瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
魔方陣は n×nの正方形のマス目の中に1~n²までの自然数を入れ、縦・横・斜めのどの列の和も一定になるようにしたもののことで、nが4なら4次方陣、7なら7次方陣と呼ぶ。この1列の和を定和といい、中心点を介して点対称の位置にある2つのユニットの和を対和と呼ぶ。また奇数魔方陣には必ず中心数という数があるが、その2倍の数はその魔方陣の対和と等しい数になっている。さらに全てのユニットの数の和を総和と呼ぶが、実はこの数はその全ユニット数そのものの3角数になっているのである。
言い伝えによれば、後に夏王朝を創立することになる禹(う、BC2700年頃)が洛水の治水工事中に、甲羅に左図の図1ような模様をつけたカメが現れたという。この模様の丸を数字に直してみると図2のような3次方陣になるので、これを天意と受けて尊んだということである。この三次方陣で見れば、定和は15、対和は10、総和は45、そして中心数は5ということになる。
回転や反転をしてできる魔方陣をすべて同一と考えると、三次方陣はただ一通りしかない。したがってこの「洛書」と呼ばれる3次方陣も、占星術において土星に対応する三次方陣も同じものである。
三次方陣の暗鬼法としては、
「憎し(294)と思えば、七五三(753)、六一坊主に蜂(618)が刺す」
「憎し(294)と思えば、七五三(753)、六一八(618)はみな同じ」
「フクシ(294)マの、七五三(753)は、ロイヤ(618)ルホテルで」 などが知られている。
しかし一つ増えて4次方陣となると、その数も一挙に増えて880通り存在するということが確定されている。また5次方陣となると、コンピュータによるラフな計算を元に考えても3500万個ほどあると推定されている。さらにそれ以上に大きい魔方陣にいたっては、その数だけでも分かっておらず、全貌はいまだ神秘の扉の向こう側ということらしい。
ドイツルネッサンスの画家Dürer(デューラー)の銅板画「メランコリアⅠ」の中で四次方陣を描いたが、彼に影響を与えたのがKabbala(カバラ、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想)にも精通していた占星術師Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim(ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム、1486~1535年)である。このNettesheim(ネッテスハイム)のAgrippa(アグリッパ)という人は3次から9次までの魔方陣を作り、それを7つの惑星に結びつけていた。当時は月と太陽も惑星扱いだったが、それぞれ3次方陣を土星に、4次方陣を木星に、5次方陣を火星に、6次を太陽に、7次を金星に、8次を水星に、そして9次魔方陣を月に当てはめていたのである。(昨日のブログ「魔法陣と惑星との結びつき」の図参照)。
魔方陣はかって、星と魔術師の世界の調和の表現と考えられていた。現在ではそれはもはや骨董品的な存在であると考えいてる人もいることだろう。しかしながら、現在では魔方陣をコンピュータなどを用いて数学的に解析・研究を進めているものの、未解決な部分がまだたくさん残っているという。
左の表は3次から9次までの魔方陣の定和・対和・総和・中心数のデータである。この表で6次方陣の総和が666であったり、9次方陣の定和が369(ミロク)であったりするところが気にかかったりするだろうが、魔方陣そのものの深遠な部分は別のところあるという。ただひとつ、8次方陣の定和がマヤの神聖暦Tzolk'in〈ツォルキン〉の日数と同じ260なので、この部分についてだけ少し言及しよう。
左の図表は2重魔方陣というもので、普通に加えると各列の定和は260になる。そして各数を2乗したうえでの定和は11180である。
8次方陣はAgrippa(アグリッパ)の惑星との結びつけでは水星に対応定しているが、今この2重魔方陣と木星との関係を見てみよう。地球の平均直径12.743kmを1としたとき、木星の直径比は11.18となる。桁数の違いは基本単位の設定により移動できることを考えと、地球を1ではなく1000として比率を見れば、木星は11180となる。これは少し操作的すぎるのだろうか。
言い伝えによれば、後に夏王朝を創立することになる禹(う、BC2700年頃)が洛水の治水工事中に、甲羅に左図の図1ような模様をつけたカメが現れたという。この模様の丸を数字に直してみると図2のような3次方陣になるので、これを天意と受けて尊んだということである。この三次方陣で見れば、定和は15、対和は10、総和は45、そして中心数は5ということになる。
回転や反転をしてできる魔方陣をすべて同一と考えると、三次方陣はただ一通りしかない。したがってこの「洛書」と呼ばれる3次方陣も、占星術において土星に対応する三次方陣も同じものである。
三次方陣の暗鬼法としては、
「憎し(294)と思えば、七五三(753)、六一坊主に蜂(618)が刺す」
「憎し(294)と思えば、七五三(753)、六一八(618)はみな同じ」
「フクシ(294)マの、七五三(753)は、ロイヤ(618)ルホテルで」 などが知られている。
しかし一つ増えて4次方陣となると、その数も一挙に増えて880通り存在するということが確定されている。また5次方陣となると、コンピュータによるラフな計算を元に考えても3500万個ほどあると推定されている。さらにそれ以上に大きい魔方陣にいたっては、その数だけでも分かっておらず、全貌はいまだ神秘の扉の向こう側ということらしい。
ドイツルネッサンスの画家Dürer(デューラー)の銅板画「メランコリアⅠ」の中で四次方陣を描いたが、彼に影響を与えたのがKabbala(カバラ、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想)にも精通していた占星術師Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim(ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム、1486~1535年)である。このNettesheim(ネッテスハイム)のAgrippa(アグリッパ)という人は3次から9次までの魔方陣を作り、それを7つの惑星に結びつけていた。当時は月と太陽も惑星扱いだったが、それぞれ3次方陣を土星に、4次方陣を木星に、5次方陣を火星に、6次を太陽に、7次を金星に、8次を水星に、そして9次魔方陣を月に当てはめていたのである。(昨日のブログ「魔法陣と惑星との結びつき」の図参照)。
魔方陣はかって、星と魔術師の世界の調和の表現と考えられていた。現在ではそれはもはや骨董品的な存在であると考えいてる人もいることだろう。しかしながら、現在では魔方陣をコンピュータなどを用いて数学的に解析・研究を進めているものの、未解決な部分がまだたくさん残っているという。
左の表は3次から9次までの魔方陣の定和・対和・総和・中心数のデータである。この表で6次方陣の総和が666であったり、9次方陣の定和が369(ミロク)であったりするところが気にかかったりするだろうが、魔方陣そのものの深遠な部分は別のところあるという。ただひとつ、8次方陣の定和がマヤの神聖暦Tzolk'in〈ツォルキン〉の日数と同じ260なので、この部分についてだけ少し言及しよう。
左の図表は2重魔方陣というもので、普通に加えると各列の定和は260になる。そして各数を2乗したうえでの定和は11180である。
8次方陣はAgrippa(アグリッパ)の惑星との結びつけでは水星に対応定しているが、今この2重魔方陣と木星との関係を見てみよう。地球の平均直径12.743kmを1としたとき、木星の直径比は11.18となる。桁数の違いは基本単位の設定により移動できることを考えと、地球を1ではなく1000として比率を見れば、木星は11180となる。これは少し操作的すぎるのだろうか。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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sechin@nethome.ne.jp です。
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