千住大橋は、隅田川にかけられた最初の橋です。この隅田川は以前荒川とも渡裸(トラ)川とも呼んでいました。この川は、昔その文字の示すように、荒れる川であり、トラ(虎に音が通じている)のように暴れる川でしたので、その名がついたといわれています。
こうした川に橋をかけることは難事業ですが、当時土木工事の名人といわれた伊奈備前守忠次によって完成されました。
伊奈備前守忠次といえば、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めたおりに、その先鋒をつとめた徳川家康の家臣で、富士川の渡河を成功させたり、後年利根川、荒川の流路をつけかえた伊奈氏の初代で、治水土木の大家として知られています。
千住大橋の架橋につきましては、“武江年表”文禄三年の条に、「……中流急湍にして橋柱支ふることあたわず。橋柱倒れて船を圧す。船中の人水に漂う。伊奈氏熊野権現に祈りて成就すという。」と書いてあります。
この文章にあるように、川の流れが複雑で、しかも地盤に固い所があって、橋杭を打ち込むのに苦労したようです。そうしたことから、完成時には一部の橋脚と橋脚の間が特に広くなってしまいました。実は、この一部橋脚が広くなったことにつきまして“大亀”の話があるのです。
この川には、ずっと以前から、川の主といわれている大亀が棲んでいました。そして、そのすみかが、架橋付近の川底にありましたので、打ち込まれた橋杭が大亀の甲羅にぶつかってしまいました。いくら打ち込もうと力を入れても、橋杭はいっこうに入っていきません。そうこうしているうちに、杭は川の流れに押し流されて倒れてしまいました。そのあおりで、杭の付近の数そうの舟は転覆し、乗っていた人夫は川の中へほうり出されてしまいました。
そこで、その場所は避けて、岸辺に寄ったほうに杭を立てて打ち込みましたところ、さほどの苦労もなく入っていきました。
しかし、岸辺に寄せたぶんだけ橋脚の幅が広くなって、見た目にも不揃いに映りましたが、しかたありませんでした。大橋完成後も、この川を往き来する舟が、この橋の近くで転覆したり、橋脚にぶつかるようなことがあると、このあたりの住民は、大川の主が舟の下にもぐり込んでひっくりかえしたとか、橋脚にぶつけさせたと、言っていました。
また、ときたま人が溺死でもすると、大亀様が怒ってそうしたのだと恐れておりました。ですから、船頭仲間でも、大橋付近は危険な場所として、かなりの年季を入れた船頭でさえ最大の注意をはらい、ここを通り越すとホッとしたそうです。(速く不規則な流れが橋脚にぶつかって、より複雑な流れになっていたようです。)大橋付近は船頭の登竜門、ここを無事に通り抜けられれば、“一人前”のレッテルが貼られたともいわれています。
その証拠に、当時の人々は架橋したあたりを、“亀のま”とか“亀のます”といって恐れていました。明治に入って、この川の流れを橋の上から見た人は、「潮が上げ下げするときなどは、橋脚のあたりで大きな渦を巻いておりました。その渦もきっと“亀のま”の亀が川底で波をおこしているからでしょう。」ともらしていたそうです。
千住大橋と大亀、科学が進んでいなかった時代には、何か事がおこると、人々はいろいろと想像をめぐらして、こうした話が生まれたものと思いますが、夢があって楽しいような気がします。
※・岸辺に寄せた杭は、岸辺から数えて三番目で、三番目と四番目の杭の間を、 “亀の間 ” と呼んでいたようです。
※ 洪水のとき、大橋が流されなかったのは、大亀が橋の下で水をかいていたからだ。という話もあります。
簡単に言いますと北千住は足立区、南千住は荒川区で隅田川を挟んで違う区にあります。一口に「千住」と言いますが、千住という地域は二つの区にまたがった地域になります。この2つの地を結ぶのが千住大橋なのです。
この隅田川を挟んだ千住にも、七不思議があります。
1.千住大橋と大亀
千住大橋を架ける工事のとき、どうしても橋杭がうちこめない場所がありました。川の主の大亀がこの場所に住んでいて、亀の甲羅があったためです。そのため千住大橋の三番目と四番目との間を少し広げたところ、杭を打つことができました。また、この場所は流れが複雑で「亀のま」とか「亀のます」とよびました。
2.千住大橋と大緋鯉(おおひごい)
川の主である大緋鯉が上流と下流を行ったり来たりしていました。千住大橋を作る時、橋杭を立て始めると、この大緋鯉(おおひごい)がぶつかって橋杭が倒れそうになります。大緋鯉をつかまえようとしましたがうまくいきません。そのため千住大橋の橋杭を1本少し広げて立てかえ、大緋鯉が自由に泳ぐことができるようにしました。
3.牧の野の大蛇
「一緒に逃げよう」と約束をした船頭の男の人は表れません。恋人の裏切りに悲しんで身投げした女性は大蛇)になりました。牧の野(現在の千住緑町から千住桜木町あたり)からこの大蛇が表れ、恨みのため船が通ると転覆させたといいます。
4.片葉の葦(かたはのあし)
弘法大師が荒川の岸辺に立つと、葦の葉がその御威光に恐れ入り、風にそよそよなびいていたのをピタリとやめ、ひれ伏しました。そのまま片葉の葦に姿を変えました。
5.子福(こふく)さま
長円寺(千住4丁目)の裏山に住む狐は調子に乗ってだんだん悪さをするようになりました。困った町の人は子福さまとしてお狐様を寺の境内に大切にまつりました。大事にされたお狐様は町全体の守り神となりました。
6.金蔵寺(こんぞうじ)の蕎麦閻魔
金蔵寺(千住2丁目)にえんま様がまつられています。日光街道沿いのそば屋に毎日そばを食べに来る女の人がいました。「あのきれいな娘はどこの人?」と不思議に思ったそば屋があとをつけてみるとむすめはえんま堂の中へ…。それから、えんま様に願いごとをかなえてもらったお礼にそばをお供えするようになりました。
7.置いてけ堀
堀切から牛田の辺に大きな堀がありました。ここでつった魚を持ち帰ろうとすると、「おいてけ~おいてけ~」と地の底からわき出るような不気味な声が…。無理に持ち帰ろうとすると葦のしげみからぬけ出せなくなってしまいます。
①「永代橋の落橋」
文化四年八月十九日深川八幡祭禮の日永代橋崩壊約二千人怪我人溺死者が出ました。その時の悲鳴が夜更けに聞こえるといいます。
②「高橋の息杖」
ある時この橋でかごやが殺されました。その怨念が残り寂しい晩などには橋の上を息杖をつく音が聞こえるといいます。
③「閻魔堂橋恨みの縄」
昔この橋で首つりがありその怨念が残り、物思いに沈んで通ると縄切れが欄干にぶら下がってるのが見えるといいます。
④「仙台堀血染めの駒下駄」
この堀で殺された者の血の付いた下駄が河岸に残されていました。土地の者が川に流す度にいつの間にか元の岸に戻るといいます。
⑤「八幡山の破れ障子」
深川八幡の門前の茶屋に祟りあり、ある一部屋の障子が何度貼り直しても翌朝には一箇所破れているといいます。
⑥「六万坪の怪火」
州崎から砂村に通ずる一面の平原に時々怪火がみえるといいます。
⑦「万年橋の主」
万年橋のたもとには主がいて、日照り雨の日に傘をさして覗くと、そのが姿を見られるといいます。
⑧「木場の錆鎗(さびやり)」
『木場の錆槍』という話についてはどんな話だったのかわからなくなってしまっているそうです。ためしに、検索してみると、「近代デジタルライブラリー – 深川七不思議」というのが出てくるのですが、伊東潮花という人の講談の書き起こしのようでして、木場の錆槍については言っているようで結局言ってないような…。
吉原七不思議は、東京都台東区に江戸時代から存続している遊郭街吉原を舞台にした駄洒落です。不思議と言っても怪談である本所七不思議などとは違って、こちらはユーモアや冗談を中心にした駄洒落です。七不思議と言っても7つ以上のエピソードが存在します。
①大門(おおもん)あれど玄関なし
吉原遊郭の入口には「吉原大門」と呼ばれる楼門がありました。門の向こうは遊ぶ場所、どこぞのお屋敷へ通じるわけではありません。
②茶屋あれど茶は売らず
茶屋といえば街道筋などの休憩所のことだが、吉原では「引き手茶屋」、すなわち遊女や遊郭の紹介所を指します。茶を出してくれるわけではありません。
③角(すみ)町あれど中にある
「角町」とは遊郭内の一区画の名で、吉原街の中ほどにありました。角っこにあるわけじゃねえよ、という駄洒落。
④揚屋あれど揚げはなし
「揚屋町」も区画の名です。揚げものを売っているわけではないという駄洒落。
⑤やり手といえど取るばかり
やり手とは遊女の管理や営業を行う「遣り手ババア」のことです。「やる」とは言っても金を取るだけという皮肉です。
⑥年寄りでも若い衆
遊郭に勤める男性の従業員は歳に関係なく「若い衆」と呼ばれていたことをからかったものです。
⑦河岸(かし)あれど魚なし
「河岸」とは低価格で遊べる場末の遊郭の俗称です。魚河岸ではないから、当然魚も売っていない。
⑧水道あれど水はなし
当時の吉原の突き当たりや町はずれを「水道尻」という俗称で呼んでいました。べつに水道(水路)が引いてあるわけでもありません。
ここで魚を獲ると「おいてけ、おいてけ」という声がするという、有名な本所七不思議の「おいてけ堀」の怪談を、田中貢太郎らしい簡潔な文体で再話しています。ここに田中貢太郎の短編小説『おいてけ堀』を紹介します。
なんだか、中学時代に習ったLafcadio Hearn(小泉八雲)の「Mujina」にとても良く似ております。
なお、『置いてけ堀』の場所については、色々な説があり、特定することができません。
おいてけ堀 田中貢太郎
本所のお竹蔵(たけぐら)から東四つ目通、今の被服廠跡の納骨堂のあるあたりに大きな池があって、それが本所の七不思議の一つの「おいてけ堀」であった。
其の池には鮒や鯰がたくさんいたので、釣りに往く者があるが、一日釣ってさて帰ろうとすると、何処どこからか、おいてけ、おいてけと云う声がするので、気の弱い者は、釣っている魚を魚籃(びく)から出して逃げて来るが、気の強い者は、風か何かのぐあいでそんな音がするだろう位に思って、平気で帰ろうとすると、三つ目小僧が出たり一つ目小僧が出たり、時とすると轆轤首(ろくろくび)、時とすると一本足の唐傘(からかさ)のお化ばけが出て路を塞ふさぐので、気の強い者も、それには顫(ふるえ)あがって、魚は元より魚籃も釣竿もほうり出して逃げて来ると云われていた。
金太と云う釣好きの壮佼(わかいしゅ)があった。金太はおいてけ堀に鮒が多いと聞いたので釣りに往った。両国橋を渡ったところで、知りあいの老人に逢あった。
「おや、金公か、釣に往くのか、何処だ」
「お竹蔵の池さ、今年は鮒が多いと云うじゃねえか」
「彼処(あすこ)は、鮒でも、鯰でも、たんといるだろうが、いけねえぜ、彼処には、怪物(えてもの)がいるぜ」
金太もおいてけ堀の怪(あや)しい話は聞いていた。
「いたら、ついでに、それも釣ってくるさ。今時、唐傘のお化でも釣りゃ、良い金になるぜ」
「金になるよりゃ、頭からしゃぶられたら、どうするのだ。往くなら、他へ往きなよ、あんな縁儀でもねえ処へ往くものじゃねえよ」
「なに、大丈夫ってことよ、おいらにゃ、神田明神がついてるのだ」
「それじゃ、まあ、往ってきな。其のかわり、暗くなるまでいちゃいけねえぜ」
「魚が釣れるなら、今晩は月があるよ」
「ほんとだよ、年よりの云うことはきくものだぜ」
「ああ、それじゃ、気をつけて往ってくる」
金太は笑い笑い老人に別れて池へ往った。池の周囲まわりには出たばかりの蘆の葉が午(ひる)の微風にそよいでいた。金太は最初のうちこそお妖怪(ばけ)のことを頭においていたが、鮒が後から後からと釣れるので、もう他の事は忘れてしまって一所懸命になって釣った。そして、近くの寺から響いて来る鐘に気が注ついて顔をあげた。十日比ごろの月魄(つきしろ)が池の西側の蘆の葉の上にあった。
金太はそこで三本やっていた釣竿をあげて、糸を巻つけ、それから水の中へ浸けてあった魚籃をあげた。魚籃には一貫匁あまりの魚がいた。
「重いや」
金太は一方の手に釣竿を持ち、一方の手に魚籃を持った。と、何処からか人声のようなものが聞えて来た。
「おい、てけ、おい、てけ」
金太はやろうとした足をとめた。
「おい、てけ、おい、てけ」
金太は忽ち、嘲(あざけ)りの色を浮べた。
「なに云ってやがるんだ、ふざけやがるな、糞でも啖(くら)えだ」
金太はさっさとあるいた。と、また、おい、てけの声が聞えて来た。
「まだ云ってやがる、なに云ってやがるのだ、こんな旨い鮒をおいてってたまるものけい、ふざけやがるな。狸か、狐、口惜しけりゃ、一本足の唐傘にでもなって出て来やがれ」
金太は気もちがわるいので足はとめなかった。と、眼の前へひょいと出て来た者があった。それは人の姿であるから一本足の唐傘ではなかった。
「何だ」
鈍い月の光に眼も鼻もないのっぺらの蒼白い顔を見せた。
「わたしだよ、金太さん」
金太はぎょっとしたが、まだ何処かに気のたしかなところがあった。金太は魚籃と釣竿を落とさないようにしっかり握って走った。後からまた聞えてくるおいてけの声。
「なに云やがるのだ」
金太はどんどん走って池の縁(へり)を離れた。来る時には気が注かなかったが、其処に一軒の茶店があった。金太はそれを見るとほっとした。金太はつかつかと入って往った。
「おい、茶を一ぱいくんねえ」
行燈(あんどん)のような微暗(うすぐら)い燈のある土室(どま)の隅から老人がひょいと顔を見せた。
「さあ、さあ、おかけなさいましよ」
金太は入口へ釣竿を立てかけて、土室の横へ往って腰をかけ、手にした魚籃を脚下(あしもと)へ置いた。老人は金太をじろりと見た。
「釣りのおかえりでございますか」
「そうだよ、其所の池へ釣に往ったが、爺さん、へんな物を見たぜ」
「へんな物と申しますと」
「お妖怪(ばけ)だよ、眼も鼻もない、のっぺらぼうだよ」
「へえェ、眼も鼻もないのっぺらぼう。それじゃ、こんなので」
老人がそう云って片手でつるりと顔を撫でた。と、其の顔は眼も鼻もないのっぺらぼうになっていた。金太は悲鳴をあげて逃げた。魚籃も釣竿も其のままにして。
錦糸町にある山田家という和菓子屋に、本所七不思議をテーマにした、人形焼きがあります。
包み紙も、袋も、箱も、紙袋も、本所七不思議のイラストが書いてあります。包装紙、本所七不思議のお話が、一話ずつ、イラスト付で書いてあります。
このイラストは、漫画家で江戸文化研究家の、宮尾しげを氏が書いたそうです。
※宮尾 しげを〔1902年(明治35年)~1982年(昭和57年)〕は、日本の漫画家、江戸風俗研究家です。東京出身。本名は重男。岡本一平に師事し、1922年「東京毎夕新聞」に子供向け物語漫画「漫画太郎」を連載してデビューしました。代表作は「団子串助漫遊記」。戦時中より江戸の庶民文化を研究、戦後はこれに専念しました。
また、直木賞作家の宮部みゆきさんは、山田家の包装紙に描かれる物語をヒントに、本所深川ふしぎ草子を書いたそうです。
しおりには、山田家のある所は、昔、おいてけ堀のあった所で知られたと書いてあります。
詳しい場所とは、少し離れているとしても、山田家のある場所は、錦糸堀にも近いですし、本所なので、間違ってはいないと思います。
広場の横の小道には、すみだに古くから伝わる本所七不思議をモチーフにしたレリーフがあり、まるで紙芝居を見るように散策中の目を楽しませてくれます。
『送り拍子木』
拍子木を打った後に同じように、どこからか拍子木のカチカチという音が聞こえてきます。まるで自分の後をつけてくるように。
『足洗い屋敷』
天井から血に汚れた大足がにょきッと生えてくるといいます。洗ってあげると引っ込めるという、洗わないと天井を壊すといいます。
※なんて迷惑な‼
『あかりなしそば』
毎晩、蕎麦屋がでているが、灯りがついていないという、客が点けても消えてしまいます。こうして帰った客の家には凶事が起こるという。
『狸ばやし』
稲穂がなびく頃、どこからともなく聞こえてくる太鼓の音、ついつい探し回り、疲れて家に帰り、寝てしまう・・・、朝起きてみると、自分の家ではなく、野原であったといいます。
※悪い狸だ、風邪ひくじゃないか‼
『送りちょうちん』
道を歩いていると提灯の灯りが見えます、これに向かって歩いていくと、消えてしまう・・・。しばらくするとまた灯りは現れ、しかし追いつくことはできません。
※あまり実害はありません。
『片葉のあし』
漢字では、葦と書くが、実際には足、または、手足としてもよいかもしれません。
※こわい。
『置いてけ掘』
釣り人が帰ろうとすると、堀から「おいてけー」と聞こえます。ところが周囲に人はいません、空耳だと思って帰ると・・・、必ず足がすくみ、釣った魚は魚籠から無くなっているといいます。
※魚拓がとれません‼
これで終わりです。
本所(東京都墨田区)に江戸時代ころから伝承される奇談・怪談として、本所七不思議があります。江戸時代の典型的な都市伝説の一つであり、古くから落語など噺のネタとして庶民の好奇心をくすぐり親しまれてきました。いわゆる「七不思議」の一種ですが、伝承によって登場する物語が一部異なっていることから8種類以上のエピソードが存在します。
1. 置行堀(おいてけぼり)
魚を釣って帰ろうとするとどこからともなく「置いてけ~」の声が…無視して帰ると釣った魚がからっぽに。
魚を持って逃げようとして水中から出てきた手に掴れるという別のバージョンもあります。意外と怖いかもしれません。
2. 狸囃子(たぬきばやし) 馬鹿ばやし
どこからともなく聞こえてくるお囃子につられて歩き回るうちにいつの間にか朝になっています。狸の仕業と言われるが正体不明です。あまり怖くありません。
3. 送り提灯(おくりちょうちん)
酔った侍が歩いていると、提灯を下げた女が現れます。近寄ろうとすると女はす~っと消え、離れるとまた現れます。どこまで行っても提灯の明かりは同じ距離を保って進み、追いつくことができません。これも怖いですね。
4. 落ち葉なき椎(おちばなきしい)
本所にあった新田藩松浦家の上屋敷には立派な椎の木がありましたが、なぜか一枚も葉を落とすことがなく周りは奇妙に思ったといいます。少し不思議?
5. 津軽屋敷の太鼓(つがるやしきのたいこ)
本所の津軽越中守の屋敷にあった火の見やぐらです。通常、大名屋敷の火の見櫓では板木を鳴らしますが、なぜかここには太鼓がぶら下がっていました。なぜ太鼓なのか屋敷の者にもわからなかりませんでした。え? なぜ不思議?
6. 片葉の葦(かたはのあし)
本所に住む留蔵という男が自分に振り向かない女を殺して片手片足を切り落として死体を堀に投げ込んでしまいました。この事件以降、駒止橋付近の葦はなぜか片側しか葉が伸びなかったといいます。由来は怖いですが、葦自体は微妙です。
7. 灯りなし蕎麦(灯りなし蕎麦)
夜になると現れる蕎麦屋があったが、いつ行っても誰もいません。しかし、火の灯った行灯だけは一晩中燃え続けています。誰が油をさしているかもわかりません。そっスか~そういうもんすかね~というレベルで、あまり怖くありません。
8. 送り拍子木(おくりひょうしぎ)
ある夜、夜回りの男が「火の用心」と声をあげると、自分は鳴らしていないのに拍子木の音が聞こえてきたといいます。完全に勘違いでしょう。
9. 足洗い屋敷(あしあらいやしき)
本所三笠町にあった武士の屋敷で毎晩、天井裏から巨大な足が下りてきて「足を洗え」と声が聞こえます。洗ってやると引っ込むが、次の晩も現れるといいます。めちゃくちゃ怖いですね。
八丁堀の七不思議
女性に持てた江戸の警察,与力や同心である「八丁堀の旦那」が住んでいたのは、現在の東京メトロ日比谷線とJR京葉線の八丁堀駅周辺です。
ここに七不思議なるものがありました。それをご紹介しましょう。
1.奥様あって殿様なし
亭主と女房の呼び方はその人の地位,身分で決まっていました。
それで,旗本の身分にあり,警察幹部与力の地位に任命された者のことですが,給料が200石なので,彼らの女房は「奥方さま」と呼ばれ,その亭主は「殿さま」と呼ぶべきなのですが…… これが「旦那さま」と呼ばれていました。与力よりも格下の同心の女房は「御新造さま」で、亭主は「旦那さま」。与力が「殿さま」でないのはより庶民的な印象を与え、それで女性にも人気もあったというわけでしょう。
2.女湯の刀架け
埃っぽい江戸では朝から湯屋が開いていました。早朝から職人で賑わっていたのですが,与力や同心たちの屋敷には内湯(自分の家にある風呂)がない者が多かったのです。それで町人と一緒に湯を浴びたいのですが、そこは与力、同心という地位だって武士の中の分類で言えば旗本、御家人ですから、町人と一緒じゃ格好悪いしプライドが傷つきます。だから朝は使っていない女湯へとなるのです。それで刀架けが必要となるのですが。それを知らないと、「えっ,何で女湯に刀架けがあるの、わけ分かんねー」っとなるのです。毎日何度も湯屋に行くと、垢抜けして、肌はかさかさ。「垢抜けした人」にはコラーゲンたっぷりの保湿剤が必要ですね。
3.地獄の中の極楽橋
この解釈はなかなか難しいですね。地獄とは警察官ばかり住んでいる八丁堀を指しているのでしょうか。この町内に極楽橋という橋があったのかも知れません。きっとこの七不思議を考えたのはちょっとは身に覚えのある人たちじゃなかったのかな。
※極楽橋がどこにあったかは判りません。茅場町に地蔵橋というのがあって、これを当てる説もあります。
4.寺あって墓なし
八丁堀はもともと寺地だったのですが,奉行所の組屋敷,つまり有事の際に幕府軍の先頭を仕切る腕の立つ武士たち,弓組とか鉄砲組が組織され,彼らの屋敷がここに造られ,お寺は移転。墓だってそのときに移されたはずですから,「墓なし」はいいのですが,「寺あって」は合点がいきません。この七不思議があること,これが不思議。
※江戸時代初期、「八丁堀寺院町」と呼ばれるほど八丁堀の武家地外には
多くの寺院がありましたが、明暦の大火を機に、当時西八丁堀岡崎町にあった。
玉円寺を唯一残し、他の寺院は江戸の中心から離れた場所へと移りました。玉円寺は本願寺末での布教を主とし、墓を持たなかったことからこのように言われるようになったそうです。
5.佐瀬勇太夫の裏表
これも何を言っているのか,皆目見当がつきません。江戸の時代に舞い戻って,庶民に聞くしかありませんね。これって何のこと?
一説に八丁堀のどこにあるかはわからないけど表通りには裏口があり、裏通りに玄関のある家が存在していたというのがあります。
6.金で首が継げる
奉行所(警察署)に金品をプレゼントして,つまり賄賂を贈って罪を軽くしてもらうということですね。このような技は当たり前のこと,これがどうして不思議なのでしょうか。もっと突っ込んだ表現をして貰いたいところですが,それじゃ内部告発になって奉行所が困るということなのでしょうか。
7.貧乏小路に提灯かけ横町
日本橋茅場町,つまり東京駅八重洲口を出て隅田川へ向かう途中ですが,このあたりに「提灯掛横町」があった。その隣には「神保小路」があったので,貧乏小路はこのことでしょうかね。それで「だからどうした」なのです。何が不思議なのか,これまた不思議。
というわけでして,理解できるもの,出来ないもの,合計7つ。親の七光り,七転び、・・・人々は7が好きだから,無理に不思議を7つ作ったのでしょうか。
ウェブニュースより
小泉進次郎氏と滝川クリステルさん、結婚・妊娠を公表 -―自民党の小泉進次郎衆院議員(38)とアナウンサーの滝川クリステルさん(41)が7日、首相官邸で記者団に対し、結婚することを明らかにした。小泉氏らによると、滝川氏は妊娠しており、年明けにも出産する予定。安倍晋三首相や菅義偉官房長官とも面会し、結婚の報告をしたという。
小泉氏は、滝川氏について「政治家・小泉進次郎から人間・小泉進次郎にしてくれる存在」と表現。「父としては小泉純一郎(元首相)のような父親になりたい」と語った。滝川氏も「お互いが素のまま、ありのままでいられる関係。みなさまに温かく見守っていただければ本当に幸いです」と語った。
小泉進次郎氏は1981年、神奈川県横須賀市生まれ。小泉純一郎元首相の次男で、2009年に衆院神奈川11区で初当選し、当選4回。現在は自民党の厚生労働部会長を務めている。無派閥。
東日本大震災の被災地の復興や農業、社会保障などの課題に取り組む。若手議員とともに党首討論の定例化や国会のIT化など国会改革の提言をまとめた。昨年の党総裁選では安倍晋三首相と対抗した石破茂・元幹事長を支持した。
尊敬する人物はケネディ元米大統領。趣味は落語。
滝川さんは1977年、フランス生まれ。フジテレビ系報道番組「ニュースJAPAN」のメインキャスターなどを経て、現在はフリーアナウンサーとして活動している。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問も務めており、東京大会の招致がかかった2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会では、フランス語によるプレゼンテーションを担当。その際にジェスチャーを交えて使った「お・も・て・な・し」は、ユーキャン新語・流行語大賞の年間大賞にも選ばれるなど話題を集めた。WWF(世界自然保護基金)ジャパンの顧問でもある。 (朝日新聞DIGITAL 2019年8月7日14時13分)
浅間山で噴火発生 一時「噴煙1800メートル以上」 ―― 気象台によりますと、浅間山では、本日(7日)22時08分に噴火が発生し、噴煙は1800mを超えて、北へ流れました。今後も、居住地域の近くまで影響を及ぼす噴火が発生する可能性があると予想されます。
山頂火口から概ね4kmの範囲で大きな噴石や火砕流に警戒してください 。小さな噴石の落下が予想される範囲内では、屋内や頑丈な屋根の下などに移動してください。噴火警戒レベルは1(活火山であることに留意)から3(入山規制)に引上げられています。地元自治体等の指示に従って危険な地域には立ち入らないでください。
※噴火警戒レベルを3とは、登山禁止や入山規制等危険な地域への立入規制等。状況に応じて要配慮者の避難準備等。
以下の市町村では、火口周辺で入山規制などの警戒をしてください。
群馬県 : 嬬恋村 長野県 : 小諸市、軽井沢町、御代田町 (tenki.jp 2019年08月07日23:21)
ダブル台風 大型で非常に強い台風9号が先島諸島へ ―― 日本の南の海上には台風9号と台風10号があり、2つとも発達しながら北上しています。
台風9号は今夜から明朝にかけて、沖縄・先島諸島に最接近する予想です。
今後も北北西に進み、今夜から明日9日(金)朝にかけて先島諸島に最接近する見込みです。
先島諸島では台風中心の発達した雨雲によって1時間に100mm近い猛烈な雨と、最大瞬間風速が50m/sを超えるような暴風に見舞われるおそれがあります。
古い木造家屋や電柱が倒壊する危険があるレベルです。沿岸では大しけになるので、海には近づかないようにしてください。
台風9号は大型で速度が遅いため、猛烈な雨や暴風が長引くことが考えられます。食料や燃料・電池などの備蓄や、飛ばされやすいものを片づけるなど、早めの対策を心掛けてください。
今日はなるべく早めに帰宅して、雨や風が強まる前から避難所へ移動するなど、安全を第一に心がけて行動するようにしてください。
台風10号はこのあとも海面水温の高い領域をゆっくり進むため急速に発達し、9日(金)から10日(土)には非常に強い勢力となって、11日(日)頃に小笠原諸島に最接近する予想です。
そのあとは、まだ進路はまだ定まっておらず、太平洋高気圧の張り出し具合によって、進路が大きく変わる可能性があります。
世界各国の気象予想モデルを見てみると、最も西側のコースをたどった場合は四国の南の海上、最も東側のコースをたどった場合は東の海上に向かう予想となっている状況です。
場合によっては来週半ば頃に本州付近にかなり近づき、お盆休みを直撃するおそれがあります。最新の情報を確認するようにしてください。
台風の名前は、国際機関「台風委員会」の加盟国などが提案した名称があらかじめ140個用意されていて、発生順につけられます。
台風9号のレキマー(Lekima)は、ベトナムが提案した名称で、卵黄のような黄色い実をもつ果物の名前が由来です。
台風10号のクローサ(Krosa)は、カンボジアが提案した名称で「鶴」です。 (2019/08/08 07:31 ウェザーニュース)
sechin@nethome.ne.jp です。
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