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 今朝の朝日新聞(38面)より、
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 裏山に快慶の石仏、最古作品の可能性 奈良県三郷町 ―― 奈良県三郷(さんごう)町の持聖院(じしょういん)にある薬師如来像の石仏が、鎌倉時代を代表する仏師・快慶(かいけい)の作品であることがわかった。最古の作品の可能性もあるという。町教委などでつくる調査委員会が11月、岡山市の就実大学であるシンポジウムで発表する。/院は、鎌倉時代の高僧・貞慶(じょうけい=解脱上人〈げだつしょうにん〉、1155~1213年)が開いたとされる惣持寺(そうじじ=廃寺)の子院。院の裏山にあった「一針薬師(ひとはりやくし)笠石仏」(町文化財、高さ2.2メートル、幅2メートル、厚さ25~30センチ)は、花崗岩(かこうがん)の表面に細い線で薬師如来像や日光・月光菩薩(ぼさつ)像などを刻んでいるが風化で薄れ、信者がなでたためか顔の表情は不鮮明になっている。/倒壊の危険があったため、調査委が5月、解体調査。笠のように上に載った石の裏側に銘文が刻まれており、「解脱上人」の「本願」で「アン大工匠人」(アンは梵字〈ぼんじ〉)が造立したと記されていた。/調査委は、貞慶と親しかった僧侶の伝記「三輪上人行状」(1255年)に貞慶の発願で快慶に依頼して薬師像を作ったとの記述があり、一致する。
 ▽「アン大工匠人」は快慶が自称した「巧匠アン阿弥陀仏」と似ている――などから、石仏は快慶作と断定した。
 一方、銘文には「如月廿日(2月20日)」に「一周忌」のため造立したとも解釈できる部分があった。貞慶に帰依した貴族、九条兼実(かねざね)が1188年2月20日に長男を22歳で亡くしており、長男の一周忌で1189年2月に完成したとすれば、現存する快慶最古の作品「弥勒菩薩像」(米ボストン美術館所蔵)の1189年9月を半年以上さかのぼることになる。/調査委メンバーで奈良県大和郡山市教委の山川均主任は「快慶のまだ有名でない頃をうかがい知ることができ、超一級の資料だ」、奈良大の三宅久雄教授(仏教美術史)は「快慶が関わった石仏は他に知られていない。新たな側面を知ることができ貴重だ」と話す。/石仏は現在、持聖院境内に安置され、拝観は事前連絡が必要。
  〈快慶〉 生没年不詳。同じく鎌倉時代を代表する仏師運慶とは兄弟弟子にあたる。「安阿弥陀仏」とも称したため、理知的で端正な作風は「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれる。国宝に、兵庫県小野市・浄土寺の阿弥陀三尊像、東大寺の僧形八幡神像などがある。著名な東大寺南大門の金剛力士像は、運慶らとの共同制作。 (朝日新聞デジタル 2013年09月02日07時59分)
 
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