瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ウェブニュースより
 大相撲秋場所9日目 貴景勝が7勝目 隠岐の海は初黒星 ―― 大相撲秋場所は9日目、大関復帰を目指す貴景勝は平幕の玉鷲を押し出して7勝目を挙げました。一方、隠岐の海は竜電に引き落としで敗れ初黒星を喫し、勝ちっ放しがいなくなりました。
中入り後の勝敗です。
▽十両の若隆景に豊ノ島は、若隆景が押し出しで勝ちました。一方、豊ノ島は負け越しです。

▽新入幕の剣翔に貴源治は、貴源治が寄り切り。
▽栃煌山に錦木は、栃煌山が上手出し投げ。
▽松鳳山に石浦は、松鳳山がはたき込み。
 
▽東龍に炎鵬は、東龍が浴びせ倒しで勝ちました。炎鵬は4敗目です。
 
▽佐田の海に豊山は、豊山が突き落とし。
▽輝に琴勇輝は、琴勇輝が突き出し。
▽照強に大翔鵬は、大翔鵬が寄り切りで勝ちました。
▽阿武咲に琴恵光は、琴恵光がすくい投げ。
▽琴奨菊に明生は、明生がすくい投げで、勝ち越しました。
 
▽志摩ノ海に宝富士は、宝富士が寄り切り。
▽隠岐の海に竜電は、竜電が引き落としで勝ちました。隠岐の海は今場所初黒星です。
 
▽千代大龍に碧山は、碧山が突き出し。
▽北勝富士に大栄翔は、北勝富士が押し出し。
▽阿炎に朝乃山は、朝乃山が寄り切りで7勝目。
 
▽玉鷲に貴景勝は、貴景勝が押し出して7勝目を挙げました。
 
▽御嶽海に友風は、御嶽海が押し出し。
 
▽角番の大関 栃ノ心に遠藤は、栃ノ心がはたき込みで4勝目。
 
▽正代に角番の大関 豪栄道は、豪栄道が押し出しで勝ちました。
 
(NHK WEB NEWS 2019年9月16日 19時19分)

 元関脇逆鉾、井筒親方が死去 58歳すい臓がんか ―― 大相撲の元関脇逆鉾の井筒親方(本名福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日、都内の病院で死去した。58歳だった。鹿児島県出身。
 関係者によると、死因は膵臓(すいぞう)がんとみられる。弟の元関脇寺尾(現在の錣山親方)、兄の元十両鶴嶺山とともに「井筒3兄弟」と呼ばれ、もろ差しの名人として知られた。引退後は、師匠として横綱鶴竜らを育てた。通夜、告別式などの日程は未定。
 
 秋場所前から体調を崩していた井筒親方は、本場所を休場して都内の病院に入院していた。だが、16日に容体が悪化し、夜に帰らぬ人となった。同じ時津風一門の親方衆を中心に訃報が伝わり、早すぎる死を悼んだ。
 ある親方は「場所前から調子が悪いと聞いていた。それにしても急な話でびっくりしています。信じられません」と話した。急だったため、親方衆が集まる間もなく、日本相撲協会としての対応は17日に検討される見通し。現在は協会の副理事として、巡業部副部長を務めていた。
 井筒親方は、父の先代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の次男として誕生した。1978年(昭53)初場所で初土俵を踏み、81年名古屋場所で新十両、82年九州場所で新入幕を果たした。もろ差しの名人として知られ、殊勲賞5回、技能賞4回を獲得するなど、技巧派力士としてならした。金星は隆の里、千代の富士、双羽黒から7個獲得。87年九州場所から89年春場所まで9場所連続関脇を務めるなど活躍した。92年(平4)の引退後は、井筒部屋の部屋付き親方となり、94年4月の師匠の定年にともなって部屋を継承した。
 先代からの弟子を除けば、入門時から関取まで育てたのはモンゴル出身の鶴竜だけ。しかし、その鶴竜を最高位まで育て上げた。入門した時の思い出として、井筒親方は「線が細いから床山にしようかと思ったけど、本人がニコって笑うから、まあいいかと力士として採用した」と話してい
た。
 井筒部屋には現在、横綱鶴竜、三段目鋼、序二段鶴大輝の3人が在籍。部屋が消滅すれば、鶴竜らは今後、どこかの部屋に移籍することになる。実弟が師匠を務める錣山部屋に転籍する可能性もある。
◆井筒好昭(いづつ・よしあき) 本名・福薗好昭。1961年(昭36)6月18日、鹿児島県姶良郡加治木町(現姶良市)出身。78年初場所初土俵、81年名古屋新十両。82年九州新入幕。元関脇鶴ケ嶺の井筒親方譲りのもろ差しで金星7個、殊勲賞5回、技能賞4回と三賞計9回受賞。最高位は関脇。幕内連続出場779回。通算551勝567敗29休。引退後、年寄「春日山」から94年に「井筒」を襲名、井筒部屋を継承した。   [日刊スポーツ 2019年9月16日23時56分]




 





 

ウェブニュースより
 
大相撲秋場所2日目 貴景勝2連勝 白鵬は休場 ―― 大相撲秋場所は2日目、大関復帰を目指す関脇 貴景勝は平幕の碧山に押し出しで勝って2連勝です。一方、横綱 白鵬が右手小指の骨折で9日から休場しました。
中入り後の勝敗です。
△貴源治に豊山は、豊山が寄り切りで勝ちました。
 
△栃煌山に十両の大奄美は、大奄美が寄り切り。
△石浦に剣翔は、石浦が送り出し。
△豊ノ島に東龍は、東龍が上手出し投げ。
△輝に松鳳山は、輝が寄り切りで勝ちました。
△大翔鵬に錦木は、錦木が寄り切り。
△阿武咲に佐田の海は、佐田の海が渡し込み。
△明生に炎鵬は、炎鵬が下手投げ。
 
△照強に隠岐の海は、隠岐の海が突き倒し。
 
△宝富士に琴勇輝は、琴勇輝が押し出し。
△琴奨菊に志摩ノ海は、志摩ノ海が寄り切りで勝ちました。
△妙義龍に琴恵光は、妙義龍が押し出し。
△千代大龍に玉鷲は、玉鷲が押し出し。
△正代に竜電は、正代が下手投げ。
△遠藤に友風は、遠藤が押し出し。
 
△大栄翔に御嶽海は、御嶽海が突き落とし。
 
△貴景勝に碧山は、貴景勝が押し出しで2連勝です。
 
△大関 豪栄道に逸ノ城は、豪栄道が寄り切り。
 
△朝乃山に大関 栃ノ心は、朝乃山が寄り切り。角番の栃ノ心は2連敗です。
 
△北勝富士に横綱 鶴竜は、鶴竜がはたき込み。
 
△横綱 白鵬に阿炎は、白鵬が休場し阿炎が不戦勝です。白鵬は、右手小指を骨折した影響で9日から休場しました。


関脇貴景勝「自分の流れ」
 
返り入幕で2連勝の豊山は「相手に中に入られないようにすることだけを考えた。連勝は気持ちいいが、まだ2日目なので…。」と話していました。
 
下手投げで勝って2連勝の炎鵬は「立ち合いがうまい人なので、相手の策にはまらないように自分から動くことを心がけていた。途中で苦しい形になってしまったが、我慢して相撲を取れた。最後は、相手が出てきた瞬間に合わせて捨て身で思い切り投げにいった。あれしかなかった」と話していました。
 
大関復帰を目指す貴景勝は「自分の流れだった。力が相手に伝わっているかどうかは皆さんが判断してください。自分としては一生懸命やっているので、力が出ようが出まいが、一生懸命やり続けることに意味がある。プロだから勝ち負けも大事だが、勝つために勝ちを意識せずに、感情を持ち込まず自分のやるべきことをやれば勝つ確率が上がると思う。負けても自分のものを出せたらいい。毎日、全部勝つなんて簡単なことではない。すべて勝つつもりで行くが自分の力を発揮できればいい」と淡々と話していました。
 
大関 栃ノ心から白星を挙げた朝乃山は「自分の相撲を取ることだけを考えた。前へ前へという気持ちしかない。立ち合いで踏み込むことができたと思う。上手を取られたら負けだと思っていたが、上手を取らせず攻めきれたのがよかった」と時折、笑みを浮かべていました。
 
2連敗となった角番の栃ノ心は「どうなったか自分ではわからない。ひどい相撲だった」と腹を立てている様子でした。
 
もう1人の角番の豪栄道は、2連勝に「初日、2日目とも前に出られているので体が動いている。手応えは多少はある」と冷静に話していました。
 
白鵬の休場で今場所は一人横綱となった鶴竜も2連勝「立ち合いでとにかくしっかり当たることだけを意識していた。相手がよく見えていて、しっかり体が反応して動くことができた。場所前、しっかり稽古できたこともよかったと思う」といつもどおり淡々としていました。   (NHK WEB NEWS 201999 1929分)


 

 昨日から両国国技館で秋場所が始まりました。
ウェブニュースより
 大
相撲秋場所初日 大関復帰を目指す貴景勝 白星スタート ―― 大相撲秋場所は東京 両国の国技館で初日を迎え、大関復帰を目指す関脇 貴景勝は平幕の大栄翔に勝って、初日、白星でスタートしました。
入り後の勝敗です。
貴源治に十両の千代丸は、千代丸が突き落としで勝ちました。

△返り入幕の豊山に栃煌山は、豊山が小手投げ。
△返り入幕どうし石浦に東龍は、東龍が上手ひねり。
△剣翔に豊ノ島は、剣翔が寄り切りで勝って新入幕の初日を白星で飾りました。
△輝に錦木は、錦木が下手投げ。
△松鳳山に大翔鵬は、松鳳山が下手投げ。
△阿武咲に炎鵬は、炎鵬がすくい投げで勝って初日白星でスタートしました。
 
△佐田の海に明生は、明生が肩透かし。
△照強に琴勇輝は、照強が押し出し。
 
△宝富士に琴恵光は、宝富士が寄り切り。
△琴奨菊に隠岐の海は、隠岐の海が寄り切り。
△志摩ノ海に妙義龍は、妙義龍が寄り切り。
△千代大龍に竜電は、竜電が寄り切り。
△玉鷲に正代は、玉鷲が送り出し。
△阿炎に友風は、友風がはたき込みで勝ちました。
 
△大栄翔に貴景勝は、大関返り咲きを目指す貴景勝が突き落としで勝って初日白星です。
 
△御嶽海に朝乃山は、朝乃山が押し出し。
 
△大関 栃ノ心に逸ノ城は、逸ノ城が上手投げで勝ちました。負け越すと陥落の「角番」の大関 栃ノ心は初日に黒星です。
 
△碧山に大関 豪栄道は豪栄道が押し出し。
 
△北勝富士に横綱 白鵬は、北勝富士が寄り切りで勝ちました。場所前に日本国籍を取得した白鵬は初日に黒星を喫しました。
 
△横綱 鶴竜に三役返り咲きの小結 遠藤は、鶴竜がはたき込みで勝って初日白星でスタートしました。
NHK WEB NEWS 201998 1940分)


 

ウェブニュースより
 
韓国大統領「疑惑の側近」任命崩さず 世論は二分 法相候補、疑惑否定 政権の火種に 朝鮮半島 ―― 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が次期法相に指名した側近の曺国(チョ・グク)前民情首席秘書官は6日、国会の人事聴聞会で娘の進学などを巡る不正疑惑への関与を改めて否定した。新たな疑惑の噴出が続き、検察が捜査を進めるなかでも、文政権は今のところ近く任命に踏み切る構えを崩していないとみられる。異例の人事は革新勢力の結束を重視しているためだが、今後の政権運営の火種になる可能性もある。
 
 
「国民に失望感を与え申し訳ない」。曺氏は6日午前に始まった人事聴聞会で自身と家族に関するスキャンダル騒動を謝罪した。だが娘が高校生の時に医学論文の筆頭執筆者になって名門大入学につながった疑惑などに関しては「私や妻が依頼したことはない」と潔白を主張した。
 
娘は成績が芳しくないのに奨学金を受領、税金逃れのために私募ファンドに投資し、運用も不透明――。曺氏の周辺では特権的な立場を利用した不正疑惑の表面化が止まらない。足元では新たに、娘の医療専門大学院の受験を有利にしようと自己紹介書に記載した「大学総長からの表彰」が妻による偽造で、曺氏や妻が隠蔽しようとしたとの疑いも浮かんだ。

 
こうした疑惑も幅広くとりあげた野党議員の追及に対し、曺氏は「わからない」「覚えていない」との答えも連発した。聴聞会は長時間に及んだが、11人を予定していた証人の出席が1人にとどまり、一連の疑惑は晴れぬままだ。
 
大統領府は人事聴聞会を見極めつつも、「曺候補者は国民に対し十分に釈明している」として、今のところ法相任命に踏み切る方針を崩していないもようだ。
 
世論調査では5割強が曺氏の法相就任に反対するが、文氏の支持層に限れば9割が曺氏の任命に賛成している。曺氏は革新勢力の中核的な人物で、次期大統領選の有力候補ともいわれる。任命を見送れば、熱狂的な支持層の離反や保守との争いで結束が乱れかねず、引くに引けない人事との側面もある。
 
だが、検察は曺氏にまつわる一連の疑惑に関する捜査を拡大している。827日に関係先を家宅捜索したほか、韓国メディアは近く妻や娘から事情を聴く方針と伝えている。捜査の展開次第では、法相の家族が法令違反の罪を問われる前代未聞の事態となる。曺氏の適格性が改めて問われるだけでなく、政権運営も揺さぶることになる。
 
検察の捜査は、曺氏が法相になって取り組もうとしている「法務・検察改革」へのけん制との見立ても浮上している。文政権は保守政権下で定着した政策や慣行を一掃する「積弊清算」を進めており、検察の権力にも矛先を向けている。曺氏をめぐる騒動は、保守と革新の衝突先鋭化という韓国の構図を浮き彫りにしている。    (日本経済新聞 2019/9/6 22:58

 
トラックと衝突、脱線=京急線快特、32人負傷-うち1人意識不明、横浜市の踏切 ―― 5日午前1140分ごろ、横浜市神奈川区の京浜急行線神奈川新町-仲木戸間の踏切で、8両編成の電車がトラックと衝突し、脱線した。神奈川県警神奈川署によると、乗客ら32人が負傷し、うち1人が意識不明という。トラック運転手とみられる男性も重傷を負い、同署などが当時の詳しい状況を調べている。
 
 
同署によると、衝突したのはレモン660ケースを積んだ12トンの大型トラックで、男性(67)が運転していた。
 
京浜急行電鉄などによると、衝突したのは青砥発三崎口行きの快特列車。先頭から3両目までの車両が脱線した。現場付近で煙が上がり、「火が出ている」と119番があったという。
 
現場は神奈川新町駅近くにある「神奈川新町第1踏切」で、遮断機や警報機が設置されていた。乗客の避難誘導は完了しており、同社が乗車人数などを確認している。
 
事故の影響で、同線京急川崎-上大岡間の上下線で運転を見合わせている。   (JIJI COM 201909051351分)

 
台風15号 8()9()に暴風域を伴って東日本上陸へ
 
 
発達中の台風15(ファクサイ)は、6()15時現在、南鳥島近海を北西に進んでいます。
▼台風15号 96()15時現在
 
存在地域   南鳥島近海
 
まだ、日本列島から離れていますが、明日7()には暴風域を伴って小笠原近海に、8()には強い勢力にまで発達し八丈島に近づく予想です。
8()9()に暴風域を伴い上陸のおそれ
 
8()には関東や東海の沿岸や紀伊半島の一部が暴風域に入り、向きを北東に変える9()にかけて、東日本にかなり接近または上陸するおそれがあります。
 
台風が近づく前から雨量がまとまる地域も予想されています。
 
昨日から今日未明にかけて、立て続けに記録的短時間大雨情報が発表された三重県周辺には、東風が入り続けることで雨雲がかかりやすく、再び大雨に注意警戒が必要になってきます。   (2019/09/06 17:40 ウェザーニュース)


 

ウェブニュースより
 
藤井七段、47手で勝利 順位戦では異例の午前中終局 ―― 将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)が2日午前1123分、第78期名人戦・C級1組順位戦(朝日新聞社、毎日新聞社主催)の2回戦で、堀口一史座(かずしざ)七段(44)に47手で勝った。持ち時間が各6時間の順位戦で、午前中の終局は珍しい。
 
 
先手はあらかじめ藤井七段と決まっていた。大阪市福島区の関西将棋会館で午前10時に始まった対局は、1時間23分後に終局した。6月18日に行われた1回戦に続き、2連勝となった藤井七段は終局後、「(順位戦は全10局で)まだまだ先は長いんですけど、これからも一局一局、全力を尽くして頑張っていきたい」と話した。
https://www.youtube.com/watch?v=p1FRHZE1wV0
 
正午から40分間の昼食休憩が設定されていて、藤井七段は出前で「他人丼と冷たいうどんのセット」を注文していたが、昼食休憩に入る前に対局が終わってしまった。記者に「昼食は食べられますか?」と尋ねられた藤井七段は破顔一笑。関係者によると、藤井七段は出前された昼食は食べず、記録係を務めた奨励会員に託したという。
 
C級1組順位戦は来年3月までの長丁場。2018年度のC級1組で9勝1敗という好成績を挙げながら、その前の期の成績などに基づく「順位」の差で昇級を逃した藤井七段にとって、大切な対局が続く。
 
藤井七段の次の順位戦の対局は8月6日。C級1組の3回戦で、金井恒太六段(33)と対戦する。
 
 
ログイン前の続き日本将棋連盟によると、藤井七段の2019年度の成績は15対局して13勝2敗となった(未放映のテレビ対局を除く)。
 
順位戦は、名人戦の予選にあたる。フリークラスを除いた棋士が、上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組という5組に分かれ、リーグ戦を戦う。昇級を重ね、最上位のA級で優勝した棋士が名人に挑戦する。
 
今期は、A級=10人、B級1組=13人、B級2組=25人、C級1組=36人、C級2組=52人が参加している。
 
C級1組は、成績上位2人がB級2組に昇級し、成績下位の7人に降級点がつく。C級1組では降級点が二つになると、C級2組に降級となる。
 
今期C級1組は、6月から来年3月まで、1カ月に1局のペースで対局していく。それぞれ10局ずつ指し、成績を競う。同じ成績の場合は、前期の成績などで決まる「順位」が上位の棋士が優先される。
     ▲     
 藤
井七段は順位戦には17年度の第76期から参加。最初の第76期はC級2組で50人中45位でスタートし、10勝0敗の好成績でC級1組に昇級した。2期目となる第77期はC級1組で39人中31位でスタートし、9勝1敗と好成績だったが、自分より順位が上で9勝1敗だった棋士が3人いて、定員2の昇級枠に入れなかった。3期目となる第78期は、C級1組で36人中3位。前期の好成績で、順位を上げて、リーグ戦に挑んでいる。
     △     
 
堀口七段は、6月18日午前10時に始まったC級1組順位戦1回戦の対阪口悟六段(40)戦では66手で、午前1137分に敗れていた。   (朝日新聞DIGITAL 2019721454分)


 

41日午前1140分すぎ、菅官房長官が平成に代わる次の元号を「令和」と発表しました。
 
その直後、日本語学者の金田一秀穂氏は、新しい元号「令和」の第一印象を次のように語りました。
 
金田一秀穂氏:「令」というのは、古い意味では“神様のお告げ”という意味。そして、“皆が仲良く“ということなんだろうと思います。
いい言葉なのではないでしょうか。悪くないですよ。ただ、「和」は昭和の「和」だったから、そういうのは選ばれないのかなと思っていましたけれど。


新元号の「令和」は、8世紀に完成し、さまざまな身分の人が詠んだ4500首以上を収録している日本最古の和歌集『万葉集』(巻5815846)の梅花の歌を出典としています。
 
この和歌を書いたのは大伴旅人とも山上憶良ともいわれていますが、他の人ともいわれており、歴史上作者不明となっています。しかしながら、この歌が発想された場は判明しており、天平2(730)正月13日に大宰府の長官ともいえる大宰帥の大伴旅人の家に集まり、梅を楽しんだ際に生まれたとされています。

 
梅花謌卅二首并序
標訓 梅花の歌三十二首、并せて序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。


 訓読 天平二年正月十三日に、帥


そち)(おきな)の宅に(あつ)まりて、宴會を()ぶるなり。時、初春の()き月にして、氣()く風(なご)み、梅は鏡前の粉を(ひら)き、(らに)(はい)()の香を(かおら)す。加以(しかのみならず)、曙の嶺に雲移り、松は(うすもの)を掛けて(きぬがさ)を傾け、夕の(くき)に霧結び、鳥は(となみ)()められて林に迷ふ。庭には新しき蝶舞ひ、空には(もと)(かり)歸る。於是、天を(きぬがさ)とし地を(しきい)とし、膝を(ちかづ)(さかづき)を飛ばす。言を一室の(うち)に忘れ、(えり)を煙霞の外に開く。淡然と(みずか)(ほしいまま)にし、快然と自ら足る。若し翰苑に非ずは、何を以ちて情を()べむ。詩に落梅の篇を(しる)す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を()みて聊かに短詠を成すべし。



現代語訳 天平二年正月十三日に、大宰の帥の旅人の宅に集まって、宴会を開いた。時期は、初春のよき月夜で、空気は澄んで風は和ぎ、梅は美女が鏡の前で白粉で装うように花を開き、蘭の香りは身を飾った衣に香を薫ませたような匂いを漂わせている。それだけでなく、曙に染まる嶺に雲が移り行き、松はその枝に羅を掛け、またその枝葉を笠のように傾け、夕べの谷あいには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で迷い鳴く。庭には新蝶が舞ひ、空には故鴈が北に帰る。ここに、天を立派な覆いとし大地を座敷とし、お互いの膝を近づけ酒を酌み交わす。心を通わせて、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大自然に向かってくつろげて広げる。淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。これを書に表すことが出来ないのなら、どのようにこの感情を表すことが出来るだろう。漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。


 

 携帯に岩川真由美女史からメールが入りました。曰く、


 日高先生


 岩川真由美です。


 私も先生にお目にかかれて、本当に嬉しかったです。


 先生のおかげさまで、勉強の楽しさを一生を通じて持ち続けています。


 くれぐれも道子先生によろしくお伝え下さい。


 兄姉からも先生によろしくとの事です。先生、御元気で!   真由美


 


忘年会の写真と説明を続けます。


 


馬場英一氏はIkuoちゃんの紹介で指導員として参加してもらうようになりました。二人は浅草寺が活動母体のボーイスカウト第7団で奉仕活動している知り合いでした。


星野義和氏は荒井正夫氏・永田光広氏と同期の昭和35年生まれの同期生です。Ikuoちゃんの夫人の恵子女史の弟さんに当たります。


荒井正夫氏の親御さんに英語の家庭教師を頼まれTakaya氏を紹介しました。まあTakaya氏は「兼愛塾の臨海にはN嬢といういい娘がいるんだよ」と荒井氏をN嬢を餌に臨海に誘ったのだそうです。――嘘か真か実のところは不明です。


参加1年目にして、海岸でガラス片を踏んづけて大怪我。それでも、大学を出るまで指導員として永田・星野両氏と共に参加してくれました。水泳は他者と比べて抜群、水泳部長を務めてくれました。夫人のMino女史(旧姓 籾井)も臨海参加者で私が2人の媒酌を務めさせていただきました。


永田光広氏はChakiちゃんの末弟で一時「Mini Chaki」なんて呼ばれたこともありました。パソコンのハードにはかなり詳しく、私のパソコンが不調の時はすぐに駆け付けてくれて直してくれます。つい先だっても私のパソコンがパンクした時も連日連夜通い詰めで直してくれました。こうして、皆さんにブログを送れるのも光広氏のお陰です。私が媒酌の労を取らせていただいた夫人については、先のブログで説明した説明した通りです。


前田嘉雄氏・小川治範氏は出身中学は異なりますが、昭和33年生まれの同期生です。


前田氏は就職してからも広島の「もみじ饅頭」をお土産に臨海に訪ねてくれました。毎日ウォーキングに励んでいるそうで、総計4万キロメール(地球一周)を目指しているそうです。北関東三大100キロウォーク(しおや100キロ・ぐんま100キロ・つくば100キロ)の制覇は叶いましたか?


小川氏は荒井氏・永田氏と同じ雷門町会で2人の兄貴格でした。まあ3人ともに生粋の浅草っ子で三社祭が大好きのようです。


 
 菊
地珠子女史は昭和40年生まれで、永田三千代・岡本智子女史等と同期ですが、時々行方をくらますので何をしているのか判らなくなります。


直井加織女史はNew CaledoniaIle-des-Pins(イル==パン)に在住していますが、彼女も浅草っ子、毎年三社祭には必ず帰朝して、神輿を担ぎます。私の所にも顔を見せに来てくれます。これからは、三社様と塾の忘年会には毎年帰朝するといっていました。


 


三村訓久氏は愛称 Gegeさん と呼ばれています。愛称の由来は聞いていません。臨海は小学4年生からと決めていましたが、Gegeさんの祖母様から頼みこまれて小学3年から参加しました。昭和40年生まれの同期生の中では一番の古株です。千束小学校のすぐそばで「三村はり灸整骨院」を開業しています。


 


塾長のスピーチに続いて乾杯。


 


写真のIkuoちゃんは、Kouちゃんの弟君です。星野義一君のお姉さんの恵子女史と結ばれ、私が媒酌を務めさせていただきました。


乾杯が終わる頃には全員がそろったようで、それぞれグループごとに雑談です。


 


女性陣グループの説明に入ります。


 


1枚目のカラー写真の賀来・山岸の両女史は大洗からの臨海参加者です。因みに大洗時代のモノクロ写真を添付します。


 


Akemiさんは高学年になってからは、医務の手伝いで代々の医務部長のお手伝で、とうとう慈恵大の看護学校に入り、看護師になりました。


Kayoさんは、指導員になってからは鈴木道代(武藤、愛称はChabo)女史と親しく臨海が終わってからも、塾によく話に来てくれました。


Chabo女史は平瀬勝久氏の紹介で臨海の指導員として手伝ってもらいました。今年も忘年会参加する予定でしたが、母上のご逝去で急遽取止めになりました。


 


Chieko女史は、木島氏の妹の福嶋操子女史の紹介で、臨海の指導員として手伝ってもらうことになりました。小学W生が熱を出したときなどはNabeちゃんと寝ずの看病をしてくれたこともありました。しかし、二人が紅い紐で結ばれ、私が媒酌の労を取ることなど夢にも思っていませんでした。


カラー写真の2枚目は永田光広夫人の三千代さん(旧姓、瀬古 愛称はミッチー)・岡本智子さん(旧姓は小櫃 愛称はオビッちゃん)・成島典子さん(Naruちゃんの夫人)で、昭和40年生まれ組です。


ミッチーは聖天町の頭の娘さん、臨海でいつの間にかMitsuhiro氏と睦まじくなり、私が媒酌を務めました。Kazuhiro君は二人の次男坊です。


オビッちゃんは、久しぶりの忘年会参加です。昔から色が白く、海の肌焼けで苦労していたようです。


典子女史は成島淳一氏の夫人です。旦那に美味いものばかり食べさせ、私が写真で見間違えるほど太らせてしまったようです(昨日のブログ参照)


 


上の2枚目の写真のShingo氏については、先のブログで説明しましたが、私事ではありますが、付け足していただきます。


私が42歳の厄年の事ですから、今から40年以上も昔になりますが、私の母が九州から上京して、元旦を国分寺にいた叔父(母の実弟)の家で過ごすことになりました。母はそこで旅の疲れが出たのか風邪をこじらせたのか、とにかく具合悪くなり、私に引き取ってくれとの連絡が入りました。この時Shingo氏が車を出してくれて、浅草~国分寺を往復してくれました。国分寺から浅草までの母と私を乗せて、とても気を使った安全運転で走行してくれました。浅草の塾舎から二階の我が家に着いて、母は突然発作を起こしたのですが、その日は休日でどこの病院もやっていませんでした。Shingo氏は友人に頼み込んで友人の父であるK医師に来診してもらうことができました。K医師は診断の結果救急車を呼んでくださり、千束の聖愛病院に入院することができました。母入りました。それから3か月もち、春休みの4月の初めに息子達に看取られて聖愛病院で旅立ちました。今でも母の話が出ると、あの時のShigo氏を思い出し心の中で「ありがとう」と手を合わせています。


 


3枚目の写真のIkuo君の両脇にいる池上尋之氏(愛称はIkeさん)と柏木一朗氏(愛称Nenpai)は同期?です。


Ikeさんは小学4年から参加、確か青山から北大に進学したと思います。


柏木氏は小学5年から参加、父上は大相撲の那智ノ山で、当時の峰崎親方です。


 


全然泳げなかった彼が初めての参加で遠泳をして帰ったということでご両親の喜び一方ならぬものでした。専大を卒業後さらに法大に入学、Kouちゃんと並んで指導員として最も長く務めてくれました。なぜか女子生徒からはNenpaiと呼ばれていました。少し老けて見えたのかな?


 


17日のコメントにあったように姪の住んでいる兵庫県篠山市では地名変更を問う全国でも珍しい住民投票が行われたようです。


ウェブニュースより


「丹波篠山市」が多数 市名変更の住民投票/兵庫・篠山市 ―― 兵庫県篠山市の市名を「丹波篠山市」にするか否かを巡る住民投票が18日、投開票され、市名変更に「賛成」する票が「反対」を上回ることが確実となった。


 


同日実施の市長選では、変更推進の酒井隆明・前市長(64)=自民、公明、兵庫維新、国民民主推薦=の当選が確実な情勢で、来年5月の元号変更に合わせて、市名を「丹波篠山市」に変更する見通し。


 


◆篠山市の「市名変更問題」


1999年、平成の合併第一号として誕生した兵庫県篠山市。04年、隣接する同県氷上郡が合併して、旧国名を冠した「丹波市」となったことを機に、篠山市の愛称「丹波篠山」が「丹波市と篠山市」と誤解されるようになったことや、ブランドとしての「丹波篠山」を守る目的から、昨年2月以降、商工会や観光協会、JAなどの団体が、市に対して「丹波篠山市」への変更要望書を提出した。


要望を受けた市は今年4月、市名を変更した場合の経済効果を「52億円以上」と発表し、8月には市として、「丹波篠山市に変更を検討する」と意志決定した。


一方で、現状維持を望む市民もおり、「問題」に発展。9月には市名の変更の賛否にかかわらず、「市名は、市長と議会だけで決めるのではなく、市民みんなで考える問題」として、住民投票の実施を求める住民団体が、条例で必要な有権者の署名(7066筆)を超える約1万筆を集め、住民投票が実施されることが決まった。


住民投票の実施を受け、同市の酒井市長(当時)は、「変更の方針を決めた責任があり、市民に信を問う」として1016日付で退職。住民投票と合わせた出直し市長選への出馬を表明していた。   ((丹波新聞 20181118日)


 


九州場所9日目の勝敗結果は次の通りです。


 


貴景勝が勝ち越し、高安7勝目 九州場所9日目 ―― 大相撲九州場所9日目(19日・福岡国際センター)単独トップの小結貴景勝は大関栃ノ心を押し倒して勝ち越しを決めた。栃ノ心は5敗目。


 


他の大関陣は高安が平幕嘉風をはたき込んで7勝目、豪栄道は平幕千代大龍を引き落として6勝目を挙げた。


 


関脇は御嶽海が竜電に寄り切られて5勝4敗。逸ノ城は正代を押し出して3勝6敗とした。


   


貴景勝を追う2敗は高安、大栄翔、碧山、阿武咲の4人となった。


 


十両は2敗の照強、炎鵬がトップ。


 


    (共同 2018/11/19 19:07


 



根岸庵を訪う記(2)    寺田寅彦


隣の庭の折戸の上に烏が三羽下りてガーガーとなく。夕日が畳の半分ほど這入って来た。不折の一番得意で他に及ぶ者のないのは『日本』に連載するような意匠画でこれこそ他に類がない。配合の巧みな事材料の豊富なのには驚いてしまう。例えば犬百題など云う難題でも何処かから材料を引っぱり出して来て苦もなく拵(こしら)える。


いったい無学と云ってよい男であるからこれはきっと僕等がいろんな入智恵をするのだと思う人があるようだが中々そんな事ではない。僕等が夢にも知らぬような事が沢山あって一々説明を聞いてようやく合点が行くくらいである。どうも奇態な男だ。先達(せんだ)って『日本』新聞に掲げた古瓦の画などは最も得意でまた実際真似は出来ぬ。あの瓦の形を近頃秀真(ほずま)と云う美術学校の人が鋳物にして茶托(ちゃたく)にこしらえた。そいつが出来損なったのを僕が貰うてあるから見せようとて見せてくれた。十五枚の内ようよう五枚出来たそうで、それも穴だらけに出来て中に破れて繕(つく)ろったのもあるが、それが却って一段の趣味を増しているようだと云うたら子規も同意した。巧みに古色が付けてあるからどうしても数百年前のものとしか見えぬ。中に蝸牛(かたつむり)を這わして「角ふりわけよ」の句が刻してあるのなどはずいぶん面白い。絵とちがって鋳物だから蝸牛が大変よく利いているとか云うて不折もよほど気に入った様子だった。羽織を質入れしてもぜひ拵えさせると云うていたそうだと。


 


話し半ばへ老母が珈琲(コーヒー)を酌んで来る。子規には牛乳を持って来た。汽車がまた通って蛁蟟(つくつくほうし)の声を打消していった。初対面からちと厚顔(あつかま)しいようではあったが自分は生来絵が好きで予(かね)てよい不折の絵が別けても好きであったから序(つい)でがあったら何でもよいから一枚呉くれまいかと頼んで下さいと云ったら快く引受けてくれたのは嬉しかった。子規も小さい時分から絵画は非常に好きだが自分は一向かけないのが残念でたまらぬと喞(かこっ)ていた。


夕日はますます傾いた。隣の屋敷で琴が聞える。音楽は好きかと聞くと勿論きらいではないが悲しいかな音楽の事は少しも知らぬ。どうか調べてみたいと思うけれどもこれからでは到底駄目であろう。尤もこの頃人の話で大凡こんなものかくらいは解ったようだが元来西洋の音楽などは遠くの昔バイオリンを聞いたばかりでピアノなんか一度も聞いた事はないからなおさら駄目だ。どうかしてあんなものが聞けるようにも一度なりたいと思うけれどもそれも駄目だと云うて暫く黙した。自分は何と云うてよいか判らなかった。黯然(あんぜん)として吾黙した。


また汽車が来た。色々議論もあるようであるが日本の音楽も今のままでは到底見込みこみがないそうだ。国が箱庭的であるからか音楽まで箱庭的である。一度音楽学校の音楽室で琴の弾奏を聞いたが遠くで琴が聞えるくらいの事で物にならぬ。やはり天井の低い狭い室でなければ引合わぬと見える。それに調子が単純で弾ずる人に熱情がないからなおさらいかん。自分は素人考えで何でも楽器は指の先で弾くものだから女に適したものとばかり思うていたが中々そんな浅いものではない。日本人が西洋の楽器を取ってならす事はならすが音楽にならぬと云うのはつまり弾手の情が単調で狂すると云う事がないからで、西洋の名手とまで行かぬ人でも楽(がく)の大切な面白い所へくると一切夢中になってしまうそうだ。こればかりは日本人の真似の出来ぬ事で致し方がない。ことに婦人は駄目だ、冷淡で熱情がないから。露伴の妹などは一時評判であったがやはり駄目だと云う事だ。


空が曇ったのか日が上野の山へかくれたか畳の夕日が消えてしまいつくつくほうしの声が沈んだようになった。烏はいつの間にか飛んで行っていた。また出ますと云うたら宿は何処かと聞いたから一両日中に谷中の禅寺へ籠る事を話して暇(いとま)を告げて門へ出た。隣の琴の音が急になって胸をかき乱さるるような気がする。不知不識(しらずしら)ず其方へと路次を這入ると道はいよいよ狭くなって井戸が道をさえぎっている。その傍で若い女が米を磨(と)いでいる。流しの板のすべりそうなのを踏んで向側へ越すと柵があってその上は鉄道線路、その向うは山の裾である。其処を右へ曲るとようよう広い街に出たから浅草の方へと足を運んだ。琴の音はやはりついて来る。道がまた狭くなってもとの前田邸の裏へ出た。ここから元来た道を交番所の前まであるいてここから曲らずに真直ぐに行くとまた踏切を越えねばならぬ。琴の音はもうついて来ぬ。森の中でつくつくほうしがゆるやかに鳴いて、日陰だから人が蝙蝠傘を阿弥陀にさしてゆるゆるあるく。山の上には人が沢山停車場から凌雲閣の方を眺めている。


 


左側の柵の中で子供が四、五人石炭車に乗ったり押したりしている。機関車がすさまじい音をして小家の向うを出て来た。浅草へ行く積りであったがせっかく根岸で味おうた清閑の情を軽業の太鼓御賽銭の音に汚すが厭になったから山下まで来ると急いで鉄道馬車に飛乗って京橋まで窮屈な目にあって、向うに坐った金縁眼鏡隣に坐った禿頭の行商と欠伸の掛け合いで帰って来たら大通りの時計台が六時を打った。   (明治三十二年九月)


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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