瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
東坡志林 巻一 子瞻患赤眼
餘患赤目、或言不可食膾。餘欲聽之、而口不可、曰、「我與子為口、彼與子為眼、彼何厚、我何薄?以彼患而廢我食、不可。」子瞻不能決。口謂眼曰、「他日我㽽、汝視物吾不禁也。」管仲有言、「畏威如疾、民之上也;從懷如流、民之下也。」又曰、「燕安酖毒、不可懷也。」《禮》曰:「君子莊敬日強、安肆日偷。」此語乃當書諸紳、故餘以「畏威如疾」為私記雲。
〔訳〕《子瞻、赤目を患う》私が赤目を患った。ある人が膾(なます)を食ってはいけないと言ったので、私はその通りにしようと思った。ところが口が反対した。
「いつだったか俺がものの言えぬ病気にかかったとき、お前は相変わらずものを見ていた。それを俺はいけないといってとめはしなかったぞ。管仲の言葉にも『威を畏るること疾のごときは、民の上なり。懐に従うこと流るるが如きは民の下なり(君の威令を病気のように恐れるのは、民の上の部であり、自分の欲望に任せてとどまることを知らないのは、民の下の部である)』とあり、『燕安は酖毒なり、懐うべからず(のんびりと楽をするのは、猛毒のように人に害を与えるから、決してこれに耽ってはならぬ。春秋左氏伝)』ともある。『礼記』にも『君子荘敬なれば日に強く、安肆〔あんし、安逸〕ならば日に偸む』とある。この語は決して忘れぬように、これを紳〔しん、大帯〕に書き留めておくべきである」
そこで私は「威を畏るること疾のごとく」、ひそかにここに書き付けておく。
※『燕安は……云々』の出典は春秋左氏伝。
春秋左氏伝 閔公〔在位BC661~660年〕元年
元年、春、不書卽位、亂故也。狄人伐邢。管敬仲言於齊侯曰、戎狄豺狼。不可厭也。諸夏親暱。不可弃也。宴安酖毒。不可懷也。詩云、豈不懷歸。畏此簡書。簡書、同惡相恤之謂也。請救邢以從簡書。齊人救邢。
〔訳〕元年、春、即位を書かないのは、乱〔で正式の礼が行われぬこと〕のため。狄(てき)の人が邢(けい)を伐った。〔邢は急ぎ触れ文を発し、斉に救いを求めた。〕管敬仲は斉侯に申した。
「戎や狄は山犬・狼ですから、味をしめさせてはなりませぬ。中国の諸侯は親しいものゆえ見殺しには出来ませぬ。又酒宴などの楽しみは酖毒でして、これに慣れてはなりませぬ。詩に、
家居の安きわすれめや
ただこのふみをかしこみて 〔詩経 小雅 出車 より〕
ともうしますが、触れ文〔原文に「簡書」という〕は同じ苦しみを救いあうわけのものでございます。どうぞ邢を救って、この告げ文の義理を果たしたいものでございます」
そこで斉の人が邢を助けに向かった。
※紳とは大帯のことで、古人はとっさの備忘にそれを大帯に書き付けたという(図参照)。出典は論語。
論語 衛霊公篇
子張問行。子曰。言忠信。行篤敬。雖蛮貊之邦行矣。言不忠信。行不篤敬。雖州里。行乎哉。立則見其参於前也。在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。
〔読み下し〕子張、行わるることを問う。子曰く、言うこと忠信にして、行い篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行われん。言うこと忠信ならず、行い篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば其の前に参(まじ)わるを見、輿(こし)に在りては其の衡に倚(よ)るを見て、夫れ然る後に行われん。子張これを紳に書す。
〔訳〕子張が〔自分の意志通りに〕おこなわれるにはどうしたらよいかたずねた。先生がおっしゃった。「言葉が誠実であり、行いが慎重篤実であれば、蛮人の国であっても行われるだろうが、言葉に誠実がなく行いがおろそかでお粗末ならば、故郷の村里でも到底思い通りにはいかないだろう。立っているときはそのことが目の前にちらちらし、また車に乗ったときは車前のくび木によりかかって見える、そんな風であっておこなわれるものだ」 子張はこの言葉を大帯に書き付けた。
餘患赤目、或言不可食膾。餘欲聽之、而口不可、曰、「我與子為口、彼與子為眼、彼何厚、我何薄?以彼患而廢我食、不可。」子瞻不能決。口謂眼曰、「他日我㽽、汝視物吾不禁也。」管仲有言、「畏威如疾、民之上也;從懷如流、民之下也。」又曰、「燕安酖毒、不可懷也。」《禮》曰:「君子莊敬日強、安肆日偷。」此語乃當書諸紳、故餘以「畏威如疾」為私記雲。
〔訳〕《子瞻、赤目を患う》私が赤目を患った。ある人が膾(なます)を食ってはいけないと言ったので、私はその通りにしようと思った。ところが口が反対した。
「いつだったか俺がものの言えぬ病気にかかったとき、お前は相変わらずものを見ていた。それを俺はいけないといってとめはしなかったぞ。管仲の言葉にも『威を畏るること疾のごときは、民の上なり。懐に従うこと流るるが如きは民の下なり(君の威令を病気のように恐れるのは、民の上の部であり、自分の欲望に任せてとどまることを知らないのは、民の下の部である)』とあり、『燕安は酖毒なり、懐うべからず(のんびりと楽をするのは、猛毒のように人に害を与えるから、決してこれに耽ってはならぬ。春秋左氏伝)』ともある。『礼記』にも『君子荘敬なれば日に強く、安肆〔あんし、安逸〕ならば日に偸む』とある。この語は決して忘れぬように、これを紳〔しん、大帯〕に書き留めておくべきである」
そこで私は「威を畏るること疾のごとく」、ひそかにここに書き付けておく。
※『燕安は……云々』の出典は春秋左氏伝。
春秋左氏伝 閔公〔在位BC661~660年〕元年
元年、春、不書卽位、亂故也。狄人伐邢。管敬仲言於齊侯曰、戎狄豺狼。不可厭也。諸夏親暱。不可弃也。宴安酖毒。不可懷也。詩云、豈不懷歸。畏此簡書。簡書、同惡相恤之謂也。請救邢以從簡書。齊人救邢。
〔訳〕元年、春、即位を書かないのは、乱〔で正式の礼が行われぬこと〕のため。狄(てき)の人が邢(けい)を伐った。〔邢は急ぎ触れ文を発し、斉に救いを求めた。〕管敬仲は斉侯に申した。
「戎や狄は山犬・狼ですから、味をしめさせてはなりませぬ。中国の諸侯は親しいものゆえ見殺しには出来ませぬ。又酒宴などの楽しみは酖毒でして、これに慣れてはなりませぬ。詩に、
家居の安きわすれめや
ただこのふみをかしこみて 〔詩経 小雅 出車 より〕
ともうしますが、触れ文〔原文に「簡書」という〕は同じ苦しみを救いあうわけのものでございます。どうぞ邢を救って、この告げ文の義理を果たしたいものでございます」
そこで斉の人が邢を助けに向かった。
※紳とは大帯のことで、古人はとっさの備忘にそれを大帯に書き付けたという(図参照)。出典は論語。
論語 衛霊公篇
子張問行。子曰。言忠信。行篤敬。雖蛮貊之邦行矣。言不忠信。行不篤敬。雖州里。行乎哉。立則見其参於前也。在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。
〔読み下し〕子張、行わるることを問う。子曰く、言うこと忠信にして、行い篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行われん。言うこと忠信ならず、行い篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば其の前に参(まじ)わるを見、輿(こし)に在りては其の衡に倚(よ)るを見て、夫れ然る後に行われん。子張これを紳に書す。
〔訳〕子張が〔自分の意志通りに〕おこなわれるにはどうしたらよいかたずねた。先生がおっしゃった。「言葉が誠実であり、行いが慎重篤実であれば、蛮人の国であっても行われるだろうが、言葉に誠実がなく行いがおろそかでお粗末ならば、故郷の村里でも到底思い通りにはいかないだろう。立っているときはそのことが目の前にちらちらし、また車に乗ったときは車前のくび木によりかかって見える、そんな風であっておこなわれるものだ」 子張はこの言葉を大帯に書き付けた。
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1932/02/04
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