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 10時、江戸通りを南下、浅草橋手前に須賀神社がある。須賀神社(すがじんじゃ)という名前の神社は、日本全国に存在する。「すが」は「須我」「清」「酒賀」「素鵞」などとも表記される。いずれもスサノオを主祭神とする神社で、社名は、日本神話において、スサノオが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを妻とした後、出雲国須賀に至って「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言ってそこに宮を作ったことに由来するものである。須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」などと称していた。
須賀神社鳥居
7e988d9a.jpg須賀神社本殿
db5b054e.jpg江戸名所図会にある牛頭天王社
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 ここ蔵前の須賀神社の創建は「當社牛頭天王縁起」によれば推古天皇の御代(西暦600年)。御祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)、御神徳は目的完遂、病気平癒など。上記縁起によると、推古天皇九年(601年)の夏、この地に疫病が流行した。ところが、このあたりの森に牛頭天王を祭った祠(ほこら)があったので、その祠に郷の人々は病気平癒を祈ると、尽く快気したと記してあるという。また「天王塚碑文」、「求涼雑記」、「江戸名所図会」、「新板御祭礼双六」などにも登場し、江戸時代には祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王などと呼ばれ、経済力のある氏子の札差らに支えられ 祭礼も盛大であったようだ。明治時代の神仏分離令により、天台宗東叡山寛永寺真鏡山宝現院大円寺より分離され、須賀神社と改名され、古社であるが、関東大震災の災失、第二次世界大戦の焼失のため 昭和36年造営の鉄筋コンクリート社殿であるという。
浅草橋上より柳橋を望む
f34e6c41.jpg浅草橋
d34d823d.jpg補修工事中の両国橋
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  浅草橋を渡り、神田川沿いに柳橋に出る。両国からテラスを通り、正午前に帰宅した。両国橋も言問橋と同じように補強工事が行われていた。いずれも昭和の初めに架橋されたものであるから、7、80年は経ていることになり、かなりガタがきているのであろうか。
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