今日は7月15日、東京では盂蘭盆会の法要が行われる。
中国の宋代には七夕の行事と盂蘭盆の行事との間には連続した面があり、盂蘭盆の祭りに用いられる材料は、七夕の時から市中で売出されていたと言う。盂蘭盆は元来は純仏教的な行事であり、その語源もサンスクリット語の「ullambana(ウランバーナ)」であるが、その音訳の「盂蘭盆(うらんぼん)」から、竹の盆を焼くという行事が派生したらしい。
南宋の文人、陸游(1125~1210年)の随筆集である『老学庵筆記』に盂蘭盆についての記事が記載されている。
―― 都では残暑は七月中旬(勿論旧暦)を越すことはなかった。民間では十五日に精進料理を作って先祖の霊に供え、竹を編んで盆のような形に作り、それに紙銭を入れて、一本の竹で支えて焼き、盆の倒れる方向を見て、気候を占った。北のほうだったら寒い冬になる。南のほうだったら暖かい冬になる。東と西のほうだったら寒暖ほどほどだという。これを盂蘭盆と言った。民間のお婆さん連中の信仰であった。また、盂蘭盆が倒れると、寒さがやって来る」ともいった。晏元献の詩に
紅白の薇(そうび)の英(はなびら)は落ち
朱黄の槿(むくげ)の艶(いろ)は残(あ)せたり
家人は溽暑(じょくしょ)を愁(うれ)い
日を計(かぞ)えて盂蘭(うらん)を望(まちのぞ)む
と詠んでいるが、俗間の言葉を戯れに詠みこんだのである。 (巻七)――
※晏元献(991~1055年)は名は殊、元献は諡(おくりな)。仁宗に仕えて宰相となった。その詩と詞は豊麗なlyricism(リリシズム)にみちている。
4時30分から、隅田川駒形橋~白鬚橋間を徘徊。花川戸テラスで、外人観光客が踊っていたので、カメラを向けると大声を出しながらはしゃいでいた。動きが激しいので画像がぶれてしまったらしい。本日の日のでは4時36分、5時半を過ぎる頃になると汗でシャツがびしょぬれ。家を出る時刻を少し早めたほうがよさそうだ。まあ、李白の詩で気分だけでも暑さを紛らわそう。
〈訳〉日の光は香炉峰を照らして、紫の煙が立ち上っている
遥か遠く 滝が長い川を掛けたように流れ落ちているのが見える。
飛び下る流れは まっすぐに三千尺
銀河の水が空高くから落ちてきているのではないかと思ってしまう。
sechin@nethome.ne.jp です。
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