瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  今朝のウェブニュースより、
7d60e75b.jpeg 「同じ思いの人がこんなに」=脱原発集会に「17万人」-酷暑の中、最大規模・東京 ―― 脱原発を求め、再稼働を進める政府に抗議する「さようなら原発10万人集会」が16日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれ、主催者発表で17万人が集まった。東京電力福島第1原発事故後に行われた脱原発集会の中で最大規模とみられる。「同じ思いの人がこんなにいるなんて」「ぜひ、また来たい」。強い日差しが照りつけ、真夏日を記録する中、参加者らは声を上げ続ける決意を新たにした。/集会では、ルポライターの鎌田慧さんが「大成功です」と興奮冷めやらぬ様子で語り、会場を沸かせた。今秋にも脱原発集会を企画するとし、「まだまだやりましょう」と呼び掛けた。/政治への不信をあらわにしたのは経済評論家の内橋克人さん。「福島の悲劇から学ぼうとしない政治家を二度と国会に送ってはいけない」と声を張り上げた。/作家の落合恵子さんは、民主党が国民の生活重視を訴えて政権を獲得したにもかかわらず「命より原発を選んだ」と痛烈に批判した。ノーベル文学賞作家の大江健三郎さん、音楽家の坂本龍一さんらも次々と脱原発への思いを訴えた。/東京都板橋区の会社員で長崎市出身の池田剛さん(68)は「毎週、官邸前で行われるデモを見て来ようと思った。原発の存在そのものが問題だと思っている」と汗を拭いながら語った。/初めて脱原発集会に参加したという人も。埼玉県川口市の会社員、江田昭敏さん(37)は「同じ気持ちの人がこんなにたくさんいると分かった」と顔をほころばせた。長男(9)と次男(2)を連れて来た東京都府中市の主婦、浅野敦子さん(43)は「野田首相にはがっかりしている。大勢の方がこの問題を考えていると分かり、また参加したい」と話した。 〔jijicom 2012/07/16-17:47〕
 
 さらに最近のウェブニユースから、見つけたニュース。
c1ebf4a3.jpeg ヒ弱すぎるゾ スカイツリー 開業1カ月半でもう5度目 風が吹けば休みなんて… <マズい対応にオバサン客も詰め寄る> 「この程度の風で営業をやめちゃうの~」―― 12日午後、東京スカイツリーに観光客の悲鳴が響いた。強風を理由に展望台の営業が突然、休止となったのだ。強風による営業休止は、開業たった1カ月半で、実に5回目。安全のためとはいえ、風に弱すぎないか。/これまで「天望デッキ」(高さ350m)の入場券は完全予約制だったが、11日から当日券も販売開始。12日も朝から大勢の客が行列を作ったが、安全確認のため営業開始は遅れ、午前10時半に一度営業を始めたものの、1時間で再びストップ。結局、午後0時半過ぎに「休止」のアナウンスが流れた。待ち疲れた行列客400~500人の不満は爆発。中には「これだけ待たせたんだから、次回の割引券をよこせ」と詰め寄るオバサン客も現れた。/ちなみに、12日の東京の最大風速は9.9m。肌で風を感じる程度だった。もちろん、地上と高さ350mの上空とでは風の強さは比べ物にならないが、長時間並ばされる立場としては「この程度で? 弱すぎない?」と腹を立てたくもなる。「展望台のエレベーターの安全運行のため、今回、風速20mを基準に営業判断を決めました。観測計は375m、480mの地点に設置しており、それぞれ前日の夜から断続的に風速20m程度を記録していました。一時はこの数字を下回り営業を始めましたが、その後また戻ったため同日の再開を断念しました」(東武タワースカイツリー広報担当者)/そもそも、高層エレベーターの安全基準は地震の揺れを想定しており、強風は想定外。安全対策は事業者任せだが、もう少し風に強くならないものか。/対応のマズさも目立つ。予約客には入場券の払い戻しのほか、30日以内の振り替え入場を受け付ける。だが、世の中そんなに暇じゃない。「この日だけ」という遠方からの客や、修学旅行生などは「一生の思い出」を二度とつくれないかもしれない。最寄り駅に「休止」を告げる案内もなく、公式HPでの発表は、館内アナウンスから遅れること2時間半後。多くの客は何も知らずに、現地に足を運ばされたのだ。/今月28日の隅田川花火大会当日の入場券は倍率186倍のプレミアチケット。この日に強風が吹けば、スカイツリー側は大丈夫か。狭き門をくぐり抜けた来場客が暴動を起こさないか心配だ。  〔日刊ゲンダイ 2012年7月13日 掲載〕
 
 東京夢華録 巻十 冬至
 十一月冬至、京師最重此節。雖至貧者、一年之間、積累假借、至此日更易新衣、備辦飲食、享祀先祖。官放關撲、慶賀往來、一如年節。
〔訳〕十一月の冬至の節句を、都ではもっとも重んじた。極貧の者でも、一年がかりのやりくり算段の末、この日は新しい着物に着替え、飲食物をととのえて、先祖をまつった。お上でも関撲(かけ)を許可したし、人々が慶賀をしに往来するさまは、まるで正月のようであった
 
※まるで正月の…であった:当時都では寒食・冬至・正月が三大節とされていた。ことに冬至には贈答が非常に盛大に行なわれたから、年末年始の頃には素寒貧になってしまう者も多く、俗諺にも「冬至に肥って正月に痩せる」といわれた。冬至はそのときから再び日が長くなり、新たな太陽の出現を待ち望む時なので、特に農耕民族にあっては陽気と成熟の季節を呼び寄せる儀式を行う日として重要視されて来た。中国では一陽来復の節として天子が祭天の儀式を行い、諸官が参内拝賀するのが常であった。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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