今日は親父の70回忌―― 親父の50回忌の法要をやろうという時に長兄が病に倒れ、お流れになりました。そして、その翌年長兄も鬼籍の人となってしまいました。長兄は64歳の若さでおさらばし、三兄も64歳、ついこの間姉も86歳で長兄の下へたびだちました。そして5人いた兄姉弟もいまや2人だけとなりました。来年は次兄の米寿、この爺は83歳となります。
生き残りの次兄はK家へ養子に入り、私には後継者がいないので、日高家も私限りで消滅するのでしょう。
先日三井記念病院で行いました、心電図・レントゲンの腹部撮影・内視鏡検査・腹部エコー検査の結果が本日判り、今後胃の病巣を如何にして処置するかを決めるそうです。午後に診断を聞きに行きますが、出来ることなら腹を切ることなく、内視鏡による処置で済むことを願っています。まあ、どのようになれ、来るべきものが来る日は日一日と近づいていることは確かでしょう。
挽歌詩 挽歌の詩
有生必有死 生有れば必ず死有り
早終非命促 早く終うるも命の促さるるにはあらず
昨暮同爲人 昨暮は同じく人たりしに
今旦在鬼録 今旦は鬼録に在り
魂氣散何之 魂氣は散じて何くにか之く
枯形寄空木 枯形を空木に寄す
嬌兒索父啼 嬌兒は父を索めて啼き
良友撫我哭 良友は我を撫して哭く
得失不復知 得失 復た知らず
是非安能覺 是非 安んぞ能く覚らんや
千秋萬歳後 千秋万歳の後
誰知榮與辱 誰か栄と辱とを知らんや
但恨在世時 但だ恨む 在世の時
飮酒不得足 酒を飮むこと 足るを得ざりしを
訳 生あるものは、必ず死ぬべき運命にある。
若くして死んだからといって、必ずしも命数が縮まったわけではない。
昨夜まではみなと同じく元気だったのに、
今朝はもう過去帳に名をつらねる身となっている。
魂はからだから離れてどこへ行ってしまったのだろう。
あとには、なきがらだけが棺桶に横たわっている。
まだいとけない子どもが父をさがして泣き叫び、
親しかった友もわたしを撫でて号泣している。
死者には、利害損得もわからなければ、
是非の判断もつなかい。
かくして千年万年ののちには、この世の栄誉や恥辱など問題にならぬ。
ただ心残りなことといえば、
ご無沙汰しております。こんばんは。
日々寒くなりましたね。わたし自身は老荘のいうことには大変共鳴を覚えます。「寡欲自然」という道家(諸子百家の一つ)の思想は、俗世間を生き、欲望に拘りがちな私たちには理解しにくいところがありますが、すべてに拘らずに、自然と一体になり、成り行き任せ(ちょっと消極的な人生観)という老荘の気質は評価に値する部分がかなりあると、つくづく感じております。
くれぐれもお体にお気をつけて。シンfrom蒲田
早く美味しいお酒が飲めるよう祈っております。
(「飲酒不得足」なんでしょ!)
人生の先達の叔父上からみれば、私なぞまだまだヒヨッコですが、人生五十年を過ぎまして、来し方行く末を考えることが多くなりました。
夜中にふと目が覚めて、焦燥感や喪失感のようなものにとらわれることも・・・
そんな時おまじないのように、
「日々是好日、日々是好日」
と繰り返すことにしています。
明伯父がなくなる前に教えてくれた言葉です。
ありがたい禅語を、おまじないにするのは、罰当たりですね。
また、到底その精神を理解しているとも言えませんが、
どんな状況においても今日を「好日」にするよう、また、そう心がけるしかないかなぁと、思います。
今年は、三次のお墓に行けませんでした。
今年の最大の心残りです。
春になったら、なるべく早くお参りに行ってきます。
何はともあれ、今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。
では、よいお年を。
sechin@nethome.ne.jp です。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |