瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日は立春から数えて88日目で「八十八夜」、雑節(24節気以外の季節の変わり目)の1つである。八十八という字を組み合わせると「米」という字になることから、この日は農業に従事する人にとっては特別重要な日とされてきた。また、「八十八夜の別れ霜」といい、この日以降は霜が降る心配がないとされる。この日に摘んだ新茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きすると言われている。
江戸時代には、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われた。大名行列同様、街道筋(東海道、中山道)の住民は土下座などを強要されたことから「お茶壺道中」と呼ばれ、1633年から徳川幕府が倒れるまで続いた。「わらべうた・ずいずいずっころばし」はこの「お茶壷道中」の恐さを唄ったもという。
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくるというのである。
江戸時代には、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するため、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列が行われた。大名行列同様、街道筋(東海道、中山道)の住民は土下座などを強要されたことから「お茶壺道中」と呼ばれ、1633年から徳川幕府が倒れるまで続いた。「わらべうた・ずいずいずっころばし」はこの「お茶壷道中」の恐さを唄ったもという。
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくるというのである。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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