瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝のウェブニュースより
 仲麻呂記念碑にペンキ=「尖閣」で嫌がらせか-中国西安 ―― 【北京時事】奈良時代に日本から唐に派遣され、玄宗皇帝に重用された阿倍仲麻呂(698~770)を記念して、中国陝西省西安市の興慶宮公園に設置されている石碑がペンキのようなもので汚されていたことが6日、分かった。ミニブログ「微博」に写真が掲載された。日本政府の尖閣諸島国有化に反発した嫌がらせとみられる。/碑は西安市と奈良市の友好都市提携を記念して1979年に完成。仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を漢詩に訳したものが刻まれている。/西安では9月15日に大規模な反日デモがあり、日本車を運転していた中国人男性が暴徒に襲われて重傷を負う事件も起きた。当局は男性を襲った男を拘束し、市中心部でのデモを禁止する通達を出した。  (jiojicom 2012/10/07-00:20)
ba9e4526.jpeg※陝西省西安市にある興慶宮公園の記念碑と江蘇省鎮江にある北固山の歌碑には、この歌を漢詩の五言絶句の形で詠ったものが刻まれている。
 翹首望東天  首(しゅ)を翹(あ)げて東天を望めば
 神馳奈良邊  神(こころ)は馳(は)す 奈良の辺
 三笠山頂上  三笠山頂の上
 思又皎月圓  思ふ 又た皎月(こうげつ)の円(まどか)なるを
 
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1f9652ca.jpeg Pythagoras(ピタゴラス、BC582~496年)は、三平方の定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた。
 彼は、エーゲ海にあるギリシアの植民地サモス島に生まれた。それはギリシアの黄金期の初期、そしてローマ建国の時代であった。東洋では釈迦と孔子がその道を説いていた時代でもあった。PythagorasはThales(ターレス、BC624?~546?年、ギリシアの哲学者)の教えを受けるためミレトスに赴き、Thalesから多くの知識を得た後、Thalesの進めによって、エジプトに留学し、そこに相当長く留まったと信じられている。その間バビロニアを訪れたという説もある。
 いずれにしても、相当長い留学生活の後サモス島へ戻って、そこで学校を開いたという。しかし、この学校は成功しなかったようである。そこで南イタリアのギリシアの植民地Croton〔クロトン、イタリア半島の先端部,地図の〕で学校を開いた。
 Pythagorasはこの学校で、外国で学んだ数学、哲学、自然科学を教え、弟子とともにこれらの研究に励んだ。この学校では、弟子達はそこで学んだことを外で口外することを固く禁じられていた。また、この学校では弟子達が発見したことはすべてその師Pythagorasの発見とされたらしい。後世Pythagorasの発見とされるものはむしろPythagoras学派の発見とされるのが正しかろう。この学校は学校というよりは教団または組合の性格を持っていて、学校が盛んになるにつれて、Pythagoras学派の人々は政治にも口を入れるようになっていった。そのため反対派の人達のPythagoras教団に対する反感が高まり、この学校はついに反対派のために焼き討ちされることになった。
Pythagorasは一時この難を避けたが、後Metapontion(メタポンティオン)で死んだといわれている。
 Diogenes Laërtius (ディオゲネス・ラエルティオス、3世紀前半頃に活躍した哲学史家)は『ギリシア哲学者列伝』の中でPythagorasの最期に関する4つの説を紹介している。
 (1)クロトンの家にいる時に放火されて、逃げ出し、豆畑まで来た時に立ち止まったため、追手に捕らえられて咽喉を切られて殺された。
(2)Metapontion(メタポンティオン)のムゥサの女神たちの神殿に逃げ込み、40日間の断食をした後で死んだ(ディカイアルコスの説)。
(3)メタポンティオンに退き、断食をして死んだ(ヘラクレイトスの説)。
(4)アクラガス人とシュラクサイ人との戦闘に参加し、アクラガス軍の側に味方して戦った。しかし、アクラガス軍が退却したため、豆畑を避けて廻り道をしようとした時に、シュラクサイ軍に捕らえられて殺された(ヘルミッポスの説)。
 Pythagorasは、物事の根源、即ち「arkhē〔アルケー、根源〕は数である」と考えた。例えば、男は3、女は2、その和5が結婚を象徴する、といった具合にである。
 Pythagoras学派、Pythagoras教団と呼ばれる独自の哲学学派は、哲学界における様々な定理を見出した(そのほとんどは、現在で言う数学のものである)。この学派は五芒星をシンボルマークとしていた。
252a173f.jpeg※五芒星〔ごぼうせい、pentagram《ペンタグラム》)または五芒星形・五角星形・五線星型・星型五角形・正5/2角形は、互いに交差する、長さの等しい5本の線分から構成される図形で星型正多角形の一種である。正五角形に内接し、対称的である。一筆書きが可能。五紡星と誤記されることがある。/5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。世界中で魔術の記号とされ守護に用いることもあれば、上下を逆向きにして悪魔の象徴になることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。また、外側の5つの三角形が星の光彩を連想させることから、星を表す記号としてよく用いられる。/内側に生じる小さな正五角形を取り除いた形(☆:五光星)もしばしば五芒星と呼ばれることがある。また、この「五光星」には「五稜星(ごりょうせい)」という別名もある。
Pythagorasは、線は極小の点の有限個の集合であると考えた。そのため、無理数の存在を否定していた。しかし、彼の学派が見付けた三平方の定理によっても算出される√2によって、無理数が存在しないという考えは後に修正された。皮肉な事に、シンボルマークの五芒星に現れる黄金比も無理数であった。ちなみに、無理数の存在を否定するがあまり、無理数について口外した仲間を溺死させたことさえあるとされる。
 彼はオルペウス教の影響を受けてその思想の中で輪廻を説いていたとされている。
※Orphism〔オルフィズム、またはOrphicism《オルフィシズム》、オルペウス教〕は、古代ギリシャ世界における密儀教である。Hādēs〔ハーデース、冥界〕を往還した伝説的な詩人Orpheus(オルペウス)を開祖と見なしている。また、冬ごとに冥界に降り、春になると地上に戻るPersephone(ペルセポネー)、同じく冥界を往還したDionȳsos(ディオニューソス)もしくはBakkhos(バッコス)も崇拝された。その歴史的起源は紀元前6世紀、または、少なくとも紀元前5世紀にまでさかのぼり得るかもしれない。Eleusis(エレウシス)の秘儀と同じく、 オルペウス教は来世における優位を約束した。/一般的な古代ギリシャ宗教と比較して、オルペウス教の特徴とされる点は以下の通りである。
・人間の霊魂は神性および不死性を有するにもかかわらず、輪廻転生(悲しみの輪)により肉体的生を繰り返す運命を負わされている、という教義。・「悲しみの輪」からの最終的な解脱、そして神々との交感を目的として、秘儀的な通過儀礼(入信儀式)および禁欲的道徳律を定めていた点。 ・生前に犯した特定の罪に対し、死後の罰則を警告した点。・教義が、神と人類の起源に関する神聖な書物に基づいている点。
 
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Matthewpn 2014/07/22(Tue) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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