瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
仁や徳を説き、性善説に立つ孔子などに対して、韓非子は人を信用しない性悪説の立場を取り、法による厳格な統治を説いた。このような「法家」の主張は、当時の中国全土を制圧しつつあった秦の始皇帝に採用され、帝国の実現に貢献したようであるが、始皇帝は、自らは法家の教えを取り入れたものの、その思想が他の国々に広まって、秦の全国制覇の障害となることを恐れ、密かに韓非子を殺させてしまうのである。
韓非子 説林篇(上)第二十二より
樂羊為魏將而攻中山。其子在中山,中山之君烹其子而遺之羹。樂羊坐於幕下而啜之,盡一杯。文侯謂堵師贊曰、“樂羊以我故而食其子之肉。”答曰、“其子而食之,且誰不食?” 樂羊罷中山,文侯賞其功而疑其心。
孟孫獵得麑。使秦西巴持之歸。其母隨之而啼。秦西巴弗忍而與之。孟孫歸,至而求麑。答曰、“余弗忍而與其母。” 孟孫大怒,逐之。居三月,復召以為其子傅。其御曰、“曩將罪之,今召以為子傅何也?” 孟孫曰、“夫不忍麑,又且忍吾子乎?” 故曰、“巧詐不如拙誠。” 樂羊以有功見疑,秦西巴以有罪益信。
楽羊魏の将と為りて中山を攻む。/其の子中山に在り、中山の君、其の子を烹て之に羹を遺る。/楽羊幕下に坐して之を啜り、一杯を尽くせり。/文侯堵師賛に謂ひて曰はく、「楽羊我の故を以て、其の子の肉を食ふ。」と。/答へて曰はく、「其の子にして之を食ふ、且つ誰か食はざらん。」と。/楽羊中山より罷る。/文侯其の功を賞したるも其の心を疑ふ。
孟孫猟して麑を得。/秦西巴をして之を載せて持ち帰らしむ。/其の母之に随ひて啼く。/秦西巴忍びずして之に与ふ。/孟孫帰り至りて麑を求む。/答へて曰はく、「余忍びずして其の母に与ふ。」と。/孟孫大いに怒りて之を逐ふ。/居ること三月、復た召して以て其の子の傅と為す。/其の御曰はく、「曩には将に之を罪せんとし、今は召して以て子の傅と為すは、何ぞや。」と。/孟孫曰はく、「夫れ麑に忍びず、又且つ吾が子に忍びんや。」と。/故に曰はく、「巧詐は拙誠に如かず。」と。/楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益ゝ信ぜらる。
〈訳〉樂羊が魏の将となって中山〈河北省〉を攻めたが、樂羊の子が偶々中山にいたので、中山の君は、その子を殺して煮て肉汁を作り、樂羊に贈った。/樂羊はその肉汁をすすり、一椀をすっかり平らげた。魏の文侯は堵師賛(としさん)に言った。「樂羊は、私のために、わが子の肉をたべた」/ところが堵師賛はこう答えた。「自分の子でも食べたのです。それでは誰の肉でも食べかねますまい」/樂羊は中山より帰国したが、文侯はその功を賞したけれど、その心情を疑い信用しなかった。
孟孫氏が猟をした時,子鹿を捕え、秦西巴(しんせいは)に命じて車に乗せて持ち帰らせようとしたが、秦西巴はその母親が啼きながら後を追って来るのをみて哀れに思い母親にやってしまった。孟孫は帰ってから、先の子鹿を求めると、秦西巴は答えた。「私は哀れでたまりませんでしたから、母親にやってしまいました」/孟孫は、大いに怒って秦西巴を追放したが、三月たつと、再び召しだして、その子の守り役とした。そこで、孟孫の御者ははこう言った。「さきには罰しようとなさいましたのに、いまは、うってかわって召しだされお子様の守り役となさいましたのは、どういうわけでございますか」/孟孫はこたえた。「子鹿さえ憐れでたまらぬようなら、私の子につれなくすることがあろうか。まことに子守り役としてふさわしい人物である」/だから古語に「上手ないつわりは、下手なまごころにおよばない」とある。かの樂羊は功を立てながらうたがわれ、秦西巴は、罪があったけれどますます信用された。
韓非子 説林篇(上)第二十二より
樂羊為魏將而攻中山。其子在中山,中山之君烹其子而遺之羹。樂羊坐於幕下而啜之,盡一杯。文侯謂堵師贊曰、“樂羊以我故而食其子之肉。”答曰、“其子而食之,且誰不食?” 樂羊罷中山,文侯賞其功而疑其心。
孟孫獵得麑。使秦西巴持之歸。其母隨之而啼。秦西巴弗忍而與之。孟孫歸,至而求麑。答曰、“余弗忍而與其母。” 孟孫大怒,逐之。居三月,復召以為其子傅。其御曰、“曩將罪之,今召以為子傅何也?” 孟孫曰、“夫不忍麑,又且忍吾子乎?” 故曰、“巧詐不如拙誠。” 樂羊以有功見疑,秦西巴以有罪益信。
楽羊魏の将と為りて中山を攻む。/其の子中山に在り、中山の君、其の子を烹て之に羹を遺る。/楽羊幕下に坐して之を啜り、一杯を尽くせり。/文侯堵師賛に謂ひて曰はく、「楽羊我の故を以て、其の子の肉を食ふ。」と。/答へて曰はく、「其の子にして之を食ふ、且つ誰か食はざらん。」と。/楽羊中山より罷る。/文侯其の功を賞したるも其の心を疑ふ。
孟孫猟して麑を得。/秦西巴をして之を載せて持ち帰らしむ。/其の母之に随ひて啼く。/秦西巴忍びずして之に与ふ。/孟孫帰り至りて麑を求む。/答へて曰はく、「余忍びずして其の母に与ふ。」と。/孟孫大いに怒りて之を逐ふ。/居ること三月、復た召して以て其の子の傅と為す。/其の御曰はく、「曩には将に之を罪せんとし、今は召して以て子の傅と為すは、何ぞや。」と。/孟孫曰はく、「夫れ麑に忍びず、又且つ吾が子に忍びんや。」と。/故に曰はく、「巧詐は拙誠に如かず。」と。/楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益ゝ信ぜらる。
〈訳〉樂羊が魏の将となって中山〈河北省〉を攻めたが、樂羊の子が偶々中山にいたので、中山の君は、その子を殺して煮て肉汁を作り、樂羊に贈った。/樂羊はその肉汁をすすり、一椀をすっかり平らげた。魏の文侯は堵師賛(としさん)に言った。「樂羊は、私のために、わが子の肉をたべた」/ところが堵師賛はこう答えた。「自分の子でも食べたのです。それでは誰の肉でも食べかねますまい」/樂羊は中山より帰国したが、文侯はその功を賞したけれど、その心情を疑い信用しなかった。
孟孫氏が猟をした時,子鹿を捕え、秦西巴(しんせいは)に命じて車に乗せて持ち帰らせようとしたが、秦西巴はその母親が啼きながら後を追って来るのをみて哀れに思い母親にやってしまった。孟孫は帰ってから、先の子鹿を求めると、秦西巴は答えた。「私は哀れでたまりませんでしたから、母親にやってしまいました」/孟孫は、大いに怒って秦西巴を追放したが、三月たつと、再び召しだして、その子の守り役とした。そこで、孟孫の御者ははこう言った。「さきには罰しようとなさいましたのに、いまは、うってかわって召しだされお子様の守り役となさいましたのは、どういうわけでございますか」/孟孫はこたえた。「子鹿さえ憐れでたまらぬようなら、私の子につれなくすることがあろうか。まことに子守り役としてふさわしい人物である」/だから古語に「上手ないつわりは、下手なまごころにおよばない」とある。かの樂羊は功を立てながらうたがわれ、秦西巴は、罪があったけれどますます信用された。
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