瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 夢渓筆談 巻24より 密漬けと油いため
 宋明帝好食蜜漬鱁鮧、一食數升。鱁鮧乃今之烏賊腸也、如何以蜜漬食之?大業中、吳郡貢蜜蟹二千頭、蜜擁劍四甕。又何胤嗜糖蟹。大底南人嗜鹹、北人嗜甘。魚蟹加糖蜜、蓋便於北俗也。如今之北方人、喜用麻油煎物、不問何物、皆用油煎。慶歷中、群學士會於玉堂、使人置得生蛤蜊一簣、令饔人烹之。久且不至、客訝之、使人檢視、則曰:「煎之已焦黑、而尚未爛。」坐客莫不大笑。余嘗過親家設饌、有油煎法魚、鱗鬣虯然、無下筋處。主人則捧而橫嚙、終不能咀嚼而罷。
〔訳〕〔南朝〕宋の明帝〔宋第6代の皇帝、439~472年〕は蜜漬けの鱁鮧〔ちくい・うるか〕が好物で、一度に数升も食べた。鱁鮧とはいまでいえばイカのはらわたのことであるが、どうして蜜漬けにしてこれを食べるのだろうか。大業年間〔隋、煬帝の年号、605~616年〕には呉郡が蜜漬けの蟹二千頭と蜜漬けの擁剣〔こがに、ガザミすなわち海中の泥中にいる小蟹でシオマネキのようにオスの右の鋏が特に大きいのでこの名がある〕四瓮(よんかめ)とを献上している。また何胤(かいん)も糖蜜漬けのカニが好きだった。だいたい南朝人は鹹(しょっば)いものを好み、北朝人は甘いものを好んだ。魚やカニに糖蜜を加えるのは北朝風俗に従うものであろう。いまの北方人はゴマ油で炒めたものを好んで用い、何でもかまわずみな油で炒めてしまう。慶暦年間〔宋、仁宗の年号、1041~48年〕に学士たちが、玉堂〔翰林院〕に集まったとき、生の蛤蜊(しおふき)を一かご持って来させ、料理人に煮させた。ところがいくら経っても持って来ない。みながいぶかって、人を調べにやったところ、「黒焦げになるほど炒めましたが、まだやわらかくなりません」との返辞。一座の者、皆大笑いしない者はなかった。わたしはかつて親戚の家へ行ってご馳走になったときも、魚のから揚げが出たが、鱗も鰭もびんとそりかえり、箸のつけようもない。すると主人は手で持って横かじりにしたが、けっきょくかじりきれずあきらめた。
 
7c928c70.jpeg※擁剣〔蟹〕は海辺の泥中にいる紅い小蟹で、日本のシオマネキのように、その雄の右の鋏が特に大きいのでこの名前がある。




8f8ca65f.jpeg※何胤は南朝斉の武帝〔482~493年〕の時、建安〔福建省建甌県〕の太守となり、のち会稽に隠居したと言う。飲食には贅沢であったが、晩年には菜食主義者になったと伝えられる。
 
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目高 拙痴无
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