瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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528aed5c.JPG 昨日、鳴尾の雄さんから手書きのはがきを貰った。此処何年も手書きの便りや文書を書いたことの無い爺であるが、こういう便りを戴くと何か血の通った暖かさを感じる。

 昨夜は、隅田公園の横の大通りの道路工事があって、一晩中騒音で眠れなかった。東京の日の出は4時30分前後である。昨日と同じコースで隅田川を一巡する。今日の道程は10196歩、6.62km。
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 風もなく隅田川の川面は何時に無く穏やかである。桜橋の西詰めでみるスカイツリーは隅田川も狭くその姿全体を川面に写しきれないほどである。
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55122e4f.jpg そのまま隅田川に沿って北上。明治通りを横切って荒川区の遊歩道に入ると土手にはシロツメグサが所狭しと咲き誇っている。水神大橋までくると防災団地の北の端から、まっかな朝日が顔を覗かせている。橋を渡り、東白鬚公園から墨堤通りを抜けて帰宅した。

 今朝の毎日新聞にから。
風知草:「小沢問題」とは何か ―― 「小沢問題」とは何か。そこがはっきりしないまま、政治攻防が白熱している。/小沢一郎民主党幹事長の側から見れば、それは政治資金の虚偽記載である。本人が不起訴だった以上は事実無根、検察は暴走でマスコミはウソ八百――ということになる。/だが、世評は違う。虚偽記載は疑惑の断片に過ぎない。背景にいろいろな問題が見え隠れしているが、小沢は「違法ではない」という以上の説明をしない。それで批判される。/小沢はマスコミを軽蔑(けいべつ)しながら、風向き次第でマスコミに乗る。万事、参院選にらみの宣伝戦と割り切っているような幹事長ぶりも含めて「小沢問題」だと筆者は思う。/折しも増税と財政再建論議が活発化しているが、この問題に対する小沢の主張はいつも逆向きだ。高速道路をつくれ、公共事業のインサイダー情報を流せという調子。大政党の運営は一筋縄ではいくまいが、進んでテレビに出て国民に苦心を語ったためしがない。/まだある。税金のムダ遣いを洗い出す「事業仕分け」は政権の看板政策だが、小沢には政党交付金(税金)にまつわる不明朗な逸話がある。/90年代以降の政党の離合集散の過程で、小沢が深くかかわった新生党や自由党の政党交付金数十億円の行方が分からないままになっている。
 法の不備で責任は問えないのだが、それをよいことに、小沢はこれも説明しない。事業仕分けの精神と相いれない。同じ税金だ。こういうセンスの人物が改革政党の幹事長でいいのかという疑問がある。これも「小沢問題」である。◇ 検察審査会が小沢起訴を求める議決をしたのが4月27日。連休明けの5月10日、小沢は女子柔道の五輪金メダリスト・谷亮子の参院選(比例代表)出馬を発表している。/谷の出馬会見に同席した小沢は、谷のすごさは「たゆまぬ努力と不撓(ふとう)不屈の精神」であると3度繰り返した。/「ただ漫然と偉業を達成したわけではない。自ら鍛え、工夫し、理想、目標に全力で立ち向かっていく生き方は、今日の日本社会では希薄になりかけたものであり、共感を覚えておるところでございます」/小沢の賛辞には自らを鼓舞する響きがあった。/先週末の15日、小沢は検察審の議決に伴う検察の事情聴取に応じた。衆院政治倫理審査会にも出席するという。
b9d5de3e.JPG 参院選が迫り、内閣支持率が続落する中、首相、幹事長の辞任がささやかれていた。小沢の聴取応諾も、政倫審出席も、それによって地位を保ち、首相ともども正面突破するための布石とみられている。◇ 幹事長辞任を促す世論調査に反発した小沢が、「小沢はけしからん人物だという報道が続いた後の調査」だから当たり前だろう、と記者会見で言い放ったことがあった。/検察が小沢の不起訴処分を発表して間もない2月8日。小沢は「潔白だったという報道を続けていただき、その後で調査していただければ」とつけ加えた。小沢らしい。/世論は微妙だ。小沢が言うように、気まぐれな面がある。世論は「小沢問題」をどうとらえるのか。単に政治資金規正法違反問題と見るのか、改革政党の幹事長の資質を問うのか。大事な局面だ。(敬称略)(毎週月曜日掲載)―山田孝男
 世論調査での民主党乃至内閣支持率は低下を続け、それと比例するかのように小沢幹事長への非難が日増しに増大しているように思える。しかし、民主党は政権を執ったばかり、素人集団である内閣閣僚をきちんと教育・指導できるのは小沢幹事長をおいて他には居ないのではないだろうかとも思える。今日のウェブニュースから。
1f4efe52.JPG 中曽根氏が自著で小沢氏を評価 小泉氏は「期待外れだった」 ――  「節度を重んじ、重大な出るべき時に推進力になったら、戦後政治に名を残す政治家の一人になるだろう」/中曽根康弘元首相は、今週発売の自著「保守の遺言」(角川書店)で、民主党の小沢一郎幹事長を評価した。政治姿勢にも言及し、「古い政治家の仲間、金権体質、バラマキ政治家だと見られたりしているが、少々違う」との見方を示した。/民主党に対しては、「鳩山由紀夫首相、小沢氏、菅直人副総理・財務相の協力関係が崩れたとき、政権が自民党に移るという危惧(きぐ)を絶えずもった方がいい」と忠告。自民党には「与党時代に身につけたぜい肉を落とし、筋肉を鍛え直す時期だ」と指摘した。/一方、書名にある「保守」については「不易と流行」と説明。小泉純一郎元首相の政治手法を引き合いに出し、「流行ばかりで不易がない。期待外れであった」と切り捨てた。  (産経ニュース、2010.5.13 18:21)
1a7153a4.JPG 聴取4時間半、「潔白」繰り返した小沢氏 ――  自らの資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件を巡り、東京第5検察審査会から「起訴相当」の議決を突きつけられた小沢一郎・民主党幹事長(67)は15日夜、東京地検特捜部の3度目の事情聴取を受けた。/前回の聴取から3か月半。休憩を入れず、4時間半に及んだ聴取で、小沢氏は「潔白」の主張を繰り返したが、同会の事務担当者だった石川知裕衆院議員(36)(起訴)の供述とは大きく食い違っている。/小沢氏は、午後0時15分頃に黒っぽいスーツ姿で東京都世田谷区の自宅玄関前に姿を現した。険しい表情で車に乗り込むと、港区元赤坂のマンションにある個人事務所に寄り、2時半過ぎ、事情聴取の行われた千代田区のホテルに到着した。/人目を避けるためか、一般客が利用する入り口ではなく、ホテル裏手の食品や資材などを搬入する「仕入専用口」から車でホテル内に入った。午後5時頃から始まった聴取は約4時間半。同10時過ぎ、正面の出入り口から車でホテルを出た小沢氏は、口を真一文字に結び、正面を見据えていたが、表情にはやや疲れも見えた。/特捜部が今回の聴取を小沢氏側に要請したのは12日。小沢氏側は14日、17日までの3日間を指定して聴取に応じる意向を伝え、この日の聴取となった。/ 小沢氏はこれまでの記者会見などで、同法違反事件への関与を全面的に否定してきているが、石川被告は、小沢氏の関与を示す場面を具体的なやりとりを交えて供述していた。この日の事情聴取でも、この点が改めて問われたとみられる。/石川被告は、陸山会が2004年10月に購入した東京都世田谷区の土地代金などとして支出した約3億5200万円や、小沢氏が代金に充てるため用意した4億円を同年分の政治資金収支報告書に記載しなかったとして起訴された。/石川被告の供述によると、石川被告は04年10月下旬頃、小沢氏が用意した現金4億円が表に出ないようにするため、土地の所有権移転登記を翌05年1月にずらすことを小沢氏に提案。小沢氏は「そうか。そうしてくれ」と了承したという。登記をずらすことは、04年分の同会の収支報告書に土地代金などの支出を記載しないことを意味していた。/これまでの小沢氏の主張は、「(購入した土地の)所有権移転日をなぜ翌年にしたかわからない」「収支報告書の記載内容について相談されたり、報告を受けたりしたことはない」というもので、石川被告の供述と対立している。/また、同会は土地代金の支払い直後、新たに組んだ4億円の定期預金を担保に、小沢氏名義で銀行から同額の融資を受けていた。石川被告はこの融資について、小沢氏が用意した4億円が表に出ないようにするための工作だったことを認めた上で、「小沢先生にもそう説明し、『おう、分かった』と了承を得た」と供述していた。/東京第5検察審査会も「隠蔽(いんぺい)工作」と指摘した融資について、小沢氏は「具体的な事務処理についてはわからない」とし、以前に陸山会が不動産を購入した際も、個人での借り入れを要請されたことがあったことから、融資申込書に署名したとの説明にとどまっていた。/石川被告が「陸山会など関連政治団体の04年分の収支概要を小沢先生に報告していた」とする点については、小沢氏も認めているものの、内容については、「一つ一つ確認したことはない」として、不記載の認識はなかったとしている。  2010年5月16日03時03分 読売新聞)

 三社祭は必ずと言っていいほど雨に見舞われることが多いのであるが、今年は天気は上々、気温も暑からず寒からず、聖天町への「三宮」神輿の渡御は午後4時20分ということであったが、40分ほど遅れた。
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今日は三社様(淺草神社)の祭礼。浅草寺縁起(由来)については飛鳥時代に遡る。推古天皇36(628)年3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。
 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されているという。
 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山し、お前立のご本尊を謹刻したという。
 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者が訪れる、民衆信仰の中心地となっている。
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 夕刻、我が家の前を町内神輿が通った。


8cafbef2.JPG 今日は午後から名物大行列が見番前から出発し、柳通り→馬道→雷門通り→仲見世と淺草神社(三社様)まで、《囃子屋台~金棒、鳶頭木遣~びんざさら舞~芸子、手古舞、組おどり~白鷺の舞屋台など》が練り歩く。

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まだ明け切れぬ山谷堀を抜けて地方橋へ。馬道通りを横切り千束通りに入った所でポツリと冷たいものが落ちてきた。小松橋通りから国際通りに出て、言問通りに来ると空模様はどうにか持ちそうなので、言問通りを西進、入谷鬼子母神から昭和通を南下、かっぱ橋本通りを東に進んで、奥山のお参り街から浅草寺の境内に入る。二天門を潜り東参道から江戸通りを北上して帰宅した。
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27546e59.jpg 東京の日の出は午前4時40分頃。今朝は寝坊して家を出たのは5時10分。外ではもう陽があたっているが、風は冷たい。墨堤通りを北上、東白鬚公園の南ゲートから梅若橋を越え北ゲートを出て、再び墨堤通りに。綾瀬橋を渡りイニシア千住曙町のテラスを通って、千住汐入大橋を渡り汐入公園を南下し、帰宅した。11270歩、7.32kmの徘徊と記録されていた。
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b08b3c1b.jpg  川筋に沿って青シートの小屋が方々に見られるが、季節が暖かくなる従って公園のベンチ、ガード下などには毛布に包まったホームレスの姿が多くなる。川を上り下りする船も多くなったように思える。土手にはシロツメグサの絨緞が広がり、ぺんぺん草やヒメジョオンの花が見られる。よく見ると紫陽花も花芽を付けている。
 このブログを始めたのは2008年5月14日(水)とあるから、今日で丸々2年描き続けたことになる。まあ、我ながら埒もない駄文や同じような写真を恥じらいも無くよく載せてきたものだと感心する。
 朝刊(朝日)1面に「小沢氏、政倫審出席へ」の見出しが目に入る。今朝のウェブニュースから。
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46c4320c.JPG  小沢氏が政倫審出席の意向 再聴取を意識し、“みそぎの場”に利用か ――  民主党の小沢一郎幹事長が衆院政治倫理審査会(政倫審)で弁明する意向を党幹部に伝えたのは、夏の参院選に向けて、自ら説明責任を果たしたとアピールする方が得策と判断したためのようだ。衆院で過去8回開かれた政倫審は原則非公開で、登院自粛などの勧告はできるが証人喚問とは異なり偽証罪には問われない。これまでも疑惑持ち議員が、“みそぎの場”として利用してきた。/東京地検特捜部が小沢氏に3回目の事情聴取を要請した12日夕、小沢氏は国会内の幹事長室で、山岡賢次国対委員長、三井辨雄(わきお)国対委員長代理と会談した。/山岡氏が「ご自身で説明されたらいかがでしょう」と意見具申すると、小沢氏は「そうだ。いつでも出る」と応じた。/民主党幹部は「これまでも幹事長は『きちんとした場で説明したい。政倫審はおれが作った』と言っていた」と語った。/ただ、小沢氏は2月には「どこであれ話すが、政倫審であれ、何であれ、検察の捜査に勝るものはない」と述べ、出席に否定的な考えを示していた。しかし、内閣や党の支持率低下がやむ気配はなく、国会では自民党が小沢氏の証人喚問や参考人招致に応じることが法案審議の前提だと主張してきた。小沢氏が政倫審出席の意向を示したのは、特捜部による事情聴取要請も意識したものとみられる。/政倫審出席後、議員辞職に追い込まれたのは、平成14年に秘書給与流用疑惑がもたれた田中真紀子元外相だけ。◇民主党幹事長室は12日夜、小沢氏に対する事情聴取について報道各社に「何か具体的な動きがありましたら、記者会見やぶら下がり取材でしっかりと対応致しますので、バイクなどでの追跡は控えていただければ幸いです」と要望した。    (産経ニュース、2010.5.13 00:43)
 昨日は午後3時30分、家を出て花川戸のクロネコで友人向けの冊子4部と親戚向けのCD4セットをメール便で発送。その足で渋谷に向う。約束は「午後4時50分、到着ホーム最終部の改札を出て階段を降りたところ」と言う指示。
33c158d5.jpg 渋谷到着は4時20分。久し振りの渋谷ゆえ少し歩いてみようと、最終部改札をでると階段を降り、約束の場所を確かめて、駅の周辺を散策。再び、約束の場所に来たのが4時40分。ここで待つこと30分、5時10分を過ぎたが相手の姿なし。最初の待ち合わせ場所ハチ公像周辺を回ること2度。階段を上下すること3度。
 諦めて、帰宅すると6時を過ぎていた。いきなり婆様がガミガミ。反発すればこちらが不快になるだけ。「今日は結婚記念日だ」と竹輪耳を決め込む。相手は午後4時30分から改札口で待っていたとのこと。まあ、善意のすれ違い。いたし方あるまい。
 今日は、雨模様。徘徊は止める。
 今日は、爺の61回目の結婚記念日。1959(昭和34)年5月11日、九段会館で20名ほどの形ばかりの結婚式であった。全部嫁はんの実家におんぶに抱っこの式であった。5月2日に甥の息子の結婚式に出席したが、格段の差を感じた。
 幡ヶ谷に間借りをしての新婚生活であったが、この春から始ったテレビドラマの「ゲゲの女房」の生活そのままであった。今まで朝ドラは余り見なかったのだが、そんなわけで今回の朝ドラは徘徊から帰宅すると7時45分からBS2で欠かさず見るようにしている。
 今日は午後から横浜のN兄と渋谷で会う約束をしているし、朝から雨模様なので大事をとって徘徊を休んだ。甥の息子の結婚式に撮った写真を整理して、両家と当事者であるM&Sご両人にCDを送付することにした。
 今朝のウェブニュースから。
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e365d343.JPG 普天間5月末決着先送り、閣僚から意見相次ぐ ―― 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題の5月末決着先送りについて11日、閣僚から解釈の異なる意見が出された。/北沢俊美防衛相は「5月末の姿をどうみるかの話で、交渉が残るのは仕方ない。大きな枠組みをつくり、どの程度のものが解決でき、どの程度のものを5月末以降も協議していくかは当然現れる」と述べ、決着を先送りせざるを得ないとの見方を示した。米国、地元、連立与党の3者の合意については「全部クリアできれば一番いいが、少なくとも連立与党の合意は早急にやらないといけない」。地元との調整については「誠心誠意、説明する」と語った。/一方、前原誠司国土交通相(沖縄北方担当相)は「5月に何らかの決断をして、さらにそれを進めていくということだ」と述べ、5月末決着を先送りする考えはないとの認識を示した。ただ「米国、地元、連立与党の3者が大きなファクター。地元にも賛成論もあれば反対論もある。5月31日で100%の方々に賛成を得るということはなかなか難しい」と指摘した。/国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は「地元の感情、日本国民全体の感情、米国の軍事政策上の観点をきちんと満足させる案が手品みたいに一挙にできないからといって、批判しまくるのはどうか」と鳩山由紀夫首相を擁護。「5月末までにピタリとすべてがオーケーだという状況が出ないからと言って、『けしからん。連立政権を解消します』とはならない」と予防線を張った。
(産経ニュース、2010.5.11 11:13)
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0aa41524.jpg 未だ暗い午前4時過ぎに家を出る。昨日は母の日で、両国で5月場所が始った。自然と脚が南に向く。旧暦27日の月が言問橋の上に出ているが、時々風に流される雲に隠れる。隅田公園を抜けると、江戸通りを南下、駒形、蔵前、柳橋を通って、両国橋へ。
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9657a8ae.jpg 両国橋を渡ると陸奥部屋の前を通って国技館に出る。5時を過ぎようかというのに、ガラス越しに見える稽古場は真っ暗で人影は見えない。一昔前は暗いうちから4時ごろから稽古が始ったものだが、相撲界も色々の事情抱え厳しさが減ったのかな。それとは逆に幟は派手なものばかり。
b0297440.jpg 両国の水上バスステーションからテラスに降りて、吾妻橋まで北上。吾妻橋を渡ると隅田公園を北上して帰宅した。




 寝坊して5時に起床。5時10分に家を出ると台東区がわの隅田川を北上。左に石濱神社を見ながら荒川区の遊歩道を北上。汐入公園に入る。胡録トンネル上の展望台ではオオムラサキツツジが満開。バーベキュー広場では地元の爺ちゃん婆ちゃんが集まって太極拳をやっている。汐入公園内のさくら橋を渡り、千住汐入大橋に出る。イニシア千住曙町のテラスに立つと水神大橋と千住汐入大橋の間で隅田川が大きく彎曲しているのが判る。墨堤通りから東白鬚公園の北ゲートから公園内に入る。梅若橋を越えた木母寺前には地元の人々が集まっている。時計を見ると6時30分、ラジオ体操が始まる時刻である。
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959a5ce0.jpg 5月8日というのに、まだ片付けられていない向こうにスカイツリーが聳え立つ。南ゲートから明治通りと墨堤通りの交差点に出る。墨堤通りを南下、桜橋を渡って帰宅する。時に7時10分。本日は少々歩きすぎかな? 万歩計は13402歩、8.71㎞と記録されていた。

 最近の政治の迷走ぶりはどういうことなのだろう。老子先生曰く、「夫輕諾必寡信、多易必多難。(それ軽諾は必ず信寡く、易きこと多ければ必ず難きこと多し。)」
 まあ、我々凡人はそれに半分は棺おけに足を突っ込んでいる爺は「いまは黙して行かん、なにを また語るべき」やである。 今朝のウェブニュースより。
5月末に民主党"反小沢クーデター"勃発 小沢辞任で民主党は蘇るのか ――
 鳩山政権がなぜ、発足から短期間でここまで追い込まれたのか。
 政策の転換には、それを押し戻そうとする霞ヶ関の巨大な慣性力が働く。普天間問題では、鳩山首相は首尾一貫して、「県外、できれば国外」に移転すると言って来たが、まとめ役である平野官房長官、岡田克也・外相、北沢俊美・防衛相の担当3大臣がバラバラに案を練り、動いたことでいたずらに時間がかかり、事態が一層こじれた。/理由は簡単である。本来、総理の方針に沿って動かなければならない防衛省と外務省の事務方が、小泉政権時代に両省が決定した「辺野古沿岸案」に戻すために、サボタージュしたからだ。/「外務省も防衛省も政治主導を掲げる大臣たちに好きにやらせながら、面従腹背で米国には『全部の案を蹴っていれば最後は元に戻る』とささやいていた。そのため総理や平野長官は最後は役人に『知恵を出せ』と泣きつき、当初案の微修正でお茶を濁すしかなくなった。素人同然の大臣たちなど、赤子の手をひねるようなものでしょう」(首相官邸スタッフ)。/総理や大臣の力量不足と言ってしまえばそれまでだが、官僚を動かすには良くも悪くも「権力」が必要なのだ。普天間問題では首相官邸がすべて取り仕切り、権力者の小沢幹事長がにらみを利かせなかったことが官僚のサボタージュを成功させたという側面があることは否定できない。/官僚が民主党政権を手玉に取るには、「権力」を空洞化させることが一番都合がいい。つまり、小沢失脚である。東京地検特捜部が執拗に小沢氏への捜査を続けるのも、そう見るとわかりやすい構図だろう。実は、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の政治資金事件で特捜部が今年2月に小沢氏本人の「不起訴」の方針を決めた後も、検察側はあきらめていなかった。/最高検はその直後の3月1日付けで最高検検事の大鶴基成氏を東京地検次席検事に異動させた。大鶴氏は元特捜部長で陸山会事件では最高検の東京担当として佐久間達哉・現特捜部長を指揮して捜査を主導した人物であり、着任後は特捜部長時代の部下を集めて水面下で小沢氏周辺の捜査を継続させていた。そこに検察審査会の「起訴相当」の議決がでたことで、再捜査の大儀名分を得た形となった。/検察は3ヶ月後の7月末までに改めて小沢氏を起訴するかどうかの結論を出すが、実際にはそんなに時間の余裕はない。今年6月中旬には検察首脳人事が行われ、樋渡利秋・検事総長が退任して後任には大林宏・東京高検検事長が就任することが固まっている。それを受けて佐久間特捜部長らも交代すると見られており、"小沢氏起訴"に持ち込む場合、タイムリミットは6月だ。小沢VS特捜部の戦いはこの6月に最終段階に入るとみていい。しかも、それを過ぎると検察には不利な材料が重なる。
f35a0439.JPG  検察は陸山会事件の前に、昨年3月には東京地検が西松建設事件で小沢氏の公設秘書だった大久保隆規・被告を逮捕し、6月には大阪地検が当時の民主党副代表・石井一参院議員の口利きで身体障害者団体の偽の証明書を発行したという事件で厚生労働省の村木厚子・元局長を逮捕した。/総選挙前に民主党の代表と副代表がからんだ事件を摘発したことで検察は、「政権交代をつぶすための政治的捜査ではないか」との批判をあびたが、その後の両事件の公判で、証人が次々に供述を翻して捜査を批判するなど、検察は不利な立場に立たされている。とくに厚労省の女性元局長の公判では、石井は関与しておらず、事件そのものが大阪地検特捜部の"でっちあげ"による冤罪だった可能性が強まっている。その判決は7月に予定されており、無罪判決が出ると検察の一連の捜査がやっぱり政治的なものだったと大きな批判を浴びるのは間違いない。/「陸山会事件では特捜部は小沢氏を立件するための証拠が足りず、起訴しても公判維持は難しいと判断された。それは今も変わらないが、一連の判決前に小沢氏が辞任に追い込まれれば、特捜部はたとえ小沢氏を起訴できなくても政治的に勝利できる」(検察OB)。/検察側も民主党内の"反小沢クーデター"を期待するという本末転倒ぶりだ。/まさに国民不在の政争ではないか。
(政界インサイドレポート2010年5月 8日 08:00 ◆小沢再捜査に走る検察の事情)
 

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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