HS女史のメールには、M(T)女史の事も書かれていましたので、早速「Mさんの住所が判れば、文集再製版を郵送してもいいですよ」という旨を返信しておきました。果たして、返信のメールが届きました。曰く、
12/27 07:54 受信 M(T)さんの住所
お言葉に甘えて、住所をお知らせします。/きっと、懐かしがることでしょう。/(住所記載)/お手数おかけします。/ではまたしろはる(*^。^*) HS
昨日は日曜日で郵便局はお休みでしたが、家にあった20円切手と10円切手をベタベタと貼って、文集再製版をM女史宛てに投函しておきました。その旨をHS女史宛てにメールしました。先のメールで沢山の塾友の名前の記載があったので、先日の塾友忘年会の写真を添付しました。早速返信が届きました。曰く
12/27 13:01 受信 塾友の写真
盛会ですね。Mさんだけは、すぐわかりました。(笑)/人間関係が長~く続いているのが、改めて素晴らしいことと、しみじみ思います。/良いお年を、お迎えください。/ではまたしろはる(*^。^*)
夕刻、KA氏からのメールが入りました。曰く、
12/27 17:47 受信 『思い出』届きました。
日高先生/こんばんわ。/本日、昭和42年度夏期学校文集『想い出』を拝受いたしました。/『想い出』を懐かしく再読させていただきましたが、48年前当時の様子が走馬灯のように駆け巡ってきています。/当時のご苦労も然ることながら、PCワードでの打ち直し再製作業のご苦労に改めまして深謝申し上げます。
小生、一昨日三井記念病院を退院いたしました。/人生初めての入院・手術でしたが、情けないかな術後(4日後)の鼻腔内ガーゼ(約1m)抜去の際に、気絶してしまいました。看護師の娘曰く、痛みに弱い男性に多い「迷走神経反射」ということでした。/人生における健康の大事さを痛感させられた10日間でした。
日高先生、道子先生共々ご自愛の上、良いお年をお迎えください。 KA
NHKの今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、爺の入院などもあって途中から見なくなりましたが、どうやら平均視聴率は12%とあまり評判は良くなかったようです。来年の1月10日から始まる「真田丸」は、どうなることやら?
「真田丸」とは、慶長19年(1614年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城の平野口に構築した曲輪のことです。豊臣秀吉が築いた大坂城は台地の北端に位置し、周囲を淀川、大和川などに守られた堅城でしたが、南方だけは平坦な台地に空堀を設けたのみで、防御が手薄でした。1614年、豊臣氏と徳川方が一触即発状態となり、大坂方は諸国から浪人衆を集めます。幽閉中の高野山から脱出して大坂城に入城した真田信繁は、積極的な出撃を主張しますが、大坂方は篭城策を採ったのです。信繁は1600年(慶長5年)に、父の真田昌幸が指揮した信濃国上田城(長野県上田市)における上田合戦(第二次)において馬出しを利用した戦術を経験しており、信繁は南からの攻勢を想定し、平野口に独立した出城を築き、自らが守備につくことにより徳川方の攻撃を食い止めようとします。12月4日早朝、徳川方の前田利常、井伊直孝、松平忠直らの軍勢が挑発に乗って攻勢を開始し、真田丸の戦いが行われます。ここで信繁は徳川方の兵を策によって多く引き込み、散々に打ち破ることに成功します。冬の陣の終了後、和議の条件により真田丸は破壊されたといいます。
爺の少年時代は立川文庫で猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道などの「真田十勇士」の物語に夢中になったものですが、今度のドラマでは佐助が真田家の忍者として出演するだけで真田十勇士とは縁が無さそうですね。はてさて、どんなドラマが展開されるのでしょうね?
sechin@nethome.ne.jp です。
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