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瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今朝のウェブニュースより
e6b2efac.JPG 藤原新が五輪へ! 日本人トップ2位/東京マラソン ――  ロンドン五輪男子の代表選考会を兼ねた東京マラソン(東京都庁前発東京ビッグサイト着、サンケイスポーツなど後援)が26日、行われ、藤原新(30)=東京陸協=が日本人トップの2時間7分48秒で2位。五輪代表入りがほぼ確実となった。公務員ランナーの川内優輝(24)=埼玉県庁=は2時間12分51秒の14位に終わった。/レースは5キロすぎから外国人招待選手7人と藤原正和(30)=ホンダ=が抜け出してペースを作る。しかし20キロ手前で藤原正は先頭集団から脱落し、第2集団に追いつかれる。藤原新は26キロすぎに第2集団から抜け出し、日本勢トップに立つ。ペースを上げて32キロ過ぎには4位に浮上し、ラスト1キロで2人を抜いた。藤原新は「6分台を狙っていたけど、一人旅が長かったので、きょうはこのタイムで合格」と笑顔を見せた。/優勝はケニアのマイケル・キピエゴ(28)で2時間7分37秒。元世界記録保持者の“皇帝”ハイレ・ゲブレシラシエ(38)=エチオピア=は、レース終盤まで先頭を走っていたが最後に失速し4位に終わった。川内は給水に何度も失敗し、22キロ過ぎに第2集団から脱落した。 (SANSPO.COM 2012.2.26 11:25)
 
 海老名市在住のchaboさんから、2枚の写真を貼付したメールが届いていた。曰く、「走る姿の撮影は難しいです。」
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 夢渓筆談 巻18より 活版の始まり
 版印書籍、唐人尚未盛為之、自馮瀛王始印五經、已後典籍、皆為版本。慶歷中、有布衣畢昇、又為活版。其法用膠泥刻字、薄如錢唇、每字為一印、火燒令堅。先設一鐵版、其上以松脂臘和紙灰之類冒之。欲印則以一鐵範置鐵板上、乃密布字印。滿鐵範為一板、持就火煬之、藥稍鎔、則以一平板按其面、則字平如砥。若止印三、二本、未為簡易;若印數十百千本、則極為神速。常作二鐵板、一板印刷、一板已自布字。此印者才畢、則第二板已具。更互用之、瞬息可就。每一字皆有數印、如之、也等字、每字有二十餘印、以備一板內有重復者。不用則以紙貼之、每韻為一貼、木格貯之。有奇字素無備者、旋刻之、以草火燒、瞬息可成。不以木為之者、木理有疏密、沾水則高下不平、兼與藥相粘、不可取。不若燔土、用訖再火令藥熔、以手拂之、其印自落、殊不沾汙。昇死、其印為余群從所得、至今保藏。
〔訳〕書籍を木版で印刷することは、唐代ではまだあまり盛んではなかった。馮瀛王(ふうえいおう)が初めて五経を木版印刷で刊行して以来、伝統的に重要視されてきた書籍はすべて木版本になったのである。慶暦年間〔宋、仁宗の年号。1041~48年〕になるとさらに平民の畢昇(ひっしょう)が活版を作り出した。その方法は厚さが銅銭の縁ほどの粘土に字を彫る。一字ごとに一活字を作り、焼いて硬度を高める。一方鉄板を用意し、その上に松脂・蝋と紙灰のたぐい〔の接着剤〕を塗り付ける。さて印刷となると鉄製のわくを鉄板の上に置いてから、活字をぎっしりと敷き並べ、一鉄わくで一活版ができると、火でこれを熱して接着剤を少し溶かしてから、平らな板でその面をおさえて、括字面を砥石のように平らにする。もし二、三冊だけ印刷するというのなら、この方法はあまり簡便とはいえないが、数十冊、数百冊、数千冊という本を印刷するとなったら、非常に手早く出来る。いつも二枚の鉄板を用意して、一枚の方で印刷し、一方が印刷し終わった時には、次の版が組み上がる。こうして交互に用いれば、またたくまに印刷ができるわけだ。活字はみな数本ずつ用意され、「之」とか「也」などの字になると二十余本も用意されて一版内の重複にそなえる。使わない時は活字を〔韻別に分類して〕各韻ごとに紙をはって韻を示し木の枠に入れてしまっておく。普段用意していないなうな特殊な珍しい字は、その度に粘土に刻(ほ)り、わら火で焼き固めれば、すぐさま出来上がる。〔粘土を用いて〕木を使わない理由は、木目の細かさには粗密があり、水にぬれると高さが不揃いになってしまうし、そのうえ接着剤によくくっ付きすぎて、取り出しにくいからで、粘土の活字のほうが良い。使い終わってから熱して接着剤を溶かし、手で払えば粘土活字はパラリと落ちて、少しも汚れないのだ。昇が死んだあと、その活字は一族中の兄弟達のものとなり、今に至るまで大事な所蔵品になっている。
 
0e75f30e.JPG※馮瀛王とは馮道〔882~954年〕のことで、五代の時に後唐・後晋・遼・後漢・後周五王朝の宰相になったため、後世節操がないとの批評が生まれたが、かれは歴代君主に愛民を説き、実際の行政上でもその実施に努めたので、当時の人々からは称揚されている。死後に瀛王に追封された。五経のの木版刊行は後唐の長興三〔932〕年に始り、後周の太祖〔951~53年〕の時に完成するという、十世紀の乱世の中で王朝の転変を乗越えて着々と進められた、まさに馮道ならではなしえぬ事業であった。これが中国における木版印刷の初めであるとされている。なお実際には五経でなく、九経〔宋以前の九経は礼記・左伝・詩・周礼・儀礼・易・尚書・公羊伝・穀梁伝〕を刊行した。
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10c7cb99.JPG※畢昇(ひっしょう、生年不詳~1052年頃)は、中国・北宋の人物で11世紀に膠泥活字を用いて印刷を行ったとされる。膠泥を用いて活字を作り(膠泥活字)、印刷を行ったとされる。ただし、当時は木版印刷が主流であり、彼の印刷法が幅広く普及したわけではなかった。14世紀、元代になると木活字が愛用されるようになり、以後清朝の乾隆代〔18世紀〕には大小の木活字二五万余字を揃えて『四庫全書』が刊行される。中国で考案された活字の法は、早く朝鮮にも伝えられた。15世紀の初期から19世紀の中期まで、李朝歴代の王立鋳字所で銅を主とする鋳造活字が盛んに使われ、その活字本は日本にも伝わって、日本の古活字版刊行の基をひらいた。ヨーロッパでドイツのJohannes Gutenberg〔ヨハネス・グーテンベルグ、1398?~1468年〕が活字の母型と黄銅製の鋳型を発明し、Mainz(マインツ)で活版の印刷を始めたのは15世紀中期のことである。
 
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