瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
民主党執行部は27日、社会保障・税一体改革関連法案の衆院本会議採決で小沢一郎元代表ら57人が反対票を投じるなど大量の造反者が出たことを受け、処分問題の調整に入ったという。
今朝の朝日新聞に「耕論 小沢一郎」という、珍しい記事が出ていたので、これをスキャンコピーして、宝塚市のKS氏に送ることにした。まず、携帯でメールする。曰く、「今朝4時40分、隅田川の日の出です。/今朝の朝日新聞にちょっと目を引く記事が出ていたので拡大コピーして、この後すぐにFAXで送ります。/瘧癲爺 セッチン」
続いて、拡大スキャンして、プリントしたものをFAXした。すぐに、KS氏より、お礼の電話が入った。



しばらくして、携帯にメールが届いた。曰く、「今朝はご連絡有難う御座いました。/朝日新聞が小沢一郎擁護に近いこの様な「小沢一郎感」を掲載することと、消費税衆議院通過の翌日であったことも意味あることだと考えられます。昨日の衆議院での可決のさまを見る時、歴史の輪に繋がる「大政翼賛会」の雰囲気を肌で感じ、寒気を覚えたのかもしれませんね。どちらにせよモンロー主義の悪弊と我身の瞬時の欲望にのみ流される政治家は見るに耐えません。理念と希望と言えば美しく聞こえますが、政治家たるもの少しは筋の通る理念を見せて欲しいものです。何かしらこのまま死にたくはない気がします。まだまだ精神的には政治に対する青春期を脱していないのかもしれません。」
今朝の朝日新聞に「耕論 小沢一郎」という、珍しい記事が出ていたので、これをスキャンコピーして、宝塚市のKS氏に送ることにした。まず、携帯でメールする。曰く、「今朝4時40分、隅田川の日の出です。/今朝の朝日新聞にちょっと目を引く記事が出ていたので拡大コピーして、この後すぐにFAXで送ります。/瘧癲爺 セッチン」
続いて、拡大スキャンして、プリントしたものをFAXした。すぐに、KS氏より、お礼の電話が入った。
しばらくして、携帯にメールが届いた。曰く、「今朝はご連絡有難う御座いました。/朝日新聞が小沢一郎擁護に近いこの様な「小沢一郎感」を掲載することと、消費税衆議院通過の翌日であったことも意味あることだと考えられます。昨日の衆議院での可決のさまを見る時、歴史の輪に繋がる「大政翼賛会」の雰囲気を肌で感じ、寒気を覚えたのかもしれませんね。どちらにせよモンロー主義の悪弊と我身の瞬時の欲望にのみ流される政治家は見るに耐えません。理念と希望と言えば美しく聞こえますが、政治家たるもの少しは筋の通る理念を見せて欲しいものです。何かしらこのまま死にたくはない気がします。まだまだ精神的には政治に対する青春期を脱していないのかもしれません。」
東京夢華録 巻五 娶婦 二
婿於床前請新婦出、二家各出綵段、綰一同心、謂之「牽巾」、男掛於笏、女搭於手、男倒行出、面皆相向。至家廟前參拜畢、女復倒行、扶入房講拜。男女各爭先後對拜畢、就床、女向左、男向右坐、婦女以金錢綵果散擲、謂之「撒帳」。男左女右、留少頭髮、二家出疋段、釵子、木梳、頭鬚之類、謂之「合髻」。然後用兩盞以綵結連之、互飲一盞、謂之「交盃酒」。飲訖、擲盞并花冠子於床下、盞一仰一合、俗云「大吉」、則眾喜賀。然後掩帳訖。宮院中即親隨人抱女婿去、已下人家即行出房、參謝諸親、復就坐飲酒。散後。次日五更、用一卓、盛鏡臺鏡子於其上、望上展拜、謂之「新婦拜堂」。次拜尊長親戚、各有綵段巧作鞋枕等為獻、謂之「賞賀」。尊長則復換一疋回之、謂之「答賀」。婿往參婦家、謂之「拜門」。有力能趣辦、次日即往、謂之「復面拜門」;不然、三日七日皆可。賞賀亦如女家之禮。酒散、女家具皷吹從物、迎婿還家、三日、女家送綵段、油蜜蒸餅、謂之「蜜和油蒸餅」。其女家來作會、謂之「煖女」。七日則取女歸、盛送綵段頭面與之、謂之「洗頭」。一月則大會相慶、謂之「滿月」。自此以後、禮數簡矣。
〔訳〕《婚礼二》花婿が床(ねだい)の前で花嫁に帳(とばり)の外に出てくるように言うと、両家から出し合った色絹を、一つの同心結びに結い、これを「牽巾(ちぎりのぬの)」という。この絹を婿は笏(しゃく)に、嫁はてにかけて、互いに顔を向き合わせたまま婿が後ずさりして部屋を出る。家廟の前に出て参拝をすませると、こんどは嫁が後ずさりして行き、部屋に入ると拝をするのだが、婿と嫁はそれぞれ先を争って拝をしあう。それがすむと床にあがるが、嫁は左向きに婿は右向きに坐り女たちが金銭・色絹・果物をまき散らす。これを「撒帳(ねやまき)」という。男が左、女が右で、少し髪の毛をのばし、両家から色絹・釵子(かんざし)・木櫛・かもじのたぐいを出す儀式を「合髺(まげあわせ)」という。つぎに二つの杯を色絹の紐でつなぎ、いっしょにその杯で酒を飲み、これを「交杯酒(さかずきかわし)」という。飲み終わると、杯と花冠子(はなかむり)を床の下に投げ、杯のひとつが上向き、ひとつが下向きになれば、俗に大吉といって、みなめでたがる。それから帳(とばり)をおおうのである。そのあと、宮中ではお側づきの者が花婿を抱えて閨房を出、下(しも)ざまのいえではそのまますぐ閨房を出て、親族たちに挨拶をして、また座について酒を飲んだ。式が散じて、つぎの日五更(午前四時ごろ)に卓子(テーブル)の上に鏡台と鏡を置き、花嫁は上天を望んで礼拝し、これを「新婦拝堂」という。つぎに尊長親戚を拝し、それぞれに色絹や手作りの布靴とか枕を献じ、これを「賞賀」といった。婿が嫁の家に挨拶に行くのを「拝門(さとまいり)」という。できることならつぎの日すぐ行くが、これを「復面拝門(おりかえしのさとまいり)」という。そうでなかったら三日後でも七日後でもいい。お礼返しは、嫁の家がしたと同様にする。酒宴がすむと、嫁の家では楽隊やら行列の飾り物やらをととのえて婿たけを贈り帰す〔嫁は実家に残るのである)。婚礼後三日後に、嫁の家では色絹・油・蜜と蒸餅(むしがし)を届け、これを「蜜和油蒸餅(みつわゆじょうへい)」という。嫁の家の者が婿の家に来て宴会を開くのは「煖女(むすめはげまし)」といった。七日には実家に残った嫁を婿の方から迎えにきて婚家に帰る。その際嫁の家では色絹・頭飾りを十分嫁に与え、これを「洗頭(せんとう)」といった。一ヵ月目には両家が集まって大宴会を開き祝いあう。これを「満月」といった。これからあとの儀礼はたいしたものはない。
※同心結び:中国では男女の愛情を示す結び方とされている。日本では「けまん結び」とよばれ、組紐を輪違いにむすぶもの
※撒帳:この行事は漢の武帝が李夫人を迎えたときに始るという。帝は夫人を帳中に入れ、宮女たちに五色の同心結びや花果を投げさせ、着物の裾にこれを取って盛り、得ること多ければ子も多しとした。のち唐の中宗の頃になると長命富貴と刻のある銭をまいたという。
※合髺:両家から出した簪類で新郎新婦が結髪する儀式であろう。
※拝堂:拝天地ともいい、新婚のものが礼堂で天地を拝する儀式である。
※蜜和油蒸餅:中国では「蜜裏調油」といえば親密でしっくり行くことを意味し、蜜と油は夫婦円満の縁起物とされている。蒸餅とは小麦粉をこねて蒸した食品。中国で言う「餅」は日本とは異なり、小麦粉を原料として、焼いたり蒸したりしてつくる食品の総称である。この贈物をすることを「送三朝礼」といい、色絹、アヒルの卵、金銀の瓶に入れた蜜と油、それに餅などを、嫁の家から婿の家に贈るのである。
※洗頭:拝門は新婚夫婦二人がいっしょにする。そして婿だけが先に家に帰り、嫁は実家に残って、あとで婿の方から嫁を迎えに来る。この時、実家が嫁に色絹・頭飾りなどを与えて返すのが「洗頭」。本文ではこの行事の間に「煖女」の説明が入っているが、これは婚礼後九日以内のある一日に行うものであるという。
婿於床前請新婦出、二家各出綵段、綰一同心、謂之「牽巾」、男掛於笏、女搭於手、男倒行出、面皆相向。至家廟前參拜畢、女復倒行、扶入房講拜。男女各爭先後對拜畢、就床、女向左、男向右坐、婦女以金錢綵果散擲、謂之「撒帳」。男左女右、留少頭髮、二家出疋段、釵子、木梳、頭鬚之類、謂之「合髻」。然後用兩盞以綵結連之、互飲一盞、謂之「交盃酒」。飲訖、擲盞并花冠子於床下、盞一仰一合、俗云「大吉」、則眾喜賀。然後掩帳訖。宮院中即親隨人抱女婿去、已下人家即行出房、參謝諸親、復就坐飲酒。散後。次日五更、用一卓、盛鏡臺鏡子於其上、望上展拜、謂之「新婦拜堂」。次拜尊長親戚、各有綵段巧作鞋枕等為獻、謂之「賞賀」。尊長則復換一疋回之、謂之「答賀」。婿往參婦家、謂之「拜門」。有力能趣辦、次日即往、謂之「復面拜門」;不然、三日七日皆可。賞賀亦如女家之禮。酒散、女家具皷吹從物、迎婿還家、三日、女家送綵段、油蜜蒸餅、謂之「蜜和油蒸餅」。其女家來作會、謂之「煖女」。七日則取女歸、盛送綵段頭面與之、謂之「洗頭」。一月則大會相慶、謂之「滿月」。自此以後、禮數簡矣。
※同心結び:中国では男女の愛情を示す結び方とされている。日本では「けまん結び」とよばれ、組紐を輪違いにむすぶもの
※撒帳:この行事は漢の武帝が李夫人を迎えたときに始るという。帝は夫人を帳中に入れ、宮女たちに五色の同心結びや花果を投げさせ、着物の裾にこれを取って盛り、得ること多ければ子も多しとした。のち唐の中宗の頃になると長命富貴と刻のある銭をまいたという。
※合髺:両家から出した簪類で新郎新婦が結髪する儀式であろう。
※拝堂:拝天地ともいい、新婚のものが礼堂で天地を拝する儀式である。
※蜜和油蒸餅:中国では「蜜裏調油」といえば親密でしっくり行くことを意味し、蜜と油は夫婦円満の縁起物とされている。蒸餅とは小麦粉をこねて蒸した食品。中国で言う「餅」は日本とは異なり、小麦粉を原料として、焼いたり蒸したりしてつくる食品の総称である。この贈物をすることを「送三朝礼」といい、色絹、アヒルの卵、金銀の瓶に入れた蜜と油、それに餅などを、嫁の家から婿の家に贈るのである。
※洗頭:拝門は新婚夫婦二人がいっしょにする。そして婿だけが先に家に帰り、嫁は実家に残って、あとで婿の方から嫁を迎えに来る。この時、実家が嫁に色絹・頭飾りなどを与えて返すのが「洗頭」。本文ではこの行事の間に「煖女」の説明が入っているが、これは婚礼後九日以内のある一日に行うものであるという。
東京夢華録 巻五 娶婦 一
凡娶媳婦、先起草帖子、兩家允許、然後起細帖子、序三代名諱、議親人有服親田產官職之類。次檐許口酒、以絡盛酒瓶、裝以大花八朵、羅絹生色或銀勝八枚、又以花紅繳檐上、謂之「繳檐紅」、與女家。女家以淡水二瓶、活魚三五箇、筯一雙、悉送在元酒瓶內、謂之「回魚筯」。或下小定、大定、或相媳婦與不相。若相媳婦、即男家親人或婆往女家看中、即以釵子插冠中、謂之「插釵子」;或不入意、即留一兩端綵段、與之壓驚、則此親不諧矣。其媒人有數等、上等戴蓋頭、著紫背子、說官親宮院恩澤;中等戴冠子、黃包髻、背子、或只繫裙、手把青涼傘兒、皆兩人同行。下定了、即旦望媒人傳語。遇節序、即以節物頭面羊酒之類追女家、隨家豐儉。女家多回巧作之類。次下財禮、次報成結日子。次過大禮、先一日或是日早下催妝冠帔花粉、女家回公裳花幞頭之類。前一日女家先來掛帳、鋪設房臥、謂之「鋪房」。女家親人有茶酒利市之類。至迎娶日、兒家以車子或花檐子發迎客引至女家門、女家管待迎客、與之綵段、作樂催妝上車檐、從人未肯起、炒咬利市、謂之「起檐子」、與了然後行。迎客先回至兒家門、從人及兒家人乞覓利市錢物花紅等、謂之「欄門」。新婦下車子、有陰陽人執斗、內盛穀豆錢果草節等呪祝、望門而撒、小兒輩爭拾之、謂之「撒穀豆」、俗云厭青羊等殺神也。新人下車檐、踏青布條或氈席、不得踏地、一人捧鏡倒行、引新人跨鞍驀草及秤上過。入門、於一室內當中懸帳、謂之「坐虛帳」;或只徑入房中坐於床上、亦謂之「坐富貴」。其送女客、急三盞而退、謂之「走送」。眾客就筵三盃之後、婿具公裳花勝簇面、於中堂昇一榻、上置椅子、謂之「高坐」。先媒氏請、次姨氏或妗氏請、各斟一盃飲之;次丈母請、方下坐。新人門額、用綵一段、碎裂其下、橫抹掛之、婿入房、即眾爭撦小片而去、謂之「利市繳門紅」。
〔訳〕《婚礼一》一般に嫁をもらうには、まず仮の書付を取り交わし、そこで両家が婚姻を承諾すると詳しい書付を取り交わした。過去三代にわたる家系や、媒酌人・有服親〔喪に服する関係にある親族〕・田産・官職の類をしるしたものである。つぎに幾瓶かの酒の荷を贈る。酒を入れた瓶に、大輪の花八輪、色あざやかな薄絹とか銀の頭飾りを八つ、さらに祝儀の紅絹(もみ)を荷にまといつける。これを「繳檐紅(もみのしゅうぎ)」と呼んで嫁の家に贈るのである。嫁の家では真水二瓶に活き魚四、五尾、箸一膳を、贈られた酒瓶に入れてお返しとし、これを「回魚筋〔かいぎょちょ、魚箸(なはし)の返し〕という。また、固めの品を贈る儀式をしたり、どんな嫁か見立てをする。嫁の見立てをする場合には、婿の家の親族か母が、嫁の家に出向き、見て気に入れば、釵子(かんざし)を冠に挿し、これを「挿釵子(かんざしさし)」といった。もし気に入らない場合には、色絹の一、二匹を「厭驚(えんぎなおし)」として贈る。こうすればこの縁はこわれたのだ。結婚仲介人も数等級に分かれていた。上等の仲介人は蓋頭(かずき)をかぷり、紫の背子(からぎぬ)を着、官吏の縁談や宮中での婚姻をとりもつ。中等の仲介人は冠をいただき、黄の布で髻(まげ)を包み、背子を着、あるいは礼装用の裙(スカート)つけただけの者もあり、手に青い日傘を持つ。双方が同行して、固めの品を贈る儀式をすると即日結婚仲介人に知らせるのだ。この間にたまたま節句にあえば、節句用品や頭飾り、羊と酒などを、さらに嫁の家に贈るが、その多少は家々の暮らし向きに応じた。嫁の家では多く手芸品のたぐいを返礼とした。つぎに結納金を贈り、ついで挙式の日取りを知らせる。その次が結婚の大礼だが、その前日か当日早く、嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式として、かぶりものや白粉を贈り、嫁の家からは婿の家へ花婿衣装や花幞頭(はなかぶり)のたぐいを返礼とする。また前日に嫁の家のものが先に婿の家に来て帳(とばり)をかけ寝間の支度を整えるのを「鋪房(ねやごしらえ)」といい、嫁の家の親族が茶・酒・祝儀のたぐいを負担した。嫁を迎える日になると、婿の家では牛車か花檐子(かざりこし)で迎え役を出して嫁の家の門口まで行かせる。嫁の家では迎え役をもてなし、祝儀の色絹を与える。と音楽がかなでられては花嫁の支度をうながす。やがて花嫁は乗物に乗るが、従者は発(た)とうとせず祝儀を口々に催促する。その催促を「起檐子(こしおこし)」といって、祝儀をあたえるとやつと発つのであった。迎え役は一足先に婿の家の門口に帰り着く。従者や婿の家の者がこのように祝儀の金品や紅絹(もみ)を催促するのを「欄門(かどふさぎ)」といった。婿の家に着いて花嫁が牛車から降りると、陰陽師が、中に穀物・豆・銭・果物・草節(わらしべ)などを盛った斗(ます)を持ち、まじないを唱えながら門口に向かってまき、子供たちは争ってこれを拾う。これを「撒穀豆(まめまき)」といって、俗に青羊などの凶神を忌んでやるのだといっている。花嫁は乗物から降りると青い木綿か毛氈の敷物を踏んで歩き、地面を踏んではならない。一人が鏡をささげて後ずさりしながら花嫁を導き、鞍をまたがせ、草と秤の上を越させて、中央に帳をかけた一室に入れる。これを「坐虚帳(かりのねやいり)」という。真っすぐに閨房(ねや)にはいり、床(ねだい)に坐ることもあるがこれを「坐富貴(ざふうき)」という。嫁を送ってきた者は、さっさと三杯の酒を飲んで引き取ることになっており、これを「走送(はしりおくり)」という。みなが宴席について三杯飲んだあと、花婿は花婿衣装に花勝(かみかざり)をつけ顔をおおって、中堂(なかやしき)の搨〔とう、細長い台〕の上に置いた椅子に上る。これを「高座(こうざ)」という。まず、結婚仲介人が酒をすすめ、つぎに花婿の母の姉妹あるいは母の兄弟の妻がすすめ、それぞれ一杯ずつ飲むと、つぎに花嫁の母がすすめて、やっと座をおりるのであった。花嫁の部屋の入口の額には一枚の色絹の下端を細かく裂いたものを横にして掛け、花婿が部屋に入ったとたん、みなは争ってこれをちぎり取る。これを「利市繳門紅(ものみのしゅうぎとり)」という。
※荷:原文では「檐」。宋代には檐は担に通じて用いられ、檐子は二竿をもってかつぐものであり、(華沲腰)のこと。後世これをふつう轎子(きょうし)というが、唐から北宋にかけてこれを檐子(たんし)といった。これに祝いの酒荷を載せてはこんだのである。
※固めの品を贈る儀式:原文には「大定、小定」とある。婿の家から嫁の家に婚約のしるしとして固めの品を贈る儀式を「小定」、さらに挙式の日から一月ほど前になって、式の日取りの通知書と花嫁衣裳・指輪などを送る儀式を「大定」という。
※結婚仲介人:原文では「媒人」。これは媒氏と呼ばれ、結婚仲介を業とする婦人のことである。
※嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式:原文「催粧」。婚礼の直前に婿の家で嫁の家に贈物をする儀式。
※花檐子:当時のいわゆる「こし」は皇后のもちいるものは「輿」、それより小型で一般人が婚礼などで用いるものを「檐子」と呼んだらしい。
※欄門:唐人は嫁が来ると、門で待ち構えて祝儀をせびり、これを「障車」といったが、詔が出て禁じられたという。
※撒穀豆:以下のような話がある。漢の京房の娘が翼奉の息子に嫁ぐことになり、翼奉が婚礼の日をえらんだ。ところが京房〔彼は易者であり預言者としても有名であった〕は、その日は三煞神(さんさつしん)画文にいるから不吉だという。三煞とは青羊・烏鶏・青牛の三凶神、この三神が門にいたのでは嫁ははいることができず、もしこれを犯せば尊長を損ない子も出来ぬというのだ。そこで嫁が門に来た時、穀豆や草で凶神を払うことにした。以来、婚礼に「撒穀豆」の儀式が行われるようになったという。(宋の高承「事物起源」より)
※鞍:唐では国初の婚礼はみな胡虜の法にならい、女を馬鞍の側に座らせたとある。婚礼に鞍を用いるのは北朝騎馬民族系の遺風なのである。鞍は入口の閾(しきい)の上に置かれる。閾に花嫁の足が触れると不幸があるという俗信からとか、鞍は平安の安にも通じるからなどと説明されている。
※花勝:頭飾りの一種で、髷に左右一文字にさす簪の両端に垂らした飾り。
凡娶媳婦、先起草帖子、兩家允許、然後起細帖子、序三代名諱、議親人有服親田產官職之類。次檐許口酒、以絡盛酒瓶、裝以大花八朵、羅絹生色或銀勝八枚、又以花紅繳檐上、謂之「繳檐紅」、與女家。女家以淡水二瓶、活魚三五箇、筯一雙、悉送在元酒瓶內、謂之「回魚筯」。或下小定、大定、或相媳婦與不相。若相媳婦、即男家親人或婆往女家看中、即以釵子插冠中、謂之「插釵子」;或不入意、即留一兩端綵段、與之壓驚、則此親不諧矣。其媒人有數等、上等戴蓋頭、著紫背子、說官親宮院恩澤;中等戴冠子、黃包髻、背子、或只繫裙、手把青涼傘兒、皆兩人同行。下定了、即旦望媒人傳語。遇節序、即以節物頭面羊酒之類追女家、隨家豐儉。女家多回巧作之類。次下財禮、次報成結日子。次過大禮、先一日或是日早下催妝冠帔花粉、女家回公裳花幞頭之類。前一日女家先來掛帳、鋪設房臥、謂之「鋪房」。女家親人有茶酒利市之類。至迎娶日、兒家以車子或花檐子發迎客引至女家門、女家管待迎客、與之綵段、作樂催妝上車檐、從人未肯起、炒咬利市、謂之「起檐子」、與了然後行。迎客先回至兒家門、從人及兒家人乞覓利市錢物花紅等、謂之「欄門」。新婦下車子、有陰陽人執斗、內盛穀豆錢果草節等呪祝、望門而撒、小兒輩爭拾之、謂之「撒穀豆」、俗云厭青羊等殺神也。新人下車檐、踏青布條或氈席、不得踏地、一人捧鏡倒行、引新人跨鞍驀草及秤上過。入門、於一室內當中懸帳、謂之「坐虛帳」;或只徑入房中坐於床上、亦謂之「坐富貴」。其送女客、急三盞而退、謂之「走送」。眾客就筵三盃之後、婿具公裳花勝簇面、於中堂昇一榻、上置椅子、謂之「高坐」。先媒氏請、次姨氏或妗氏請、各斟一盃飲之;次丈母請、方下坐。新人門額、用綵一段、碎裂其下、橫抹掛之、婿入房、即眾爭撦小片而去、謂之「利市繳門紅」。
〔訳〕《婚礼一》一般に嫁をもらうには、まず仮の書付を取り交わし、そこで両家が婚姻を承諾すると詳しい書付を取り交わした。過去三代にわたる家系や、媒酌人・有服親〔喪に服する関係にある親族〕・田産・官職の類をしるしたものである。つぎに幾瓶かの酒の荷を贈る。酒を入れた瓶に、大輪の花八輪、色あざやかな薄絹とか銀の頭飾りを八つ、さらに祝儀の紅絹(もみ)を荷にまといつける。これを「繳檐紅(もみのしゅうぎ)」と呼んで嫁の家に贈るのである。嫁の家では真水二瓶に活き魚四、五尾、箸一膳を、贈られた酒瓶に入れてお返しとし、これを「回魚筋〔かいぎょちょ、魚箸(なはし)の返し〕という。また、固めの品を贈る儀式をしたり、どんな嫁か見立てをする。嫁の見立てをする場合には、婿の家の親族か母が、嫁の家に出向き、見て気に入れば、釵子(かんざし)を冠に挿し、これを「挿釵子(かんざしさし)」といった。もし気に入らない場合には、色絹の一、二匹を「厭驚(えんぎなおし)」として贈る。こうすればこの縁はこわれたのだ。結婚仲介人も数等級に分かれていた。上等の仲介人は蓋頭(かずき)をかぷり、紫の背子(からぎぬ)を着、官吏の縁談や宮中での婚姻をとりもつ。中等の仲介人は冠をいただき、黄の布で髻(まげ)を包み、背子を着、あるいは礼装用の裙(スカート)つけただけの者もあり、手に青い日傘を持つ。双方が同行して、固めの品を贈る儀式をすると即日結婚仲介人に知らせるのだ。この間にたまたま節句にあえば、節句用品や頭飾り、羊と酒などを、さらに嫁の家に贈るが、その多少は家々の暮らし向きに応じた。嫁の家では多く手芸品のたぐいを返礼とした。つぎに結納金を贈り、ついで挙式の日取りを知らせる。その次が結婚の大礼だが、その前日か当日早く、嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式として、かぶりものや白粉を贈り、嫁の家からは婿の家へ花婿衣装や花幞頭(はなかぶり)のたぐいを返礼とする。また前日に嫁の家のものが先に婿の家に来て帳(とばり)をかけ寝間の支度を整えるのを「鋪房(ねやごしらえ)」といい、嫁の家の親族が茶・酒・祝儀のたぐいを負担した。嫁を迎える日になると、婿の家では牛車か花檐子(かざりこし)で迎え役を出して嫁の家の門口まで行かせる。嫁の家では迎え役をもてなし、祝儀の色絹を与える。と音楽がかなでられては花嫁の支度をうながす。やがて花嫁は乗物に乗るが、従者は発(た)とうとせず祝儀を口々に催促する。その催促を「起檐子(こしおこし)」といって、祝儀をあたえるとやつと発つのであった。迎え役は一足先に婿の家の門口に帰り着く。従者や婿の家の者がこのように祝儀の金品や紅絹(もみ)を催促するのを「欄門(かどふさぎ)」といった。婿の家に着いて花嫁が牛車から降りると、陰陽師が、中に穀物・豆・銭・果物・草節(わらしべ)などを盛った斗(ます)を持ち、まじないを唱えながら門口に向かってまき、子供たちは争ってこれを拾う。これを「撒穀豆(まめまき)」といって、俗に青羊などの凶神を忌んでやるのだといっている。花嫁は乗物から降りると青い木綿か毛氈の敷物を踏んで歩き、地面を踏んではならない。一人が鏡をささげて後ずさりしながら花嫁を導き、鞍をまたがせ、草と秤の上を越させて、中央に帳をかけた一室に入れる。これを「坐虚帳(かりのねやいり)」という。真っすぐに閨房(ねや)にはいり、床(ねだい)に坐ることもあるがこれを「坐富貴(ざふうき)」という。嫁を送ってきた者は、さっさと三杯の酒を飲んで引き取ることになっており、これを「走送(はしりおくり)」という。みなが宴席について三杯飲んだあと、花婿は花婿衣装に花勝(かみかざり)をつけ顔をおおって、中堂(なかやしき)の搨〔とう、細長い台〕の上に置いた椅子に上る。これを「高座(こうざ)」という。まず、結婚仲介人が酒をすすめ、つぎに花婿の母の姉妹あるいは母の兄弟の妻がすすめ、それぞれ一杯ずつ飲むと、つぎに花嫁の母がすすめて、やっと座をおりるのであった。花嫁の部屋の入口の額には一枚の色絹の下端を細かく裂いたものを横にして掛け、花婿が部屋に入ったとたん、みなは争ってこれをちぎり取る。これを「利市繳門紅(ものみのしゅうぎとり)」という。
※荷:原文では「檐」。宋代には檐は担に通じて用いられ、檐子は二竿をもってかつぐものであり、(華沲腰)のこと。後世これをふつう轎子(きょうし)というが、唐から北宋にかけてこれを檐子(たんし)といった。これに祝いの酒荷を載せてはこんだのである。
※固めの品を贈る儀式:原文には「大定、小定」とある。婿の家から嫁の家に婚約のしるしとして固めの品を贈る儀式を「小定」、さらに挙式の日から一月ほど前になって、式の日取りの通知書と花嫁衣裳・指輪などを送る儀式を「大定」という。
※結婚仲介人:原文では「媒人」。これは媒氏と呼ばれ、結婚仲介を業とする婦人のことである。
※嫁の家に花嫁の支度を促す意味の儀式:原文「催粧」。婚礼の直前に婿の家で嫁の家に贈物をする儀式。
※花檐子:当時のいわゆる「こし」は皇后のもちいるものは「輿」、それより小型で一般人が婚礼などで用いるものを「檐子」と呼んだらしい。
※欄門:唐人は嫁が来ると、門で待ち構えて祝儀をせびり、これを「障車」といったが、詔が出て禁じられたという。
※撒穀豆:以下のような話がある。漢の京房の娘が翼奉の息子に嫁ぐことになり、翼奉が婚礼の日をえらんだ。ところが京房〔彼は易者であり預言者としても有名であった〕は、その日は三煞神(さんさつしん)画文にいるから不吉だという。三煞とは青羊・烏鶏・青牛の三凶神、この三神が門にいたのでは嫁ははいることができず、もしこれを犯せば尊長を損ない子も出来ぬというのだ。そこで嫁が門に来た時、穀豆や草で凶神を払うことにした。以来、婚礼に「撒穀豆」の儀式が行われるようになったという。(宋の高承「事物起源」より)
※鞍:唐では国初の婚礼はみな胡虜の法にならい、女を馬鞍の側に座らせたとある。婚礼に鞍を用いるのは北朝騎馬民族系の遺風なのである。鞍は入口の閾(しきい)の上に置かれる。閾に花嫁の足が触れると不幸があるという俗信からとか、鞍は平安の安にも通じるからなどと説明されている。
※花勝:頭飾りの一種で、髷に左右一文字にさす簪の両端に垂らした飾り。
昨日は夏至。今朝は早朝より雨。徘徊できず。
今朝のウェブニュースより
一体改革:小沢元代表「新党考える」26日採決、民主緊迫 ―― 通常国会の会期を9月8日まで79日間延長することが決まった21日、民主党の小沢一郎元代表は税と社会保障の一体改革関連法案の衆院採決で反対することを輿石東幹事長に伝え、元代表を含め49人のグループ議員が集まった会合では離党・新党結成も視野に行動することを宣言した。出席者からは野田佳彦首相宛ての離党届を集め、採決後の集団離党も辞さない構え。党分裂の危機に緊迫する民主党執行部は野田佳彦首相が21日を目指してきた衆院採決を26日に先送りし、反対派・中間派を説得する時間稼ぎへと動いた。/小沢元代表は21日、東京都内のホテルで開いたグループ会合で「採決の時は、我々の主張が正しいという大きな渦になるよう頑張ってください」と造反を呼びかけた。そのうえで「まず最善の策を追求し、今の政権の考え方を変えるように頑張る。次善の策として新党立ち上げも考えねばならない」と離党・新党結成に言及した。 〔毎日新聞 2012年06月21日 21時33分(最終更新 06月22日 01時28分)
夏至の夜、節電に思いを スカイツリーも消灯 ―― 夏至の21日夜、全国各地の盛り場や観光地などで照明が一斉に落とされた。先月開業した東京スカイツリーでも通常のライトアップが消灯され、地球温暖化防止のPRに一役買った。/イベントは、環境省が2003年から取り組んでおり、不要な明かりを消すことで、照明に慣れた日常を見直そう、という狙いがある。午後8時から2時間の消灯の呼びかけに、全国の1万6千を超える施設や企業が賛同した。
東京・六本木の東京ミッドタウンでは、夏至に合わせ、ろうそくをともすイベントが開かれた。/約2千本用意された明かりには子どもたちの願い事などが書き入れられている。広場に形づくられた巨大な星が、都心のビルの谷間で瞬いた。
山亭夏日 高駢
緑樹陰濃夏日長 緑樹(りょくじゅ)陰濃(こま)かにして 夏日長し
楼台倒影入池塘 楼台影を倒(さかさ)まにして 池塘(ちとう)に入る
水晶簾動微風起 水晶の簾(すだれ)動いて 微風起こり
一架薔薇満院香 一架の薔薇(しょうび) 満院(まんいん)香(かんば)し
〔訳〕樹々の木陰は緑が濃く、夏の日差しは長い。
池畔の高楼はその影を逆さまに池に映している。
水晶の簾がサラサラと動いて 微かな風が起こり、
薔薇の棚からの香りが庭一面にたちこめている。
高駢:晩唐の官僚、詩人。字は千里。幽州(現在の河北省)の人。武芸に秀で、また文学にも熱心で文士と盛んな交流があった。各地の節度使を歴任。黄巣の乱を討伐し、その武力を国中に知らしめた。後に高駢の天下をうかがう気配を見てとった朝廷により渤海郡王への任命と引き換えに兵権を剥奪された。晩年は失意の中で神仙思想に傾き奇行が多かったという。光啓3(887)年、部下の畢師鐸〔ひつしたく、?~888年〕に殺された。
今朝のウェブニュースより
東京・六本木の東京ミッドタウンでは、夏至に合わせ、ろうそくをともすイベントが開かれた。/約2千本用意された明かりには子どもたちの願い事などが書き入れられている。広場に形づくられた巨大な星が、都心のビルの谷間で瞬いた。
山亭夏日 高駢
緑樹陰濃夏日長 緑樹(りょくじゅ)陰濃(こま)かにして 夏日長し
楼台倒影入池塘 楼台影を倒(さかさ)まにして 池塘(ちとう)に入る
水晶簾動微風起 水晶の簾(すだれ)動いて 微風起こり
一架薔薇満院香 一架の薔薇(しょうび) 満院(まんいん)香(かんば)し
〔訳〕樹々の木陰は緑が濃く、夏の日差しは長い。
池畔の高楼はその影を逆さまに池に映している。
水晶の簾がサラサラと動いて 微かな風が起こり、
薔薇の棚からの香りが庭一面にたちこめている。
台風4号が日本に上陸するという。梅雨時の台風襲来は平成16年以来、8年ぶりだという。
今朝のウェブニュースより
台風4号 19日夕方~夜、最接近 ―― 岡山地方気象台は18日、強い台風4号について、19日夕方から夜にかけて県内に最接近すると発表した。強い風や高潮、土砂災害などに注意を呼びかけている。/18日午後5時現在の発表によると、台風4号が予想進路を進んだ場合、19日昼前から局地的に雷を伴った激しい雨になるおそれがある。同日午後6時までの24時間降水量は、県内平均で40ミリ、多いところでは80ミリで、その後も降り続く見通し。また、ここ数日の雨で地盤が緩んでいる場所では、土砂災害への警戒も必要という。/風は19日昼前から強くなり、最大風速は南部の陸上で13メートル(最大瞬間風速25メートル)、海上で18メートル(同30メートル)、北部の陸上で12メートル(同25メートル)と予想。普段より干満の差が激しい大潮の時期と重なるため、満潮時刻(宇野港では19日午後11時49分)前後には高潮にも注意が必要という。/同気象台は「台風4号は移動速度が速く、予想より早く接近する可能性がある。早めの対応を」としている。
◇
県内の自治体は18日、台風4号への警戒を強めた。/岡山市は、危機管理課の職員ら約10人を集め、対策会議を開いた。昨年9月の台風12号では、本庁と各区役所間での情報伝達や、避難所の職員配置がスムーズに行かなかったことから、▽区役所の担当職員を連絡係として本庁に配置する▽避難勧告が出た場合、指定避難所に職員を男女各1人配置する――ことなどを確認。土のうの備蓄状況についても、19日午前中までに確認するよう指示した。/市危機管理課は「昨年の反省に立ち、万全の対応をしたい」としている。/倉敷市は、職員約50人が本庁駐車場で土のう4000袋を作った。普段から市内54か所の倉庫に計3万1000袋の土のうを備蓄しているが、市防災危機管理室は「わざわざ倉庫まで取りに行かなくても済むようにした。家屋浸水に素早く対応したい」としている。 (2012年6月19日 読売新聞)
約客 趙師秀
黄梅時節家家雨 黄梅(こうばい)の時節 家家の雨
青草池塘処処蛙 青草(せいそう)の池塘(ちとう) 処処(しょしょ)の蛙
有約不来過夜半 約 有るも来たらず 夜半を過ぎ
閑敲棋子落灯花 閑(ひま)に棋子(きし)を敲(たた)けば 灯火 落つ
(訳)梅の実が黄色く熟する時節は、どの家もどの家も雨の中に閉ざされ、
青々と草が生い茂る池のつつみのそこかしこから、カエルの鳴き声が聞こえて来る。
約束をしたはずなのに友人は訪ねては来ず、とうとう真夜中を過ぎてしまった。
ひまにまかせて碁石をパチリと打つと、おや、灯花がポトリと落ちた。
趙師秀〔ちょうししゅう、1170~1219年〕:字は紫芝(しし)。号は霊秀(れいしゅう)、または天楽(てんらく)。永嘉(浙江省温州)の人。
中国、南宋時代、13世紀の初頭に活躍した4人の詩人を永嘉四霊という。4人とも永嘉(浙江省永嘉県)の人であり、字号に霊の字を含むから永嘉四霊と称された。すなわち、徐照(?~1211年、字は霊暉)、徐璣(1162~1214年、号は霊淵)、翁巻(生没年不明、字は霊舒)、趙師秀(1170~1219?、号は霊秀)の4人である。徐璣と趙師秀は仕官の経験をもつが、微官であり、徐照と翁巻は終生野に在った。民間詩人の最初に位置しており、いわゆる〈江湖派〉の先駆となった。
今朝のウェブニュースより
◇
県内の自治体は18日、台風4号への警戒を強めた。/岡山市は、危機管理課の職員ら約10人を集め、対策会議を開いた。昨年9月の台風12号では、本庁と各区役所間での情報伝達や、避難所の職員配置がスムーズに行かなかったことから、▽区役所の担当職員を連絡係として本庁に配置する▽避難勧告が出た場合、指定避難所に職員を男女各1人配置する――ことなどを確認。土のうの備蓄状況についても、19日午前中までに確認するよう指示した。/市危機管理課は「昨年の反省に立ち、万全の対応をしたい」としている。/倉敷市は、職員約50人が本庁駐車場で土のう4000袋を作った。普段から市内54か所の倉庫に計3万1000袋の土のうを備蓄しているが、市防災危機管理室は「わざわざ倉庫まで取りに行かなくても済むようにした。家屋浸水に素早く対応したい」としている。 (2012年6月19日 読売新聞)
約客 趙師秀
黄梅時節家家雨 黄梅(こうばい)の時節 家家の雨
青草池塘処処蛙 青草(せいそう)の池塘(ちとう) 処処(しょしょ)の蛙
有約不来過夜半 約 有るも来たらず 夜半を過ぎ
閑敲棋子落灯花 閑(ひま)に棋子(きし)を敲(たた)けば 灯火 落つ
(訳)梅の実が黄色く熟する時節は、どの家もどの家も雨の中に閉ざされ、
青々と草が生い茂る池のつつみのそこかしこから、カエルの鳴き声が聞こえて来る。
約束をしたはずなのに友人は訪ねては来ず、とうとう真夜中を過ぎてしまった。
ひまにまかせて碁石をパチリと打つと、おや、灯花がポトリと落ちた。
中国、南宋時代、13世紀の初頭に活躍した4人の詩人を永嘉四霊という。4人とも永嘉(浙江省永嘉県)の人であり、字号に霊の字を含むから永嘉四霊と称された。すなわち、徐照(?~1211年、字は霊暉)、徐璣(1162~1214年、号は霊淵)、翁巻(生没年不明、字は霊舒)、趙師秀(1170~1219?、号は霊秀)の4人である。徐璣と趙師秀は仕官の経験をもつが、微官であり、徐照と翁巻は終生野に在った。民間詩人の最初に位置しており、いわゆる〈江湖派〉の先駆となった。
東京夢華録 卷五 民俗
凡百所賣飲食之人、裝鮮淨盤合器皿、車檐動使奇巧可愛、食味和羹、不敢草略。其賣藥賣卦、皆具冠帶。至於乞丐者、亦有規格。稍似懈怠、眾所不容。其士農工商諸行百戶衣裝、各有本色、不敢越外。謂如香鋪裹香人、即頂帽披背;質庫掌事、即著皂衫角帶不頂帽之類。街市行人、便認得是何色目。加之人情高誼、若見外方之人為都人凌欺、眾必救護之。或見軍鋪收領到鬥爭公事、橫身勸救、有陪酒食檐官方救之者、亦無憚也。或有從外新來、鄰左居住、則相借徣動使、獻遺湯茶、指引買賣之類。更有提茶瓶之人、每日鄰里互相支茶、相問動靜。凡百吉凶之家、人皆盈門。其正酒店戶、見腳店三兩次打酒、便敢借與三五百兩銀器。以至貧下人家、就店呼酒、亦用銀器供送。有連夜飲者、次日取之。諸妓館只就店呼酒而已、銀器供送、亦復如是。其闊略大量、天下無之也。以其人煙浩穰、添十數萬眾不加多、減之不覺少。所謂花陣酒池、香山藥海。別有幽坊小巷、燕館歌樓、舉之萬數、不欲繁碎。
〔訳〕《民俗》都中どこでも飲食物を売る者は、清潔な食器類をととのえ、車や荷道具もいつも綺麗に飾り、料理・吸物の味わいも、少しもいい加減にしなかった。 薬売りも八卦見はみな冠帯をつけていた。乞食にさえも決まった身なりがあり、すこしでもおざなりな恰好をすれば誰も相手にしなかった。 およそ士農工商、もろもろの業者の身なりには、それぞれ特色があって、そのきまりにはずれることは決してなかったのである。香料店で香を包む手代たちは帽子を被り背子(からぎぬ)を着る、質屋の番頭は黒の衫(ひとえ)に角帯をつけ帽子は被らぬ、といった具合だったから、町行く人々も、すぐにどんな身分のものかわかった。 そのうえ、人情が厚く、もしよそから来た者が町方の者にいじめられているのを見ると、必ずみんなでこれを助けかばった。また、お上に収領(めしあげ)られてのいざこざで、その筋と争うものを見れば、間に割って入って事を丸めたり、お上に酒肴の付け届けをしてもらい下げてやることさえしり込みせずにするのだった。また、他所から新しく都にやって来た人には、隣近所の住人が道具を貸してあげたり、湯茶を届けたり、商売の手引きなどもしてやった。また、茶瓶(ちゃびん)をさげて毎日隣近所を廻って茶をつぎ交わし、世間話に興ずる人もいたし、どこであろうと吉凶のある門には参会者がいっぱいであった。正酒店(おやみせ)では、脚店(こみせ)が二、三度酒を買うと、四、五百両(目方で四五貫)ほどもの銀の食器を貸してやったし、極貧の下級階級の者でも酒店(のみや)にいって酒を注文すれば銀の酒器をだした。夜通し飲む客があっても、銀の酒器は翌日まで下げない。妓館もみな酒店に入って酒をとるのだが、銀器で酒を出すことには変わりなく、その鷹揚(おうよう)なことは天下無比であった。 人家ははてしなく並んでいたから、十数万人の人間が動いたぐらいでは増減など感じなかった。まさに花の陣、酒の池、香の山、薬の海というところか。小路(こうじ)小路にある料亭妓楼にいたっては、数えあげれば万という数になったが、くだくだしいから省く。
※背子=短くて幅広の袖のついた、合わせ襟で帯を締める長上着。
※宋代の各都市の商人・職人は、官府に対して普通の商業税を納めるほか、一種の科役負担があり、軍器所などで働かされたり、官府から商品を法外に安い値段、あるいは無償で納めさせられる場合もあり、官府に銭を納めて科役を逃れる免行銭の制が出来たほどであるという。おそらくこうした事情からしばしば紛争の怒ることもあったという。
凡百所賣飲食之人、裝鮮淨盤合器皿、車檐動使奇巧可愛、食味和羹、不敢草略。其賣藥賣卦、皆具冠帶。至於乞丐者、亦有規格。稍似懈怠、眾所不容。其士農工商諸行百戶衣裝、各有本色、不敢越外。謂如香鋪裹香人、即頂帽披背;質庫掌事、即著皂衫角帶不頂帽之類。街市行人、便認得是何色目。加之人情高誼、若見外方之人為都人凌欺、眾必救護之。或見軍鋪收領到鬥爭公事、橫身勸救、有陪酒食檐官方救之者、亦無憚也。或有從外新來、鄰左居住、則相借徣動使、獻遺湯茶、指引買賣之類。更有提茶瓶之人、每日鄰里互相支茶、相問動靜。凡百吉凶之家、人皆盈門。其正酒店戶、見腳店三兩次打酒、便敢借與三五百兩銀器。以至貧下人家、就店呼酒、亦用銀器供送。有連夜飲者、次日取之。諸妓館只就店呼酒而已、銀器供送、亦復如是。其闊略大量、天下無之也。以其人煙浩穰、添十數萬眾不加多、減之不覺少。所謂花陣酒池、香山藥海。別有幽坊小巷、燕館歌樓、舉之萬數、不欲繁碎。
※背子=短くて幅広の袖のついた、合わせ襟で帯を締める長上着。
※宋代の各都市の商人・職人は、官府に対して普通の商業税を納めるほか、一種の科役負担があり、軍器所などで働かされたり、官府から商品を法外に安い値段、あるいは無償で納めさせられる場合もあり、官府に銭を納めて科役を逃れる免行銭の制が出来たほどであるという。おそらくこうした事情からしばしば紛争の怒ることもあったという。
今朝のウェブニュースより
オウム:高橋克也容疑者を逮捕 ―― 地下鉄サリン事件などで警察庁から特別手配を受け、川崎市の潜伏先から逃走していたオウム真理教の元信者、高橋克也容疑者(54)が15日、東京都大田区内のJR蒲田駅近くの漫画喫茶で発見された。警視庁は高橋容疑者と確認し、殺人容疑などで逮捕した。6月3日の菊地直子容疑者(40)の逮捕をきっかけに潜伏先が判明。翌日に捜査員が現場にかけつけたものの、直前に姿を消した高橋容疑者だったが、11日に及ぶ逃亡劇の末の逮捕となった。/オウム関連事件での特別手配者の逮捕は今年に入って、1月の平田信被告(47)、菊地容疑者に続き3人目。事件から17年を経てようやく特別手配の19人全員が逮捕されることになった。/「似た男がいる」と通報を受けた捜査員が、漫画喫茶に向かい、店を出てきた高橋容疑者に職務質問。本人と認めたため、蒲田署に任意同行し、午前11時10分に逮捕した。/逮捕後の調べに高橋容疑者は、地下鉄サリン事件については「幹部の指示でやりました」。事件の狙いについては「一部知らなかったこともあります」などと供述しているという。「キャリーバッグは鶴見駅(横浜市鶴見区)のコインロッカーに入れた」と話している。/高橋容疑者は、井上嘉浩死刑囚(42)がトップを務めた教団の非公然部隊「諜報(ちょうほう)省」に所属。95年3月の地下鉄サリン事件と同年2月の目黒公証役場事務長監禁致死事件で警察庁が特別手配。ほかに東京都知事宛ての郵便物爆弾事件などで逮捕状が出ている。/地下鉄サリン事件では散布役の豊田亨死刑囚(44)の送迎役を務めたとされる。警視庁は全容解明を目指すとともに、17年に及ぶ逃走生活の実態を調べる。/高橋容疑者は96年11月ごろまで埼玉県所沢市のマンションで、菊地容疑者らと潜伏していたことが確認されて以降、行方が分からなかった。今年6月3日に菊地容疑者についての潜伏情報が寄せられ、相模原市で菊地容疑者を逮捕。供述などから高橋容疑者が「櫻井信哉」の偽名で川崎市に住んでいたことをつかんだ。勤め先だった市内の建設会社の社員寮を割り出し、今月4日に踏み込んだが、すでに逃走していた。/警視庁は金融機関の防犯カメラの画像などを次々と公開、全国の警察本部が駅やホテルなどの警戒を強化するなど、高橋容疑者を追い込む捜査を進めてきた。
〔毎日新聞 2012年06月15日 11時13分(最終更新 06月15日 13時30分)〕
消費増税へ3党合意 一体改革談合の末 ―― 民主、自民、公明三党による社会保障と税の一体改革の修正協議は十五日深夜、決着した。三党の実務者が確認書に署名した。関連法案が成立すれば、消費税率は二〇一四年四月に8%、一五年十月に10%に二段階で引き上げられ、民、自、公の増税容認三党による消費税増税が現実のものとなった。低所得の高齢者への年金加算案は撤回して、代わりに月額五千円を基準に給付金を支給し、消費税率を8%に引き上げるまでに法制化することで合意した。/三党は週明けにも党内手続きを終え、幹事長・政調会長クラスが会談して最終合意を目指す。野田佳彦首相が明言していた国会会期末の二十一日までに政府の関連七法案と、自民党の対案の修正案を衆院で採決したい考えだ。/社会保障分野では、基礎年金の国庫負担を50%に維持する財源として「交付国債」を発行するとの規定を関連法案から削除することで合意した。/パート労働者の厚生年金への加入拡大は自民党の要求で、対象者を政府案の月給七万八千円以上から八万八千円以上に引き上げ、拡大対象を四十五万人から三十万人弱に縮小した。/税制分野では、消費税率引き上げに伴う低所得者対策のうち、8%引き上げ時の現金給付については、公明党の主張を受け入れ、給付の法制化を引き上げの条件とすることで合意した。/民主党が消費税率引き上げ法案に盛り込んだ経済成長率「名目3%・実質2%」を努力目標とする景気条項は残し、実施は「その時の政権が判断する」と確認した。/自民党が反対していた10%引き上げ時に減税と現金給付を組み合わせる「給付付き税額控除」については、自公両党が求めている生活必需品などを対象とした軽減税率の検討と両論併記にした。/民主、公明両党で調整が難航していた最低保障年金の導入や後期高齢者医療制度の廃止など、民主党が掲げる主要政策の扱いでは、「あらかじめ内容等について三党間で合意に向けて協議する」と、あいまいな表現で決着した。/民主党の主要政策をめぐっては、民主、自民両党が既に「社会保障制度改革国民会議」で議論し、事実上、棚上げすることで合意していたが、公明党はそれだけでは納得せず、主要政策の関連法案の国会提出の時期を削除して閣議決定をやり直すよう求めていた。/自民党は十五日夜の総務会で修正内容を了承。公明党も対応を執行部に一任した。民主党では小沢一郎元代表のグループが反対しているため、民主党内の了承手続きが次の焦点となる。 (東京新聞 2012年6月16日 07時15分)
〔毎日新聞 2012年06月15日 11時13分(最終更新 06月15日 13時30分)〕
東京夢華録 巻三 般載雜賣
東京般載車、大者曰「太平」、上有箱無蓋、箱如构欄而平、板壁前出兩木、長二三尺許、駕車人在中間、兩手扶捉鞭駕之。前列騾或驢二十餘、前後作兩行;或牛五七頭拽之。車兩輪與箱齊、後有兩斜木腳拖夜;中間懸一鐵鈴、行即有聲、使遠來者車相避。仍於車後繫驢騾二頭、遇下峻險橋路、以鞭謕之、使倒坐綞車、令緩行也。可載數十石。官中車惟用驢、差小耳。其次有「平頭車」、亦如「太平車」而小、兩輪前出長木作轅、木梢橫一木、以獨牛在轅內、項負橫木、人在一邊、以手牽牛鼻繩駕之、酒正店多以此載酒梢桶矣。梢桶如長水桶、面安靨口、每梢三斗許、一貫五百文。又有宅眷坐車子、與「平頭車」大抵相似、但椶作蓋、及前後有构欄門、垂簾。又有獨輪車、前後二人把駕、兩旁兩人扶柺、前有驢拽、謂之「串車」、以不用耳子轉輪也。般載竹木瓦石。但無前轅、止一人或兩人推之。此車往往賣糕及餻麋之類人用、不中載物也。平盤兩輪、謂之「浪子車」、唯用人拽。又有載巨石大木、只有短梯盤而無輪、謂之「癡車」、皆省人力也。又有駞騾驢馱子、或皮或竹為之、如方匾竹、兩搭背上、斛㪷則用布袋駞之。
〔訳〕《運送車輌》
東京の荷車は、大きいものを「太平」といった。車台の上に板塀がついているが無蓋である。板塀は手摺上をした平板なもので、その前方に長さ二、三尺あまりの二本の腕木が突き出している。馭者はその間に身を置き、鞭と取り綱を左右の手に持って車をあやつる。前にはラバあるいはロバ二十余頭をずらりと二列につなぐか、または牛が五頭から七頭ぐらいで引く。車の両輪は板塀と高さが等しい。車台の後ろには二本の斜めに延びた木の足があり、その中間に鉄の鈴がつるしてあって、動くと鳴り、遠くから通行人にも車を避けるよう注意させた。なお、車の後ろにもロバかラバを二頭つなぎ、急な道や橋を下る場合、鞭をふるっておどし、車を後ろから引かせて制動をかけ、ゆっくりと進ませた。この車は数十石〔数トン〕もの荷を積載することができた。官庁の車も、ただロバを用いる点が違うだけで、これとほとんど同じであった。その次に平頭車というのがあった。これは太平車に似てより小さく、両輪の前方に長い木を突き出して轅木(ながき)とし、その端に横木を渡し、1頭の牛をその轅木の中に入れて、横木を牛のうなじに乗せた。人はその横に立ち、手で牛の鼻綱をとって引いて行くのだ。正酒店(おやみせ)は多くこの車に酒の梢桶(たる)をのせた。梢桶は、長い水桶状で、表面に靨口(えくぼぐち)がついている。毎梢(ひとたる)に三斗ばかりはいり、値段は一貫五百文であった。
また、婦人之乗りの牛車があった。平頭車とだいたい同じだが、ただシュロで屋根を葺き、前後には手摺のついた出入り口があり、簾を垂らしていた。また、車輪が一つだけの車もあった。前後を二人で持ってあやつり、両側も二人がささえ持つ。前にロバをつけて引くのは「串車(かんしゃ)」といい、耳子転輪を用いなかった。この車は竹木瓦石を運搬した。前の轅木(ながえ)がなく、一人きりか、あるいは二人ぐらいで押して行く一輪車もあった。この車は糕(むしもの)や餻麋(こうび)を売るものが多く用い、物品を運搬するにはもちいなかった。平らな車台に両輪がついたものだけは「浪子車(ろうししゃ)」といい、人が引くのにだけ用いた。また巨石大木を載せるのに、短いはしご形で、車輪のない車台だけのものがあり、これを癡車(ちしゃ)といった。また、ロバ・ラバの背に駄載する荷は、皮あるいは竹で作った四角く平たい竹かご状のもので、背の両側に振り分けて載せた。穀物は布袋を用いて駄載した。
※太平=この車はばかでかくて鈍重であり、いったん雨雪に会えば身動きできなくなるので、俗に太平車と称したという。
※板塀=原文では「箱」。車の物を積載する囲いの意で、必ずしも箱形をしていなくてもよい。太平車の「箱」なるものは、車台の左右両側に立てられた、手摺状の二枚の板塀であり、車台の前後は開いている。
※梢桶=梢は筲(ふご)のこと。中国では水売りが天秤棒で担ぎ運ぶ水桶を「水筲(シュイシャオ)」という。
※靨口=不明。「清明上河図」に描かれている梢桶をのせた平頭車ふうの車の図に、梢桶の表面の真ん中に、それを抜いて酒をくみ出すとおぼしき栓のようなものがついている。これをいうのであろうか。
※牛車=原文では「車子」。一頭の牛で引く婦人乗りの車を車子といった。
※耳子転輪=不明。一輪車を両側から支えて動かす者のことか、あるいは両側につける補助輪のようなものか。
※餻麋=点心の一種か。
※浪子車=「よたぐるま」といった意味。日本の大八車のようなもの。
※癡車=「まぬけぐるま」といった意味。いわゆる「ころ」の台。
東京般載車、大者曰「太平」、上有箱無蓋、箱如构欄而平、板壁前出兩木、長二三尺許、駕車人在中間、兩手扶捉鞭駕之。前列騾或驢二十餘、前後作兩行;或牛五七頭拽之。車兩輪與箱齊、後有兩斜木腳拖夜;中間懸一鐵鈴、行即有聲、使遠來者車相避。仍於車後繫驢騾二頭、遇下峻險橋路、以鞭謕之、使倒坐綞車、令緩行也。可載數十石。官中車惟用驢、差小耳。其次有「平頭車」、亦如「太平車」而小、兩輪前出長木作轅、木梢橫一木、以獨牛在轅內、項負橫木、人在一邊、以手牽牛鼻繩駕之、酒正店多以此載酒梢桶矣。梢桶如長水桶、面安靨口、每梢三斗許、一貫五百文。又有宅眷坐車子、與「平頭車」大抵相似、但椶作蓋、及前後有构欄門、垂簾。又有獨輪車、前後二人把駕、兩旁兩人扶柺、前有驢拽、謂之「串車」、以不用耳子轉輪也。般載竹木瓦石。但無前轅、止一人或兩人推之。此車往往賣糕及餻麋之類人用、不中載物也。平盤兩輪、謂之「浪子車」、唯用人拽。又有載巨石大木、只有短梯盤而無輪、謂之「癡車」、皆省人力也。又有駞騾驢馱子、或皮或竹為之、如方匾竹、兩搭背上、斛㪷則用布袋駞之。
〔訳〕《運送車輌》
※太平=この車はばかでかくて鈍重であり、いったん雨雪に会えば身動きできなくなるので、俗に太平車と称したという。
※板塀=原文では「箱」。車の物を積載する囲いの意で、必ずしも箱形をしていなくてもよい。太平車の「箱」なるものは、車台の左右両側に立てられた、手摺状の二枚の板塀であり、車台の前後は開いている。
※梢桶=梢は筲(ふご)のこと。中国では水売りが天秤棒で担ぎ運ぶ水桶を「水筲(シュイシャオ)」という。
※靨口=不明。「清明上河図」に描かれている梢桶をのせた平頭車ふうの車の図に、梢桶の表面の真ん中に、それを抜いて酒をくみ出すとおぼしき栓のようなものがついている。これをいうのであろうか。
※牛車=原文では「車子」。一頭の牛で引く婦人乗りの車を車子といった。
※耳子転輪=不明。一輪車を両側から支えて動かす者のことか、あるいは両側につける補助輪のようなものか。
※餻麋=点心の一種か。
※浪子車=「よたぐるま」といった意味。日本の大八車のようなもの。
※癡車=「まぬけぐるま」といった意味。いわゆる「ころ」の台。
最近の政局を見ていると、「民主党よ、与党をやめちまえ!」と言いたくなる。やっぱり、松下政経塾出身者のような、温室育ちで政治的経験のない世間知らずで、ただ政治的野心だけが旺盛な人間に日本が牛耳られているように思えてしかたない。今朝のウェブニュースより
クローズアップ2012:一体改革修正協議 急ぐ民主、相次ぎ譲歩 合意、首相前のめり ―― 税と社会保障の一体改革関連法案をめぐる民主、自民、公明の修正協議は12日、「総合こども園」の撤回など社会保障分野で民主党が譲歩を重ねる形で進んだ。15日を目標に合意を急ぐ野田佳彦首相の「前のめり」の姿勢が際立つ一方、民主党内では「マニフェスト棚上げ」や「増税先行」への反発が強まり、12日に始まった党内議論は初日から紛糾。野党との修正協議が合意に近づくほど足元の民主党内の緊迫度が増すジレンマが首相を苦しめる。/「どうやって成案を得るかを国民は注視している。『決めきる政治』を実現するため、修正合意を目指す」/野田首相は12日の衆院予算委員会で、3党の修正協議の早期決着に期待感を示した。その上で、一体改革関連法案について「今国会中に成立を期す。成立とは参院を含めて多数決で可決させることだ」と強調した。/首相は消費増税を柱とする一体改革関連法案の今国会成立に「政治生命を懸ける」と繰り返し明言してきた。自民党が期限とする15日までの合意を実現し、21日の会期末までに衆院で採決しなければ、与党少数の参院で法案を成立させる道は断たれる。法案不成立なら、首相は求心力を失い、政権は一気に流動化しかねない。 (毎日新聞 2012年06月13日 東京朝刊)
選挙前の政界再編はない、15日までに合意なければ修正協議は決裂=石原自民幹事長 ―― [東京 13日ロイター] 自民党の石原伸晃幹事長は13日、都内で講演し、社会保障・税一体改革の修正協議後に直ちに政界再編が起きる可能性はなく、再編が起きるとすれば選挙後だとの見方を示した。修正協議そのものについては、15日までに合意できなければ決裂するとの見通しを示した。
<1年内に選挙が展望できる状況、連立申し入れあっても自民は受けず>
石原幹事長は、修正協議後の政界再編の可能性について「確率論として、今度の政策マターで、行動を共にしたものがすぐ採決が終わった段階で、あるいは採決が終わらないでも、一緒になるかというと、ならないと思う」と述べ、1年以内の選挙が展望できる状況で、消費増税をめぐる政界再編には否定的な見方を示した。/また「仮に修正合意して、民主党の人が何人かこぼれるようなことになると政権運営は不安定になる。民主党側から、仮定の話だが、連立の申し入れがあるのかもしれないが、その時、野党自民党がそれにハイそうですねとは、選挙が近いだけに、党内世論としてならない」と指摘。政界再編が起こるとすれば「選挙が終わった後だ」との見通しを示した。
<修正協議「ボールは民主党に」、信を問う日は近い>
石原幹事長は、自民・公明・民主間の修正協議の行方については「合意を目指している」としながらも、「今、ボールは民主党にある」と指摘。1)修正協議が合意した場合、2)決裂した場合、3)採決が見送られる場合の3パターンでその後の展開を展望した。/合意した場合には「衆院で合意内容で(法案を)採決し、参議院に送る。1カ月少し会期を延長すれば、参院も通り成立する」という。/一方、修正協議では、民主党が09年衆院選の政権公約の柱とした「最低保障年金制度導入」などの一時棚上げを迫っており、民主党内の反発が高まっている。社会保障制度に関する実務者協議の担当者である長妻昭元厚労相さえも「最低保障年金や年金一元化を取り下げるくらいなら国民に信を問うたらよい」と反発しており、民主党の党内手続きは紛糾している。/石原幹事長は「私たちは(修正協議について)15日の日時を区切っているので、合意ができなければ決裂だ」と協議を打ち切る方針を示し、停滞する民主党の議論をけん制した。そのうえで、修正協議が決裂した場合には「野田首相は(会期末の)21日までに衆院で採決すると言っているのだから、当然、衆院で採決を行うだろう。行わなければ、公約違反だ。衆院で民主党20+ 件がまとまっていれば、私たちが反対しても通る。通れば、参議院で修正協議が続くことになる」と衆院採決を促した。/また、石原幹事長は、党内融和を優先し分裂回避に動く輿石東幹事長の選択肢として「採決をしないオプションもゼロではない」と指摘。その場合、野田政権はレームダックになるとしたうえで「小泉元首相のように、国民の皆さんに聞いてみたいと言って解散するか。しかし、それもなかなか難しい。民主党の反対はいるが、自民党が賛成すればなんとか衆院も通るとなれば、衆院で採決になる。しかし、民主党の参議院(議員)のなかに反対がどれだけいるのか誰も数えていない。そうすると、自民党が協力しても、参議院で否決される可能性もある」と、展望した。/そのうえで、石原幹事長は「野田首相のリーダーシップ、党内をとりまとめることに期待している。その結果、国民に信を問う日は近いのではないか」と語った。 (REUTERS 2012年 06月 13日 17:35 JST)
選挙前の政界再編はない、15日までに合意なければ修正協議は決裂=石原自民幹事長 ―― [東京 13日ロイター] 自民党の石原伸晃幹事長は13日、都内で講演し、社会保障・税一体改革の修正協議後に直ちに政界再編が起きる可能性はなく、再編が起きるとすれば選挙後だとの見方を示した。修正協議そのものについては、15日までに合意できなければ決裂するとの見通しを示した。
<1年内に選挙が展望できる状況、連立申し入れあっても自民は受けず>
石原幹事長は、修正協議後の政界再編の可能性について「確率論として、今度の政策マターで、行動を共にしたものがすぐ採決が終わった段階で、あるいは採決が終わらないでも、一緒になるかというと、ならないと思う」と述べ、1年以内の選挙が展望できる状況で、消費増税をめぐる政界再編には否定的な見方を示した。/また「仮に修正合意して、民主党の人が何人かこぼれるようなことになると政権運営は不安定になる。民主党側から、仮定の話だが、連立の申し入れがあるのかもしれないが、その時、野党自民党がそれにハイそうですねとは、選挙が近いだけに、党内世論としてならない」と指摘。政界再編が起こるとすれば「選挙が終わった後だ」との見通しを示した。
<修正協議「ボールは民主党に」、信を問う日は近い>
石原幹事長は、自民・公明・民主間の修正協議の行方については「合意を目指している」としながらも、「今、ボールは民主党にある」と指摘。1)修正協議が合意した場合、2)決裂した場合、3)採決が見送られる場合の3パターンでその後の展開を展望した。/合意した場合には「衆院で合意内容で(法案を)採決し、参議院に送る。1カ月少し会期を延長すれば、参院も通り成立する」という。/一方、修正協議では、民主党が09年衆院選の政権公約の柱とした「最低保障年金制度導入」などの一時棚上げを迫っており、民主党内の反発が高まっている。社会保障制度に関する実務者協議の担当者である長妻昭元厚労相さえも「最低保障年金や年金一元化を取り下げるくらいなら国民に信を問うたらよい」と反発しており、民主党の党内手続きは紛糾している。/石原幹事長は「私たちは(修正協議について)15日の日時を区切っているので、合意ができなければ決裂だ」と協議を打ち切る方針を示し、停滞する民主党の議論をけん制した。そのうえで、修正協議が決裂した場合には「野田首相は(会期末の)21日までに衆院で採決すると言っているのだから、当然、衆院で採決を行うだろう。行わなければ、公約違反だ。衆院で民主党20+ 件がまとまっていれば、私たちが反対しても通る。通れば、参議院で修正協議が続くことになる」と衆院採決を促した。/また、石原幹事長は、党内融和を優先し分裂回避に動く輿石東幹事長の選択肢として「採決をしないオプションもゼロではない」と指摘。その場合、野田政権はレームダックになるとしたうえで「小泉元首相のように、国民の皆さんに聞いてみたいと言って解散するか。しかし、それもなかなか難しい。民主党の反対はいるが、自民党が賛成すればなんとか衆院も通るとなれば、衆院で採決になる。しかし、民主党の参議院(議員)のなかに反対がどれだけいるのか誰も数えていない。そうすると、自民党が協力しても、参議院で否決される可能性もある」と、展望した。/そのうえで、石原幹事長は「野田首相のリーダーシップ、党内をとりまとめることに期待している。その結果、国民に信を問う日は近いのではないか」と語った。 (REUTERS 2012年 06月 13日 17:35 JST)
昨夜の雨が早朝まで続く。徘徊に出かけられず。朝っぱらからパソコンを開いて、ブログを打つ。
今朝のウェブニュースより
最古の戸籍記す木簡出土 太宰府・国分松本遺跡 ―― 福岡県太宰府市教委は12日、同市国分の国分松本遺跡から、人名や身分など戸籍の内容を記した国内最古の木簡が出土した、と発表した。用いられた語句から、律令(りつりょう)国家体制を整える大宝律令(701年)以前に作成されたとみられ、7世紀代にさかのぼる戸籍関連史料は初めて。国家統治の基となる戸籍制度が、大宝律令以前から機能していたことを示す貴重な史料として注目される。/国分松本遺跡は古代の大宰府政庁から北西に1.2キロ。今年3~6月の調査で河川跡から出土した木簡10点のうち、1点(長さ31センチ、幅8.2センチ、厚さ8ミリ)の両面に、地名や人名、続柄などが記されていた。/地名の「嶋評(しまのこおり)」は現在の福岡県糸島市から福岡市西区にかけての地域。「評」は大宝律令以前の地方行政単位で、後の「郡」に当たる。/人名は「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」「白髪部伊止布(しらかべのいとふ)」など16人分が確認され、「兵士」などの身分、「母」や「子」など続柄が添えられたものや、「戸」(世帯)の増減を示す「附」「去」の文字もあった。天武天皇が685年に定めた冠位の一つ「進大弐(しんだいに)」の記述もあり、「評」の表記と合わせて685~701年の間に作成されたと推定される。/坂上康俊・九州大大学院教授(日本古代史)によると、この木簡は住民の異動を記していることから、戸籍を基に毎年作成する「計帳」に関係する可能性が高いという。/古代日本では、大宝律令以前の法制度として、持統天皇が689年に「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」を制定し、翌690年に全国で「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」が作られた。しかし浄御原令の実態ははっきりせず、庚寅年籍も現存していない。坂上教授は木簡について「浄御原令での戸籍・計帳制度がシステマチックに運用されていたことを示す第一級史料」としている。/また木簡に遠隔地の嶋評の記述があり、出土場所が大宰府政庁に近いことから、太宰府市教委は遺跡の近くに筑前国を管轄する役所が存在した可能性があるとみている。/同市教委は16日午前10時から、同市国分の市文化ふれあい館などで現地説明会を開く。
◇ ◇
▼徴税と徴兵が目的か
平川南国立歴史民俗博物館館長(日本古代史)の話 誰にでも身近な戸籍のルーツが見つかり、多くの情報が読み取れるのは画期的だ。見つかったのは690年に作られた戸籍である庚寅年籍(こういんねんじゃく)からの異動内容を記録した木簡とみられる。紙の戸籍が後世に残るのはまれで、木簡が出土しないかぎり、実態は永久に分からないものだった。木簡が作られた7世紀後半は、大陸や朝鮮半島との緊張関係が続いた時代で、徴税だけでなく兵士の確保を主な目的に戸籍が整備されたと考えられる。=2012/06/13付 西日本新聞朝刊= 2012年6月13日 01:11
東京夢華録 巻二 飲食果子(3)
又有外來托賣炙雞、燠鴨、羊腳子、點羊頭、脆筋巴子、薑蝦、酒蟹、獐巴、鹿脯、從食蒸作、海鮮、時菓、旋切萵苣生菜、西京笋。又有小兒子、著白虔布衫、青花手巾、挾白磁缸子、賣辣菜。又有托小盤賣乾果子、乃旋炒銀杏、栗子、河北鵝梨、梨條、梨乾、梨肉、膠棗、棗圈、梨圈、桃圈、核桃、肉牙棗、海紅、嘉慶子、林檎旋、烏李、李子旋、櫻桃煎、西京雪梨、夫梨、甘棠梨、鳳梄梨、鎮府濁梨、河陰石榴、河陽查子、查條、沙苑榅桲、回馬孛萄、西川乳糖、獅子糖、霜蜂兒、橄欖、溫柑、綿棖金橘、龍眼、荔枝、召白藕、甘蔗、漉梨、林檎乾、枝頭乾、芭蕉乾、人面子、巴覽子、榛子、榧子、蝦具之類。諸般蜜煎香藥、果子罐子、黨梅、柿膏兒、香藥、小元兒、小臈茶、鵬沙元之類。更外賣軟羊諸色包子、豬羊荷包、燒肉乾脯、玉板鮓A、鮓片醬之類。其餘小酒店、亦賣下酒、如煎魚、鴨子、妙雞兔、煎燠肉、梅汁、血羹、粉羹之類。每分不過十五錢。諸酒店必有廳院、廊廡掩映、排列小閤子、吊窗花竹、各垂簾幙、命妓歌笑、各得穩便。
〔訳〕また、外から炙雞(しゃけい)、燠鴨(おうおう)、羊腳子(ようきゃくし)、點羊頭、脆筋巴子(ぜいきんはし)、薑蝦(きょうか)、酒蟹(しゅかい)、獐巴(しょうは)、鹿脯(ろくほ)、從食蒸作(じゅうしょくじょうさく)、海鮮時菓(かいせんじか)、旋切萵苣生菜(せんせつわきょしょうさい)、西京〔せいけい〕の笋(たけのこ)を手の上にのせて売りに来るものがあった。また、白い虔布(こわぬの)の衫(ひとえ)に青い綿布の手巾(てふき)をもち、白磁の缸(かめ)を小脇にかかえて辣菜〔ちっさい、辛子と大根を煮付けたもの。ぴりりと辛い〕を売る子供もいた。また、手のひらに小皿をのせて、乾し果物、すなわち旋炒銀杏(いりぎんなん)、栗子(くり)、河北の鵝梨(がり)、梨條(りじょう)、梨乾、梨肉、膠棗(こうそう)、棗圈、梨圈、桃圈、核桃(くるみ)、肉牙棗(にくがそう)、海紅(かいこう)、嘉慶子(かけいし)、林檎旋(りんごせん)、烏李(うり)、李子旋櫻桃(りしせんおうとう)、煎西京雪梨(せんさいけいせつり)、夫梨(ふり)、甘棠梨(かんとうり)、鳳梄梨(ほうせいり)、鎮府〔江蘇章〕の濁梨(だくり)、河陰〔河南省)の石榴(ざくろ)、河陽〔河南省〕の查子(しどみ)、查條(さじょう)、沙苑〔陝西省〕の榅桲(まるめろ)、回馬〔西域〕の孛萄(ぶどう)、西川〔陝西省〕の乳糖、獅子糖、霜蜂兒(そうほうじ)、橄欖(かんらん)、溫州〔淅江省〕の蜜柑(みかん)、綿棖(だいだい)、金橘(きなかん)、龍眼肉、荔枝(れいし)、召白藕(しょうはくれんこん)、甘蔗(さとうきび)、漉梨(ろくり)、林檎乾(りんごかん)、枝頭乾(しとうかん)、芭蕉乾、人面子(じんめんし)、巴覽子(はらんし)、榛子(しんし)、榧子(ひし)、蝦具(かぐ)のたぐいを売るものもあれば、さまざまな蜜煎(みつづけ)の香薬菓子罐子(かんし)、黨梅(とうばい)、柿膏兒(しこうじ)、香薬小元兒(こだんご)、小臈茶(しょうろうちゃ)、鵬沙元(ほうさがん)のたぐいを売るものもあった。さらに外では軟羊諸色包子(ひつじのにくまんじゅう)、豬や羊の荷包(かほう)、燒肉、乾肉、玉板鮓A(ぎょくばんさは)、鮓片醬(さへんしょう)のたぐいを売っていた。そのほかの小さな酒店でも酒の肴を売った。煎魚、鴨子(おうし)、妙雞兔(しょうけいとう)、煎燠肉、梅汁、血羹(けっこう)、粉羹(ふんこう)のたぐいのようなものであり、それぞれ値段は十五文を越えなかった。各酒店には、必ず庁院(ざしき)があった。ひさしを重なり合わせてずらりと並んだ小座敷には、窓に花竹をあしらい、それぞれ簾や幙(とばり)をたらして、妓女を呼んで歌笑し、思いのままに遊ぶことが出来た。
※酒蟹=カニの酒漬けのこと 脯(ほ)=乾し肉 従食蒸作=饅頭(マントウ)、包子〔パオズ、餡入り饅頭〕、糕〔こう、蒸しパン〕、元〔がん、団子〕、月餅(げっぺい)などの蒸し菓子系統の点心類 萵苣生菜(わきょしょうさい)=チサ〔レタス〕。中国ではチサの茎の皮をはいで生で食べ、これを俗に萵筍(ウォンスン)という。
※鵞利(がり)=黄河の南北に産する梨の一種で皮が薄く、汁が多いもの 海紅=海棠(かいどう)の実。中国の海棠は日本のカイドウとは別種のナガサキリンゴのこと。 喜慶子=東都の喜慶坊にスモモの木があり、その実が美味かったので喜慶子といったという 査子=木瓜に似た落葉潅木クサボケの実で、酸味があり食用になるので、日本ではシドミという。 回馬=馬姓を名のる回教徒をさす。中国西北地方に住み漢語を話す回教徒たちは、マホメットを馬聖人と呼び、その馬の字をもって、自分の漢字姓とするのがつねであった。 乳糖=砂糖を精製してして、牛乳と混ぜ石蜜としたものを乳糖といい、四川だけに作られたという。 獅子糖=乳糖の一種。四川の乳糖獅子は冬至前に作られたものは色が白くて好くもつが、冬至後に作られたものはすぐ駄目になるという。 人面子=広東省に産する植物の実。桃の実ににて、その核が、両目・口・鼻の揃った人面の形をしているので、この名がある。実は蜜漬けにすると甘酸味がして美味。 巴覧子(はらんし)=杏の核に似た実で、色が白く西蕃から来たもの。木は桜桃に似ている。 榛子=ハシバミの実。 榧子=カヤの実 菓子罐子=いま中国で言う果子乾児(カキ・レンコン・アンズなどの乾したものに砂糖を混ぜ熱湯でふやかした、どろりとした食品)にあたるものか? 柿膏兒=モチゴメに干し柿を混ぜ、搗き潰して蒸したもの。俗にカキヅキというとあるものに類したものか? 元児=小さな団子のこと。ふつう「円」と書く。大きな団子は「団」 小﨟茶=﨟茶とは、茶の葉を餅状に固めて表面に蝋を塗った茶。蝋茶とも書く。 荷包=本来「巾着」のこと巾着型をした料理名に好く使われる。例えば、「荷包蛋(ホーパオタン)」といえば、鶏卵を巾着状に油で煮たもの 玉板鮓A=魚の漬物や干物の類。
※酒閣を庁院と呼び、酒閣内に寝台をそっと隠してあるものもあったという。都では楼上の酒客の席はそれぞれ小室となっており、これを酒閣子といった。つまり二階の小部屋のこと。
今朝のウェブニュースより
◇ ◇
▼徴税と徴兵が目的か
平川南国立歴史民俗博物館館長(日本古代史)の話 誰にでも身近な戸籍のルーツが見つかり、多くの情報が読み取れるのは画期的だ。見つかったのは690年に作られた戸籍である庚寅年籍(こういんねんじゃく)からの異動内容を記録した木簡とみられる。紙の戸籍が後世に残るのはまれで、木簡が出土しないかぎり、実態は永久に分からないものだった。木簡が作られた7世紀後半は、大陸や朝鮮半島との緊張関係が続いた時代で、徴税だけでなく兵士の確保を主な目的に戸籍が整備されたと考えられる。=2012/06/13付 西日本新聞朝刊= 2012年6月13日 01:11
東京夢華録 巻二 飲食果子(3)
又有外來托賣炙雞、燠鴨、羊腳子、點羊頭、脆筋巴子、薑蝦、酒蟹、獐巴、鹿脯、從食蒸作、海鮮、時菓、旋切萵苣生菜、西京笋。又有小兒子、著白虔布衫、青花手巾、挾白磁缸子、賣辣菜。又有托小盤賣乾果子、乃旋炒銀杏、栗子、河北鵝梨、梨條、梨乾、梨肉、膠棗、棗圈、梨圈、桃圈、核桃、肉牙棗、海紅、嘉慶子、林檎旋、烏李、李子旋、櫻桃煎、西京雪梨、夫梨、甘棠梨、鳳梄梨、鎮府濁梨、河陰石榴、河陽查子、查條、沙苑榅桲、回馬孛萄、西川乳糖、獅子糖、霜蜂兒、橄欖、溫柑、綿棖金橘、龍眼、荔枝、召白藕、甘蔗、漉梨、林檎乾、枝頭乾、芭蕉乾、人面子、巴覽子、榛子、榧子、蝦具之類。諸般蜜煎香藥、果子罐子、黨梅、柿膏兒、香藥、小元兒、小臈茶、鵬沙元之類。更外賣軟羊諸色包子、豬羊荷包、燒肉乾脯、玉板鮓A、鮓片醬之類。其餘小酒店、亦賣下酒、如煎魚、鴨子、妙雞兔、煎燠肉、梅汁、血羹、粉羹之類。每分不過十五錢。諸酒店必有廳院、廊廡掩映、排列小閤子、吊窗花竹、各垂簾幙、命妓歌笑、各得穩便。
※酒蟹=カニの酒漬けのこと 脯(ほ)=乾し肉 従食蒸作=饅頭(マントウ)、包子〔パオズ、餡入り饅頭〕、糕〔こう、蒸しパン〕、元〔がん、団子〕、月餅(げっぺい)などの蒸し菓子系統の点心類 萵苣生菜(わきょしょうさい)=チサ〔レタス〕。中国ではチサの茎の皮をはいで生で食べ、これを俗に萵筍(ウォンスン)という。
※鵞利(がり)=黄河の南北に産する梨の一種で皮が薄く、汁が多いもの 海紅=海棠(かいどう)の実。中国の海棠は日本のカイドウとは別種のナガサキリンゴのこと。 喜慶子=東都の喜慶坊にスモモの木があり、その実が美味かったので喜慶子といったという 査子=木瓜に似た落葉潅木クサボケの実で、酸味があり食用になるので、日本ではシドミという。 回馬=馬姓を名のる回教徒をさす。中国西北地方に住み漢語を話す回教徒たちは、マホメットを馬聖人と呼び、その馬の字をもって、自分の漢字姓とするのがつねであった。 乳糖=砂糖を精製してして、牛乳と混ぜ石蜜としたものを乳糖といい、四川だけに作られたという。 獅子糖=乳糖の一種。四川の乳糖獅子は冬至前に作られたものは色が白くて好くもつが、冬至後に作られたものはすぐ駄目になるという。 人面子=広東省に産する植物の実。桃の実ににて、その核が、両目・口・鼻の揃った人面の形をしているので、この名がある。実は蜜漬けにすると甘酸味がして美味。 巴覧子(はらんし)=杏の核に似た実で、色が白く西蕃から来たもの。木は桜桃に似ている。 榛子=ハシバミの実。 榧子=カヤの実 菓子罐子=いま中国で言う果子乾児(カキ・レンコン・アンズなどの乾したものに砂糖を混ぜ熱湯でふやかした、どろりとした食品)にあたるものか? 柿膏兒=モチゴメに干し柿を混ぜ、搗き潰して蒸したもの。俗にカキヅキというとあるものに類したものか? 元児=小さな団子のこと。ふつう「円」と書く。大きな団子は「団」 小﨟茶=﨟茶とは、茶の葉を餅状に固めて表面に蝋を塗った茶。蝋茶とも書く。 荷包=本来「巾着」のこと巾着型をした料理名に好く使われる。例えば、「荷包蛋(ホーパオタン)」といえば、鶏卵を巾着状に油で煮たもの 玉板鮓A=魚の漬物や干物の類。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
sechin@nethome.ne.jp です。
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