瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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6月8日気象庁が、関東甲信地方の梅雨入りを発表したようです。6月8日ごろの関東甲信地方の梅雨入りは平年並みの早さで、昨年(2014)の6月5日よりは3日遅いといいます。ただし、今回の発表は速報値で、「後日、春から夏にかけての実際の天候経過を考慮した検討を行い、その結果、この情報で発表した期日が変更となる場合」もあるとのことです。また、梅雨の入り・明けには平均的に5日間程度の「移り変わり」期間があり、今回発表した期日は移り変わりの期間のおおむね中日を示しているといいます。なお、関東甲信地方の梅雨明けは、平年7月21日ごろとなっているそうです。
 
今日は朝から雨で、退院後2度目の検診日なので、徘徊は見合わせました。朝食後雨の中を三井記念病院へ。採血検査の結果は良好といいます。次の検診日は9月1日(火)だそうで、薬も99日分が出されました。

 そのうち、慣れてくれば食欲も出てくるだろうとのことです。完全に元に戻るには3か月から1年は見ておく必要があるとのことでした。

 ウェブニュースより、
 
社説:安保転換を問う 「違憲」の波紋 ――  集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案は憲法違反だと、国会で憲法学者3人が指摘したことの波紋が広がっている。政府・自民党が違憲ではないと強弁すればするほど、論理の苦しさが浮かび上がる。/菅義偉官房長官、自民党の高村正彦副総裁、谷垣禎一幹事長らは、憲法の最終的な解釈権が最高裁にあり、憲法解釈変更は、砂川事件の最高裁判決(1959年)の法理論の範囲内だと主張している。/この判決は、最高裁が自衛権について憲法判断をした唯一の判決だ。憲法9条のもと、日本の自衛権を認め「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」とした。/菅氏は、記者会見で、判決のこの部分を読み上げ「違憲との指摘は当たらない。憲法の番人である最高裁が決定することだ」と述べた。/だが、判決が認めたのは個別的自衛権であって、集団的自衛権ではない。昨年、憲法解釈を変更する過程で、公明党もそう主張した。そこで政府・自民党は、判決の一部を引用した72年の政府見解を根拠にする方針に切り替え、「自衛の措置」には集団的自衛権の行使が含まれると強引に結論づけた。/今回、72年見解に基づく憲法解釈変更を憲法学者から「説明がつかない」と批判され、また最高裁判決に戻って反論を試みたわけだ。憲法の最終的な解釈権は憲法学者ではなく最高裁にあると言うためだろう。/政府・自民党は、砂川事件の最高裁判決にはこだわるのに、衆参両院の「1票の格差」訴訟では、最高裁で「違憲状態」判決を受けても迅速に対処せず、判決を軽視するような態度をとっている。憲法に対して、ご都合主義と言わざるを得ない。/日本の裁判所は、抽象的な違憲審査は行わず、具体的な争いが起きて初めて訴訟として認められる。政府や国会は、立法過程で法律が憲法に適合するかどうか、憲法学者らの意見にも耳を傾けながら、慎重な判断を求められるはずだ。/政府・自民党の反論が苦しいのは、憲法違反の集団的自衛権の行使を無理に認めさせようとするからだ。/中谷元防衛相は衆院の特別委員会で「現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえて閣議決定を行った」と述べた。憲法に適合するように法律を制定するのではなく、政府が制定したい法律に適合するように憲法の解釈を変えたということだ。/憲法98条は、憲法に反する法律は無効と定めている。政府の論理は逆立ちしている。   (毎日新聞 20150609日 0232分)

 昨日の午後、塾友のYM女史から携帯にメールが入りました。曰く、
 FW:こんにちは。 まだまだ食欲がないとのこと。/私も同じようなものです。あまり思いつめないようにしようとは思っているのですが、食べないと、すぐ痩せちゃうので、いやいやながら食べています。/うちの父も、とうとう大好きな車を手放しました。85歳までは運転したいと言っていましたが、目が見えなくなって来たということで、なくなく決心したようです。かわいそうではありますが、他人様にケガなどさせる前でよかったと思っています。 6月7日1543分 YM

 関東地方の梅雨入りのニュースはまだありません。今朝も4時に起床、4時
20分頃家を出て、隅田公園を一回りしてきました。言問橋の西詰めに来た頃向こう岸から真っ赤な太陽が昇ってきました。時計を見ると4時40分 ―― 因みに新聞の「今日の暦」欄によると今日の日のでは4時25分とありました。まあ、何時もの見慣れた光景ではありますが、カメラに納めました。
  

 ウェブニュースより

 石原元都知事、病院に搬送 島根で講演、「頭重い」 ―― 7日午後4時25分ごろ、島根県益田市有明町の島根県芸術文化センター「グラントワ」で、講演した石原慎太郎元東京都知事(82)が体調不良を訴えていると119番があった。石原氏は、救急車で益田赤十字病院(益田市)に搬送された。/益田広域消防本部によると、搬送時に石原氏は意識があり「頭が重たい感じがする」と話していたという。何人かに支えられてストレッチャーに乗せられ、救急車に運ばれた。/益田赤十字病院は「何もお答えできない」と話している。
 石原氏は昨年12月の衆院選で、次世代の党から比例代表東京ブロックに立候補したが、落選した。  (201567 2225分 共同通信)

 退院して、2週間が経過しました。相変わらず食欲がありません。でも栄養剤等で体重は54kg台を保っているようです。
 今朝も4時に起床、隅田公園を一回りしてきました。昨日と今日は今戸神社のお祭りだというので、帰路今戸神社に寄ってみました。
 今戸神社は、康平6(1063)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれ、祭神として応神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・福禄寿が祀られているということです。

 境内には「今土焼発祥の地」の碑がありますが、古文献には招き猫の発祥と当社に関する文献上の記録や言い伝えは確認されておらず、招き猫と当社との結びつきを示すものはありません。
 武江年表(「武江」とは武蔵国江戸という意味で、徳川家康が江戸に入った天正181590)年から明治6(1873)年までの市井の出来事が編年体で纏められている地誌)の嘉永5年の項の記述によりますと、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草寺境内三社権現(現浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったといいます。これが招き猫の発祥ともいわれており浅草寺や浅草神社に由来するものとしての記録ではありますが、今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものではありません。平成の招き猫ブームのと縁結びパワースポットのブームに乗り自ら招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになりましたが、本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治由来の今戸焼の招き猫とは何ら関係のないものであり、考証的には伝統的なものとは全く関わりのない平成の産物として見る必要がありましょう。本殿に祀られている大型の招き猫や社務所から授与されている土焼き製、磁器製の招き猫ともども形状は戦後の常滑(愛知県)産招き猫の造形から影響を受けたものと考えられるそうです。
 当神社は幕末の志士・沖田総司の終焉の地ともいわれています。これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきているのだそうです。
 絵馬は他の神社では見られない「真円形」のデザインの絵馬でありますが、これは縁と円の語呂を掛け合わせたモダンなデザインのものとなっています。

 ウェブニュースより
 中国客船転覆 危険運航常態化か…ツアー参加者「老朽化、不自然な構造」――  中国湖北省の長江(揚子江)で456人乗りの客船「東方之星」が転覆した事故の衝撃が広がっている。現場は中国で人気のツアーコースだったが、悲劇の兆候は事故前から現れていた。安全面での不安が指摘され、過去にツアーに参加した旅行客からは「船はボロボロで明らかな改造の痕跡もあった」との証言も出ている。危険な状態での運航が常態化していた疑いが浮上している。
 事故は発生から5日が経過。新華社電によると、死者は6日までに計331人となった。生存者は2日までに救助された14人にとどまっている。
 中国の船舶事故では最悪規模の400人以上の犠牲者を出す見込みが強いが、その多くは、現地で人気の高いクルーズツアーの参加者だった。
 「事故が起きた航路は、長江のクルーズツアーの定番コースとして知られていた。旅行ブームの中国では、客船で重慶や武漢などの都市を経て、湖北省にある三峡ダムを巡るツアーが人気が高かった」(現地事情に詳しい外交関係者)
 地元メディアによると、事故が起きたツアーは上海の旅行会社が、「長江三峡に沈む夕日」をうたい文句に売り出したものだった。南京を出発し、11日間の日程で武漢などを経て重慶に到着する予定で、参加者の多くは5080歳までの中高年層だった。参加費用は「2万~5万円程度」(同)と、クルーズツアーとしては割安だが、その内容は価格に見合ったものだったようだ。
 

 現地の口コミサイトには「客室は狭く不衛生」「豚のエサのような食事しかできない」などと悪評がズラリ。なかには「安全面で不安が残る」との指摘もあった。
 一方、2009年に事故を起こした客船を運航する国営企業「重慶東方輪船公司」の別の客船に乗って、クルーズツアーに参加した中国人実業家は、今回の事故にもつながる危うさを感じ取っていた。
 「『豪華客船』とうたいながらも、船は廃船間際で老朽化がひどかった。外壁はつぎはぎだらけで、中も不自然な構造になっていた。明らかに違法な改築が加えられていたようだった。そんなボロ船にも関わらず、数百人の乗客がいた。下船する時に混雑が起きて、降りるのに1時間30分もかかったのを覚えている」
 現地のニュースサイトは、転覆した客船が違法な改築を繰り返し、一部構造が基準に合致しなくなっていた疑いを報じている。問題の船会社が、危険な運航を繰り返した末に大事故を引き起こした可能性もある。
 起こるべくして起こった悲劇なのか。  (夕刊フジ zakzak 20150606

 ウェブニュースより

 安保法案 参考人全員「違憲」 衆院憲法審 与党推薦含む3氏 ――  衆院憲法審査会は四日午前、憲法を専門とする有識者三人を招いて参考人質疑を行った。いずれの参考人も、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案について「憲法違反」との認識を表明した。自民、公明両党の与党が推薦した参考人を含む全員が違憲との考えを示したことで、衆院で審議中の法案は憲法の枠内だとの政府の主張に対する疑義が鮮明になった。
 参考人として出席したのは、自民、公明、次世代の各党が推薦した長谷部恭男(はせべやすお)早稲田大教授、民主推薦の小林節(こばやしせつ)慶応大名誉教授、維新推薦の笹田栄司(ささだえいじ)早稲田大教授の三人。
 長谷部氏は、安保法案のうち集団的自衛権の行使を容認した部分について「憲法違反だ。従来の政府見解の論理の枠内では説明できず、法的安定性を揺るがす」と指摘。小林氏は「私も違憲だと考える。(日本に)交戦権はないので、軍事活動をする道具と法的資格を与えられていない」と説明した。笹田氏も「従来の内閣法制局と自民党政権がつくった安保法制までが限界だ。今の定義では(憲法を)踏み越えた」と述べた。
 いずれも民主党の中川正春委員の質問に答えた。法案提出前の与党協議を主導した公明党の北側一雄委員は「憲法の枠内でどこまで自衛の措置が許されるかを(政府・与党で)議論した」と反論した。
 国際貢献を目的に他国軍支援を随時可能にする国際平和支援法案が、戦闘行為が行われていない現場以外なら他国軍に弾薬提供などの後方支援をできるようにした点について、長谷部氏は「武力行使と一体化する恐れが極めて強い。今までは『非戦闘地域』というバッファー(緩衝物)を持っていた」と主張した。
 小林氏は「後方支援は特殊な概念だ。前から参戦しないだけで戦場に参戦するということだ。言葉の遊びをしないでほしい。恥ずかしい」と述べた。
 審査会は、参考人が立憲主義や改憲の限界、違憲立法審査をテーマに意見を述べた後、各党の委員が質問する形で進められた。
 安保法案をめぐっては、憲法研究者のグループ百七十一人が三日、違憲だとして廃案を求める声明を発表したばかり。安倍政権の憲法解釈に対し、専門家から異議が強まっている。  (東京新聞 201564 夕刊)

 横浜の
IN氏より、携帯にメールが入りました。曰く、
 FW:どうですか体調は?
 日高節夫様/先日は、岸本君の訃報でお互いにショックを受けたね。なんとなくがっくりきて、何もしたくない感じだが、このままではいけないと思い、きょうはプールに行ってきて、足が吊らぬよう腕だけで泳ぎ、その後、いつもの指圧を受けてこようと思っています。/山本君に、君の調子が回復し次第、「日高君の顔を見に行こうな…」と、東海道線で藤沢から乗り換えなしで上野駅まで行って、そこで銀座線に乗り換えようという段取りまで、話していたのだが、その前に何よりも看病をなさっている君の奥様のご意向をよく伺って、その許可が出てから、動くことにしたいと思っているのです。/のろのろしていて空手形を切っているようで申訳ないのですがその積もりでいます。/ゆっくりでもいいから、無理をしないで、体調の回復を願っております。  IN

 6月2日夜、「5月29日に西宮市在住のYK氏が亡くなった」と横浜市在住のIN氏が報せてくれました。
 
YK氏はここ2・3年(肺癌?)手術のあと、自宅療養を続けていたと言いますが、以前は色々な情報や感想などをこまめに丁寧に自筆のFAX を寄越してくれていました。しかし、それも無くなりかなり病状が逼迫していることは想像していましたが、われわれのグループにとってはかなりのショックだったでしょう。勿論この爺にとっても2・3日は何にも手を付けられないほどでした。
 IN氏の話によれば、YK氏の娘さんからの知らせで、とても安らかな死であったこと、本人の希望により、身内だけの葬儀をすませ、香典等の儀礼的な申し入れは一切断ってくれとのことであったということでした。
 
われわれのグループで一番のスポーツマンであり、こよなく野球を愛し、自らも高校時代は軟式野球部で活躍していました。また先にも述べたようにわれわれのうち誰よりも几帳面で水門会の関西支部の支部長を勤めていました。
 
彼は毎年、正倉院展に出かけては正倉院展の図録を送ってくれていましたが、昨年の第65回正倉院展の図録は、本人からの添え書は無く、奈良国立博物館から直送されてきました。きっと、彼は出かけることが出来ず、奈良国立博物館へ直送を依頼したものと思われます。

 
いずれにしても惜しい人物を失ってしまったものです。中学入学以来今日までの交誼に感謝すると共に、心から冥福を祈るものであります。

 
6月3日は退院後初めての外来診断の日でした。採血検査・レントゲン撮影、そして、食欲の無いことを訴えると、まあ、経過はよくも無く悪くも無く、1週間後まで様子を見ましょうということでした。

 
今朝は少々風が強いようでしたが、隅田公園を散策してきました。昨日は1日中雨でしたが、今朝はからりと晴れ強い風も爺には爽やかに感じられました。山谷堀水門広場にある大柳が風に煽られて大きく揺らいでいました。

 ウェブニュースより
 口永良部島噴火、なぜ予知できなかったのか 火山列島ニッポンに必要な「戦略」 ―― 鹿児島県の口永良部島で5月29日、爆発的な噴火があった。人的被害はけが人1人にとどまっているが、地元の屋久島町は住民の全島避難を指示、気象庁は噴火警戒レベルを運用後初の「5」まで引き上げ、最大級の警戒を呼び掛ける。戦後最大の被害を出した昨年の御嶽山噴火に続き、今年は蔵王山や箱根山などにも噴火の可能性が示される「火山列島」に、一層の戦略が求められている。

・直前予知の難しさ
 口永良部島は同じ鹿児島県の桜島を中心とした九州、南西諸島の活動的な火山群の一つに数えられる。
 その形は直径3キロメートルほどの島の北西側に、一回り小さな島がくっついているように見える。小さな方が古い火山体で、大きな方が新しく、今回噴火した「新岳」を含む活火山エリアだ。
 1933(昭和8)年や1966(昭和41)年に大規模な噴火を観測。1980年代以降は小康状態だったが、京都大学防災研究所の井口正人教授によれば、1999年ごろからマグマの上昇を推定させる地下の温度変化などが観測されていた。火山性地震は2006年や2012年には400回を超える月も。それでも警報を出すに至る変化とは認められないまま、2014年8月3日の噴火が発生した。
 井口教授は「15年間にわたる長期の準備過程があった。しかし火口が隆起するような明らかな兆候は、噴火の1時間前ぐらいからしか分からなかった」と、昨年10月に名古屋大学であった研究集会で報告していた。
 昨年の噴火以降は火山ガスの放出量が多い状態が続き、今年3月には赤熱した溶岩や高温のガスが噴煙などに映って明るく見える「火映」を観測。5月に入ると震度3の有感地震が発生するなど明らかな変化はあり、警戒が強められていた。
 一方で、今回の噴火直前の火山性地震は29日午前9時台にわずか1回。10時台に77回と急増しているが、この間の9時59分に噴火が起きている。気象庁によれば「10分前にも明らかな変化は観測されなかった」という。
 口永良部島は直前の予知が極めて難しい火山であると、あらためて示されたと言えるのだろう。
 御嶽山では、昨年9月27日の2週間ほど前から火山性地震の「やや多い」状態が続き、噴火10分前にはマグマの動きを示す火山性微動も観測されていた。「御嶽ではその情報の伝え方が不十分だった」と名古屋大学地震火山研究センターの山岡耕春教授は認める。
・火山はそれぞれに個性がある
 火山はそれぞれに「個性」があり、避難誘導や地域の対応も個々に考えられなければならない。例えば富士山は知られている限り、山頂からよりもむしろ山腹(側火口)から噴火する。ならば山頂にいる登山者と麓にいる人たちでは、避難の仕方がまったく違ってくる。こうしたきめ細かな対応を地元や登山者、観光客を巻き込んで詰めていかなければならない。
 御嶽山の噴火被害を受け、国は法改正で「常時監視火山」を現行の47から50に拡大、合わせて火山周辺約130の市町村に関係機関と対策を協議する「火山防災協議会」の設置を求める。ちょうど今国会での成立を目指し、改正案が閣議決定された29日に口永良部島が噴火したというタイミングだ。
 すでに協議会がある自治体でも防災体制の見直しは進んでおり、箱根山の地元は「昨年末に避難誘導マニュアルを作っていたため、迅速な対応ができた」と山岡教授は評価する。しかし、問題はその「戦略性」だ。ただ協議会を立ち上げ、画一的なマニュアルを作っていても仕方ない。
 「今は個々の火山の地元で戦略的な防災体制を推進したくても、予算も人材もない。国として火山防災を戦略的に進める組織や、調査研究から監視、防災までの全体を見渡した戦略的なコーディネート機能、長期的な人材育成が必要だ」と山岡教授。火山との戦いは長く、誰も避けられない課題として国全体で考えていくしかないだろう。   (東洋経済 2015年05月29日)


 横浜のN氏よりメールが届いていました。曰く、
 退院後せっせと歩いているね
 日高節夫様/元気に、体力を取り戻しているかい? お伺いします。/ブログも復活して、状況がよく分かるようになって、うれしい限りです。/当面の心配は、少しづつ日に6回食べる食養生が順調に進むこと。ウオーキングも、あまり一気呵成に歩くと悪い影響が出るといけないから、十分に気を付けてください。/はやる気持ちはわかるけど、まあ回復は気長に、体力と相談しながらやってください。/わたしの脛痛もそろそろ発症一周年記念日が6月末には到来しそうですが、目下のところは、鍼灸マッサージ師にもんでもらって、事なきを得ています。/君が少し気分がよくなったら、顔を見に行こうかと思い、MY君に、「一緒に行こうよ」と言っています。/なにより、君の気分と体調がよくなって、「会ってもいいよ」という心境になってからのことだが、早くその日が来て欲しい。/我が家は、今年の半年くらいは、10年に一回のマンションの大型修繕に入っていて、まるで地下室にある、ビルの警備会社見たいの雰囲気、外壁のひび割れ点検、塗装、洗い流し、バルコニー出入り禁止、窓という窓の、ビニール養生、などなど鬱陶しいことおびただしい。/これが今年の秋まで続く見通し。マンションは、この大型修繕の期間が一番憂鬱です。/でもこれをやっておかないと、お化け屋敷になるので住民も、管理組合の指示通りに動いている。/そんなわけで、君の体調が青信号になったら、顔を見に行くよ。/完全回復を願っております。どうぞお大事になさってください。

 昨夜は長い揺れの地震がありました。今朝の新聞によると小笠原沖でM8.5の地震があったということです。
 
今朝もお決まりのコースを徘徊 ―― 終わりに近づいて、待乳山聖天の真ん前にある隅田公園の入口に「平成中村座発祥の地」という碑が建っていることに気付きました。4月10日に建立されたそうですが、ちょうど爺の入院騒ぎの真直中で今日まで気付かずにいたのでしょう。

 ウェブニュースより
 
日本全国で揺れ、「異常震域」か…小笠原沖地震 ――  30日夜に小笠原諸島西方沖で起きた地震で、全国の広い範囲が揺れたのは、規模が大きかったことに加え、震源が極端に深かったのが主な原因だ。
 中でも関東地方の揺れが強かったのは、海底下のプレート(岩板)を伝わって地震波が減衰せずに届きやすい場所にあったためだとみられる。気象庁は、遠い地域に強い揺れが伝わる「異常震域」と呼ばれる現象だと説明している。
 気象庁によると、震源は深さ約590kmで、太平洋プレートと呼ばれる巨大な岩板の内部だった。東京大地震研究所の古村孝志教授によると、日本列島やその周辺の海では、複数のプレートが複雑に重なり合っている。太平洋プレートは最も深い位置にあり、フィリピン海プレートなどの下に沈み込んで、日本列島の地下深くまで続く。

  谷岡勇市郎・北海道大教授(地震学)は「海のプレートは陸のプレートに比べて固く、プレートの中を伝わる地震波が弱まりにくい」と指摘する。関東へ達した地震波は、震源からまず太平洋プレートに沿って、より沖合の浅い方へ向かった後、このプレートと接する別のプレートに伝わるという経路をたどり、あまり減衰しなかったとみられる。
 
過去には、2013年9月に東京都の鳥島近海の深さ約450kmでマグニチュード(M)6.8の地震が発生、北海道から関東にかけて広い範囲で最大震度4の揺れを記録した。また、07年7月に京都府沖の深さ約370kmで発生したM6.7の地震でも広い範囲で揺れ、震源から離れた北海道で最大震度4が観測された。 (20150531 0118 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 2008年5月19日(月)のブログ「祭りのあと」にコメントが付( )ていました。曰く、
◎ 西伊豆長松寺
 日高様/突然ですが懐かしさのあまり、書き込ませて戴きました。/大分古いものですが“祭りのあと”の記述の中に 西伊豆、長松寺、臨海学校、兼愛塾があり びっくりした次第。 /実は去年の6月末44年振りに実家そのお寺の隣の家に戻ってきたものです。 /夏になると沢山の都会(浅草?)の子供たちが 元気に遊び回っていたような・・・・・・・。 /帰省した際には当時3、4歳だった自分の息子が先生に遊んで戴いたような記憶も。 あの当時、”夏と云えば伊豆”の最盛期でした。 WestCoast住人 2015/05/30(土)

 ウェブニュースより
 早くも真夏!? 記録ずくめ 高温・少雨・多照続く  ―― 天候がおかしい。連日、「高温・少雨・多照」といった真夏のような日が続いている。今年は4月上旬の低温や記録的日照不足から始まり、4月末の季節外れの暑さ、5月の台風襲来、記録的な夏日など"産地泣かせ"の異常気象となっている。平年に比べてかなり気温が高い傾向は6月に入っても続く見通しで、農作物の管理や熱中症対策の徹底が欠かせない。
  ・農作物、家畜熱中症・・・ 暑さ対策前倒し

 なぜ真夏のような暑さが続くのか。気象庁によると原因は、北半球を取り巻くように流れる偏西風が北に大きく蛇行している影響で、南からの暖かい空気が日本付近に流れ込みやすくなっているためだ。日本付近は広く高気圧に覆われ、雨を降らす梅雨前線の北上をブロックし、観測記録を塗り替える高温や日照時間を記録する地域が各地で相次いでいる。27日に30度以上の真夏日を観測した地点は、全国928地点中252地点に上った。西日本の多くの地域では5月の最高気温の値を更新。最も気温が高かったのは大分県日田市で34.6度と、2日連続で全国1位となった。
 同庁は「少なくとも今後1週間は、全国的に高温・少雨・多照が続く。6月に入っても平年に比べて晴れの日が全国的に多く、高温・少雨で推移する」(気候情報課)と見通す。
 ただ、7月に入ると一転。全国的に雨が多くなり、特に梅雨末期の集中豪雨に警戒が必要となる。同庁は「今春は気温、降水量、日照時間ともに変動が特に激しい。梅雨に入っても引き続き警戒してほしい」(同)と呼び掛ける。
 産地は危機感でいっぱいだ。岐阜県美濃加茂市の直売所、JAめぐみのグリーンセンター2号館では、4月の曇天で夏野菜の植え付けが遅れている中、猛暑が見舞った。西城敏幸店長は「やっと植えた苗がこれだけ暑いと、枯れる恐れがある。果菜類を中心に被害が出ないか不安だ」と漏らす。病害虫発生の懸念の他、うだるような暑さの中での農作業に、農家の熱中症も心配という。
 葉物野菜の産地、群馬県のJA利根沼田は「この暑さでレタスの葉が巻かずに開いてしまい、芯が見えるものが多い。出荷が増える大事な時期に高温と干ばつが続けば生育が停滞し、先が見通せない」(販売部)。
 温州ミカンの産地、愛媛県のJAにしうわ営農指導部の宇都宮宗昭部長も「この時期に雨が少ないと果実の肥大に影響が出て生理落果を助長させる。出荷量に直結するだけに毎日、天候とにらめっこの状態」が続いているという。
 家畜もこの暑さで早くもばて気味だ。2日連続で真夏日を記録した大分県日田市。同県酪農協は、扇風機や細霧冷房装置を稼働させ、畜舎の温度を下げようと必死だ。「通常は梅雨明けから始まる暑さ対策を前倒しで取り組んでいる」(畜産部)。
 脂肪分が多い生乳を確保しようと食物繊維が豊富な飼料を与えるように営農指導し、牛の飼養管理に気を配る。    (日本農業新聞 2015/5/28

 今朝は曇り空でありましたが、隅田川沿いに5000歩ほど徘徊しました。ちょっと頭がふら付き気味でしたが、大して気にも留めていませんでした。

 今日は午後から浅草寺病院の定期検診日でした。血圧が低いようで、朝服用している血圧降下剤のユニシアHDをそれより弱いオルメテック錠10㎎に取り替えたほうがよいだろうということで、2週間ほどオルメテック10㎎で様子を見ましょうということになりました。退院2・3日前から、低血圧が続いていたので、納得の上了承しました。

 ウェブニースより
 東京湾にシャチ?――  第三管区海上保安本部(横浜)は二十六日、東京湾でシャチとみられる動物が数頭、群れで泳いでいるとして、付近を航行する船舶に衝突しないよう注意を呼び掛けた。東京湾でシャチが見つかるのは非常に珍しいという。
 二十五日午前十時すぎ、横浜海上保安部の巡視艇が、千葉県富津市にある金谷港の西約六キロでシャチらしき群れを確認=写真、第三管区海上保安本部提供。翌二十六日午前十一時ごろには釣り船の乗組員から同港の南西約五キロで「シャチ三、四頭が海を泳いでいる」と通報があった。 (東京新聞 2015527 朝刊)

 
2011311日の東日本大震災(M9.0)の1週間前の34日に、茨城県の下津海岸に52頭ものイルカ(カズハゴンドウ)が打ち上げられたといいます。他にも例がありますが、イルカが座礁してしまう原因は、いくつかの説があり、地磁気との関連で説明するケースもあるといいます。
 
1980年に、イルカの頭に磁気物質が発見されましたが、イルカをはじめとするクジラ類の脳には磁気を感じる物質が存在していて、鳥類と同様に磁気を利用して移動している可能性があるといいます。
 このような磁気検知機能が、シャチにもあるのかも知れません。そのため、地震前兆に伴う電磁波の発生により、方向感覚が狂わされて東京湾に迷い込んだのではないかという学者もあるそうです。あくまでも、前述のような磁気物質がシャチにもあるとすればの話ではありますが。

 昨日も午前4時に起床、着替えを済ますと、1時間ほど掛けて隅田川の川っ縁を4500歩ほど歩きました。朝食後、理髪店で久し振りに髪を切り、帰りに公園内を3000歩ほど散策して帰宅しました。
 
隅田公園にはあちこちとアジサイが植えてあります。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易(772 846)が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順(みなもとのしたごう、911983)がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれています。

 今日も起き抜けに隅田川沿いを4500歩ほど歩きました。久し振りに隅田川のご来光をカメラに納めました。
 今日は三井記念病院の耳鼻科の外来検診日なので、午前9時に病院に駆け込みました。何時もの聴力検査は何の進展もありませんが、気長に今の薬(2)を続けてみようということでした。

 今日のウェブニュースより

 照ノ富士、大関昇進!「心技体の充実につとめ、さらに上を目指して精進」――  日本相撲協会は27日午前、東京・両国国技館で開いた大相撲名古屋場所(7月12日初日・愛知県体育館)の番付編成会議と臨時理事会で、夏場所で初優勝を果たした関脇・照ノ富士(23)=伊勢ケ浜=の大関昇進を満場一致で決めた。/伝達式の口上では「今後も心技体の充実につとめ、さらに上を目指して精進いたします」と述べた。北の湖理事長は「横綱になるという気概を持って頑張ってほしい」と期待を込めた。三役2場所での通過は年6場所制となった1958年以降では初の快挙となった。/また3月の春場所に幕下10枚目格付け出しでデビューした御嶽海(22)=出羽海=と、高木改め高立(たかりゅう、23)=木瀬=の新十両昇進も発表された。御嶽海は逸ノ城、遠藤らと並び昭和以降最速となる初土俵から所要2場所での新十両。再十両は徳真鵬(31)=木瀬=のみだった。/照ノ富士「今までで一番うれしい。支えてくれた人がいるからこそ、今の地位がある。この上を目指して頑張りたい。横綱は神様が選ぶもの。選ばれるように努力していきたい」/照ノ富士の師匠・伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)「優勝を目指すのが大関。まだ覚えることがたくさんある中での昇進なので、先々が楽しみ。(指導は)もっと厳しくなるだろう」 (20155271023  スポーツ報知)

 今朝は4時に起床、隅田公園内を歩いてみました。辺りはすっかり明るくなっていて、方々でアジサイか咲き始めています。また、公園のタチアオイが所々に鮮やかな色合いを添えています。
 
 いやはや、40日間の入院で体重は5kg減り、足の方もかなり衰えたようです。1000歩ほど歩いては休み、歩いては休みして、それでも4000歩位を歩いてきました。朝食後、街中をぶらぶらと歩き、全部で7000歩ばかりを歩きました。まあ、毎日歩いてなれるほかは無いようです。

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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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