瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日は『みどりの日』といって、祝日なのだそうだ。朝食後、隅田公園を散策、花川戸のクロネコでメール便を発送。久し振りに散髪。晴れ渡った五月の街中を歩いてみた。とあるしもた屋の玄関に珍しい白の藤が咲き下がっている。言問通りに出ると雲ひとつない青空にスカイツリーが突っ立っていた。
人家は水の中央に星の散ったように散在し、
あたりの十里は芹のあつものやマコモのご飯のにおいが かんばしい。
端午の節句の後、薫風の吹くころ、
蓮の花の世界と柳糸の郷の好風景を想う。
俗説では、唐の玄宗皇帝が瘧(おこり)を患ったとき、夢に一小鬼が現れ、楊貴妃の紫香嚢と帝の玉笛を盗んで逃げようとするところを、一大鬼が捕らえて目を抉り食い殺したので、「汝は何者なりや?」と問うと、「臣は終南山の鍾馗にして、見た目醜悪のため科挙の試験に落第し、自殺せしも、帝により丁寧に葬られしを恩に感じ、天下に禍をなすものを除くの誓いを立てし者なり」という。夢から醒めると病は俄かに癒ったので、画家の呉道玄(生没年不詳、唐代の画家)に命じて夢に見た姿を描かせたのが、鍾馗像として年の暮れに門戸に貼り邪気を払う風俗の起こりであるという。唐代には歳末に鍾馗の画像を群臣に賜ったといわれ、唐・宋では民間にも盛行した習俗であるが、さらにその起源は六朝にも遡るとみられる。ただ、大晦日の夜にその像をはった旧俗が後世では端午に変り、日本へも5月5日の行事として伝わっている。江戸時代には鍾馗を描いた幟を掲げ、朱で描いた鍾馗を特に疱瘡除けとしており、謡曲の五番目物〈人間以外の異類が登場する能〉『鍾馗』が玄宗の伝説を中心にしていることなど、その関連の深さを思わせる。
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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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