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 毎月28日は不動明王の縁日だという。本日1月28日は初縁日。
 征夷大将軍が支配していた歴史の有る関八州における高幡山金剛寺(たかはたさんこんごうじ)、成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)、玉嶹山總願寺(ぎょくとうさんそうがんじ)の3つの不動明王を本尊とする寺院は関東三不動として有名であるが、江戸には目白、目赤、目黒、目青、目黄の五色不動というのがある。寛永年間(1624~43年)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝えられている。江戸城鎮護のために不動明王像を造立し、王城鎮護の四神にならい江戸城の四方に配置したのが目黒・目白・日赤・目青の四不動であろうとされている。後になって徳川将軍家光が、四不動に目黄不動尊を加えた五つの不動尊を「五眼不動」としてまとめあげたと伝えられる。即ちこの五色とは[目」にあるのではなく、東西南北中央の五方角を色〔五行思想〕で示したものなのである。ちなみに、五色不動の場所は次の5種6ヶ所とされる。
f41363b1.JPG①目黒不動 - 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)
②目白不動 - 金乗院(東京都豊島区高田)
江戸時代は現在の文京区関口江戸川公園付近にあった新義真言宗新長谷寺の本尊
③目赤不動 -金乗院南谷寺(東京都文京区本駒込)
④目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)
 本来の寺名は平井の目黄と同じ最勝寺
⑤目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三ノ輪)
⑦目黄不動 - 最勝寺(東京都江戸川区平井)
 
 不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が悪を断じ、衆生を教化するため、外には憤怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現われたとされています。また、宇宙のすべての現象は、地、水、火、風、空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれます。不動尊信仰は密教が盛んになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描き分けることは、平安時代すでに存在したといわれている。
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