瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[1147] [1146] [1145] [1144] [1143] [1142] [1141] [1140] [1139] [1138] [1137]
 ○隅田川ありやなしやと振ってみる〔柳多留五五〕
 江戸には「隅田川」という銘の酒があったという。川柳は徳利を振って「隅田川(という酒)」がまだ残っているかどうか確かめている光景である。在原業平が詠んだ歌の『名にしおはゞいざこと問はん都鳥我思ふ人はありやなしや』の文句取りになっている。
1956b72d.jpeg 江戸の地誌を記した『御府内備考』という本に拠ると、浅草並木町(現・台東区雷門二丁目内、いまも「並木通り」の名が残る)の「山屋半三郎」という造り酒屋が、江戸時代前期の寛永年中(1624~44年)に、隅田川の水を汲んで酒を造り、浅草観音様(浅草寺)の本坊である伝法院の僧正へとどけたところ、僧正はご満悦で『隅田川諸白』という名を授けられたという。「諸白」は「清酒」のことだそうだ。
 右の絵は二つの絵をひとつにまとめたもので、「隅田川諸白」と書いてある方は、「隅田川」という酒を造っていた酒屋さんの広告だという。
6b7cd864.jpeg 下の絵は、「隅田川」という酒をつくる水を汲み上げたであろうと思われる辺りの隅田川の絵で、「隅田川」を造った酒屋さんがあった並木町は、この絵の左下延長線上に当たりる。描かれている橋は「吾妻橋」。今は橋の袂が水上バスの発着所になっている。
 隅田川には、たくさんの堀や川を通じて、江戸の町々の下水が流れ込んでいたにも拘わらず、幕末頃までの隅田川の水は実にきれいだったそうである。江戸の下水や堀・川にゴミを捨てることが禁じられていた。下水が堀や川につながる所には、杭が打たれていたり、柵がつくられていて、下水と一緒に流れてくるごみが、堀や川に出ないようにする工夫もされていた。また、最近の都心の発掘調査では「沈澱槽」が掘り起こされた例もあるという。こういった「仕組み」が施されていたことと共に、江戸の下水道には、屎尿を取り込まなかったことが、「江戸」がそのころの西洋とは違った衛生的な都市になっていたと言えるのである。
 
 今朝ほどメールが入っていた。曰く、「 日高様/「隅田川諸白」のこと読みました。美濃屋さんの場所、住所などもう少し詳しく教えて頂けませんか。江戸時代以来のお酒を探しています。/申し訳ありませんがどうぞよろしく。/富士松松栄太夫  M.S 《新内教室》主宰/ 日本ペンクラブ、日本文芸家協会、歴史時代作家クラブ各会員」
 
0940a47f.jpeg 2009年3月9日の爺のブログを見ての問い合わせらしい。早速返信メールを送っておいた。
「美濃屋酒店の住所は 台東区浅草3-41-8 です。一応、地図も貼付しておきます。/私が、購入した時は醸造元は関西のほうだったと記憶します。/「隅田川諸白」の名前だけ頂戴したものだったようです。/まずは、ご返事まで」
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/