瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  一昨日は検査の結果の説明を聞き、内視鏡による切除手術を受けることになりました。16日に担当医のKK医師と会い、入院の日取りが決まることになりました。まあ、入院の期間は4・5日ということなので大したことはないでしょう。
 昨日、YM女史より携帯にメールが入りました。曰く、12301048分受信 日高先生、ご無沙汰しています。/忘年会行かれなくて、すみませんでした。/ブログ、拝見しました。/内視鏡による手術をされている方が最近は多いと聞きました。術後の回復も早いので、内視鏡の手術になれば身体の負担も少なく、早くお酒も飲めるようになるのではないかなぁと思います。うちの父も今年二度目の肝臓ガンの手術をしました。電波による手術で開腹術ではありませんが、もう元気にしてます。先生の教え子にはお医者さんがいっぱいいるから、私の出る幕はなさそうですが、先生が早く回復されることを、心から願っています。今はあまり先のことを考えられないかもしれないかもしれませんが、先生の口癖、――なるようにしかならない。―― を私はいつも思い出して、明日に希望を持つようにしているんですよ。 Yoko

薤露歌            薤露(かいろ)の歌
薤上露、何易晞。 薤上(かいじょう)の露、何ぞ晞(かわ)き易き。
露晞明朝更復落。 露 晞(かわ)けば 明朝 更に復た落つ。
人死一去何時歸。 人 死して一たび去れば何れの時か歸らん。
()  (人生のはかない挽歌の歌) 人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。
    まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
    
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
    
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。
    
(露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一た
    び去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえること
    はないのである)

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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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