さらに最近のウェブニユースから、見つけたニュース。
ヒ弱すぎるゾ スカイツリー 開業1カ月半でもう5度目 風が吹けば休みなんて… <マズい対応にオバサン客も詰め寄る> 「この程度の風で営業をやめちゃうの~」―― 12日午後、東京スカイツリーに観光客の悲鳴が響いた。強風を理由に展望台の営業が突然、休止となったのだ。強風による営業休止は、開業たった1カ月半で、実に5回目。安全のためとはいえ、風に弱すぎないか。/これまで「天望デッキ」(高さ350m)の入場券は完全予約制だったが、11日から当日券も販売開始。12日も朝から大勢の客が行列を作ったが、安全確認のため営業開始は遅れ、午前10時半に一度営業を始めたものの、1時間で再びストップ。結局、午後0時半過ぎに「休止」のアナウンスが流れた。待ち疲れた行列客400~500人の不満は爆発。中には「これだけ待たせたんだから、次回の割引券をよこせ」と詰め寄るオバサン客も現れた。/ちなみに、12日の東京の最大風速は9.9m。肌で風を感じる程度だった。もちろん、地上と高さ350mの上空とでは風の強さは比べ物にならないが、長時間並ばされる立場としては「この程度で? 弱すぎない?」と腹を立てたくもなる。「展望台のエレベーターの安全運行のため、今回、風速20mを基準に営業判断を決めました。観測計は375m、480mの地点に設置しており、それぞれ前日の夜から断続的に風速20m程度を記録していました。一時はこの数字を下回り営業を始めましたが、その後また戻ったため同日の再開を断念しました」(東武タワースカイツリー広報担当者)/そもそも、高層エレベーターの安全基準は地震の揺れを想定しており、強風は想定外。安全対策は事業者任せだが、もう少し風に強くならないものか。/対応のマズさも目立つ。予約客には入場券の払い戻しのほか、30日以内の振り替え入場を受け付ける。だが、世の中そんなに暇じゃない。「この日だけ」という遠方からの客や、修学旅行生などは「一生の思い出」を二度とつくれないかもしれない。最寄り駅に「休止」を告げる案内もなく、公式HPでの発表は、館内アナウンスから遅れること2時間半後。多くの客は何も知らずに、現地に足を運ばされたのだ。/今月28日の隅田川花火大会当日の入場券は倍率186倍のプレミアチケット。この日に強風が吹けば、スカイツリー側は大丈夫か。狭き門をくぐり抜けた来場客が暴動を起こさないか心配だ。 〔日刊ゲンダイ 2012年7月13日 掲載〕
東京夢華録 巻十 冬至
十一月冬至、京師最重此節。雖至貧者、一年之間、積累假借、至此日更易新衣、備辦飲食、享祀先祖。官放關撲、慶賀往來、一如年節。
〔訳〕十一月の冬至の節句を、都ではもっとも重んじた。極貧の者でも、一年がかりのやりくり算段の末、この日は新しい着物に着替え、飲食物をととのえて、先祖をまつった。お上でも関撲(かけ)を許可したし、人々が慶賀をしに往来するさまは、まるで正月のようであった。
※まるで正月の…であった:当時都では寒食・冬至・正月が三大節とされていた。ことに冬至には贈答が非常に盛大に行なわれたから、年末年始の頃には素寒貧になってしまう者も多く、俗諺にも「冬至に肥って正月に痩せる」といわれた。冬至はそのときから再び日が長くなり、新たな太陽の出現を待ち望む時なので、特に農耕民族にあっては陽気と成熟の季節を呼び寄せる儀式を行う日として重要視されて来た。中国では一陽来復の節として天子が祭天の儀式を行い、諸官が参内拝賀するのが常であった。
さらに最近のウェブニユースから、見つけたニュース。
東京夢華録 巻十 冬至
十一月冬至、京師最重此節。雖至貧者、一年之間、積累假借、至此日更易新衣、備辦飲食、享祀先祖。官放關撲、慶賀往來、一如年節。
〔訳〕十一月の冬至の節句を、都ではもっとも重んじた。極貧の者でも、一年がかりのやりくり算段の末、この日は新しい着物に着替え、飲食物をととのえて、先祖をまつった。お上でも関撲(かけ)を許可したし、人々が慶賀をしに往来するさまは、まるで正月のようであった。
※まるで正月の…であった:当時都では寒食・冬至・正月が三大節とされていた。ことに冬至には贈答が非常に盛大に行なわれたから、年末年始の頃には素寒貧になってしまう者も多く、俗諺にも「冬至に肥って正月に痩せる」といわれた。冬至はそのときから再び日が長くなり、新たな太陽の出現を待ち望む時なので、特に農耕民族にあっては陽気と成熟の季節を呼び寄せる儀式を行う日として重要視されて来た。中国では一陽来復の節として天子が祭天の儀式を行い、諸官が参内拝賀するのが常であった。
本日は「海の日」 テレビのニュースに拠れば「全国的に晴れ間が広がり、北陸地方ですでに36度を超えた場所もあるほか、埼玉県の熊谷市でも38度になると予想されるなど各地で猛暑日になるとみられ、気象庁は熱中症への注意を呼びかけている。本州付近は高気圧に広く覆われ、九州から東北の南部にかけて朝から強い日差しが照りつけているという。石川県の金沢で午前10時過ぎに36.4度、富山県の高岡で36度など、北陸の一部ではフェーン現象も加わって、午前中から35度を超える猛暑日となっている場所もある。/午後にかけてさらに気温の上がる場所が多く、予想最高気温は埼玉県の熊谷で38度、群馬県の前橋で36度、などとなっていて、18の都府県に高温注意報が出されている。(16日11:25)」
今朝のウェブニュースより
東日本大震災から、1年3ヵ月が経過したいま、私たちは大自然の猛威への恐怖を忘れかけていないだろうか。だが日本の地殻と気候は、すでに大変動期に入っている。本当の恐怖はこれからだ。
過去のデータが信用できない:早朝、ゴウ、という異様な音で目が覚めた。外に出てみると、瞬く間に道路が川のようになり、膝の高さまで水が押し寄せた---。「60年近く生きとって、はじめて見る『天気』があるとは、思わなかったね」
福岡県在住の男性(59歳)はこう語ってくれた。7月3日から降り始め、大分県や福岡県を襲った豪雨は1時間の雨量が観測史上最多の91mm(大分県中津市耶馬渓町)を記録した。こたつ板ほどの広さ(1平方m)に2リットルサイズのペットボトルが約45本ぶちまけられたことに相当する水量だ。近頃、日本の気候はどうもおかしい。今年に入ってからだけでも、
●1月 記録的寒波。各地で大雪。1月下旬の北日本の平均気温は今世紀最低の平年比マイナス1.4度。
●4月 爆弾低気圧が日本縦断。各地で台風並みの突風、豪雨に襲われた。5人死亡、350人負傷。
●5月 茨城県つくば市で竜巻とみられる突風発生。12kmにわたって民家や工場をなぎ倒し、男子中学生1人が犠牲に。
など、「スーパー異常気象」ともいえる記録的な気候の異変が止まらない。
7月も早々から全国で真夏日が続出し、「この夏一番の暑さ」というフレーズが飛び交うなどイヤな気配が立ち込めている。
気象庁が発表した7月~9月の「3ヵ月予報」では今夏は全国的に暑さ、降水量ともに平年並みとされている。だが予報をよく読むと、不可解な文言が目に入る。「今回の予測には不確定性が大きい」。これは一体、どういう意味なのか。
「天候を左右する海水温や偏西風などの数値予測は、過去30年のデータから約50通りの異なる予想をはじき出し、平均を取って作ります。今回はほとんどのパターンで赤道付近の海水温が高くなるエルニーニョ現象が現れていました。/ところが、我々は冬の終わり頃から『エルニーニョになる』と予想しているのに、現実には一向に起きてこない。それで『不確定性が大きい』としたのです。/実は昨年も予想に反してエルニーニョが起きず、逆に海水温が低くなるラニーニャ現象が起きてしまった。原因はまだよくわかっていません」(気象庁予報課)
気象庁も首をかしげる、奇妙な気候の変化。これから一体、何が起ころうとしているのか。
「残念ながら、激甚災害が日常的に起きてしまうかもしれません。すでに風の吹き方ひとつ取っても、以前とは違う、極端なものに変わってしまったのです」
と話すのは極地や砂漠など辺境の調査を行ってきた長沼毅広島大学准教授だ。
「最近、温暖化が危惧される一方、地球の寒冷化を主張する意見もあります。ふたつは正反対ですが、大きな気候変動である点では同じです。気候変動期の特徴は『激甚化』。これまでも起きていた現象が極端になってしまうということです。/たとえば、竜巻に襲われたつくば市は昔から雷で有名です。つまりもともと、雷を発生させる積乱雲が発達しやすい地域だった。それが現在では、極端に発達してスーパーセル(巨大積乱雲)にまでなってしまうようになったのです」
雨、風、雷、熱波・・・・・・。これらが発生する頻度や規模、変化の速さが極限化し、記録的なスーパー異常気象を引き起こすのだ。/あらためて気象庁予報課に聞くと、最近になって、ようやく少しずつエルニーニョ現象が発生し始めたという。こうなると基本的に日本は多雨・冷夏の傾向となり、残暑が厳しい。一方で、西日本と沖縄・奄美地方では太平洋高気圧が張り出し、晴れて暑い日が多くなるという予想もある。
「氷河期」が近づいている? :仮にこの気候が極端なものになったとすると、単純に言えば、東日本は日照不足で農作物が不作に、西日本は酷暑で水不足となる地域が増えると考えられる。/天候の急変が起こりやすいかを判断する、ひとつの目安は偏西風の蛇行だ。
「偏西風が北に離れていれば日本は晴れて暑くなり、南下してくれば竜巻や急な大雨に見舞われたりしやすいでしょう。気象庁HPで公開している『高層天気図』では、偏西風の通るおよその位置に矢印をつけてあるので、参照してみてください」(気象庁予報課)
前出の長沼准教授は、この激甚化の先に、さらに恐るべき未来が待っているかもしれないという。
「長期的にみて、地球が温暖化と寒冷化のどちらに向かうかといえば、私は寒冷化だと思います。ひとつの根拠として、過去の気候変動を見ると、10万年間の氷期(氷河期)と1万年間の間氷期(温暖な時期)が交互に繰り返していて、いまの間氷期はそろそろ終わるという考え方があります。もしそうだとしたら、今は10万年続く氷期の入り口かもしれないのです」
かつての氷河期には海さえも凍りつき、大陸と地続きになった日本列島に日本人の祖先が移住してきた。気候の大変動を経た数百年後には「海開き」など不可能になるかもしれない。
今夏、日本を襲うかもしれないのは「天」の異変ばかりではない。足元の「地」でも変動が起こっている。「天災地変」という言葉もあるように、古来、賢者たちは天と地の変異をワンセットでとらえてきた。/国土地理院地理地殻活動研究センター地殻変動研究室で日本各地に設置されたGPS(全地球測位システム)データの分析に携わっている西村卓也主任研究官はこう話す。
「東日本大震災では、それまで長い期間、太平洋側から東日本を押していた大地の力が一気に解放されました。今まで北西向きに押し潰されていた東日本は、圧力が抜けたことで、逆に太平洋側に向かって東に伸びているのです」
震災直後、宮城県の牡鹿半島は約5.3m東に移動。震源付近の海底に至っては24mも移動したとされる。
「この動きは現在も続き、1ヵ月に1cm程度は東に動いています」(同前)
首都直下型のイヤな感じ:つまりM9に達した超巨大地震のエネルギーは、いまだにこの日本列島に強い影響を及ぼしているのだ。そしてその力が、次なる大地震や火山の噴火を引き起こす可能性が高まっている。気象庁地震火山部火山課は日本のシンボル、富士山に注視しているという。
「東日本大震災後の3月15日に富士山の直下を震源とするM6.4の地震が発生して以来、富士山で地震活動が高まっています。/今年2月には3合目付近で湯気が出ているのが観測されています。地下で熱せられた水蒸気が地上に出てきた。富士山はまさに『活きている火山』なのです」
さらに、鹿児島県の桜島では7月1日に年明けからの噴火回数が600回を超えた。観測史上2番目のスピードだ。/東北地方では福島の吾妻山で震災以前には見られなかった場所に火山性ガスの噴気孔が出現。秋田駒ヶ岳では山頂付近の地熱が上昇し、木々が枯れ始めた。/一方、6月30日夜、北海道・大雪山系の十勝岳で異変が起こった。札幌管区気象台の設置した高感度カメラで、夜間、火口が真っ赤に燃え上がるような発光現象が撮影されたのだ。
「噴気孔の温度が上がって付着していた硫黄が燃えたと考えられます」
と話すのは、北海道大学地震火山研究観測センターの村上亮教授だ。
「発光現象や硫黄の噴出、噴気の増加など、火山活動の高まりが表に出てくることを『表面現象』と呼びます。十勝岳で直近に起きた過去3回の大きな噴火では、いずれも表面現象が増加した後、マグマが関係する噴火が起きました」
十勝岳では大正時代以来、ほぼ30年おきに大規模な噴火が起きている。1926(大正15)年の大正噴火では大規模な水蒸気爆発で中央火口丘の半分が崩壊。山頂周辺の残雪が融けて泥流となり、噴火後25分で約25km離れた上富良野市街に到達した。この噴火による死傷者・行方不明者は344名、倒壊した家屋は372棟にのぼっている。
「今回の現象がすぐに噴火に結びつくかはわかりませんが、過去の履歴を考えると中長期的には今後、噴火が起こるのは確実だと思います。/地震はいつ起こるかわからないが、噴火は火山性地震の増加などで前兆がわかるから、まだましだ、という人もいるようです。確かにそういう側面はありますが、過信してはいけません。火山でも、地震などが起き始めてすぐに噴火に至る場合もある。専門家が警告し、行政が避難などの対処を取るのも必ず間に合うとは言い切れない。今後も常に油断をしないで見ていく必要があると思います」(同前)
活発化しているのは火山活動ばかりではない。首都を襲う大地震の可能性もまた、高まっている。/7月3日、昼前の関東地方を最大震度4、M5・4の地震が襲った。震源は房総半島南端、館山市付近の東京湾だ。
地震学が専門の武蔵野学院大学・島村英紀特任教授は、「この場所は、元禄型関東地震の震源と極めて近い」と指摘している。
付図を見てほしい。これは6月4日から7月4日の1ヵ月間に、東京湾周辺から房総半島南端付近で発生した地震の震源をプロットしたものだ。/7月3日のM5・4地震は、政府の地震調査委員会が発表している、元禄型関東地震、大正型関東地震の双方の想定震源域に含まれていることがわかる。/元禄の関東地震は、1703(元禄16)年に発生し江戸城の門などが倒壊。小田原城下は大火となり死者約2300名。関東全域の12ヵ所で火災が発生し、被災者は3万7000人にのぼった。この4年後に紀伊半島沖を震源とする宝永地震が発生し、富士山の宝永噴火につながっている。
スカイツリーは大丈夫か:一方の大正関東地震は、1923(大正12)年に発生した、いわゆる「関東大震災」だ。東京は壊滅し、被災者190万人、死者・行方不明者10万5000人以上。日本災害史上、最大級の被害を出している。/「関東地震のような、いわゆる首都直下地震は、江戸時代から17年に1回ずつ起こっていた。ところが関東大震災以来、パッタリなくなっています。東日本大震災の影響もあるはずですから、もういつ起こってもおかしくないと思います。/震源が近い場合、マグニチュードは小さくても海底でM8~M9級の地震が起きたときと同等か、もっと強い揺れが感じられると思います」(前出・島村氏)
関東大震災では8年前から周辺で地震が相次ぎ、東京湾の入り口である浦賀水道でも前震が起きている。今回の地震も、東京湾での大地震の前兆である可能性は否定できない。/さらに、気になる点もある。もう一度、上の図をよく見てほしい。フィリピン海プレートが陸側のプレートに沈み込む相模トラフの北縁に、地震が頻発しているエリアがあるのだ。いま、東京の喉元である房総半島南端周辺で、確実に何かが起きようとしている。/今年4月に東京都が発表した被害想定では、M8・2の元禄型関東地震が発生した場合、広い範囲が震度6以上、大田区や品川区、町田市の一部では震度7の揺れに襲われ、死者約5900人、負傷者は約10万8300人に達するとしている(冬18時発生の場合)。/さらにこのタイプの地震で都は唯一、津波の発生を想定している。高さは最大2・61mだが大田区の埋め立て地や江東区の海抜ゼロメートル地帯などが襲われ、約2500棟の建物が全半壊する予想だ。/しかもこの被害想定には、海抜ゼロメートル地帯にある地下鉄の駅や換気口から浸水が起こることは含まれていない。対策が急がれているとはいえ、東京メトロ東西線東陽町駅や門前仲町駅、半蔵門線清澄白河駅、そして東京スカイツリーの足元、押上駅などはいまだに浸水の可能性があり、最悪の場合、地下鉄のトンネル内で溺れる人が続出する恐れもあるのだ。/この夏、天と地から迫り来る大異変。あなた自身と家族を守れるかは、日本が直面する危険を認識し、覚悟と備えができるかにかかっている。 「週刊現代」2012年7月21・28日号より
今朝のウェブニュースより
東日本大震災から、1年3ヵ月が経過したいま、私たちは大自然の猛威への恐怖を忘れかけていないだろうか。だが日本の地殻と気候は、すでに大変動期に入っている。本当の恐怖はこれからだ。
過去のデータが信用できない:早朝、ゴウ、という異様な音で目が覚めた。外に出てみると、瞬く間に道路が川のようになり、膝の高さまで水が押し寄せた---。「60年近く生きとって、はじめて見る『天気』があるとは、思わなかったね」
福岡県在住の男性(59歳)はこう語ってくれた。7月3日から降り始め、大分県や福岡県を襲った豪雨は1時間の雨量が観測史上最多の91mm(大分県中津市耶馬渓町)を記録した。こたつ板ほどの広さ(1平方m)に2リットルサイズのペットボトルが約45本ぶちまけられたことに相当する水量だ。近頃、日本の気候はどうもおかしい。今年に入ってからだけでも、
●1月 記録的寒波。各地で大雪。1月下旬の北日本の平均気温は今世紀最低の平年比マイナス1.4度。
●4月 爆弾低気圧が日本縦断。各地で台風並みの突風、豪雨に襲われた。5人死亡、350人負傷。
●5月 茨城県つくば市で竜巻とみられる突風発生。12kmにわたって民家や工場をなぎ倒し、男子中学生1人が犠牲に。
など、「スーパー異常気象」ともいえる記録的な気候の異変が止まらない。
7月も早々から全国で真夏日が続出し、「この夏一番の暑さ」というフレーズが飛び交うなどイヤな気配が立ち込めている。
気象庁が発表した7月~9月の「3ヵ月予報」では今夏は全国的に暑さ、降水量ともに平年並みとされている。だが予報をよく読むと、不可解な文言が目に入る。「今回の予測には不確定性が大きい」。これは一体、どういう意味なのか。
「天候を左右する海水温や偏西風などの数値予測は、過去30年のデータから約50通りの異なる予想をはじき出し、平均を取って作ります。今回はほとんどのパターンで赤道付近の海水温が高くなるエルニーニョ現象が現れていました。/ところが、我々は冬の終わり頃から『エルニーニョになる』と予想しているのに、現実には一向に起きてこない。それで『不確定性が大きい』としたのです。/実は昨年も予想に反してエルニーニョが起きず、逆に海水温が低くなるラニーニャ現象が起きてしまった。原因はまだよくわかっていません」(気象庁予報課)
気象庁も首をかしげる、奇妙な気候の変化。これから一体、何が起ころうとしているのか。
「残念ながら、激甚災害が日常的に起きてしまうかもしれません。すでに風の吹き方ひとつ取っても、以前とは違う、極端なものに変わってしまったのです」
と話すのは極地や砂漠など辺境の調査を行ってきた長沼毅広島大学准教授だ。
「最近、温暖化が危惧される一方、地球の寒冷化を主張する意見もあります。ふたつは正反対ですが、大きな気候変動である点では同じです。気候変動期の特徴は『激甚化』。これまでも起きていた現象が極端になってしまうということです。/たとえば、竜巻に襲われたつくば市は昔から雷で有名です。つまりもともと、雷を発生させる積乱雲が発達しやすい地域だった。それが現在では、極端に発達してスーパーセル(巨大積乱雲)にまでなってしまうようになったのです」
雨、風、雷、熱波・・・・・・。これらが発生する頻度や規模、変化の速さが極限化し、記録的なスーパー異常気象を引き起こすのだ。/あらためて気象庁予報課に聞くと、最近になって、ようやく少しずつエルニーニョ現象が発生し始めたという。こうなると基本的に日本は多雨・冷夏の傾向となり、残暑が厳しい。一方で、西日本と沖縄・奄美地方では太平洋高気圧が張り出し、晴れて暑い日が多くなるという予想もある。
「氷河期」が近づいている? :仮にこの気候が極端なものになったとすると、単純に言えば、東日本は日照不足で農作物が不作に、西日本は酷暑で水不足となる地域が増えると考えられる。/天候の急変が起こりやすいかを判断する、ひとつの目安は偏西風の蛇行だ。
「偏西風が北に離れていれば日本は晴れて暑くなり、南下してくれば竜巻や急な大雨に見舞われたりしやすいでしょう。気象庁HPで公開している『高層天気図』では、偏西風の通るおよその位置に矢印をつけてあるので、参照してみてください」(気象庁予報課)
前出の長沼准教授は、この激甚化の先に、さらに恐るべき未来が待っているかもしれないという。
「長期的にみて、地球が温暖化と寒冷化のどちらに向かうかといえば、私は寒冷化だと思います。ひとつの根拠として、過去の気候変動を見ると、10万年間の氷期(氷河期)と1万年間の間氷期(温暖な時期)が交互に繰り返していて、いまの間氷期はそろそろ終わるという考え方があります。もしそうだとしたら、今は10万年続く氷期の入り口かもしれないのです」
かつての氷河期には海さえも凍りつき、大陸と地続きになった日本列島に日本人の祖先が移住してきた。気候の大変動を経た数百年後には「海開き」など不可能になるかもしれない。
今夏、日本を襲うかもしれないのは「天」の異変ばかりではない。足元の「地」でも変動が起こっている。「天災地変」という言葉もあるように、古来、賢者たちは天と地の変異をワンセットでとらえてきた。/国土地理院地理地殻活動研究センター地殻変動研究室で日本各地に設置されたGPS(全地球測位システム)データの分析に携わっている西村卓也主任研究官はこう話す。
「東日本大震災では、それまで長い期間、太平洋側から東日本を押していた大地の力が一気に解放されました。今まで北西向きに押し潰されていた東日本は、圧力が抜けたことで、逆に太平洋側に向かって東に伸びているのです」
震災直後、宮城県の牡鹿半島は約5.3m東に移動。震源付近の海底に至っては24mも移動したとされる。
「この動きは現在も続き、1ヵ月に1cm程度は東に動いています」(同前)
首都直下型のイヤな感じ:つまりM9に達した超巨大地震のエネルギーは、いまだにこの日本列島に強い影響を及ぼしているのだ。そしてその力が、次なる大地震や火山の噴火を引き起こす可能性が高まっている。気象庁地震火山部火山課は日本のシンボル、富士山に注視しているという。
「東日本大震災後の3月15日に富士山の直下を震源とするM6.4の地震が発生して以来、富士山で地震活動が高まっています。/今年2月には3合目付近で湯気が出ているのが観測されています。地下で熱せられた水蒸気が地上に出てきた。富士山はまさに『活きている火山』なのです」
さらに、鹿児島県の桜島では7月1日に年明けからの噴火回数が600回を超えた。観測史上2番目のスピードだ。/東北地方では福島の吾妻山で震災以前には見られなかった場所に火山性ガスの噴気孔が出現。秋田駒ヶ岳では山頂付近の地熱が上昇し、木々が枯れ始めた。/一方、6月30日夜、北海道・大雪山系の十勝岳で異変が起こった。札幌管区気象台の設置した高感度カメラで、夜間、火口が真っ赤に燃え上がるような発光現象が撮影されたのだ。
「噴気孔の温度が上がって付着していた硫黄が燃えたと考えられます」
と話すのは、北海道大学地震火山研究観測センターの村上亮教授だ。
「発光現象や硫黄の噴出、噴気の増加など、火山活動の高まりが表に出てくることを『表面現象』と呼びます。十勝岳で直近に起きた過去3回の大きな噴火では、いずれも表面現象が増加した後、マグマが関係する噴火が起きました」
十勝岳では大正時代以来、ほぼ30年おきに大規模な噴火が起きている。1926(大正15)年の大正噴火では大規模な水蒸気爆発で中央火口丘の半分が崩壊。山頂周辺の残雪が融けて泥流となり、噴火後25分で約25km離れた上富良野市街に到達した。この噴火による死傷者・行方不明者は344名、倒壊した家屋は372棟にのぼっている。
「今回の現象がすぐに噴火に結びつくかはわかりませんが、過去の履歴を考えると中長期的には今後、噴火が起こるのは確実だと思います。/地震はいつ起こるかわからないが、噴火は火山性地震の増加などで前兆がわかるから、まだましだ、という人もいるようです。確かにそういう側面はありますが、過信してはいけません。火山でも、地震などが起き始めてすぐに噴火に至る場合もある。専門家が警告し、行政が避難などの対処を取るのも必ず間に合うとは言い切れない。今後も常に油断をしないで見ていく必要があると思います」(同前)
活発化しているのは火山活動ばかりではない。首都を襲う大地震の可能性もまた、高まっている。/7月3日、昼前の関東地方を最大震度4、M5・4の地震が襲った。震源は房総半島南端、館山市付近の東京湾だ。
地震学が専門の武蔵野学院大学・島村英紀特任教授は、「この場所は、元禄型関東地震の震源と極めて近い」と指摘している。
スカイツリーは大丈夫か:一方の大正関東地震は、1923(大正12)年に発生した、いわゆる「関東大震災」だ。東京は壊滅し、被災者190万人、死者・行方不明者10万5000人以上。日本災害史上、最大級の被害を出している。/「関東地震のような、いわゆる首都直下地震は、江戸時代から17年に1回ずつ起こっていた。ところが関東大震災以来、パッタリなくなっています。東日本大震災の影響もあるはずですから、もういつ起こってもおかしくないと思います。/震源が近い場合、マグニチュードは小さくても海底でM8~M9級の地震が起きたときと同等か、もっと強い揺れが感じられると思います」(前出・島村氏)
関東大震災では8年前から周辺で地震が相次ぎ、東京湾の入り口である浦賀水道でも前震が起きている。今回の地震も、東京湾での大地震の前兆である可能性は否定できない。/さらに、気になる点もある。もう一度、上の図をよく見てほしい。フィリピン海プレートが陸側のプレートに沈み込む相模トラフの北縁に、地震が頻発しているエリアがあるのだ。いま、東京の喉元である房総半島南端周辺で、確実に何かが起きようとしている。/今年4月に東京都が発表した被害想定では、M8・2の元禄型関東地震が発生した場合、広い範囲が震度6以上、大田区や品川区、町田市の一部では震度7の揺れに襲われ、死者約5900人、負傷者は約10万8300人に達するとしている(冬18時発生の場合)。/さらにこのタイプの地震で都は唯一、津波の発生を想定している。高さは最大2・61mだが大田区の埋め立て地や江東区の海抜ゼロメートル地帯などが襲われ、約2500棟の建物が全半壊する予想だ。/しかもこの被害想定には、海抜ゼロメートル地帯にある地下鉄の駅や換気口から浸水が起こることは含まれていない。対策が急がれているとはいえ、東京メトロ東西線東陽町駅や門前仲町駅、半蔵門線清澄白河駅、そして東京スカイツリーの足元、押上駅などはいまだに浸水の可能性があり、最悪の場合、地下鉄のトンネル内で溺れる人が続出する恐れもあるのだ。/この夏、天と地から迫り来る大異変。あなた自身と家族を守れるかは、日本が直面する危険を認識し、覚悟と備えができるかにかかっている。 「週刊現代」2012年7月21・28日号より
7月または8月の13日~16日までの4日間を「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間とする風習がある。亡くなってはじめて迎えるお盆を新盆(初盆)といい、特に手厚く供養することになっている。親族や知人が一堂に会し、先祖や故人を偲び、今日ある自分をかえりみるという、お盆の根幹をなす理念は、千古の昔から変わらないものだといっていいだろう。
去年の12月には姉のTを、そして今年2月には敬愛する塾友M(マイチ)を送った。今日は新盆に当たる。
浅草寺では毎年、8月15日の終戦記念日の午後6時30分より、『万燈籠供養会』といって本堂内の外陣(げじん)に霊名と施主の名前を記した「燈籠」を並べ、読経法要を営み、亡き人々の冥福を祈っているいう。
というわけで、本日瘋癲爺が本名 日高節夫 の名で万燈籠供養会に「德譽祐心居士〔マイチの戒名〕」、「釋勝蓮〔姉の法名〕」で二霊の供養を申し込んで置いた。どうか、塾友の皆さん方で都合のつく方々は来月15日のこの供養会に参加してマイチの冥福を祈ってやって欲しい。このあと、マイチにかこつけてどこかで飲み会をやるもいいなあという声が聞こえてくるようだ。誰かが企画してくれれば、またこのブログでお知らせもしよう。
東京夢華録 巻八 重陽
九月重陽、都下賞菊、有數種:其黃白色蘂若蓮房、曰「萬齡菊」:粉紅色曰「桃花菊」:白而檀心曰「木香菊」:黃色而圓者曰「金鈴菊」:純白而大者曰「喜容菊」:無處無之。酒家皆以菊花縛成洞戶。都人多出郊外登高、如倉王廟、四里橋、愁臺、梁王城、硯臺、毛駝岡、獨樂岡等處宴聚。前一二日、各以粉麵蒸餻遺送、上插剪綵小旗、摻飣果實、如石榴子、栗子黃、銀杏、松子肉之類。又以粉作獅子蠻王之狀、置於糕上、謂之「獅蠻」。諸禪寺各有齋會、惟開寶寺、仁王寺有獅子會。諸僧皆坐獅子上、作法事講說、遊人最盛。下旬即賣冥衣靴鞋席帽衣段、以十月朔日燒獻故也。
〔訳〕九月重陽に、都で鑑賞する菊には色々な種類があった。黄白色で蘂(しべ)がハスの花房の形をしているものを「万齢菊」、粉紅(ももいろ)のものを「桃花菊」、白で檀香〔だんこう、香木の総称)のような花心のものを「木香菊」、黄色で丸いものを「金鈴菊」、純白で大輪のものを「喜容菊」と呼ぶ。都じゅうこれらの菊の無いところはなく、酒家もみな菊花を飾り付けた洞戸(アーチ)をつくった。都人は多く郊外に出て高い所に登った。例えば倉王(そうおう)廟、四里橋(しりきょう)・愁台(しゅうだい)・梁王城(りょうおうじょう)・硯(けん)台・毛駝岡(もうだこう)・独楽(どくらく)岡などに集まり、宴会を開くのだった。八日か七日に、めいめい粉で餻(かし)を蒸して贈りあうが、その上には色絹を切って作った小旗を立て、ザクロの実・クリの実・ギンナン・マツの実などの果実を散らし載せた。また、粉で獅子と南蛮の王の形を作り、糕の上に置いてこれを「獅蛮(しばん)」といった。諸禅寺では、それぞれお斎(とき)の会を開く。開王寺・仁王寺では獅子会が開かれた。諸僧がみな獅子の上に坐って法要説経を行なうもので、もっとも見物人が多かった。九月下旬には冥衣(めいい)・靴鞋(はきもの)・席帽(かぶりもの)・衣段(たんもの)などを売るが、これは十月一日に仏に焼いて献ずるためであった。
※九月重陽:九は陽数で、九月九日はその陽数の九が重なるので「重陽」という。
※高い所に上った:重陽の日に高所に登る風習はすでに魏晋南北朝時代に見え、地方によって登高の名所が決まっていたようだ。登高の起源については、「桓景という人が費長房に教えられ九月九日茱茰〔しゅゆ、からはじかみ〕を携え、山に登って菊花の酒を飲み邪を避けた」のが始まりとされるが、この行事の本来の意味は古代中国人が山や川で歌垣のような季節的な祭礼を行なった所からその祭礼が行われる山・川が神聖化されたものだろうといわれる。
※独楽岡:城東十五里にあり、宋代に楽隠居の身の一富翁が、古馴染みを集めては、都人が九日に登高するこの岡で、酒を飲んで楽しんでいた。徽宗が微行の折、これを見てうらやましがり、あの男こそ独り楽しんでいるぞといったので、独楽岡と呼ばれるようになったという。
※餻(こう):重陽糕(ちょうようこう)といい、砂糖と粉とをこねて蒸したもの。清の『燕京歳時記』にも、重陽の日に花糕といって、蒸し餅の上に星のようにナツメやクリを並べて置いたものを食べたとある。なお、餻は糕に同じ。
※獅蛮:文殊菩薩が獅子に乗り蛮人がこれを引いている泥の像を作って、餻の上に置くという。この餻は重陽の日、夜が明けようとする時、その一片を頭に載せて、乳母が「百事みな高く」と祈るのだという。「登高」の高(こう)と餻(こう)が同音なのにかけて出世をいのるわけである。
※冥衣:亡くなった人の冥福を祈ってこれを焼き供養する紙製の衣服。
※席帽:唐宋時代に用いられた籐織りの帽子。
※十月一日:十月一日から3日間は、寒食節と同じように、都人はみな郊外に出て墓参りをした。この際、墓に供えて焼く冥衣は、五色の紙で作って寒衣と呼んだ。そこで十月一日のこの行事を明清時代には「送寒衣」といったという。
東京夢華録 巻八 中秋
中秋節前、諸店皆賣新酒、重新結絡門面綵樓花頭、畫竿醉仙錦旆。市人爭飲、至午未間家家無酒、拽下望子。是時螯蟹新出、石榴、榅勃、梨、棗、栗、孛萄、弄色棖橘皆新上市。中秋夜、貴家結飾臺榭、民間爭占酒樓翫月。絲篁鼎沸、近內庭居民、夜深遙聞笙竽之聲、宛若雲外。閭里兒童、連宵嬉戲。夜市駢闐、至於通曉。
〔訳〕中秋節の前には、各酒店では、みな新酒を売り出し、門の前に新しく色絹で飾った楼を建てなおし、彩色した旗竿に酔仙の錦旗をかかげた。市民が争って飲むので、正午(ひる)過ぎ頃には、軒並みに酒が切れてしまい、望子(かんばん)をしまいこむのだった。この頃には、カニが新しく出、ザクロ・マルメロ・ナシ・ナツメ・クリ・ブドウ・タチバナもみな市場に顔を出した。中秋の夜は、貴人の家では楼台を美しく飾り立て、庶民は争って酒楼に座を占めて、月見をし、管弦の音が賑わしかった。宮城に近い住民たちは、夜ふけてさながら雲外からの調べのように遠くかすかに宮中の笙の音をみみにするのだった。町々では子供たちも夜通し遊びたわむれ、夜店は暁まで賑わった。
※中秋節:陰暦では、七・八・九の三ヶ月が秋で、八月十五日がちょうど秋の真ん中の満月なので、これを中秋節という。
※酔仙:宋元代の酒店では「酔八仙」を壁や旗に画いて看板としていた。酔八仙の八仙とは、杜甫の「飲中八仙歌」で有名な李白・賀知章・李適之・汝陽王璡・崔宗之・蘇晋・張旭・焦遂の八人か? 日本の七福神のように中国民間に親しまれている八仙といえば、漢鍾離・張果老・韓湘子・李鉄拐・曹国舅・呂洞賓・藍采和・何仙姑の八人の仙人を指すが、この八人を描いた八仙図は元以前には見当たらないので元代に起源するものであろう。唐代から八仙図・八仙伝なるものはあったが、描かれる人物は元以後のものとは異なっていた。例えば五代の頃描かれた八仙は李己・容成・董仲舒・張道陵・厳君平・李八百・范長寿・葛永〔かい、王偏+貴〕の八仙任であった。
※望子:酒店の看板。青帘(あおはた)が酒店の望子であったという。
※笙:原文は「笙竽(しょうう)」。竽も笙の一種で、笙が十三管なのにたいして、竽は三十六管のおおきなもの。笙竽で笙類の総称となる。
※子供たちも…遊びたわむれ:この日、子供はみな大人の服を着て楼に登り、あるいは中庭で香を焚き、月を拝む。男子は早く月の宮居に歩み桂に登ること、すなわち高等文官試験に合格して出世することを、女子は月の精である嫦娥(じょうが)のように美しくなることを祈る。
飲中八仙歌 杜甫
知章騎馬似乗船 知章が馬に騎(の)るは船に乗るに似たり
眼花落井水底眠 眼(まなこ)花(くら)み井に落ちて水底に眠る
汝陽三斗始朝天 汝陽は三斗にして始めて天に朝す
道逢麹車口流涎 道に麹車に逢えば口に涎を流し
恨不移封向酒泉 恨むらくは封を移して酒泉に向かわざりしを
左相日興費萬錢 左相の日興 万銭を費す
飲如長鯨吸百川 飲むこと長鯨の百川を吸うが如く
銜杯楽聖稱避賢 杯を銜(ふく)み聖を楽しみ賢を避くと称す
宗之瀟洒美少年 宗之は瀟洒たる美少年
挙觴白眼望青天 觴(さかずき)を挙げ白眼にして青天を望めば
皎如玉樹臨風前 皎(きょう)として玉樹の風前に臨むが如し
蘇晋長斎繍佛前 蘇晋は長斎す 繍仏の前
酔中往往愛逃禅 酔中往往逃禅を愛す
李白一斗詩百篇 李白は一斗 詩百篇
長安市上酒家眠 長安市上 酒家に眠る
天子呼来不上船 天子呼び来たれども船に上らず
自稱臣是酒中仙 自ら称す 臣は是れ酒中の仙と
張旭三杯草聖傅 張旭は三杯 草聖伝わる
脱帽露頂王公前 帽を脱ぎ頂を露(あらわ)す 王公の前
揮毫落紙如雲煙 毫を揮い紙に落とせば雲煙の如し
焦遂五斗方卓然 焦遂は五斗 方(はじ)めて卓然
高談雄弁驚四筵 高談雄弁 四筵を驚かす
〔訳〕 八人の酒仙の歌
知章が馬に乗る様子はゆらゆらしてて、
船に乗っているみたいだ。
眼がちらついて井戸に落ちても、
彼なら水中で眠ってるだろう。
汝陽王は三斗の酒を飲んでから
朝廷に出向いていく。
道でこうじを乗せた酒の匂いのする車に出会えば、
涎をたらして
酒の泉が湧いたという酒泉に領地変えしてくれないことに
不平をもらす始末。
左相である李適之は毎日の楽しみに一万ものお金を使う。
酒を飲む様は巨大な鯨が百の川の水を吸い込んでいくようだ。
酒を飲んでは聖人の境地を楽しみ、
賢人にはなりたくないねなどと言う。
宗之はさっぱりとした美少年だ。
杯を挙げ、世俗を見下しながら青い空を見上げる様子は
まるで宝玉の樹が風に吹かれているように白く輝いている。
蘇晋は刺繍の仏像の前で断食し、仏を礼拝しているが
酔っ払うとたまに坐禅から逃げようとする。
李白は一斗飲めば百篇の詩を作る。
長安の酒屋で酔いつぶれ、
天子である玄宗が彼を呼び出したけれど、
天子の乗っている船に乗ろうとしなかったとか。
さらに自分で「私は酒の世界の仙人なのだよ」などと言う。
張旭は三杯飲むと、草聖と讃えられる名筆を後世に残す。
彼は変っていて、王公の前でも帽子を脱いで
頭のてっぺんをむきだしにして字を書く。
だが筆を紙に下ろすと雲や霞が湧き上がるかのように
素晴らしい字が浮かんでくるのだ。
焦遂は五斗を飲んでやっとしゃんとする。
そして高尚な議論と雄弁さで周りの人々を驚かせるのだ。
中秋節前、諸店皆賣新酒、重新結絡門面綵樓花頭、畫竿醉仙錦旆。市人爭飲、至午未間家家無酒、拽下望子。是時螯蟹新出、石榴、榅勃、梨、棗、栗、孛萄、弄色棖橘皆新上市。中秋夜、貴家結飾臺榭、民間爭占酒樓翫月。絲篁鼎沸、近內庭居民、夜深遙聞笙竽之聲、宛若雲外。閭里兒童、連宵嬉戲。夜市駢闐、至於通曉。
〔訳〕中秋節の前には、各酒店では、みな新酒を売り出し、門の前に新しく色絹で飾った楼を建てなおし、彩色した旗竿に酔仙の錦旗をかかげた。市民が争って飲むので、正午(ひる)過ぎ頃には、軒並みに酒が切れてしまい、望子(かんばん)をしまいこむのだった。この頃には、カニが新しく出、ザクロ・マルメロ・ナシ・ナツメ・クリ・ブドウ・タチバナもみな市場に顔を出した。中秋の夜は、貴人の家では楼台を美しく飾り立て、庶民は争って酒楼に座を占めて、月見をし、管弦の音が賑わしかった。宮城に近い住民たちは、夜ふけてさながら雲外からの調べのように遠くかすかに宮中の笙の音をみみにするのだった。町々では子供たちも夜通し遊びたわむれ、夜店は暁まで賑わった。
※中秋節:陰暦では、七・八・九の三ヶ月が秋で、八月十五日がちょうど秋の真ん中の満月なので、これを中秋節という。
※望子:酒店の看板。青帘(あおはた)が酒店の望子であったという。
※笙:原文は「笙竽(しょうう)」。竽も笙の一種で、笙が十三管なのにたいして、竽は三十六管のおおきなもの。笙竽で笙類の総称となる。
※子供たちも…遊びたわむれ:この日、子供はみな大人の服を着て楼に登り、あるいは中庭で香を焚き、月を拝む。男子は早く月の宮居に歩み桂に登ること、すなわち高等文官試験に合格して出世することを、女子は月の精である嫦娥(じょうが)のように美しくなることを祈る。
飲中八仙歌 杜甫
知章騎馬似乗船 知章が馬に騎(の)るは船に乗るに似たり
眼花落井水底眠 眼(まなこ)花(くら)み井に落ちて水底に眠る
汝陽三斗始朝天 汝陽は三斗にして始めて天に朝す
道逢麹車口流涎 道に麹車に逢えば口に涎を流し
恨不移封向酒泉 恨むらくは封を移して酒泉に向かわざりしを
左相日興費萬錢 左相の日興 万銭を費す
飲如長鯨吸百川 飲むこと長鯨の百川を吸うが如く
銜杯楽聖稱避賢 杯を銜(ふく)み聖を楽しみ賢を避くと称す
宗之瀟洒美少年 宗之は瀟洒たる美少年
挙觴白眼望青天 觴(さかずき)を挙げ白眼にして青天を望めば
皎如玉樹臨風前 皎(きょう)として玉樹の風前に臨むが如し
蘇晋長斎繍佛前 蘇晋は長斎す 繍仏の前
酔中往往愛逃禅 酔中往往逃禅を愛す
李白一斗詩百篇 李白は一斗 詩百篇
長安市上酒家眠 長安市上 酒家に眠る
天子呼来不上船 天子呼び来たれども船に上らず
自稱臣是酒中仙 自ら称す 臣は是れ酒中の仙と
張旭三杯草聖傅 張旭は三杯 草聖伝わる
脱帽露頂王公前 帽を脱ぎ頂を露(あらわ)す 王公の前
揮毫落紙如雲煙 毫を揮い紙に落とせば雲煙の如し
焦遂五斗方卓然 焦遂は五斗 方(はじ)めて卓然
高談雄弁驚四筵 高談雄弁 四筵を驚かす
知章が馬に乗る様子はゆらゆらしてて、
船に乗っているみたいだ。
眼がちらついて井戸に落ちても、
彼なら水中で眠ってるだろう。
汝陽王は三斗の酒を飲んでから
朝廷に出向いていく。
道でこうじを乗せた酒の匂いのする車に出会えば、
涎をたらして
酒の泉が湧いたという酒泉に領地変えしてくれないことに
不平をもらす始末。
左相である李適之は毎日の楽しみに一万ものお金を使う。
酒を飲む様は巨大な鯨が百の川の水を吸い込んでいくようだ。
酒を飲んでは聖人の境地を楽しみ、
賢人にはなりたくないねなどと言う。
宗之はさっぱりとした美少年だ。
杯を挙げ、世俗を見下しながら青い空を見上げる様子は
まるで宝玉の樹が風に吹かれているように白く輝いている。
蘇晋は刺繍の仏像の前で断食し、仏を礼拝しているが
酔っ払うとたまに坐禅から逃げようとする。
李白は一斗飲めば百篇の詩を作る。
長安の酒屋で酔いつぶれ、
天子である玄宗が彼を呼び出したけれど、
天子の乗っている船に乗ろうとしなかったとか。
さらに自分で「私は酒の世界の仙人なのだよ」などと言う。
張旭は三杯飲むと、草聖と讃えられる名筆を後世に残す。
彼は変っていて、王公の前でも帽子を脱いで
頭のてっぺんをむきだしにして字を書く。
だが筆を紙に下ろすと雲や霞が湧き上がるかのように
素晴らしい字が浮かんでくるのだ。
焦遂は五斗を飲んでやっとしゃんとする。
そして高尚な議論と雄弁さで周りの人々を驚かせるのだ。
東京夢華録 巻八 七夕
七月七夕、潘樓街東宋門外瓦子、州西梁門外瓦子、北門外、南朱雀門外街及馬行街內、皆賣磨喝樂:乃小塑土偶耳。悉以雕木彩裝欄座、或用紅紗碧籠、或飾以金珠牙翠、有一對直數千者。禁中及貴家與士庶為時物追陪。又以黃䗶鑄為鳧鴈、鴛鴦、鸂鶆、龜魚之類、彩畫金縷、謂之「水上浮」。又以小板上傅土、旋種粟令生苗、置小茅屋花木、作田舍家小人物、皆村落之態、謂之「穀板」。又以瓜雕刻成花樣、謂之「花瓜」。又以油麪糖蜜造為笑靨兒、謂之「果實」。花樣奇巧百端、如捺香方勝之類。若買一斤數內有一對被介胄者、如門神之像、蓋自來風流、不知其從、謂之「果食將軍」。又以菉豆、小豆、小麥於磁器內以水浸之、生芽數寸、以紅籃綵縷束之、謂之「種生」。皆於街心綵幙帳設出絡貨賣。七夕前三五日、車馬盈市、羅綺滿街。旋折未開荷花、都人善假做雙頭蓮、取玩一時、提攜而歸、路人往往嗟愛。又小兒須買新荷葉執之、蓋効顰磨喝樂。兒童輩特地新妝、競誇鮮麗。至初六日、七日晚、貴家多結綵樓於庭、謂之「乞巧樓」。鋪陳磨喝樂、花瓜、酒炙、筆硯、針線、或兒童裁詩、女郎呈巧、焚香列拜、謂之「乞巧」。婦女望月穿針。或以小蜘蛛安合子內、次日看之、若網圓正、謂之「得巧」。里巷與妓館、往往列之門首、爭以侈靡相向。「磨喝樂」本佛經「摩睺羅」、今通俗而書之。
〔訳〕七月七日の夕、潘楼街、東朱門外の瓦子(がし)、州西梁門外の瓦子、北門外との南朱雀門外の通り、および馬行街では、みな「磨喝楽(モホロ)」すなわち小さな泥人形を売った。どれも、彫刻して色絹で飾った木の台座にませたり、紅や緑の薄絹を張った籠をかぶせたり、金・珠玉・象牙・ヒスイで飾ったりしてあり、一体で数千貫文という値がするものもあったが、宮中でも、そして貴族も一般人も節句の縁起物として、値段をはずんで買うのであった。また、蝋でカモ・カリ・オシドリ・鸂鶆(おおおしどり)・カメ・魚の類を作り、彩色して金糸で飾ったものを「水上浮(うかべもの)」といった。また、小さな板の上に土を盛り、それにアワをまき苗をはえさせ、小さい茅葺の家や、花木を置き、農家や小さな人物像を配して農村風景を拵えたものを「穀板」といった。また、ウリに花模様の彫刻をして、これを「花瓜(かざりうり)」という。また、油・粉・糖蜜で笑靨花(しじみばな)をつくり、これを「果食花様(はながし)」といい、腕をふるっていろいろな形のもの、たとえば捺香〔不明〕や違え菱などの形に作る。もし、これを一斤も買えば、そのなかには甲冑をつけた一対の門神ふうの形をしたものもはいっている。長い間の風流な習慣で、由来はわからないがこれを「果食(かし)将軍」といった。また、青大豆・小豆・小麦を磁器にいれ水にひたして、芽が五・六寸も生えると,紅と藍の色糸で束ね、これを「種生(しゅせい)」といった。これらはみな通りの真ん中に色絹の幕を張りめぐらし売るから、七夕の四、五日前になると、車馬は市にあふれ、美しく着飾った人々が通りに満ちた。都の者たちは、ついでにハスの花のつぼみを手折って、巧みに双頭のハスのようにしてしばし楽しんでから手に持って帰ったが、道行く人々の中にはこれを見て花をいとしむものが少なくなかった。また子供が必ず新しいハスの葉を買って手に持つのも、おそらく磨喝楽(マホロ)のようすをまねたものであろう。子供たちは特に新しい着物を着て、美しさを競い合いもした。六日、七日の晩になると、貴人の家では、たいてい庭に色絹を結った楼を建てて、これを「乞巧楼(きっこうろう)」とよんだ。磨喝楽(マホロ)・花瓜(かざりうり)・酒の肴・筆と硯・針と糸を並べ、また男の子は詩をつくり、女の子は針仕事の手並みを示したり、香を焚(た)いて並んで拝礼して祈ったりして、これらを「乞巧」といった。婦人は月に向かって針に糸を通す。あるいは小さなクモを手箱に入れておき、翌日これをみて、もしクモの巣が丸くきちんとできていれば、これを「得巧(とくこう)」といった。町中の妓館では、多くこれを門口に並べて贅(ぜい)を競い合った。
※瓦子:来たれば瓦合し、去れば瓦解する、つまり人々の集散する盛り場の意味でこのながつけられたという。
※磨喝楽:魔合羅とも書く。宋元代の習俗では、土や木で子供姿の人形をつくり、綺麗な着物を着せたものを磨喝楽といって、七夕に供えて子供の玩具とした。その形は肥ったからだに、まんまるの大きな顔、大口を開けてにっこり笑っているという福々しく愛らしいもので、現代無錫で産する「大阿福」という人形がこれに似ているという。手にハスの葉の傘をもっているのが常であったようである。
※水上浮:これ蝋製の鳥魚は水に浮かべた。
※ウリ:七月にウリや小麦を供えるのはこの時季に収穫できる作物の代表的なものであり、七月は乞巧行事のほかに、その年の前半の収穫感謝祭としての意味をもっていたことを示す。
※果食花様:日本における糝粉(しんこ)細工のようなもの。
※門神:中国では新年に各戸の門の両扉に一対の武者姿の神像を張り、これを門神という。
※種生:「五種生」ともいって、七夕の晩に牽牛星に供えるものであった。都では七日の十日まえに青大豆かエンドウ豆を水につけ、日に一・二回水を換えて、芽が五寸ほどの長さになって苗が立つようになると、小さなお盆の中に入れておき、七夕には一尺ばかりの長さにまで育てるのを生花盆児といい、これを漬物にもするという。
※双頭のハス:二輪のハスの花が、一つの根から生じているものを並頭蓮とか並蒂蓮(へいたいれん)などといって、中国では夫婦和合のシンボルとしている。
※得巧:クモの糸の密なるものを巧多しとしている。クモの網が「円正」なら得巧である。
七月七夕、潘樓街東宋門外瓦子、州西梁門外瓦子、北門外、南朱雀門外街及馬行街內、皆賣磨喝樂:乃小塑土偶耳。悉以雕木彩裝欄座、或用紅紗碧籠、或飾以金珠牙翠、有一對直數千者。禁中及貴家與士庶為時物追陪。又以黃䗶鑄為鳧鴈、鴛鴦、鸂鶆、龜魚之類、彩畫金縷、謂之「水上浮」。又以小板上傅土、旋種粟令生苗、置小茅屋花木、作田舍家小人物、皆村落之態、謂之「穀板」。又以瓜雕刻成花樣、謂之「花瓜」。又以油麪糖蜜造為笑靨兒、謂之「果實」。花樣奇巧百端、如捺香方勝之類。若買一斤數內有一對被介胄者、如門神之像、蓋自來風流、不知其從、謂之「果食將軍」。又以菉豆、小豆、小麥於磁器內以水浸之、生芽數寸、以紅籃綵縷束之、謂之「種生」。皆於街心綵幙帳設出絡貨賣。七夕前三五日、車馬盈市、羅綺滿街。旋折未開荷花、都人善假做雙頭蓮、取玩一時、提攜而歸、路人往往嗟愛。又小兒須買新荷葉執之、蓋効顰磨喝樂。兒童輩特地新妝、競誇鮮麗。至初六日、七日晚、貴家多結綵樓於庭、謂之「乞巧樓」。鋪陳磨喝樂、花瓜、酒炙、筆硯、針線、或兒童裁詩、女郎呈巧、焚香列拜、謂之「乞巧」。婦女望月穿針。或以小蜘蛛安合子內、次日看之、若網圓正、謂之「得巧」。里巷與妓館、往往列之門首、爭以侈靡相向。「磨喝樂」本佛經「摩睺羅」、今通俗而書之。
〔訳〕七月七日の夕、潘楼街、東朱門外の瓦子(がし)、州西梁門外の瓦子、北門外との南朱雀門外の通り、および馬行街では、みな「磨喝楽(モホロ)」すなわち小さな泥人形を売った。どれも、彫刻して色絹で飾った木の台座にませたり、紅や緑の薄絹を張った籠をかぶせたり、金・珠玉・象牙・ヒスイで飾ったりしてあり、一体で数千貫文という値がするものもあったが、宮中でも、そして貴族も一般人も節句の縁起物として、値段をはずんで買うのであった。また、蝋でカモ・カリ・オシドリ・鸂鶆(おおおしどり)・カメ・魚の類を作り、彩色して金糸で飾ったものを「水上浮(うかべもの)」といった。また、小さな板の上に土を盛り、それにアワをまき苗をはえさせ、小さい茅葺の家や、花木を置き、農家や小さな人物像を配して農村風景を拵えたものを「穀板」といった。また、ウリに花模様の彫刻をして、これを「花瓜(かざりうり)」という。また、油・粉・糖蜜で笑靨花(しじみばな)をつくり、これを「果食花様(はながし)」といい、腕をふるっていろいろな形のもの、たとえば捺香〔不明〕や違え菱などの形に作る。もし、これを一斤も買えば、そのなかには甲冑をつけた一対の門神ふうの形をしたものもはいっている。長い間の風流な習慣で、由来はわからないがこれを「果食(かし)将軍」といった。また、青大豆・小豆・小麦を磁器にいれ水にひたして、芽が五・六寸も生えると,紅と藍の色糸で束ね、これを「種生(しゅせい)」といった。これらはみな通りの真ん中に色絹の幕を張りめぐらし売るから、七夕の四、五日前になると、車馬は市にあふれ、美しく着飾った人々が通りに満ちた。都の者たちは、ついでにハスの花のつぼみを手折って、巧みに双頭のハスのようにしてしばし楽しんでから手に持って帰ったが、道行く人々の中にはこれを見て花をいとしむものが少なくなかった。また子供が必ず新しいハスの葉を買って手に持つのも、おそらく磨喝楽(マホロ)のようすをまねたものであろう。子供たちは特に新しい着物を着て、美しさを競い合いもした。六日、七日の晩になると、貴人の家では、たいてい庭に色絹を結った楼を建てて、これを「乞巧楼(きっこうろう)」とよんだ。磨喝楽(マホロ)・花瓜(かざりうり)・酒の肴・筆と硯・針と糸を並べ、また男の子は詩をつくり、女の子は針仕事の手並みを示したり、香を焚(た)いて並んで拝礼して祈ったりして、これらを「乞巧」といった。婦人は月に向かって針に糸を通す。あるいは小さなクモを手箱に入れておき、翌日これをみて、もしクモの巣が丸くきちんとできていれば、これを「得巧(とくこう)」といった。町中の妓館では、多くこれを門口に並べて贅(ぜい)を競い合った。
※瓦子:来たれば瓦合し、去れば瓦解する、つまり人々の集散する盛り場の意味でこのながつけられたという。
※水上浮:これ蝋製の鳥魚は水に浮かべた。
※ウリ:七月にウリや小麦を供えるのはこの時季に収穫できる作物の代表的なものであり、七月は乞巧行事のほかに、その年の前半の収穫感謝祭としての意味をもっていたことを示す。
※果食花様:日本における糝粉(しんこ)細工のようなもの。
※門神:中国では新年に各戸の門の両扉に一対の武者姿の神像を張り、これを門神という。
※種生:「五種生」ともいって、七夕の晩に牽牛星に供えるものであった。都では七日の十日まえに青大豆かエンドウ豆を水につけ、日に一・二回水を換えて、芽が五寸ほどの長さになって苗が立つようになると、小さなお盆の中に入れておき、七夕には一尺ばかりの長さにまで育てるのを生花盆児といい、これを漬物にもするという。
※双頭のハス:二輪のハスの花が、一つの根から生じているものを並頭蓮とか並蒂蓮(へいたいれん)などといって、中国では夫婦和合のシンボルとしている。
※得巧:クモの糸の密なるものを巧多しとしている。クモの網が「円正」なら得巧である。
〔アングル〕小沢新党結成、政界再編の序曲に 解散「11月説」や「来年1月説」も ―― [東京 11日 ロイター] 消費増税法案に反対し民主党を除名された小沢一郎元代表らが11日、正式に新党を立ち上げる。世論調査でみる小沢新党への国民の期待度は15%前後と低調だが、党内に残る「離党予備軍」が波乱要因となり、野田政権は野党頼みの政権運営を強いられている。法案成立後の衆院解散・総選挙も「11月解散」説から「来年1月の通常国会冒頭解散」説まで現実味をもって語られ始めた。民主党の分裂により、衆院解散・総選挙後の政界再編に向けた動きが始まったといえそうだ。
<総選挙後、第3極を巻き込んだ政界再編も>
党内の潜在的な矛盾を白日のもとにさらした民主党分裂が、政界再編の引き金を引いた。自民党の石原伸晃幹事長は先月、政界再編が起きるとすれば「選挙後だ」とその可能性を指摘。小沢氏の離党後には、民主党内でも選挙後の政界再編が「クリアーになった」(閣僚経験者)、「(選挙後の民・自・公大連立の可能性は)ある」(首相周辺筋)との声があがる。民主党分裂で政策の方向性の不一致が解消される結果だ。/政治アナリストの伊藤惇夫氏は「自民、民主とも分裂し、みんなの党や橋下氏(率いる大阪維新の会)を巻き込んだ政界再編になる」と第3極も巻き込んだ政界再編のうねりを予見した。/報道によると、橋下徹大阪市長は10日、今後の政局に関し「自民党と民主党で政界再編が起こる。首相を核に集まると、力強い政権になる」と述べ、初めて、野田首相を中心にした政界再編に期待する考えを示した。小沢氏も秋波を送る「大阪維新の会」との連携ができなければ、小沢新党の勢力は次の総選挙後には半減し「展望がない」(伊藤氏)。渦中の橋下氏の発言は今後の政局を左右することにもなりそうだ。
<自民も「今や早期解散は考えていない」との声>
消費増税を含む社会保障・税一体改革法案は順調に進めば、8月上旬には参院での採決の環境が整う。早期解散に追い込みたい自民・公明両党は、内閣不信任案や首相問責決議案を出して、解散に追い込むことも選択肢とするが、「今や早期解散は考えていない」(民主党幹部)との見方がもっぱらだ。法案成立直後の解散では消費増税の是非が争点化されてしまうためだ。/とはいえ、解散・総選挙が視野に入ってきたのも事実。政界からは「今年の秋から任期満了の来年夏までの間でタイミングをみるということだろう」(首相周辺筋)、「来年1月の通常国会冒頭解散」(閣僚経験者)などの声が公然と聞かれ始めた。与野党に太いパイプを持つ、たちあがれ日本の園田博之幹事長は今月初めのNHKの番組で、解散は11月になるとの見通しを示した。/ 「11月説」は、野田佳彦首相が9月民主党代表選で再選を果たした勢いで、内閣改造・3役人事を行い、9月下旬に臨時国会を召集。懸案の補正予算案や今通常国会で積み残される可能性も出てきた12年度特例公債法案を処理した後、解散に打って出るという見方だ。消費増税法案の採決がお盆明け後にずれ込めば、特例公債法案の会期内成立が難しくなり、同法案成立をカードにした話し合い解散が濃厚になるという。/民主党の前原誠司・政調会長は5日の記者会見で「秋に臨時国会を開き、景気対策やそれまでに議員定数削減など身を削る努力をするなかで、国民に信を問う環境を作っていくべきだ」と早期解散をけん制すると同時に臨時国会後の解散を示唆した。/公明党の斉藤鉄夫幹事長代行も9日のBSフジの番組で、特例公債法案について「賛成することは普通考えられないが、唯一考えられるのは政権側が大きな約束をすることだ。たとえば、衆院解散だ」と述べ、解散と引き換えに賛成する姿勢をにじませている。/秋の解散が「政権が追い込まれて解散」するのに対して、「来年1月の通常国会冒頭解散説」は、「自らの意志で解散に打って出るということ」(閣僚経験者)。この時には、消費増税への理解を得るために不可欠な「国会議員の身を切る努力」実現に向けた環境整備も整うとの読みがある。/関係者によると、「一票の格差」是正と国会議員定数削減を含む選挙制度改革は、法案が成立しても政府の衆院選挙区画審議会(区割審)が区割り案を策定し実施に移すまで「最短4カ月」かかるという。仮に今通常国会で法案が成立すれば、新制度での適用も可能になるタイミングになるとみられている。/衆院解散・総選挙は「早くても秋」(政治アナリスト・伊藤氏)と見込まれ、秋以降は「常在戦場」となりそうだ。
<「離党予備軍」の動静次第で政局流動化>
もっとも足元の政権運営の道は平たんではない。野田首相が政治生命をかけて取り組む消費増税法案は、順当にいけば、自民・公明の協力を得て、圧倒的多数で成立する公算が高い。しかし、法案に反対しながら党内に残り、小沢新党と連携を強める鳩山由紀夫元代表らの離党予備軍の動きが、内閣不信任決議案の提出とからみ、与野党の関心事になっている。/小沢氏は新党旗揚げ後に「新党きづな」と統一会派を組み、内閣不信任案提出などで政権に攻勢をかける構えだ。だが、統一会派を組んでも衆議院での勢力は46人で、内閣不信任案提出が可能な51人には満たない。鳩山グループからの離党が揺さぶりのきっかけとなる。/仮に小沢氏を中心とする野党が内閣不信任案を提出しても、自民党は同調しないとの見方が優勢だ。消費増税の3党合意に反対しての不信任案には同調しがたいとみられるためだ。しかし「感情論が噴き出せば、事態は一気に流動化する」(民主党幹部)リスクも否定できない。/さらに、自民党は、法案に反対しながら党内に残り、増税反対を主張し続ける鳩山氏に対して、厳格な処分どころか当初の処分を軽減した輿石体制に批判を強めている。石原伸晃幹事長は「民主党の中で改めることなく、引き続き(法案に)反対だということを参議院で言う人が呼応して出てくれば、そういう事態(参院での否決)も全く否定できない」と述べ、参院採決で反対に転じる可能性も示唆した。そうなれば、政局は一気に流動化する。 〔ロイター 2012年 07月 11日 16:05 JST〕
東京夢華録 巻八 端午
端午節物:百索、艾花、銀樣皷兒花、花巧畫扇、香糖果子、糉子、白團。紫蘇、菖蒲、木瓜並皆茸切、以香藥相和、用梅紅匣子盛裹。自五月一日及端午前一日、賣桃、柳、葵花、蒲葉、佛道艾、次日家家鋪陳於門首、與糉子、五色水團、茶酒供養。又釘艾人於門上、士庶遞相宴賞。
〔訳〕端午の節句の祝い物といえば、百索(いろいと)・艾花(よもぎかざり)・銀様鼓児花(ぎんのたいこかざり)・花巧画扇(かざりせんす)・香糖果子(かとうがし)・糉子(ちまき)・白い団子がある。またシソ・ショウブ・木瓜(ぼけ)をみな細かく切り、香薬をまぜ、紅梅色の小箱に詰める。五月一日から端午の前日まで、モモ・ヤナギ・ヒマワリ・ショウブの葉・仙道ヨモギを売る。翌日(すなわち五月五日)、家々はこれらを門口に敷き並べ、糉子(ちまき)・五色の団子・茶や酒を供え、またヨモギで作った人形を門に釘付けして、人々は互いに飲み食いをしあった。
※端午:都の商店の者達は、五月一日を端一、二日を端二と数えて行き、五月五日を端五と呼んだという。
※百索:子供が首にかける五色の糸。我が国で鯉のぼりに用いる五色の吹流しもこの五色の糸に由来する。五色のいとに邪悪をはらう力があるという信仰は後漢時代からあったという。
※艾花:五月五日、ヨモギの葉でトラの形をつくり、あるいは綾絹をもって小さなトラをつくりヨモギのはをつけ物を艾虎(がいこ)といい、これをつければ邪を払うことが出来たと信じられた。
※銀様鼓児花:俗に小鼓を作って梁にかけたり台に載せておく、端午の節句の飾り物の一つであったらしい。
※花巧画扇:小さな扇子で、紅・白・青色の色物や、刺繍をしたもの、画をかいたものなどを端午の節句に贈りあったという。
※香糖果子:糖蜜韻果とも糖霜韻果ともいい砂糖漬けの果物を原料とする菓子。
※糉子:マコモの葉でモチゴメを包み、クリやナツメを加え灰汁で煮て食べたという。これが宋代の粽であった。
※モモ・…… 仙道ヨモギ:これらは中国ではいずれも邪を祓う力があると考えられていた。
端午節物:百索、艾花、銀樣皷兒花、花巧畫扇、香糖果子、糉子、白團。紫蘇、菖蒲、木瓜並皆茸切、以香藥相和、用梅紅匣子盛裹。自五月一日及端午前一日、賣桃、柳、葵花、蒲葉、佛道艾、次日家家鋪陳於門首、與糉子、五色水團、茶酒供養。又釘艾人於門上、士庶遞相宴賞。
〔訳〕端午の節句の祝い物といえば、百索(いろいと)・艾花(よもぎかざり)・銀様鼓児花(ぎんのたいこかざり)・花巧画扇(かざりせんす)・香糖果子(かとうがし)・糉子(ちまき)・白い団子がある。またシソ・ショウブ・木瓜(ぼけ)をみな細かく切り、香薬をまぜ、紅梅色の小箱に詰める。五月一日から端午の前日まで、モモ・ヤナギ・ヒマワリ・ショウブの葉・仙道ヨモギを売る。翌日(すなわち五月五日)、家々はこれらを門口に敷き並べ、糉子(ちまき)・五色の団子・茶や酒を供え、またヨモギで作った人形を門に釘付けして、人々は互いに飲み食いをしあった。
※端午:都の商店の者達は、五月一日を端一、二日を端二と数えて行き、五月五日を端五と呼んだという。
※百索:子供が首にかける五色の糸。我が国で鯉のぼりに用いる五色の吹流しもこの五色の糸に由来する。五色のいとに邪悪をはらう力があるという信仰は後漢時代からあったという。
※艾花:五月五日、ヨモギの葉でトラの形をつくり、あるいは綾絹をもって小さなトラをつくりヨモギのはをつけ物を艾虎(がいこ)といい、これをつければ邪を払うことが出来たと信じられた。
※銀様鼓児花:俗に小鼓を作って梁にかけたり台に載せておく、端午の節句の飾り物の一つであったらしい。
※花巧画扇:小さな扇子で、紅・白・青色の色物や、刺繍をしたもの、画をかいたものなどを端午の節句に贈りあったという。
※香糖果子:糖蜜韻果とも糖霜韻果ともいい砂糖漬けの果物を原料とする菓子。
※モモ・…… 仙道ヨモギ:これらは中国ではいずれも邪を祓う力があると考えられていた。
東京夢華録 巻八 四月八日
四月八日佛生日、十大禪院各有浴沸齋會、煎香藥糖水相遺、名曰「浴佛水」。迤邐時光晝永、氣序清和。榴花院落、時聞求友之鶯;細柳亭軒、乍見引雛之燕。在京七十二戶諸正店、初賣煑酒、市井一新。唯州南清風樓最宜夏飲。初嘗青杏、乍薦櫻桃、時得佳賓、觥酧交作。是月、茄瓠初出上市、東華門爭先供進、一對可直三五十千者。時果則御桃、李子、金杏、林檎之類。
〔訳〕四月八日は釈迦の誕生日だ。十大禅寺ではそれぞれ潅仏会(かんぶつえ)を開き、香薬を煎じた糖水(あまちゃ)を贈り、これを「浴仏水(よくぶつすい)」といった。うららかでのどかな、時は清和(せいわ)と呼ばれる四月である。ザクロの花が庭に咲けば、友を求めるウグイスの声が聞かれ、細い柳の葉がしだれかかる亭(ちん)の軒端には雛(ひな)を連れたツバメが見られる。都の七十二軒の正酒店(おやみせ)では、初の煮酒(しゃしゅ)を売り出し、市井の酒は一新する。だが州南の清風楼がもっとも夏飲むのによろしい。青いアンズを賞味したり、サクランボをすすめたり、よき飲み友だちを得ては杯をくみかわすのだった。この月にユウガオの果実が初めて市場に出る。東華門では先を争ってこれを売り出し、ひとつで三十貫から五十貫もの値段がした。この時期の果物といえば、モモ・スモモ・アンズ・リンゴのたぐいであった。
※清和:俗に陰暦四月を清和月という。ちょうど現在の初夏の頃である。
※煮酒:宋代には酒は専売で政府の酒庫(さかぐら)に収納された。四月には煮酒を、九月には清酒の庫を開いた。煮酒は夏に飲む酒である。
※ユウガオ:原文では「茄瓠(かこ)」。ユウガオの実、すなわちフクベとかナリヒサゴとか呼ばれるものには二種あり、細長い果形のものは若い果実を食用にし、丸い果形のものは干瓢(かんぴょう)の原料になる。
四月八日佛生日、十大禪院各有浴沸齋會、煎香藥糖水相遺、名曰「浴佛水」。迤邐時光晝永、氣序清和。榴花院落、時聞求友之鶯;細柳亭軒、乍見引雛之燕。在京七十二戶諸正店、初賣煑酒、市井一新。唯州南清風樓最宜夏飲。初嘗青杏、乍薦櫻桃、時得佳賓、觥酧交作。是月、茄瓠初出上市、東華門爭先供進、一對可直三五十千者。時果則御桃、李子、金杏、林檎之類。
〔訳〕四月八日は釈迦の誕生日だ。十大禅寺ではそれぞれ潅仏会(かんぶつえ)を開き、香薬を煎じた糖水(あまちゃ)を贈り、これを「浴仏水(よくぶつすい)」といった。うららかでのどかな、時は清和(せいわ)と呼ばれる四月である。ザクロの花が庭に咲けば、友を求めるウグイスの声が聞かれ、細い柳の葉がしだれかかる亭(ちん)の軒端には雛(ひな)を連れたツバメが見られる。都の七十二軒の正酒店(おやみせ)では、初の煮酒(しゃしゅ)を売り出し、市井の酒は一新する。だが州南の清風楼がもっとも夏飲むのによろしい。青いアンズを賞味したり、サクランボをすすめたり、よき飲み友だちを得ては杯をくみかわすのだった。この月にユウガオの果実が初めて市場に出る。東華門では先を争ってこれを売り出し、ひとつで三十貫から五十貫もの値段がした。この時期の果物といえば、モモ・スモモ・アンズ・リンゴのたぐいであった。
※清和:俗に陰暦四月を清和月という。ちょうど現在の初夏の頃である。
※煮酒:宋代には酒は専売で政府の酒庫(さかぐら)に収納された。四月には煮酒を、九月には清酒の庫を開いた。煮酒は夏に飲む酒である。
※ユウガオ:原文では「茄瓠(かこ)」。ユウガオの実、すなわちフクベとかナリヒサゴとか呼ばれるものには二種あり、細長い果形のものは若い果実を食用にし、丸い果形のものは干瓢(かんぴょう)の原料になる。
今日は新聞の休刊日。浅草寺の境内では「ほおずき市」が開かれる。今朝のウェブニュースより、
東京・浅草寺:「ほおずき市」始まる 10日まで ―― 東京都台東区の浅草寺で9日、約200年続く夏の風物詩「ほおずき市」が始まった。境内には約120店が並び、朱色に色づいたホオズキが、訪れた人の目を楽しませていた。10日まで。/今年は節電のため、露店の電球約600個をすべてLEDに変更した。/この日にお参りすると、4万6000日分の御利益があると言われ、江戸時代から多くの人が参拝。ホオズキの実が体に良いと言われたため、浅草寺でも市が開かれるようになったという。/午前7時~午後10時。2日間で約55万人の人出が見込まれる。 〔毎日新聞 2012年07月09日 11時05分(最終更新 07月09日 11時36分)〕
東京夢華録 巻七 駕回儀衛
駕回則御裹小帽、簪花乘馬、前後從駕臣寮。百司儀衛悉賜花。大觀初、乘驄馬至太和宮前、忽宣「小烏」、其馬至御前拒而不進、左右曰:「此願封官。」勑賜龍驤將軍、然後就轡;蓋「小烏」平日御愛之馬也。莫非錦繡盈都、花光滿日、御香拂路、廣樂喧空。寶騎交馳、綵棚夾路、綺羅珠翠、戶戶神仙;畫閣紅樓、家家洞府。遊人士庶、車馬萬數。妓女舊日多乘驢、宣、政間惟乘馬、披涼衫、將蓋頭背繫冠子上。少年狎客往往隨後、亦跨馬輕衫小帽。有三五文身惡少年控馬、謂之「花褪馬」。用短繮促馬頭刺地而行、謂之「鞅韁」。呵喝馳驟、競逞駿逸。遊人往往以竹竿挑掛終日關撲所得之物而歸。仍有貴家士女、小轎插花、不垂簾幙。自三月一日至四月八日閉池、雖風雨亦有遊人、路無虛日矣。是月季春、萬花爛熳、牡丹、芍藥、棣棠、木香、種種上市。賣花者以馬頭竹藍鋪排、歌叫之聲、清奇可聽。晴簾靜院、曉幙高樓、宿酒未醒、好夢初覺、聞之莫不新愁易感、幽恨懸生、最一時之佳況。諸軍出郊、合教陣隊。
〔訳〕《還幸》還幸には主上は小帽をかぶり花を髪挿(かざ)され、馬にお乗りになる。前後の供廻りの臣下や儀仗兵にもことごとく花を賜わった。大観〔徽宗の1107~1110年〕初年に、主上は驄馬(あしげ)に乗って太和宮の前までこられると、ふいに「小烏(しょうう)」を連れてまいれ、とおおせられた。ところが「小烏」はご前に来ると、足をふんばって動こうとしない。お側付きの者が「これは官位がほしいのでございましょう」と申し上げたので、主上はこの馬に竜驤将軍の位を授けられた。すると馬はいうことを聞いて、轡をつけさせたという。この「小烏」は日頃主上が可愛がられていた馬であった。都の中には、錦織りなす花が春の光に咲きほこって花やかな色彩が満ち溢れ、かぐわしい香りは道に流れ、盛大な楽の音が鳴り響き、着飾った騎馬の人々が行き交う。色絹で飾った屋台は道も狭しと結い立てられ、薄絹の美服をまとい真珠やヒスイを身につけた仙女のような女たちが門ごとに立ち並んでいるし、楼閣(たかどの)は華やかに彩られていて、家々も神仙のすみかのようであった。人々はみな喪のみ遊山にくりだし、その車馬は万をもって数えた。彼女たちは、むかしはたいていロバに乗ったが、政和・宣和年間〔宋、徽宗の年号、1111~1125年〕になるともっぱら馬に乗るようになり、涼衫(コート)をはおり、蓋頭(かずき)を冠子(かむり)の後につけていた。往々年若い馴染みの客が妓女の後に従い、これまた軽やかな衫(うわぎ)に小帽といういでたちであった。また三人五人と連れ立った入れ墨姿の若いやくざたちが手綱をしぼって馬をとめ立ちふさがるのを「花褪馬(はなくたし)」といった。また短い手綱を用いて馬の頭を後ろに引きしめ、足を地面に突き刺すように上下させて進むのは「鞅韁(しめたづな)」といった。めいめい叱咤して馬を駆り、自分の馬の素晴しさを競い合うのだった。また見物人の中には竹竿をかついで、一日中「漢撲(かけ)」をして歩き、勝って手に入れた品物を竿にかけて帰るのであった。また貴家の令嬢たちも、小さな轎(こし)に花を挿して飾りたて、簾や幕などは取り払って町を行くのだった。三月一日から始って四月八日に金明地の庭園がとざされるまで、風雨の日にも見物人があって、ほとんど人の来ぬ日はなかった。この月は春の季(すえ)に当たり、よろずの花が咲きほこり、ボタン・シャクヤク・ヤマブキ・木香(もっこう)などが市場に出る。花売りが竹籠に花を並べ、歌うようにして呼び売りをするのは、なかなかさわやかでよかった。もの静かな屋敷や暁の高殿で目醒(ざ)た時、この売り声を聞くと、かならず胸には清らかな情感があふれて、さまざまな物思いにふける、なんともすばらしいひとときであった。なお、諸軍が郊外に出て、合同の隊形展開訓練をした。
※還幸:三月、清明節の頃に行なわれる金明池での諸行事が終わり、皇帝が宮城に戻る前後の開封のありさまである。
※小烏:「小」は可愛いものにつける接頭語。「烏」は馬の毛並みが黒かったことをあらわす。
※涼衫:都の士人は公服を着て乗馬する際には黲衣(薄い青黒色のコート)を着、これを涼衫(りょうさん)といった。今のダスターコートのようなもの。
※蓋頭:婦女が道を歩く時に頭からすっぽり被る四角い薄絹。婚礼には紅い薄絹を被った。ここでは馬に乗るので、飛ばぬように後頭部の冠にとめて後ろになびかせる粋なスタイルにしたのであろう。
※鞅韁(おうきょ):短い手綱をつけて馬の頭を後ろに引き締めると馬の首は高く上り、手綱が鞅〔馬の胸から鞍にかけ渡す革緒〕のような位置にくるのでなづけられた。
※春の季:陰暦では、一・二・三月が春だから、三月は春の末。
東京夢華録 巻七 駕回儀衛
駕回則御裹小帽、簪花乘馬、前後從駕臣寮。百司儀衛悉賜花。大觀初、乘驄馬至太和宮前、忽宣「小烏」、其馬至御前拒而不進、左右曰:「此願封官。」勑賜龍驤將軍、然後就轡;蓋「小烏」平日御愛之馬也。莫非錦繡盈都、花光滿日、御香拂路、廣樂喧空。寶騎交馳、綵棚夾路、綺羅珠翠、戶戶神仙;畫閣紅樓、家家洞府。遊人士庶、車馬萬數。妓女舊日多乘驢、宣、政間惟乘馬、披涼衫、將蓋頭背繫冠子上。少年狎客往往隨後、亦跨馬輕衫小帽。有三五文身惡少年控馬、謂之「花褪馬」。用短繮促馬頭刺地而行、謂之「鞅韁」。呵喝馳驟、競逞駿逸。遊人往往以竹竿挑掛終日關撲所得之物而歸。仍有貴家士女、小轎插花、不垂簾幙。自三月一日至四月八日閉池、雖風雨亦有遊人、路無虛日矣。是月季春、萬花爛熳、牡丹、芍藥、棣棠、木香、種種上市。賣花者以馬頭竹藍鋪排、歌叫之聲、清奇可聽。晴簾靜院、曉幙高樓、宿酒未醒、好夢初覺、聞之莫不新愁易感、幽恨懸生、最一時之佳況。諸軍出郊、合教陣隊。
〔訳〕《還幸》還幸には主上は小帽をかぶり花を髪挿(かざ)され、馬にお乗りになる。前後の供廻りの臣下や儀仗兵にもことごとく花を賜わった。大観〔徽宗の1107~1110年〕初年に、主上は驄馬(あしげ)に乗って太和宮の前までこられると、ふいに「小烏(しょうう)」を連れてまいれ、とおおせられた。ところが「小烏」はご前に来ると、足をふんばって動こうとしない。お側付きの者が「これは官位がほしいのでございましょう」と申し上げたので、主上はこの馬に竜驤将軍の位を授けられた。すると馬はいうことを聞いて、轡をつけさせたという。この「小烏」は日頃主上が可愛がられていた馬であった。都の中には、錦織りなす花が春の光に咲きほこって花やかな色彩が満ち溢れ、かぐわしい香りは道に流れ、盛大な楽の音が鳴り響き、着飾った騎馬の人々が行き交う。色絹で飾った屋台は道も狭しと結い立てられ、薄絹の美服をまとい真珠やヒスイを身につけた仙女のような女たちが門ごとに立ち並んでいるし、楼閣(たかどの)は華やかに彩られていて、家々も神仙のすみかのようであった。人々はみな喪のみ遊山にくりだし、その車馬は万をもって数えた。彼女たちは、むかしはたいていロバに乗ったが、政和・宣和年間〔宋、徽宗の年号、1111~1125年〕になるともっぱら馬に乗るようになり、涼衫(コート)をはおり、蓋頭(かずき)を冠子(かむり)の後につけていた。往々年若い馴染みの客が妓女の後に従い、これまた軽やかな衫(うわぎ)に小帽といういでたちであった。また三人五人と連れ立った入れ墨姿の若いやくざたちが手綱をしぼって馬をとめ立ちふさがるのを「花褪馬(はなくたし)」といった。また短い手綱を用いて馬の頭を後ろに引きしめ、足を地面に突き刺すように上下させて進むのは「鞅韁(しめたづな)」といった。めいめい叱咤して馬を駆り、自分の馬の素晴しさを競い合うのだった。また見物人の中には竹竿をかついで、一日中「漢撲(かけ)」をして歩き、勝って手に入れた品物を竿にかけて帰るのであった。また貴家の令嬢たちも、小さな轎(こし)に花を挿して飾りたて、簾や幕などは取り払って町を行くのだった。三月一日から始って四月八日に金明地の庭園がとざされるまで、風雨の日にも見物人があって、ほとんど人の来ぬ日はなかった。この月は春の季(すえ)に当たり、よろずの花が咲きほこり、ボタン・シャクヤク・ヤマブキ・木香(もっこう)などが市場に出る。花売りが竹籠に花を並べ、歌うようにして呼び売りをするのは、なかなかさわやかでよかった。もの静かな屋敷や暁の高殿で目醒(ざ)た時、この売り声を聞くと、かならず胸には清らかな情感があふれて、さまざまな物思いにふける、なんともすばらしいひとときであった。なお、諸軍が郊外に出て、合同の隊形展開訓練をした。
※還幸:三月、清明節の頃に行なわれる金明池での諸行事が終わり、皇帝が宮城に戻る前後の開封のありさまである。
※小烏:「小」は可愛いものにつける接頭語。「烏」は馬の毛並みが黒かったことをあらわす。
※涼衫:都の士人は公服を着て乗馬する際には黲衣(薄い青黒色のコート)を着、これを涼衫(りょうさん)といった。今のダスターコートのようなもの。
※蓋頭:婦女が道を歩く時に頭からすっぽり被る四角い薄絹。婚礼には紅い薄絹を被った。ここでは馬に乗るので、飛ばぬように後頭部の冠にとめて後ろになびかせる粋なスタイルにしたのであろう。
※鞅韁(おうきょ):短い手綱をつけて馬の頭を後ろに引き締めると馬の首は高く上り、手綱が鞅〔馬の胸から鞍にかけ渡す革緒〕のような位置にくるのでなづけられた。
※春の季:陰暦では、一・二・三月が春だから、三月は春の末。
今朝も早朝から、雨。
東京夢華録 巻七 駕登寶津樓諸軍呈百戲 二
次有馬上抱紅繡之毬、擊以紅錦索、擲下於地上、數騎追逐射之、左曰「仰手射」、右曰「合手射」、謂之「拖繡毬」。又以柳枝插於地、數騎以剗子箭、或弓或弩射之、謂之「A柳枝」。又有以十餘小旗、遍裝輪上而背之出馬、謂之「旋風旗」。又有執旗挺立鞍上、謂之「立馬」。或以身下馬、以手攀鞍而復上、謂之「騗馬」。或用手握定鐙袴、以身從後鞦來往、謂之「跳馬」。忽以身離鞍、屈右腳掛馬鬃、左腳在鐙、左手把鬃、謂之「獻鞍」、又曰「棄鬃背坐」。或以兩手握鐙袴、以肩著鞍橋、雙腳直上、謂之「倒立」。忽擲腳著地、倒拖順馬而走、復跳上馬、謂之「拖馬」。或留左腳著鐙、右腳出鐙、離鞍橫身、在鞍一邊、右手捉鞍、左手把鬃存身、直一腳順馬而走、謂之「飛仙膊馬」。又存身拳曲在鞍一邊、謂之「鐙裡藏身」。或右臂挾鞍、足著地順馬而走、謂之「趕馬」。或出一鐙、墜身著鞦、以手向下綽地、謂之「綽塵」。或放令馬先走、以身追及、握馬尾而上、謂之「豹子馬」。或橫身鞍上、或輪弄利刃、或重物、大刀、雙刀百端訖、有黃衣老兵、謂之「黃院子」數輩、執小繡龍旗前導宮監馬騎百餘、謂之「妙法院女童」;皆妙齡翹楚、結束如男子、短頂頭巾、各著雜色錦繡撚金絲番段窄袍、紅綠吊敦束帶、莫非玉羈金勒、寶花韉、豔色耀日、香風襲人。馳驟至樓前、團轉數遭、輕簾皷聲、馬上亦有呈驍藝者。中貴人許畋押隊、招呼成列、皷聲一齊擲身下馬、一手執弓箭、攬韁子、就地如男子儀、拜舞山呼訖、復聽皷聲、騗馬而上。大抵禁庭如男子裝者、便隨男子禮起居。復馳驟團旋分合陣子訖、分兩陣、兩兩出陣、左右使馬直背射弓、使番鎗或草棒、交馬野戰。呈驍騎訖、引退、又作樂。先設綵結小毬門於殿前、有花裝男子百餘人、皆裹角子向後拳曲花幞頭、半著紅半著青錦襖子、義襴束帶、絲鞋。各跨雕鞍花䪌驢子、分為兩隊、各有朋頭一名、各執綵畫毬杖、謂之「小打」。一朋頭用杖擊弄毬子、如綴毬子、方墜地、兩朋爭占、供與朋頭。左朋擊毬子過門入盂為勝、右朋向前爭占、不令入盂、互相追逐、得籌謝恩而退。續有黃院子引出宮監百餘、亦如小打者、但加之珠翠裝飾、玉帶紅靴、各跨小馬、謂之「大打」。人人乘騎精熟、馳驟如神、雅態輕盈、妍姿綽約、人間但見其圖畫矣。呈訖。
〔訳〕《主上、宝津楼に登られ、諸軍、百戯を御覧に供す〔清明二〕2》つぎに馬に乗り、紅い錦の紐をつけた紅い刺繍をした毬(まり)を抱えた者があらわれる。毬を地面に投げると五、六騎の武者が追って弓で射る。左で射るのを「仰手射(ゆんでうち)」、右で射るのを「合手射(めてうち)」といい、この競技は「拖綉毬(まりひき)」といった。また柳の枝を地面に挿し、これを五、六騎の武者が弓あるいは弩(いしゆみ)に剗子箭(いたつき)をつがえているのを「A柳枝(やなぎだおし)」という。それから十本あまりの小旗を輪の上につけて背負いながら馬を走らすのを「旋風坡沲(はたわ)」といい、旗を持って鞍の上にたつのは「立馬(たちうま)」という。また走っている馬からおり、ふたたび鞍によじもどり、もとどおり馬上にまたがるのを「騗馬(とびのり)」、手で鐙袴(あぶみかわ)を、鞦(しりがい)から跳び乗るのを「跳馬(うまとび)」、突然鞍から離れて右足をまげて馬の鬃(たてがみ)にかけ左足は鐙にのせて左手で鬃をつかむのを「獻鞍(くらさげ)」とか「棄鬃背坐(たてがみのり)」、両手で鐙袴をにぎり肩を鞍につけて両足を真上に上げるのを「倒立(さかだち)」という。ふいに足を地面につけて制動をかけながら馬とともに走り、また馬に乗るのは「拖馬(ひきずり)」、左足を鐙にのせて右足は鐙からはずし、鞍から身を離して身を横たえたり、鞍の片側で右手で鞍をつかみ、左手に鬃をつかんで身をささえ、片足をのばして馬とともに走るのを「飛仙膊馬(せんにんのり)」という。また鞍の片側に身をまげかくすのは「鐙裏蔵身(あぶみがくれ)」、右ひじで鞍をはさみ、足で地を蹴って馬とともに走るのは「趕馬(うまおい)」、片方の鐙をはずし、からだを鞦(しりがい)のほうにまで倒して手で地面の土をつかみ取るのは「綽塵(ちりつかみ)」、馬を先に走らせ、自分は後から追いついて馬の尾をつかんで乗るのを「豹子馬(とびのり)」という。鞍の上に身を横たえ、鋭い刀を手玉のように輪を描いて投げたり、重い得物や大刀とか二本の刀を使ったりもする。このようなさまざまの馬術を演じ終わると、黄衣の老兵があらわれる。これを「黄院子(きいろやっこ)」という。ついで竜を刺繍した小さな旗を持った五、六人の前導について、馬に乗った宮女が百余騎あらわれる。これらは「妙法院の女童(めわらべ)」という。妙齢のしなやかなからだをした乙女たちが、みな男姿になり、頂の短い頭巾をかぶり、身にぴったりついた色とりどりの絹地に金色のぬいとりをした緞子(どんす)の袍(ほう)を着、紅か緑の束帯をつけているし、乗馬にはみんな金や宝玉を飾ったおもがいや飾りも美々しい鐙・韉(くらしき)をつけ、そのあでやかさは輝くばかり、かぐわしい香りが人を襲うのだった。宝津楼の前まで馬を走らせてくると、数回円を画いて走り、軽快な太鼓の音とともに、これまた馬術を手並みを見せるのだ。宦官(かんがん)の許畋(きょでん)が隊列を掌握し、号令をかけて整列させる。太鼓がいっせいにとどろくと、みなひらりと馬からおり、片手に弓矢を持ち、手綱を取りながら男子の作法で拝舞をし主上の万歳を唱えた。唱え終わるとまた太鼓がとどろき、みなは馬にとび乗る。このように宮廷で男装した婦人は、男子の礼にしたがって振る舞うのが常だった。ふたたび集合して円を画いて走ったり、散開と集合をくりかえしてさまざまの陣形を作ってみせた。それが終ると両陣にわかれ、双方から左右の使馬直(このえきへい)が出陣し、弓を後ろ向きに射たり、槍や棒を用い入り乱れて野戦を展開して馬術の手並みをご覧に供した。これが終ってみなが退場すると、また楽曲が演奏される。と、まず殿前に小さな毬門(きゅうもん)が色絹で結い立てられ、花やかな装いの男子百余人が入場する。めいめい角が後ろに彎曲した花幞(かざりかむり)をかぶり、その半分は紅、半分は青の襖子(あわせ)を着、義襴(ぎらん)束帯に絹の鞋(くつ)をはいて、美しい模様のついた鞍・鞍敷きをつけたロバにまたがっている。二組に分かれ、各組に朋頭(くみがしら)が一名、そしてめいめいはみな手に毬杖(きゅうじょう)を持つ。これを「小打」と呼んだ。一方の朋頭が杖でマリを蹴毬のように打ち上げて地面に落ちると、双方争ってマリを取り合い朋頭にマリを送る。片方の組がマリを打って先に毬門に入れると勝ちだが、一方の組も走り寄ってマリを奪い入らせぬようにして、互いに追いつ追われつ争い、勝負が決まると皇恩を謝して退場した。続いて黄衣の老兵が宮女百余人ほひきいてあらわれる。やはり「小打」と同じようないでたちだが、ただ宝石で身を飾り、玉帯に紅い長靴をはき、めいめい小馬に乗っている点が違い、これは「大打」と呼んだ。みな馬術の手並みもあざやかで、神業のように馳せるその身のこなしは、軽やかでもあり、あでやかでもあって、俗世間では絵でしか見られぬ美しさであった。これで百戯はすべて終了である。
※剗子箭(さんしせん):矢じりの先が尖っていない矢。日本でも木や鉄製で頭が尖っていない矢じりのついた矢を平題箭(いたつき)と呼んで、弓術練習に用いた。
※韉(せん):鞍の下に敷く皮。
※花幞:幞頭(ぼくとう)は、四角い布で頭を包み後頭部でしばった頭巾が起源の冠で、冠の後両側に4本または2本の角〔つの、脚(あし)とも言う〕が出ており、その角にはさまざまな形のものがあった。
※義襴(ぎらん)束帯:義襴は、袍の裾に付け加える飾りの布。日本でも袍の裾の左右につける横幅の布を襴(らん、または すそつき)といった。「束帯」は、冠と帯をつけた礼装をいう。
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目高 拙痴无
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