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  今日のウェブニュースより、
d659f470.jpeg
3d721902.jpeg “キネマの天地”浅草から映画館消える!そのほの悲しい理由 ―― 明治時代、日本で初めて常設の映画館ができた東京・浅草から、とうとう銀幕が消えてしまう。東京スカイツリーを臨む街は活気が戻ってきたが、映画だけはカヤの外とは何とも寂しい。/浅草で映画館を展開する松竹の完全子会社、中映は5館の閉館をひっそりと発表した。成人映画の「浅草シネマ」が9月17日、「浅草世界館」は25日、邦画の「浅草名画座」「浅草新劇場」と洋画の「浅草中映劇場」は10月21日に閉館。さよなら興行などは特に予定されていない。/日本屈指の歓楽街だった浅草六区に日本初の映画専門館「電気館」が誕生したのは1903(明治36)年。浅草オペラ、喜劇、ストリップ、そして映画館がズラリと軒を連ね、歩けないほど道に人があふれた1944(昭和19)年に同館は誕生した。全盛期には30館以上の映画館があった浅草は、まさにキネマの天地だった。/幕を下ろす理由は「建物の老朽化」。取り壊した後の再開発については「計画中だが具体的な決定はない」としている。/郊外型のシネコンが主流となる中、街中の映画館は次々と無くなってゆく。/浅草のお隣、上野では今年4月、興行大手の東急レクリエーションが運営する「上野東急・上野東急2」が閉館。/45年の歴史を持つ「銀座シネパトス」の来春閉館も発表された。/大阪でもファンに親しまれてきた映画館が今年3月相次いで消えた。大阪市北区の「天六ユウラク座」「天六コクサイ劇場」「天六ユウラク地下劇場」、そして東住吉区の「タナベキネマ」「タナベ国際劇場」が閉館している。/「団塊世代にとって、映画館は、銭湯と並ぶ娯楽の場だった」と振り返るのは映画評論家の望月苑巳氏。/「東京の人形町を歩いていたら路地裏にポツンと小屋(映画館)があって、オードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーンの名作『噂の二人』をやっていて感激したことを想い出す」/しかし、ノスタルジーだけでは経営は立ちゆかない。/「街中の小さな映画館が相次ぎ討ち死にしているが、ある意味当然。特色もなく、これといった宣伝もせず、指をくわえて客がくるのを待っていたツケが回ってきただけ」と望月氏。/テレビ文化やシネコンの影響はあるにせよ、東京だと岩波ホールやユーロスペース、アップリンクなど、特色ある映画館は生き残っている。「質の高いインデペンデント作品や、年齢層を絞り込むのも手だ」と望月氏は期待をつないでいる。    〔zakzak 2012.08.16〕
 
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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