瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12]
 早く結婚したほうがいいんじゃないか」などとセクハラ的な内容の野次を浴びた塩村議員は6月24日、名乗り出ない議員を刑事告訴する可能性を表明しましたが、都議会は鈴木議員以外の発言者を特定する決議を否決しました。事態をうやむやにしたままで幕引きを狙う都議会に批判が集まるなど、波紋を呼んでいますが、一連の騒動をきっかけとして、なぜか被害者である塩村議員に対する批判が強まっているといいます。

 塩村議員はかつてバラエティ番組『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)に一般人として1年間レギュラー出演し、その高飛車なキャラで番組を盛り上げていた過去を持つといわれますが、同番組内で行った「元交際相手に1500万円の慰謝料を支払わせた」などの発言が、今になってクローズアップされ批判を浴びているのだそうです。さらに、「茶のしずく石けん」でアレルギーによる健康被害問題が起こった際に「被害者に問題がある気がするわ」とツイートしたり、タレントの加藤茶や仲本工事が年下女性と結婚したことについて「どちらもキモい。(中略)世のオヤジとうかうか飲みにも行けないよ」とセクハラ的な内容のツイートをしていたことも発覚し、6月28日には塩村議員が謝罪に追い込まれる事態となったといいます。
 このほかにも、最近発売された「週刊新潮」(新潮社/710日号」や「週刊文春」(文言春秋社/7月10日号)にも塩村文夏議員の選挙違反の買収罪を犯していたなど数々の疑惑が報道されているといいます。
  まあ、こんなことがあったからといって、セクハラ野次を擁護することはありませんが、まあなんと、国会にしろ地方議会にしろ議員さんの品格が疑われますなあ。情けなや日本の民主主義も衆愚政治に陥った観がございます。

 今朝のウェブニュースより、  

国会でも4月にセクハラやじ ――  4月の衆院総務委員会で、総務相らに質問していた日本維新の会の上西小百合衆院議員(31)=比例近畿=に「早く結婚して子どもを産まないと駄目だぞ」と男性議員がセクハラやじを飛ばしていたことが3日、上西議員らへの取材で分かった。/国内外の批判を浴びた東京都議会のセクハラに次いで国会でも発覚し、飛び火した形だ。上西氏側は発言者として自民議員の名を挙げたが、この議員は共同通信の取材に「記憶にない」と否定した。/上西氏や議事録によると、4月17日に衆院の分館で開かれた総務委員会で人口減少への対策などを質問中だった。 (ロイター 2014 07 4 00:19 JST

 

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140704/k10015734561000.html

 今朝の徘徊は、桜橋を渡り、何時もどおり向島のテラスを南下し、藤棚の所まで来たとき急に気が変わり、遊歩道に上ると、墨堤通りを渡ると、牛島神社から水戸下屋敷の庭園を横切って、源森橋に出ました。ここを渡ると東進して小梅橋を渡り、東武橋に出ました。横十間川に新設されたテラス状の道を京成橋まで行きます。橋を渡ると北上して、桜橋通りを西進して帰宅しました。

 2・3日前、kanami女史から電話で、藤棚の場所の問い合わせがあった時、桜橋通りに黄色の藤があることを話したことを思い出しその黄色の藤を見るべく、コースを変えた訳です。

 久しぶりに通るコースなので東武橋の真下からスカイツリーを撮ってみました。桜橋通りにある本所高校前にある森鴎外住居跡の説明板が新設されていました。水戸街道を過ぎて、見番通り手前にある「酒肴・三太郎」とあるお店の前に黄色の藤が植えてあります。以前は見事な花をつけていたのですが、今年は殆ど花を付けていない状態でした。

 

 携帯で、kanami女史に報告しておきました。曰く、「黄色の藤 今日はスカイツリー周辺を徘徊してきました。先日話しました黄色の富士の前を通りましたが、今年はほとんど花を付けていませんでした。/場所は桜橋から見番通りを過ぎたところです。「酒肴・三太郎」とあるお店のまえです。以上お知らせまで 日高」

 

 朝の徘徊から帰宅してパソコンを立てると、昨日来訪して下さったTS氏からメールが入っていました。

4月2722:27着信 RE  日高様、こちらこそ、半世紀ぶりにお目にかかり、ご夫婦のお心遣いで大変に楽しい一時を過ごさせて頂き有難うございました。/お礼のメールをと思いPCを立ち上げたところ、早々に写真をお送り頂き恐縮です。/それにしましても50年ぶりにお会いできたとは感激そのものです。/美しくなった隅田川と浅草の街をご案内頂き又、昼食をご馳走になり感謝致します。/又、お目にかかれる事を楽しみにしております。有難うございました。S /追)ブログを読ませて頂きました。

 

 金曜日に送った「八十路の水門」4 が届いたらしく、お礼のメールが入りました。曰く、

 4月2717:31 着信 日高さま 楽しく目をとおしました。大きなOPにも耐えられているnewsは、他人事ではないです。/明日は我が身かと。かりかりしないで、静かに過ごしましょうかね。/この5月の硯友会は野暮用で不参加です。恒例の兄上殿との再会が出来ないのが残念です。/カメラの被写体がめっかったので、おくります。最高齢者を掌に載せてくれるお嬢様達に囲まれております。14日の初打ち日のものです。

諸兄に宜しく。 MN

 

4月2723:03着信 日高様 本日夕刻、八十路の「水門」4を拝受しました。ありがとうございました。/毎度のことですが編集ご苦労様です。感謝しています。/小生は今回寄稿できませんでしたが諸兄らの文を楽しく読ませてもらいました。/何はともあれこれで今年の花見会にかかわる諸事に区切りがついたということで万々歳です。本当に有難うございました。/このところ快晴で初夏のような気持ちの良い天気が続いていますが朝晩はまだ少しひんやりします。小生、朝方はいつも鼻水が出てぐずぐずしています。/そちらもお体には気を付けてください。/先ずは冊子のお礼まで。 MY

 4月287:18 着信 八十路の水門4拝受 日高節夫様 今朝6時にゴミ出しに行った帰りに、一階の集合ポストに掲題誌を発見。/立派に仕上がった「八十路の水門」第4号をいただきました。/なにかとお手数をおかけした4号は日曜日に届くだろうと連絡をいただいていたので、昨日、夜、7時台に確認した時にはポストは空でした。その後に配達された模様。/なにはともあれ、早々と刊行のご尽力ありがとうございました。過分のお褒めの決算報告までお添えくださって恐縮しました。あれは、君がひとりで成し遂げたことで、わたしはほんのちょっとお手伝いをしたにすぎません。/当家は、家内が原因不明の腰痛になやまされていて、毎日、湿布のお手伝いをさせられています。/博多の98歳の義母(家内の母)は、依然生かされている植物人間です。/関東にいる長男、長女はおっとり刀の心境で毎日を過ごしています。/ゴールデンウイークだけには、葬式が重ならないようにというのが正直な願いです。/きのうは、遠来の兼愛塾の先生がいらしたのですね。楽しい語らいができましたか? IN

 4月28日 1016 着信 会報有難うございました 日高さん 「八十路の水門」頂きました。/手早い「仕事振り」に驚嘆します。/大変お手数でした。/編集のINさんのご尽力にも大感謝です。/今からゆっくり読ませて頂きます。/取り敢えずお礼まで。 BY

 昨日の水門会のお花見についてのご意見伺いの返信あり。

 2月6日6時34分 Re:桜前線 ご案内に感謝! /小生も硯友会総会には欠席の返事を出すことにしています。/さて、お花見の件ですが、現在、退院したばかりの状態ですので残念乍ら欠席し、盛会を祈ることになりそうです。/いま、水門に投稿して諸兄の参考になれば…、と「とうとう4本目のステントを入れて貰いました」を起稿中ですので、いずれ執刀医井上医師の監修を頂いて投稿したいと考えています。/参集の諸兄に宜しくご風声を…。悅yasuharu

 2月6日8時48分 Re: 花見はやはり墨堤 日高 節夫 様/水門会の花見、お誘いありがとうございました。/場所は、やはり浅草、隅田川が見える場所がいいよね。/時期は、すべて皆さんのご希望に合わせることにします。いつにきまってもその日に行きます。その直前に死んでしまっていたらお許し乞う。/土日を除き、暖かい日がいいね。/とはいっても、天気予報は当日になってみなければわからないが、みんな爺いになっているから、あんまり寒くない方がいいね。ということは、日取りをきめるのが最困難な項目ということになるか…。 N

 2月6日1750分 相変わらず朝は早いですね。/先日は謡曲「呉服」のことで勉強させてもらい有難うございました。/今年の水門会の花見は例年にならって開催することに賛成します。お互い年令もとり、先行きそう長くもないのですから元気に顔を合わせられる機会として花見は絶好の催しです。ただ貴兄には何かとたいへんご迷惑をかけることになりそれが心苦しく思います。/場所は毎年墨堤の桜に親しんできましたが、他の場所でも構いません。(上野公園以外は行ったことがない)/時期は桜次第ですが3/31頃が開花予想であれば見ごろは4月の第2週の前半(6日~9日)位でしょうか。あまり拘りません。/「八十路の水門」発刊も貴兄の手を煩わせることに毎度の事ながら恐縮しています。/原稿の集まり次第ですが皆さんの総意に従います。水門会もいよいよ終焉に近づいてきましたので一つの区切りになるような「八十路の水門」になればそれなりに有意義なものとなりますね。/私自身は何も出来ないくせに勝手なことを書きましたが悪しからず。手伝えることは何でもやります。 MY

 

 ここのところ、STAP細胞とかiPS細胞とかの研究が進んでいるとのこと。何だか、自然の摂理に反しているようで、空恐ろしい。爺はこんなものの厄介にはなりたくありません。やはり、人間は寿命に従って生き、運命の下に人生を成就すべきだと思います。

 今朝のウェブニュースより

 iPS細胞:パーキンソン病、臨床へ 来年申請 京大、手法確立 ―― 京都大iPS細胞研究所の高橋淳教授(神経再生医学)らの研究グループは6日、ヒトのiPS細胞(人工多能性幹細胞)を使ったパーキンソン病治療の臨床研究に向けた手法を確立したと発表した。移植に必要な細胞の大量培養や、がん化の危険性のある細胞の除去などの課題をクリアし、ラットでの実験で効果を確認した。研究グループは、2015年初めにもヒトでの安全性を確認する審査を申請し、厚生労働省の承認を経て患者への16年の移植を目指す。論文は7日付の米科学誌「ステム・セル・リポーツ」に掲載される。/パーキンソン病は神経伝達物質「ドーパミン」を出すドーパミン神経細胞が減ることで、手足が震えたり、こわ張ったりする難病。投薬で症状を抑えられるが、根本治療にはならない。神経細胞の一歩手前の「神経前駆細胞」を脳内に移植し、新たな神経回路を作る治療法が期待されている。/研究グループによると、iPS細胞から神経前駆細胞に分化させる際、培養皿の底に敷く基質に特定の人工たんぱく質(ラミニン)を使うと、従来の20倍以上の量が培養できることを発見した。/一方、培養した細胞の中に分化が不十分なiPS細胞が残っていると、がん化する恐れがある。グループは、特定の蛍光抗体を使って染色する方法で、培養した細胞から神経前駆細胞を選別し、未分化など不要な細胞を除去する手法を確立した。選別後の神経前駆細胞を、パーキンソン病を発症させたラットの脳に移植し、4ヵ月間観察したところ、症状が改善し、がん化も起きないことを確認した。/高橋教授は「今年中に同じ手法でサルに移植して、安全性と有効性を詳細に検証する」と話している。グループは今後、6人の患者の血液細胞からiPS細胞を作製し1人ずつ数千万個の神経前駆細胞に分化させて患者本人に移植する臨床研究に向けた準備を進める。/実施については、京大が安全性審査のため設置予定の第三者委員会「特定認定再生医療等委員会」の了承を得た後、厚労省に申請する。効果や安全性に問題がある治療への懸念から、今年11月に施行される予定の再生医療安全性確保法は、再生医療を行う医療機関に、事前審査や国への実施計画提出を義務付けた。

 

■ことば ◇パーキンソン病:手足の震えや筋肉のこわ張りなどの症状が出る進行性の神経難病で、主に50代以降に発症し、国内の患者は約14万人とされる。患者の脳内で神経伝達物質のドーパミンを作る神経細胞が減少することが原因として知られているが、メカニズムは不明。薬で症状を改善できても、神経細胞の減少は食い止められない。タレントの永六輔さん、米俳優のマイケル・J・フォックスさんらも患者。京都大グループはiPS細胞を使った移植医療で、不足した細胞を補う治療法の開発に取り組んでいる。   (毎日新聞 20140307日 東京朝刊)

 2月3日のブログ蘇軾と王安石の詩を取り上げましたが、この2人の関係について調べてみました。

 

蘇軾の生きた時代の官界は、新法派と旧法派の対立で明け暮れていました。旧法派の蘇軾は新法派が有力なときには、難を逃れて地方勤務を希望し、旧法派が有力になると中央に召しだされて重要な官職についたりしました。/しかし両者の対立はそのうちに、政策をめぐるものよりは、単なる勢力争いに堕していったようです。蘇軾は新法派から迫害されるばかりでなく、旧法派からもひどい目にあったりしたといいます。/それ故蘇軾の生涯は、短い期間の順調な日々を除けば、追放と左遷の連続だったようです。最後には海南島という当時の中国にとっては最果ての島に流され、流謫のうちに死を迎えることとなるのです。

 それにも拘わらず、蘇軾の生涯は、常に楽天的であったともいえるのです。人生を肯定的に生きようとする姿勢に貫かれていたようです。王安石に対する態度も、これを個人的な次元で見れば、政敵に対するものではなかったようです。政治的な立場を異にし、それがもとで時には迫害を受けた相手ではありましたが、蘇軾は常に王安石を人生の先輩として、また芸術上の素晴らしいパートナーとして接していたようです。

 そんな二人にとって、象徴的なやり取りがありました。元豊七(1084)年黄州に流罪されていた蘇軾は流罪先が汝州に変更になります。汝州は黄州よりは都に近いから、減刑という見方もありますがいずれにしても流罪のままだったのです。

 その汝州へ向かう途中、蘇軾は金陵(南京)に隠棲していた王安石を訪ねました。その時の王安石は病床にありましたが、蘇軾の訪問を喜んで詩を贈ったといいます。

 

  北山  王安石

北山輸緑漲横陂  北山緑を輸(いたし)横陂漲る

直塹回塘艶艶時  直塹 回塘 艶艶たる時

細數落花因坐久  細かに落花を數ふるは坐すること久しきに因る

緩尋芳草得歸遲  緩やかに芳草を尋ねて歸ること遲きを得たり

  北山は緑豊かに田んぼには水が漲っている、

  まっすぐな堀、丸い池がつややかな季節、

  落花をひとつひとつ数えたのも君と長く一緒にいたおかげ、

  ともに遅くまで芳草を訪ねて歩いたものですね

 

 これに対して蘇軾は、王安石の詩に次韻して答えました。

次荊公韻, 蘇軾

騎驢渺渺入荒陂  驢に騎り渺渺として荒陂に入る

想見先生未病時  想見す先生未だ病ざりし時を

勸我試求三畝宅  我に勸めて試みに三畝の宅を求めしむ

從公已覺十年遲  公に從ふこと已に十年の遲きを覺ゆ

ロバに乗ってゆったりと田圃道を尋ねましたね、

思い出すのは先生がまだ若かったころのこと、

私に三畝の宅を求めなさいと勧めてくれましたね、

あなたと合うのが10年遅かったのが悔やまれます。

 

蘇軾には、どんな逆境にあっても、与えられた日々を前向きに生きようとする気概のようなものがあったのでしょうね。

 三蔵(さんぞう、巴: Tipitaka ティピタカ、梵: Tripiaka トリピタカ)は、仏教用語で、仏教の聖典(仏典)の総称を指します。原語は、Ti Triは「3」、pitaka は「籠」で、3つの籠という意味だそうです。

 

 三蔵は、以下の三種から成る。

・律蔵(僧俗の戒律)〔巴・梵: Vinaya pitaka(ヴィナヤ・ピタカ、 ヴィナーヤ・ピタカ)〕 僧伽(僧団)規則・道徳・生活様相などをまとめたもの

・経蔵(仏の説法)〔巴: Sutta pitaka(スッタ・ピタカ)、梵: Sutra pitaka(スートラ・ピタカ)〕 - 釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの

・論蔵(教理の議論)〔巴: Abhidhamma pitaka(アビダンマ・ピタカ)、梵: Abhidharm pitaka(アビダルマ・ピタカ)〕 - 上記の注釈、解釈などを集めたもの

 

 経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に通じている僧侶は「三蔵法師」と呼ばれ、名前に「三蔵」を付して尊称する。特に、インドから中国へ大量の経典を持参した人や、経典を大量に訳した訳経僧に付した。著名な三蔵法師としては、玄奘三蔵がいる。

周頌 昊天有成命(こうてんゆうせいめい)篇

昊天有成命、  昊天(こうてん)成れる命(めい)有り、

二后受之。   二(ふたり)の后之を受けり。   ※二后とは文王・武王なり

成王不敢康、  成王敢えて康(やす)んぜず、

夙夜基命宥密。 夙夜命を基(う)けしこと宥(ひろ)く密なり。

於緝熙、    於(ああ)緝(つ)ぎ熙(あき)らかにして、

單厥心。    厥の心を單(つ)くせり。

肆其靖之。   肆(ゆえ)に其れ之を靖(やす)んぜり。

 

 訳 昊天(こうてん)定まれる命あって

   文王・武王これを受けたり

   成王しばしも康(やす)んぜず

   夙(つと)に夜(よわ)にその命に基いて深く密(きび)しく

   ああ、光りあまねく

   その心を厚うして

   ここにその命を安んじたまえり

※ 原文の「成命」とは、始祖后稷(こうしょく)からもはや定まった天命があったということでしょう。

※ 成王: 箋には、「王の功を成す」と解し、朱子は「成王すなわち武王の子誦を指す」としています。

蘇軾は好奇心が旺盛でいろんなことに手を出しましたが、料理は自分の趣味にとどまらず、周囲の人々まで幸福にさせることができたとみえます。中でも評判がよかったのは豚肉を煮たもので、人々は東坡肉(トウポーロー)と呼んで、いまでも中国料理の定番として食べ続けているそうです。蘇軾はこの他に、鯉を煮て揚げたものや、風味に富んだ野菜スープなどを考案して、家族や友人たちを喜ばせたといいます。

蘇軾は「食猪肉」という次のような詩も作っています。

 

食猪肉  蘇軾

黄州好猪肉、     黄州の好猪肉、

価賎等糞土。     価賎にして糞土に等し。

富者不肯喫、     富者はあえて喫(くら)わず、

貧者不解煮。     貧者は煮るを解せず。

慢著火、少著水、   慢(そぞろ)に火を著し、少しく水を著さば、

火候足時他自美。  火候足るの時 他(かれ)自ずから美ならん。

毎日起来打一盌、  毎日起来して一盌(わん)を打ち、

飽得自家君莫管。  自家を飽得(ほうとく)するも君管するなかれ。

 

 黄州にはよいブタ肉がありますが、

 値段はゴミ・泥のように安い。

 お金持ちは食おうともせず、

 貧乏人も煮て食う工夫がない。

 ゆっくり火にかけ、水は少しだけにして煮てごらん。

 十分な時間じっくりと火がとおれば、それはおのずと旨くなる。

 毎日毎日(美味いし安いから)一碗づつ食べ続け、

 (ぶたのようなわしは)自分を食べたみたいに腹いっぱいになっているが、おまえさん、気にしなくていいよ。

 本日は「敬老の日」。昨日は80歳になったというので、硯友会(門司高校同窓会)から、傘寿にと杖が贈られてきました。いやはや、まだ杖なんて必要ではではありませんが、この杖を使うようになるのは何時のことでしょうか? まあ、ありがたく頂戴しておきましょう。

 本日のウェブニュースより、


65
歳以上:過去最高3186万人に 4人に1人が高齢者 ―― 総務省は15日、「敬老の日」に合わせて65歳以上の高齢者人口の推計値(15日現在)を発表した。高齢者は前年より112万人増えて3186万人となり、過去最高を更新した。総人口の1億2726万人に占める割合も25.0%と過去最高を記録し、4人に1人が高齢者となった。/男女別では男性1369万人、女性1818万人。年齢層別では、70歳以上は2317万人(総人口の18.2%)、75歳以上は1560万人(同12.3%)、80歳以上は930万人(同7.3%)で、いずれも過去最高だった。/高齢者人口は2012年に3074万人と初めて3000万人を突破。194749年の第1次ベビーブームに生まれた「団塊の世代」が65歳以上に達しているためで、今後も増え続ける見通しだ。/一方、12年の高齢者の就業者数は前年より24万人増の595万人と過去最多で、15歳以上の総就業者数(6270万人)に占める割合も9.5%と過去最高となった。就業率は、65歳以上の男性が27.9%、女性が13.2%となり、6569歳に限ると、男性は46.9%、女性は27.8%の人が働いていた。/12年の高齢者の都道府県ごとの移動状況では、転出者数が転入者数を上回る「転出超過数」が東京都で5227人と最も多く、次いで大阪府801人、福島県416人の順。総務省は東京について「地方へのUターンなどの可能性がある」と分析。福島については「東京電力福島第1原発事故による影響ではないか」と指摘している。  〔毎日新聞 20130915日 1858分(最終更新 0916日 0246分)〕

 今朝のウェブニュースより

 みのもんたに“セクハラ疑惑” 「いたずら」映像で広がる波紋 ―― みのもんた(69)のセクハラ疑惑が過熱している。/発端は8月30日放送のTBS系情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月-金曜午前5時半)で、午前8時29分ごろ、CMが終了してスタジオからの生中継が再開した直後だった。みのの手が、隣に立っていた同局の吉田明世アナウンサー(25)の腰付近に伸び、吉田アナが手を振り払う様子が放送された。/ その瞬間、みのは目を閉じているように見え、吉田アナは視線を前方に向けたまま、かなり鋭い動作でみのの手を払っていた。みのはその後数秒間、両手をもみあわせるしぐさを見せていた。/一見すると、CM中に、みのが吉田アナの背中からヒップにかけて手を伸ばしていた? と思わせる映像。インターネットでは放送直後からその様子の動画が出回り、「みの生セクハラ!」と大々的に話題になってしまった。/TBSは2日までに「紛らわしい行為があった」として、番組担当者に口頭で注意した。みのと吉田アナ双方から事情を聴いた上で「当事者の間でセクハラ行為があった認識はない。CM中の談笑の様子が放送に出てしまい、視聴者に誤解を与えてしまった」と説明。関係者は「みのさんがCM明けに吉田アナをよろけさせようと、背中を押すいたずらをしていた」と話した。/結局、「セクハラではない」となったが、疑惑がヒートアップしたのは“前歴”があるせいのようだ。2007年に女性誌が、みののセクハラが原因で同番組の女性アナが降板したと報じ、昨年7月には同番組放送中に「セクハラ!」という女性の声が放送されるというハプニングもあった。/みのは今回、一部スポーツ紙の取材に「そんな認識はないし、相手も戸惑っていると思う。このように報じられることに驚いている」と答えた。/だが、生放送中に吉田アナにいたずらをしていたのが事実ならそれも問題。「半沢直樹」の高視聴率に沸くTBSだが、局内のタガが緩んではいまいか。  (ZAKZAK 2013.09.03
  al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)の算術についての著作では10進位取り記数法とそれを基にした計算が説明され、しかもこれがアラビア語による最初のものであった。この著作のオリジナルは見付かっていないが、1857年にこのラテン語訳と思われるものがケンブリッジ大学の図書館で見付かっているという。これは12世紀にイギリスのAdelard(アデラード) of Bath(バース)〔1080?~1152?年、イングランドの自然哲学者で、自身の著作の他に、占星術、天文学、哲学、数学などの古代ギリシア語で書かれアラビア語に訳された作品やもともとアラビア語で書かれた作品をラテン語へ翻訳したことで知られる〕がラテン語に翻訳したものらしい。
 al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)の著作の断片や写本から見てこの本の標題は『Kitāb al-Jām'a wa'l-Tafrīq bi'l-Hisāb al-Hindī〔キターブ アル=ジャム ヴァ=ト=タフリク ビ ヒサーブ アル=ヒンド、インド風の計算によるたし算とひき算の本、825年〕』となるのだそうだ。この本はインド数学の記数法を扱った最古のアラビア語文献。四則演算、代数方程式の解法、二次方程式、幾何学、三角法、数の十進法表記で〔0〕ゼロ を空いている桁に使用することなどが書かれている。また、60進分数についても書かれていて、今日のfraction〔分数〕という言葉は彼の用語カスルをとったもので、アラビア語の割る〔kasra(カスラまたはカサラ)〕からきたのだそうだ。
 Chester(チェスター)のRobert(ロバート)により Algoritmi de numero Indorum (『アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム 』)という題でラテン語に訳され、西洋に紹介された。この翻訳本は通称『Algoritmi(アルゴリトミ)』と呼ばれ、500年にわたってヨーロッパの各国の大学で数学の主要な教科書として用いられた。計算の手順を意味するアルゴリズム (Algorithm) やオーグリム (augrim) という言葉はこの書の冒頭 Algoritmi dicti (アル=フワーリズミーに曰く) に由来する。
※ Robert(ロバート) of Chester(チェスター):12世紀において数学、天文学、錬金術、qur'ān〔クルアーン、コーラン〕等の文献をアラビア語からラテン語に翻訳し紹介した人物。イギリス人。名前は
 Robertus Retinennsis, Robertus Ketensis, Robert de Ketene, Robert de Retines, Robertus Cataneus, 等表記される。
 
c032c426.jpeg al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)の代数学の著作は算術の著作よりも完全な形で今日まで伝わっている。これはオックフォード大学の図書館に、アラビア語による代数学の手稿があり、さらにラテン語に訳された手稿もいくつか残されているからだという。この著作のアラビア語による標題は『アル=キターブ アル=ムフタサール フィ ヒサーブ アル=ジャブル ヴァ=ル=ムカバーラ〔代数およびアルムカバーラ〈消約〉についての短い著作〕』である。〈左図参照〉
 この本は代数学独自の部門、商取引についての短い章、すなわちインド人の方法に拠る三数法についての章、代数学を使った測量、遺産相続の計算についてかなり詳しく説明した章で終っているそうで、al-Khwārizmī (アル=クワーリズミー)は記号を全く使わないで、彼の説明は言葉だけを使い、非常に詳しいのが特徴であるといわれている。また、この本は最古の代数学書のひとつで、のちにラテン語に訳され、アル=ジャブルという語は、英語のアルゼブラ(代数学)の語源となった。Jabr(ジャブル)は「バラバラのものを再結合する」という意味の jabara(ジャブラ)を語根とする語で「移項する」を原義とし、方程式の両辺に等しいものを加えて負の項を消去する過程を表している。また、a'l muqābala(アル=ムカーバラ)は「縮小」を意味し、方程式の両辺の正の数から同じ数を引いて同類項を消去する過程を表している。
 この著作にはプラス記号、マイナス記号、アラビア数字は使用されていない。未知数はjadhr〔ジャズル、根〕 あるいはjidhr(ジズル、「もの」) と表現し、また平方はmal〔マール、元は財産を表す語 〕、立方はkab(カーブ )と表現した。al-Khwārizmī (アル=フワーリズミー)はこれらの言葉を用いて、方程式を6つに分類した。すなわち、1次と2次の方程式が6つの形の方程式、
・ 根が平方に等しい: bx= ax²
・ 根が数に等しい: bx= c
・ 平方が数に等しい: ax² = c
・ 平方と根が数に等しい: ax² + bx = c
・ 根と数が平方に等しい: bx+ c = ax²
・ 平方と数が根に等しい: ax² + c = bx
になることを述べているが、これらの形を導くためにal―jabr〔アル=ジャブル、移項)とal-muqābala(アル=ムカバーラ、消去)の演算が使われている。a、b、c は正の整数にあたる。フワーリズミーは、これらを解く公式を与え、いくつかには幾何学的な説明を加えている。
 本書の後半には、イスラーム法の遺産相続についての問題が書かれている。配偶者や血縁以外の第三者にも遺産がある場合の分配法が複雑だったため、法律面でもal-Khwārizmī (アル=フワーリズミー)の著作は重視された。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 9 11
12 14 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[傍若在猫 05/07]
[EugenePum 04/29]
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/