昨日は朝から雨、一日家に燻っていた。
今朝は午前4時30分既に明るくなった桜橋を渡り、墨堤通りに出ると足は「鳩の街」に向かっていた。此処は終戦直後は、米軍兵士の慰安施設として出発したというが、1946年(昭和21年)に米兵の立ち入りが禁止され、その後、日本人相手の特殊飲食店街(赤線)として発展した。この街の店舗は、警察の指導でカフェー風に作られたというが、1952年(昭和27年)現在で、娼家が108軒、接客する女性が298人いたという。
吉行淳之介の小説「原色の街」の舞台となり、さらに永井荷風がこの地を舞台に戯曲「渡り鳥いつかへる」「春情鳩の街」を書いている。これらの荷風の2作品は、久保田万太郎の手により構成され「『春情鳩の街』より渡り鳥いつ帰る」として映画化され、森繁久弥、田中絹代、高峰秀子、岡田茉莉子らが出演した。
1958年(昭和33年)の売春防止法施行後、跡地は商店街やアパートなどの住宅となった。
現在でも、商店街の裏に入ると色タイルを貼った娼家風の建物が多少残っているが、老朽化による建て替えや改築により、それらも少なくなった。今も、商店街や道路の名称として「鳩の街」の名は残っている。
街の中ほどにある「鈴木荘」は、鳩の街通りの振興のため、墨田区や東京都からの後援、助成のもとに、商店街が運営を行うクリエイティブスペースである。木造の3軒長屋の中に、陶芸や現代アート、さしもの等様々な作り手が入居しているという。
水戸街道に抜けると四つ木橋南まで北上し、鐘ヶ淵通りを西進。水神大橋を渡ると何時もの通り、隅田川に沿い南下して山谷堀水門広場を横切って帰宅した。
桜橋手前の今戸辺りで熟年夫婦とすれ違った。ふと眼が合い爺には始め判断付かなかったが向こうの方から「Uです」と挨拶された。咄嗟のことで慌てて、奥さんに向って「いつもお世話になっています」と頭を下げてしまった。写真を撮らせてもらう暇もなかった。2年ほど昔のU氏の写真を貼付させて頂く。
sechin@nethome.ne.jp です。
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