瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
12月11日 9:15··
6年振り程の6年ぶり程の恩師と旧友との夕べ!!!
師は、ひとしきり弾んだ話が途切れた頃に「魔法陣」を少し震える手で書き始めました。サラサラと解いていかれます。3×3はいとも簡単に!4×4と続けて、5×5で小休止!!
御歳93歳で、あられます。
奥様も、就寝中に踵が擦れて痛いので、靴下で足首あてを作りましたよ!!と、89歳の工夫でございます。
友も、仕事も現役、その上お孫さんのお世話と八面六臂の活躍です。
帰宅後、余韻を感じつつ、友に頂いた「とらや」さんの羊羹で、「お自服させて頂きます。」
先生、皆様、ありがとうございます。本当感謝致しております。 MM
日高節夫 様
日高Keです。先日は電話で失礼しました。お元気そうで、安心しました。
一度うかがいたいとお話しましたが、別の機会にしたいと思います。
申し訳ございません。
節夫様に、ご相談したいと思ったのは次のようなことです。
節夫様は、いろいろなことを記録され、冊子にされたりしていますね。
将来、それらをネット公開していただけると、ありがたいなと思ったのです。
わたしは下関の出身ですが、下関出身の林芙美子(北九州市が門司出身と主張して石碑まで建てました)が、出世作「放浪記}で有名になり、それを2千回以上公演した森光子が国民栄誉賞を受賞しました。
わたしは下関の出身ですが、下関出身の林芙美子(北九州市が門司出身と主張して石碑まで建てました)が、出世作「放浪記}で有名になり、それを2千回以上公演した森光子が国民栄誉賞を受賞しました。
放浪記を読んでみると、関東大震災の前後に東京に出てきて、当時の世相の記録にもなっています。
ある朝、大衆食堂のようなところで食事していると、男が入ってきて、「姉さん、10銭しかないんだ。10銭で食えるメシはあるか?」「肉汁ならメシつきで10銭」ということで、メシをかきこむ様子などがあり、当時はそうなのか・・
子供の頃、駅前旅館という森繁久彌・伴淳三郎・フランキー堺などの喜劇映画の記憶があり、井伏鱒二の原作というので読んでみると、上野駅近くの旅館街が舞台で、客からの連絡を電報で受けたりしています。
そういう時代の変化というのがイメージできます。
節夫様の昭和20年8月6日の門司から広島行の記録なども時代の記録になるし、お話でうかがった塾や臨海学校のことなども書き物としてあれば、時代の記録になるでしょう。これからはネットで、そういう時代の記録が公開されてゆくと良いなと思えそういうご相談をしてみたいなと思いました。
また、あらためてご連絡したいと思います。
寒気厳しくなりそうです。ご自愛願います。ありがとうございました。
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目高 拙痴无
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