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  「第2次早大事件60周年記念の集い」への参加の案内状が来た。
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 第2次早大事件とは、昭和27(1952)年5月8日午後4時頃、早大で第2次早大事件が発生した。神楽坂署私服・山本昭三巡査を文学部校舎に監禁。救援の警官隊と座り込み学生1500名が10時間にわたって対峙した。9日午前1時過ぎ、武力行使。未明、多くの活動家たちが再結集、都下大学の学生をまじえ数千人の抗議集会となった。日本共産党は、「座り込み」を「消極的で敗北主義的な戦術」と批判、メーデー参加者逮捕にきた刑事を監禁、奪還にきた警察と衝突、学生に多数の負傷者がでた事件を指すらしい。
 私が早大に入学したのは昭和28(1953)年で、この事件に関しては耳にしただけでじかに接してはいないし、当時の学生運動は派閥の争いに終始していて、あまりいい印象は残っていない。それに此処のところ歩行困難に陥っているので、欠席の返事を出した。
 因みに、昭和25(1950)年10月17日、早大で第1次早大事件といわれる闘争が起こっている。全学連はゼネストを決行せよとの指令を出し、全学連の呼びかけで早大構内で全都集会が開かれた。大学当局と警察は学生の「平和と大学擁護大会」を弾圧、学生143名が逮捕された。10月17日の闘争は大会戦術の手違いと、予想以上に凶暴化した警察の手によって、かってない官権との大衝突事件となったという。
 
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学生運動
早大事件というのがあったのですね。60年近い昔のことですが、当時の余韻を今も持ち続けている人たちがたくさんおられるのですね。日本の学生運動は現在まったく無風状態というか、社会にインパクトを与えるようなものはなくなりました。1970年代までの、あまりに共産主義に毒された運動のなれのはての姿と思います。私の学生時代までが、学生運動の最後の打ち上げ花火のような有様でした。あのような時代はごめんですが、若者が今の時代に全く異議を唱えようとしない現在も異常だと思います。
中公望 2012/03/17(Sat) 編集
今も昔も政治は権力の場
 当時を振り返ると、感無量です。
 アルバイトをしながら、生活費や学費を稼ぎながら、世の中の矛盾を身に感じながらの毎日でした。しかし、現実は活動家の派閥の渦に巻き込まれて、権力闘争そのものだったような気もします。昔年の仲間と逢ってみたい気もしますが、あまりいい印象は残っていません。
 風の噂に亡くなった方々も多々ありますが、当時はそれぞれにみな真剣に活動していた人たちでした。
 
 
 【2012/03/18】
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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