瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝のウェブニュースより
d500370e.jpeg 山中氏ノーベル賞:新技術開発にも波及 国も集中的に投資 ――ノーベル医学生理学賞を受賞することに決まった京都大iPS細胞研究所の山中伸弥・同大教授(50)によるiPS細胞の開発は、他分野の研究を加速させた。中でも注目されているのは、iPS細胞を介さずに、皮膚細胞などから直接、神経や心臓など必要な細胞を作る「ダイレクト・リプログラミング」と呼ばれる技術だ。/研究の歴史はiPS細胞より古いが、成功例がほとんどなかった。しかし、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を導入するというiPS細胞の作成方法が刺激となり、複数の遺伝子を組み入れることで、成功例が相次ぐようになった。/慶応大のチームは今年8月、心筋梗塞(こうそく)を起こしたマウスの心臓に三つの遺伝子を入れて、心筋細胞を再生させる実験に成功したと発表した。チームの家田真樹・特任講師は「iPS細胞の論文は、何度も繰り返し読んだ」と話す。京都大iPS細胞研究所の妻木範行教授らは、ヒトの皮膚細胞から軟骨細胞を作り出した。/iPS細胞研究は、世界をリードできる有望な分野と政府も位置づける。今夏まとめた日本再生戦略では、集中的に支援することを明記し、iPS細胞を含む再生医療分野を新産業の柱に育てる目標を掲げた。/国の予算はここ2年、毎年100億円以上計上している。中でも大きな研究の枠組みが、文部科学省と厚生労働省が進める「再生医療の実現化プロジェクト」だ。京都大を筆頭に、慶応大、東京大、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの4機関を拠点とし、iPS細胞の活用に必要な研究や技術開発を進めている。/患者数が少ないため治療法の研究が進まない難病の原因解明や創薬でも、iPS細胞を使った国のプロジェクトが始まる。病気の種類ごとに4カ所程度の拠点を設置。患者から提供を受けた細胞を使って難病iPS細胞を作り、それを使って創薬を目指す。現在、文科省へ公募のあった研究内容の審査が行われている。 〔毎日新聞 2012年10月09日 07時00分〕
7cb48a15.jpeg ※人工多能性幹細胞(じんこうたのうせいかんさいぼう、Induced pluripotent stem cells)とは、体細胞へ数種類の遺伝子を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように非常に多くの細胞に分化できる分化万能性 (pluripotency)と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと。京都大学教授の山中伸弥らのグループによって、マウスの線維芽細胞(皮膚細胞)から2006年に世界で初めて作られた。英語の頭文字を取り、iPS細胞(アイピーエスさいぼう)と呼ばれ、誘導多能性幹細胞(ゆうどうたのうせいかんさいぼう)とも訳される。
 
 寺田寅彦のエッセーに「ピタゴラスと豆」というのがある。以下に、転記する。
   ピタゴラスと豆  寺田寅彦
 幾何学を教わった人は誰でもピタゴラスの定理というものの名前ぐらいは覚えているであろう。直角三角形の一番長い辺の上に乗っけた枡形(ますがた)の面積が他の二つの辺の上に作った二つの枡形の面積の和に等しいというのである。オルダス・ハクスレーの短篇『若きアルキメデス』には百姓の子のギドーが木片の燃えさしで鋪道(ほどう)の石の上に図形を描いてこの定理の証明をやっている場面が出て来るのである。また相対性原理を設立したアインシュタインが子供のときに独りでこの定理を見付けたとかいう話が伝えられている。この同じピタゴラスがまた楽音の協和(ハーモニー)と整数の比との関係の発見者であり、宇宙の調和の唱道者であったことはよく知られているようであるが、この同じピタゴラスが豆のために命を失ったという話がディオゲネス・ライルチオスの『哲学者列伝』の中に伝えられている。
 このえらい哲学者が日常堅く守っていた色々の戒律の中に「食ってはいけない」というものが色々あった、例えばある二、三の鳥類、それから獣類の心臓、反芻類(はんすうるい)の第一胃、それから魚類ではかながしらなどがいけないものに数えられている外に、豆がいけないことになっている、この「豆」(キュアモス)というのが英語ではビーンと訳してあるのだが、しかしそれが日本にあるどの豆に当るのか、それとも日本にはない豆だか分らないのが遺憾である。それはとにかく、何故その豆がいけないかという理由については色々のことが書いてある。胃の中にガスがたまるからとか、また「生命の呼吸の大部分を分有するから」とか、あるいはまた「食わない方が胃のためによく、安眠が出来るから」とか書いているかと思うと、またアリストテレスの書物を引用して、「豆は生殖器に似ているから、あるいはまた地獄の門のように、ひとりでつがい目が離れて開くから」ともある。何のことかやはりよく分らない。それからまた「宇宙の形をしているから」とか「選挙のときの籤(くじ)に使われる、従って寡頭(かとう)政治を代表するものだから」ともある。
 それはさておいて、ピタゴラスの最期についても色々の説があるがその中の一つはこうである。
 一日ミロにおける住宅で友人達と会合しあっていたとき誰かがその家に放火した。それは仲間に入れてもらえなかった人の怨恨によるともいわれ、またクロトンの市民等がピタゴラス一派の権勢があまり強すぎて暴君化することを恐れたためともいわれている。とにかくピタゴラスはにげ出して行くうちに運悪く豆畑に行き当った。そこでかれは、戒律を破って豆畑に進入するよりは殺された方がましだといって逃走をあきらめた。そこへ追付いた敵が彼の咽喉(のど)を切開したというのである。
 一方ではまた捕虜になって餓死したとか、世の中が厭(いや)になって断食して死んだとか色々の説があるから本当のことは何だか分らない。しかし豆畑へはいるのがいやでわざわざ殺されたというのが本当だとすると、それは胃に悪いとか安眠を害するとかいうだけではなくて、何かしら信仰ないし迷信的色彩のある禁戒であったであろう。
 このピタゴラスの話がまるで嘘であるとしても、昔のギリシャかローマに何かそれに類する「禁戒」「タブー」「物忌(ものい)み」といったようなものがあったのではないかという疑いをおこさせるには十分である。
 この頃、柳田国男氏の「一つ目小僧その他」を見ると一つ目の神様に聯関して日本の諸地方で色々な植物を「忌む」実例が沢山に列挙されている。その中に胡麻(ごま)や黍(きび)や粟(あわ)や竹やいろいろあったが、豆はどうであったか、もう一度よく読み直してみなければ見落したかもしれない。それはいずれにしても、ピタゴラスの豆に対する話はやはりこうした「物忌み」らしく思われるのである。「嫌う」ともちがうし、「こわがる」ともちがう。
 故芥川龍之介君が内田百間(ひゃっけん)君の山高帽をこわがったという有名な話が伝えられている。これは「内田君の山高帽」をこわがったのか「山高帽の内田君」をこわがったのか、そこのところがはっきりと自分にはわからないが、しかしこの話の神秘的なところが何となくピタゴラスの豆を自分に思い出させるのである。
 ピタゴラスはイタリーで長い間地下室に籠っていた後に痩せ衰えて骸骨のようになって出て来た。そうして、自分は地獄へ行って見物して来たと宣言して、人々に見て来たあの世のさまを物語って聞かせたら聞くものひどく感動して号泣し、そうして彼はいよいよ神様だということになった。地下室にいた間は母にたのんで現世の出来事に関する詳細なノートをとって、それを届けてもらって読んでいたという話も伝えられている。これではまるで詐欺師であるが、これはおそらく彼の敵のいいふらした作り事であろう。
 ピタゴラス派の哲学というものはあるが、ピタゴラスという哲学者は実は架空の人物だとの説もあるそうで、いよいよ心細くなる次第であるが、しかしこのピタゴラスと豆の話は、現在のわれわれの周囲にも日常頻繁に起りつつある人間の悲劇や喜劇の原型(プロトタイプ)であり雛形(モデル)であるとも考えられなくはない。色々の豆のために命を殞(おと)さないまでも色々な損害を甘受する人がなかなか多いように思われるのである。それをほめる人があれば笑う人があり怒る人があり嘆く人がある。ギリシャの昔から日本の現代まで、いろいろの哲学の共存することだけはちっとも変りがないものと見える。 (昭和九年七月『東京日日新聞』)
※花弁の黒点が死を連想させたため、古代ギリシャ人はソラマメを葬儀に用い、不吉として嫌われることもあった。古代ギリシアの数学者・哲学者ピタゴラスは、ソラマメの中空の茎が冥界(ハーデース)と地上を結んでおり、豆には死者の魂が入っているかも知れないと考えた。現代ギリシアでは "fava" はソラマメでなくエンドウマメを意味するという。古代ローマ人もソラマメを葬儀に用いたが、食べることは厭わず、葬儀の際の食事に供することもした。イタリアでは、現在にいたるまで「甘いそら豆〔fave dolci《ファベド ルチ》〕」 や「死者のそら豆〔fave dei morte《ファーベデイモルテ》〕」 という、細かく刻んだアーモンド、卵白、砂糖で作ったソラマメ形の菓子を死者の日に作って食べる習慣があるという。
4602d8fd.jpeg ※ピタゴラスの最期:ピタゴラスが教団の集会を開いていたところ、教団を憎んでいた者たちが彼らを襲い、集会所に放火した。/ピタゴラスは辛くも集会所から逃亡に成功した。彼は追手から逃れるため、走り続けたのだが、豆畑の前まで来て逃げるのをやめた。ピタゴラス教団は豆を神聖視していたので、豆畑の中に入ることができなかったのである。豆畑を前にして、ピタゴラスはこう言ったという。「豆を踏みつけるより、ここで捕まろう。殺されたほうがましだ。」/こうして彼は追手の手にかかり、のどを斬られて殺された。当時、彼は80歳であったとも、90歳であったともいわれている。
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つぶやき その22
日高先生

こんにちは。ノーベル賞受賞、とても誇らしく嬉しく感じます。
「つぶやき その22」です。

「日本語1」:
 私が一番不思議で便利だと思う言葉は「すみません」です。
これは「ありがとう」と「ごめんなさい」という二つの意味を合わせ持つ上、人に声をかける際にも使われます。
こんな言葉、ほかにあるでしょうか?
亡くなった祖母の口癖は「{はい}と{すみません}ですべて用が足りる」でした。
それは「人から教えてもらったり、注意されたりした時に口ごたえなんてするもんじゃない、
はいとすみませんの二語で充分だ」という意味です。
とても厳しく優しい祖母でした。
 金田一春彦先生は「世界一美しい言葉は{花吹雪}である」とある本に記されています。
まことになんて素敵な言葉でしょうか。
毎年桜の散りゆく姿を目にすると、実際にお会いしたことはありませんが金田一先生の事が思い出されます。
 祖母から学んだ事、金田一先生から教えて頂いた事、私の財産です。
これからも少しずつ増やしていきたいと思います。

いつも最後まで読んで下さりありがとうございます(*^_^*) Kより
K 2012/10/09(Tue) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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