瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  今日は早朝まで雨が残り、徘徊は取り止め。
 
 東京夢華録 巻六 元宵 一
 正月十五日元宵、大內前自歲前冬至後、開封府絞縛山棚、立木正對宣德樓、遊人已集御街。兩廊下奇術異能、歌舞百戲、鱗鱗相切、樂聲嘈雜十餘里、擊丸蹴踘、踏索上竿。趙野人、倒喫冷淘;張九哥、吞鐵劍;李外寧、藥法傀儡;小健兒、吐五色水、旋燒泥丸子;大特落、灰藥;榾柮兒、雜劇;溫大頭、小曹、嵇琴;党千、簫管;孫四、燒煉藥方;王十二、作劇術;鄒遇、田地廣、雜扮;蘇十、孟宣、築毬;尹常賣、《五代史》;劉百禽、䖝蟻;楊文秀、皷笛。更有猴呈百戲、魚跳刀門、使喚蜂蝶、追呼螻蟻。其餘賣藥、賣卦、沙書、地謎、奇巧百端、日新耳目。至正月七日、人使朝辭出門、燈山上綵、金碧相射、錦繡交輝。面北悉以綵結、山呇上皆畫神仙故事。或坊市賣藥賣卦之人、橫列三門、各有綵結金書大牌、中曰「都門道」、左右曰「左右禁衛之門」、上有大牌曰「宣和與民同樂」。
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72e26c73.jpeg 〔訳〕《元宵一》正月十五日は元宵節だ。宮城の前には歳末から冬至まで開封府が、宣徳楼〔宮城正門〕の真向かいに屋台を結い立て、見物人は早くから御街の両廊下におしかけた。奇術や珍しい見世物、歌舞や百戯が、ずらりとひしめき並び、楽の音は十余里もの間に賑わしく鳴り響き、丸(たま)を撃つもの、鞠を蹴るもの、綱渡りをするもの、高い竿に登るものもいる。趙野人は逆立ちして冷淘(れいとう)を食べて見せる。張九哥は鉄剣を飲む。李外寧は薬法傀儡(やくほうぐくつ)をあやつる。小健児(しょうけんじ)は五色の水を吐き出し、泥の玉を焼く。大特落(だいとくらく)の灰薬、榾柮児(こつとつじ)の雑劇(しばい)もあり、温大頭と小曹は嵆琴(けいきん)を弾く。党千は簫管(しょうかん、尺八のたぐい)を吹く。孫四は薬を焼煉して調剤する。王十二は劇術(たちまわり)を見せる。鄒遇(すうぐう)と田地広(でんちこう)は雑扮(ちゃばん)、蘇十(そじゅう)と孟宣(もうせん)は築毬(けまり)、尹常売(いんじょうばい)は五代史を語る。劉百禽(りゅうひゃっきん)は虫蟻(むし)使いだ。楊文秀は鼓笛。さらに猿芝居やら、魚の刃渡りとか、螻(けら)や蟻を使うものもいる。そのほか薬売り、八卦見、地面の砂に書いた謎解きとか、珍しいものが沢山あり、毎日目新しい見聞を得ることが出来た。正月七日、新年の祝賀に来た諸国の使者が朝廷を辞して外に出るときには、燈山に五色の絹がかけられて、なんとも絢爛豪華であった。北側(宮城正門に面する側)に、五色の絹を張りめぐらして燈山の上にはずらりと神仙の物語が描いてあるのだ。また、町の薬売り、八卦見たちも三つの飾り門を並べて建てた。真ん中は「都問答」、左右は「左・右禁衛之門」と名付け、その上の大きな額に「宣和(徽宗の年号)、民と楽しみを同じうする」と書してあった。
 
※元宵:正月・七月・十月の十五日をそれぞれ上元・中元・下元という。元宵とは、上元の夜の意。つまり旧正月満月の夜のことで、中国では灯篭祭りをする習慣になっているが、これは漢の武帝が夜通し太一神を祭った故事を唐代に沿襲のが起源であるという。
※百戯:雑技とも呼ばれ、軽業・曲技・武技・舞踊あるいは簡単な芝居などを含む演芸。
※冷淘:菜麺店(うどんや)では、もっぱら菜麺・虀淘(せいとう)・冷淘(れいとう)を売ったという。宋代の文章には淘という字がつくものが麺料理店のメニューによく出てくるという。冷淘は、いま中国で涼粉(リャンフェン)と呼ばれるもののたぐいか。涼粉は豆の粉から作ったトコロテン風の大衆食品である。
502c1d70.jpeg※薬方傀儡:薬発傀儡とも書かれ、花火の中から各種の人物や鳥獣を打ち出すもの。四月八日に相国寺の浴仏会で、金盤中に置かれた二尺ほどの釈迦像は金盤中を七歩周行したので、これを見たものは愕然としたというが、当今の薬物傀も、蓋しこの遺意を得たものであろうといわれる。もともと傀儡は操り人形のことで、懸糸傀儡は糸で吊るしてあやつるMarionette(マリオネット)のこと。杖頭傀儡は、日本の文楽人形に近く、人形の頭についた主棒を片手に、人形の両手に着いた細い棒を一方の手に持ってあやつる。花火を使う操り人形は日本にもあり綱火と呼ばれ、いまでも茨城県高岡に伝わっているという。杉の大木の間に綱を渡し、滑車で人形を吊るし、その顔や手足に花火をつけて「三番叟」や「浦島」を踊る人形の姿を夜空にくっきりと浮かび上がらせる。
※大特落の灰落:不明。やはり火薬を用いる芸か。
※榾柮児:木の根っこの意があり、また当時の通俗的な食品にもこれと同音の団子の類の製麺菓子があった。芸人の仇名か、宋代の雑劇には奇妙な名称のものが少なくなかったから、これも榾柮児雑劇という雑劇の一種かもしれない。
※雑劇:宋代の雑劇の内容は雑多とはいえ、その主要なものは白(せりふ)と唱(うた)があり、音楽としては唐に始る大曲という楽曲を用いた、一種の歌舞劇風の芝居であった。
d3d840fd.jpeg※嵆琴:宋代に流行した嵆琴は、奚琴とも書かれ、いまの胡弓の祖。唐代よりその名が見えるが、小円筒形の胴に短い棹をつけて二弦を張ったもので、唐宋代には撥弦楽器だった。元代から弓で弾く擦弦楽器となったという。
※劇術:剣戟や弓術などの武技のことか?
※雑扮:雑劇の後でやる狂言。多くは山東・河北の田夫野人に扮しての茶番狂言であるという。
※笑毬:蹴鞠は笑毬鞠ともいい、牛や豚の胞に空気を詰めて、これを少年たちが囲んで蹴り、できるだけ長い間地上に落とさぬのをよしとするゲームである。
※尹常売:ここに出てくる芸人の名は、客などがつけた仇名ふうのものと思われるものが多く、尹常売の「常売」は、当時の俗語で、こまごました雑貨を呼び売りして歩く街頭の小商人のこと。尹某はもと常売をしていたものか?
※五代史:唐が亡び、宋の太祖が宋朝を開くまでの間の後梁・後唐・後晋・後漢・後周の五代の史話を語る講談。
※虫蟻使い:芸人の名が百禽所からもうかがえるように、虫蟻といっても、虫だけではなく当時は鳥・獣・魚・虫を使う芸はみな「弄百禽」と呼んだらしい。
※燈山:日本で祭礼にだす飾り屋台を山車とか山鉾というが、「燈山」とは燈篭を飾り立てた屋台のことである。
 
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