瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
先だって、いとこのYF女史から電話があり、妹の「大木あまり」が角川の月刊雑誌『俳句』3月号に大きく扱われているとのこと。あまりさんは本名を章栄(ふみえ)さんといい、私は伯父の法事などで数えるほどしか逢ったことがないが、伯母(あまりさんの母上)が俳句をやっていたこともあって、俳句を始めたらしい。俳号の「あまり」について「わたし、大木家の末っ子であまり者だったので、 あまり としたのよ」と聞いたことがある。猫が大好きで、家の近くには狸が出没しこれが可愛くて仕方ないと話してくれた。水門会のヤント氏の甥であり、福岡市でクリニックを開く私の甥とは小倉高校で同期生である平出隆氏(1950年~、詩人・エッセイスト)は、あまり女史のファンであると聞く。また、昨年暮れに他界した私の実姉は息子の高校同期である平出隆氏が小倉高校時代だった頃からのファンで平出氏の作品は、できるだけ求めたと聞く。何かしらの因縁を感じ、通販で『俳句』3月号を注文した。昨日その『俳句』3月号が届いた。カラー口絵3枚が巻頭をを飾り、5ページに亙って「大木あまり」女史が取り扱われていた。この4月に初孫の結婚式で上京する予定だった姉は、「今度の上京では あまりさん にも会えるといいわね」と言っていた。姉の遺影の前に早速この『俳句』3月号を供えた。
『俳句』3月号 46ページから
火を使う
青踏といふは闘う一歩かな
あかきもの花壇に咲いて卒業歌
蝶のごと生くるは難し火を使う
対当でゐよう春暮の鴉とは
春夕焼街の向こうに街があり
『俳句』3月号 47ページから
視線の先
掲出の写真は、昭和六十一年(一九八六)の四月、東京千駄ヶ谷区民会館にて牧羊社の十二人の『精鋭句集シリーズ』刊行祝賀会のときに撮影されたものである(十二人は長谷川櫂・田中裕明・夏石番矢・西村和子・島谷征良・大屋達治・能村研三・林桂・大庭紫達・保坂敏子・和田耕三郎・大木あまり)。現在俳壇で活躍されている錚々たる方々だ。また、この解に会に出席された方も片山由美子さんをはじめ、現俳壇を担う方たちであった。
この写真で、私があらぬ方を見ているのは、パーティ会場の出入り口が気になっていたからだ。なかなか田中裕明さんがいらっしゃらないので心配していたのだった。そして、やっと現れた裕明さんは大分遅れてきたにもかかわらず、汗を拭きつつ堂々と挨拶された。その時の印象を作家の倉橋由美子さんが、「あの方、大物ね」とおっしゃったことを、昨日の事のように覚えている。
遅れて来た裕明さんが十二人の中で一番早く逝かれたことが、今もって信じられない。しかし、この1枚の写真の中には、ゆたかな時間が流れたくさんの思い出がある。自分らしい俳句をもとめて、悩みながら歩いてきた歳月の中で、一番輝いている写真なのである。
※『精鋭句集シリーズ』全12巻(牧羊社 1985年)とは、
大木あまり『火のいろに』、大庭紫逢 『氷室』、大屋達治『絢鸞』、島谷征良『鵬程』、田中裕明『花間一壺』、夏石番矢『メトロポリティック』、西村和子『窓』、能村研三『海神(ネプチューン)』、長谷川櫂『古志』、林桂『銅の時代』、保坂敏子『芽山椒』、和田耕三郎『午餐』
※片山由美子:昭和27年千葉県生まれ。「狩」同人。平成2年第5回俳句研究賞受賞。/句集に『天弓』、『風待月』、『季語別 片山由美子句集』ほか。/評論集に『定本現代俳句女流百人』、『俳句を読むということ』(俳人協会評論賞受賞)など。ほかに対談集『俳句の生まれる場所』、エッセイ集『鳥のように風のように』などがある。
※田中裕明(1959~2004年):大阪府大阪市生まれ。大阪府立北野高等学校在学中に波多野爽波に師事し、俳誌「青」に参加。1979年、「青」新人賞受賞、1981年、「青」賞受賞。1982年、京都大学工学部卒業、村田製作所に勤務。この年、角川俳句賞を最年少で受賞(作品「童子の夢」50句にて)。1991年、「青」碧鐘賞受賞、波多野爽波死去、「青」終刊。1992年、「水無瀬野」を創刊、2000年、主宰誌「ゆう」を創刊。2004年、骨髄性白血病による肺炎で永眠。
※倉橋由美子(1935~2005年):(1935-2005)高知県生れ。明治大学仏文科に在学中の1960(昭和35)年、同校の学長賞に応募した小説「パルタイ」が入選。選者の平野謙に文芸時評で推奨され、また芥川賞候補ともなった同作で、1961年の女流文学者賞を受賞。1963年には、その作家活動により田村俊子賞を受けた。『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』『大人のための残酷童話』『交歓』などの作品がある。
『俳句』3月号 46ページから
火を使う
青踏といふは闘う一歩かな
あかきもの花壇に咲いて卒業歌
蝶のごと生くるは難し火を使う
対当でゐよう春暮の鴉とは
春夕焼街の向こうに街があり
『俳句』3月号 47ページから
視線の先
掲出の写真は、昭和六十一年(一九八六)の四月、東京千駄ヶ谷区民会館にて牧羊社の十二人の『精鋭句集シリーズ』刊行祝賀会のときに撮影されたものである(十二人は長谷川櫂・田中裕明・夏石番矢・西村和子・島谷征良・大屋達治・能村研三・林桂・大庭紫達・保坂敏子・和田耕三郎・大木あまり)。現在俳壇で活躍されている錚々たる方々だ。また、この解に会に出席された方も片山由美子さんをはじめ、現俳壇を担う方たちであった。
この写真で、私があらぬ方を見ているのは、パーティ会場の出入り口が気になっていたからだ。なかなか田中裕明さんがいらっしゃらないので心配していたのだった。そして、やっと現れた裕明さんは大分遅れてきたにもかかわらず、汗を拭きつつ堂々と挨拶された。その時の印象を作家の倉橋由美子さんが、「あの方、大物ね」とおっしゃったことを、昨日の事のように覚えている。
遅れて来た裕明さんが十二人の中で一番早く逝かれたことが、今もって信じられない。しかし、この1枚の写真の中には、ゆたかな時間が流れたくさんの思い出がある。自分らしい俳句をもとめて、悩みながら歩いてきた歳月の中で、一番輝いている写真なのである。
※『精鋭句集シリーズ』全12巻(牧羊社 1985年)とは、
大木あまり『火のいろに』、大庭紫逢 『氷室』、大屋達治『絢鸞』、島谷征良『鵬程』、田中裕明『花間一壺』、夏石番矢『メトロポリティック』、西村和子『窓』、能村研三『海神(ネプチューン)』、長谷川櫂『古志』、林桂『銅の時代』、保坂敏子『芽山椒』、和田耕三郎『午餐』
※片山由美子:昭和27年千葉県生まれ。「狩」同人。平成2年第5回俳句研究賞受賞。/句集に『天弓』、『風待月』、『季語別 片山由美子句集』ほか。/評論集に『定本現代俳句女流百人』、『俳句を読むということ』(俳人協会評論賞受賞)など。ほかに対談集『俳句の生まれる場所』、エッセイ集『鳥のように風のように』などがある。
※田中裕明(1959~2004年):大阪府大阪市生まれ。大阪府立北野高等学校在学中に波多野爽波に師事し、俳誌「青」に参加。1979年、「青」新人賞受賞、1981年、「青」賞受賞。1982年、京都大学工学部卒業、村田製作所に勤務。この年、角川俳句賞を最年少で受賞(作品「童子の夢」50句にて)。1991年、「青」碧鐘賞受賞、波多野爽波死去、「青」終刊。1992年、「水無瀬野」を創刊、2000年、主宰誌「ゆう」を創刊。2004年、骨髄性白血病による肺炎で永眠。
※倉橋由美子(1935~2005年):(1935-2005)高知県生れ。明治大学仏文科に在学中の1960(昭和35)年、同校の学長賞に応募した小説「パルタイ」が入選。選者の平野謙に文芸時評で推奨され、また芥川賞候補ともなった同作で、1961年の女流文学者賞を受賞。1963年には、その作家活動により田村俊子賞を受けた。『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』『大人のための残酷童話』『交歓』などの作品がある。
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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