紅花(くれない)を詠んだ歌1
キク科ベニバナ属の紅花(ベニバナ)のこと、また紅花で染めた鮮やかな赤い色を指しています。紅花は6~7月頃にアザミに似た黄色の花(次第に赤くなります)を咲かせます。アジア原産の一年草で、日本には飛鳥時代にやってきたと考えられています。
紅花(ベニバナ)は染色に使われ、朱華(はねず)、紅(くれない)、黄丹(おうに)などの色を作り出していました。
朱華(はねず)や紅(くれない)に染色された衣服は、灰で洗濯すると色落ちがします。そのことから、「うつろう」、「はかない」の言葉を導くようになったと考えられます。万葉集には、末摘花(すえつむはな)という呼び名でも登場します。
巻4-0683: 言ふ言の畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも
巻6-1044: 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき
巻7-1218: 黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも
巻7-1297: 紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
巻7-1313: 紅の深染めの衣下に着て上に取り着ば言なさむかも
巻7-1343: 言痛くはかもかもせむを紅のうつし心や妹にあらざらむ(一云、岩代ののべの下草吾し刈てば)
巻9-1672: 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
ウェブニュースより
三社祭17、18日 宮神輿1基をトラックで巡行 新型コロナで延期 異例の形に ―― 新型コロナウイルスの影響で初夏から秋に延期された浅草神社(東京都台東区)の三社祭が17、18両日に行われる。東京を代表する祭りは今回、3基ある宮神輿を担がず、1基だけがトラックで巡行する。異例の形でもなお開催にこだわる主催者は、700年以上続く歴史を踏まえ「やめる理由を作るのは簡単。どうしたらやれるかを考えることが、次につながる」と語る。
◆収束見通せず100基超担ぐのは断念
例年5月の三社祭では、宮神輿をはじめ100基超の神輿に多くの担ぎ手が群がり、密集が避けられない。10月への延期発表後もコロナ禍の収束は見通せず、主催する氏子団体の浅草神社奉賛会は担ぐことを断念した。それでも「神様にまちを見てもらうのが本来の目的」と宮神輿の巡行にこだわり、行き着いたのがトラック案だった。
17日は神事のみで、巡行は無し。18日は3基の宮神輿のうち、「一之宮」のみが姿を見せる。装飾したトラックの荷台に載せ、太鼓とお囃子が先導し、宮司が乗った人力車が後に続いて、浅草の各町を巡る。行列の人数は警備など最小限にとどめる。見物客が群がらないよう、コースは公表せず、トラックは人の歩く速さの倍くらいの「人力車並み」で走る。
「終わってようやく年が明ける」と口にするほど、浅草の人たちは三社祭を心の支えとしている。界隈が焼き尽くされた戦争後も「早く祭りを」と、焼失した宮神輿の再建を待たず、1948年に再開した。
◆「もがいた跡を残したかった」
浅草神社総代の1人、冨士滋美さん(72)は「戦後と比べたら今は神輿も家もある。コロナで大変だが、やれることから始めないと、何もしないことに慣れてしまう。もがいた跡を残したかった」と話す。
観光面で落ち込む浅草にとっては期待が高まる2日間となるが、主催者は「見物の自粛」を促し、代わりに動画投稿サイトのユーチューブで生中継する。浅草観光連盟の会長でもある冨士さんは苦渋の決断を乗り越え、「無事に祭りを終えるのが一番。粛々と執り行いたい」と気を引き締める。 (東京新聞 2020年10月16日 17時16分)
容花(かほばな)を詠んだ歌
花(かほばな)が現在の何の花にあたるかははっきりとはしていないようです。かきつばた、むくげ、昼顔などと言われています。
写真は昼顔ですが、昼顔は7月から8月にかけて、野原や道端に生えるので、どこにでも見ることができます。
容花(かほばな)は4首に詠まれています。いずれも恋の歌ですね。
巻8-1630:高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも
巻10-2288:石橋の間々に生ひたるかほ花の花にしありけりありつつ見れば
巻14-3505:うちひさつ宮能瀬川のかほ花の恋ひてか寝らむ昨夜も今夜も
巻14-3575:美夜自呂のすかへに立てるかほが花な咲き出でそねこめて偲はむ
ウェブニュースより
競泳 瀬戸大也選手「年内活動停止」の処分に 女性問題で ―― 日本の競泳陣で唯一、東京オリンピック代表に内定している瀬戸大也選手について、日本水泳連盟は13日、臨時の常務理事会を開き、瀬戸選手をめぐる女性問題が日本水連の名誉を著しく傷つけたなどとして、年内の活動を停止する処分とすることを決めました。
日本水泳連盟は、瀬戸選手が先月、女性問題を報じられ謝罪したことを受けて、12日に倫理委員会を開き本人から事情を聞いたうえで、13日、臨時の常務理事会で処分について話し合いました。
その結果、瀬戸選手の行為はスポーツマンシップに違反し、日本水連など関係団体の名誉を著しく傷つけ、競技者の資格を定めた規則に違反したとして、日本水連の公式大会への出場や、強化合宿、それに海外遠征など、年内の活動を停止する処分とすることを決めました。
瀬戸選手が処分に不服を申し立てず確定すれば、12月に行われる日本選手権などへの出場はできないことになります。
日本水泳連盟は「オリンピックの内定選手がこのような事態を招いたことは大変遺憾で、関係者に多大なご迷惑をおかけしたことを深くお詫びしたい。今後は選手の行動規範と社会的規範の教育を徹底していく」とコメントしています。
瀬戸選手コメント「一からやり直す覚悟」
日本水泳連盟が年内の活動を停止する処分を決めたことについて瀬戸選手がコメントを出しました。
瀬戸選手は「処分を厳粛に受け止め私の行動でご迷惑をおかけしている関係者や応援してくださっている皆様に改めてお詫びいたします」としています。
そのうえで「どうしたらお詫びできるかを自分自身に問い続けてきましたが、私にとってのお詫びはこれからも水泳で努力していくことだと考えています。無責任な行動で傷つけてしまった家族からの信頼を回復し、スイマーとして再び認めて頂けるよう、一からやり直す覚悟で真摯(しんし)に水泳に向き合っていきたいと思います」としています。 (NHK WEB NEWS 2020年10月14日 1時32分)
杜若(かきつばた)を詠んだ歌
杜若(かきつばた)はアヤメ科の花で、池や川辺の湿地に生え、紫や白の花をつけます。紫色の花でも、花弁の真ん中は白です。
杜若(かきつばた)を詠んだ歌は、万葉集には7首あります。
巻7-1345: 常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし夢に見しかも
巻7-1361: 住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも
巻10-1986: 我れのみやかく恋すらむかきつはた丹つらふ妹はいかにかあるらむ
巻11-2521: かきつはた丹つらふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも
巻11-2818: かきつはた佐紀沼の菅を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
巻12-3052: かきつはた左紀沢に生ふる菅の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ
巻17-3921: かきつばた衣に摺り付け大夫の着襲ひ猟する月は来にけり
ウェブニュースより
名前の由来は「鼓が平らに響く」 筒美京平さん、実は歌謡曲好きではなかった ―― 1970、80年代の歌謡曲黄金期をリードした作曲家筒美京平さんが7日、死去した。曲を聴けば誰もが口ずさめるが、希代のヒットメーカーの素顔はあまり知られていない。「作品には聴く人それぞれに好きなところがあって、自分がこういうふうに作ったと言うのはおこがましい」と話していた筒美さん。曲を第一に考え、自らは黒子に徹した職人だった。
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、郷ひろみさんの「男の子女の子」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」…。
◆切なさと親しみやすさ
生み出した多くの名曲からは想像もできないが、筒美さん自身は実は歌謡曲や演歌があまり好きではなかった。レコード会社に入社する際も「洋楽以外はできません」とはっきり伝えたという。
洋楽ディレクターを務めていた時に作曲家すぎやまこういちさんと出会い、同じ道へ。切なさを帯び、親しみやすくて美しいメロディーを洋楽調のサウンドで包み、人々の心をつかんだ。
◆華やかな表舞台と距離
「大ヒットした曲には、必ず過去の作品にない何か新しいものが加わっている」。流行の歌を数多く聴き、ファッション誌に目を通し、時代の潮流やニーズを探った。華やかな芸能界の表舞台とは距離を置き、誠実に曲作りに打ち込んだ。
「いつも曲が売れることを考えていた。音楽は好きだけど、ヒット曲作りは別物。そういう心構えでなければ前に進めなかったし、それが僕の職業だと思っていたから」
◆晩年も音楽業界を気に掛け
職人気質を内に秘めながら、普段は温厚で紳士的だった筒美さん。公私にわたり、約40年の親交があった作曲家の平井夏美さんは「スタイリッシュでプロに徹する立派な人。(作曲家を)引退するなんて自分で言うのはおこがましい話で、自然にやめていくのがいいという美意識を持った方でした」と悼んだ。
表だった作曲活動から遠ざかっていた晩年も筒美さんはヒット曲や人気バンドの新曲などを聴き、音楽業界を気に掛けている様子だったという。
名前の由来は「鼓が平らに響く」で、表記も最初は「鼓響平」を考えていたとされる。残した名曲の数々は時代を超え、まるで鼓動のように人々の心に響く。(共同) (東京新聞 2020年10月12日 18時47分)
芋(うも)を詠んだ歌
芋(うも)は、サトイモ科サトイモ属の多年草の里芋(さといも)のことです。原産は熱帯アジアだそうですが、古代から畑に植えて食用としてきたのですね。
芋(うも)を詠んだ歌は、1首だけです。蓮の葉と芋の葉を比べた、宴席での戯れの歌です。
巻16-3826: 蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし
ウェブニュースより
仲邑初段 全棋戦本戦最年少勝利記録更新 上野初段との最年少対決制す ―― 囲碁の最年少プロ、仲邑菫初段(11)が8日、日本棋院東京本院で行われた第24期ドコモ杯女流棋聖戦本戦1回戦で上野梨紗初段(14)と対戦。236手で白番6目半勝ちした。
仲邑初段は、村川大介初段(段位は当時、関西棋院所属)の持つ全棋戦本戦最年少勝利記録(2004年1月29日、第29期新人王戦1回戦、13歳1カ月で村川大介初段が加藤祐輝三段に勝利)も更新した。
仲邑初段は「結構よく打てたと思います。特に緊張はしなかったです。中盤で黒四子を取った時に優勢になったと思いました。次も自分らしく精いっぱい打ちたいです」と喜びを表した。上野初段は「対局前に仲邑初段の碁を少し見ましたが元気がすごかったです。今回の碁は中盤ミスしてしまったので…。でもミスが無かったら形勢がどうかは分かりません。ミスが無くても悪かったら完敗です」とコメントした。
対局時点で上野初段は14歳3カ月(2006年6月24日生)、仲邑初段は11歳7カ月(2009年3月2日生)で、両者の年齢を足して25歳10カ月。これまでの2019年4月22日に行われた第29期竜星戦予選B(大森らん初段-仲邑初段)の26歳9カ月を更新し、最年少対局記録だった。 (デイリースポーツ 10/8(木) 15:33配信)
菅政権、学術会議にメス 野党「論点すり替え」と批判 ―― 菅義偉首相が日本学術会議の会員候補6人を任命しなかった問題で、政府・自民党は学術会議の組織見直しを打ち出した。守勢に立たされている現状を、行政改革という新たな論点で局面転換する狙いがあるとみられる。ただ、問題は「政府・自民党」対「学術会議・野党」の対立構図で激しさを増しており、思惑通りとなるかは見通せない。
「学術会議の役割に関心が集まっている。これを機会に学術会議の在り方がいい方向に進むようなら歓迎したい」。菅氏は9日のインタビューで、学術会議見直しの動きが出ていることを評価した。
具体的な見直し対象は、年間約10億円の学術会議に関する国の予算や、学術会議の事務局員50人体制などだ。政府高官は「この機会に準民間組織にしてもいい」とけん制する。自民党も学術会議の在り方を検討する党プロジェクトチームを来週発足させ、活動状況や組織形態など問題点をあぶり出す構えだ。
組織論に照準を合わせる政府・自民党には、任命見送り問題から国民の目をそらしたいとの思惑が透ける。この日のインタビューでも菅氏は「国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した」と述べるだけで、任命しなかった具体的理由は明らかにしなかった。
ある政府関係者は「こういう答弁しかできない。説明できる理屈はない」と形勢が不利な状況にあることを認めた。自民党幹部も「政府が議論をすり替えようとしている」と解説した。
一方、野党は元学術会議会長の大西隆氏らを会合に招くなど追及の手を緩めていない。大西氏は会合で2016年の補充人事の際、首相官邸が人事案に難色を示したと明かし、安倍政権下での人事への不当介入を印象付けた。今回の任命見送りについても「選考基準と違う基準を適用して任命拒否したとなれば法律違反になる」と批判した。
野党は学術会議を行革の対象とする動きを問題視している。「全く別のことを持ち出し、学術会議の改革と言うつもりか。議論のすり替えだ」(共産党幹部)と非難。立憲民主党幹部も「こういうのは触らないでおくのがいいのに」とほくそ笑んだ。 (JIJI.COM 2020年10月10日07時09分)
茨(うばら、うまら)を詠んだ歌
茨(うばら)は、バラ科バラ属の落葉低木の野薔薇(のいばら)のことです。山野に生え、5~6月頃に、小さくて白い花を沢山咲かせます。秋に赤い実をつけます。道の辺の茨のうれに・・・の歌に詠まれている「うまら」は、「うばら」の東国方言とされています。
巻16-3832: からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
巻20-4352: 道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ
ウェブニュースより
藤井聡太二冠が王将リーグ2敗目 豊島竜王に6連敗 ――将棋の高校生棋士、藤井聡太二冠(18)=王位、棋聖=が5日、第70期王将戦(スポーツニッポン新聞社、毎日新聞社主催)の挑戦者決定リーグ戦(通称・王将リーグ)で、豊島将之竜王(30)=叡王とあわせ二冠=に171手で敗れた。
藤井二冠は公式戦で豊島竜王に0勝6敗となった。終局後、豊島竜王は「(藤井二冠は)成長されているので、これから(自分が)厳しくなってくると思います」、藤井二冠は「やはり実力が足りないのかなと思います」と話した。
本局は大阪市福島区の関西将棋会館で午前10時に始まり、午後8時56分に終局した。藤井二冠が快調に攻め、リードを奪ったが、豊島竜王が徹底的に粘り、逆転勝ちした。本局の結果、今期王将リーグでの成績は豊島竜王2勝0敗、藤井二冠0勝2敗と明暗が分かれた。終局後、豊島竜王は「最後の方は(自玉が)寄せられたら仕方が無いかなと思っていた」と熱戦を振り返った。藤井二冠は「(王将リーグは出だし2連敗で)結構厳しいスコアになってしまいましたけど頑張りたいと思います」と話した。
https://www.youtube.com/watch?v=fuhI_8FmH-Y
(朝日新聞DIGITAL 10/5(月) 21:54配信)
後世の人々は一般的に、嵆康と阮籍(210~263年)を「竹林の七賢」の代表的人物であり、魏晋時代に儒教に反対した「過激派」のような人物として見なしています。しかし、阮籍はその晩年に態度を大きく変え、「言葉では人の善し悪しをあげつらうことはなかった」と言われるほどとなったが、嵆康は終生変わらず、後に魯迅が「嵆康の気性は生涯にわたってひどいものだった」と語ったほどだった。「ひどい気性」とは、世俗におもねることをせずにことさら才能をひけらかし、妥協することがなかったことを指し、この姿勢はその作品の中に充分に表れています。
嵆康は詩文の創作とその行動において玄学(老荘思想に基づいて儒教経典を解釈する学問)を表現し、独自のロマンチックな文学の風格を作り上げたことから、南朝の梁の文人、劉勰(りゅうきょう)は「嵆康師心以遣論」とこれを高く評価しました。この評価は、嵆康の作品についての的を射た表現であるだけにとどまらず、その自由奔放な人柄を真に描写したものです。
嵆康は自分の考えに固執したために最期は司馬氏によって殺害されるに至ります。しかし、彼の精神は時空を超えて光芒を放ち、中国古代の士大夫の間では心のよりどころとなり、その名声は魏晋時代の王弼(おうひつ、226~249年)や何晏(かあん、?~249年)をも超え、名士たちの鑑となったことから、われわれも彼について学び、語り継ぐに値します。
彼の作品は現代に伝わり、朗唱され続け、今なお人々に影響を与えています。なかでも「琴賦」は、後世に伝わる嵆康の作品の中で唯一の「賦」(中国古代の韻文の一種)であり、音楽理論に精通していた彼の思想の一部を表すものであります。彼はただひたすらに美辞麗句を追求することに反対し、音楽や詩歌のもつ「理」を真に理解する必要があると主張しました。
また、彼は琴について、材料や起源、製作、弾奏の技法、曲名、場面等のさまざまな面から検証を加え、穏やかで落ち着いた琴の品性と、豊かで調和した琴の音色によって、琴は楽器の王と成りえていると主張しました。そして、雅やかな琴の最高の美を知り尽くした者のみが優れた演奏を成しうると考えたのです。
この文章が後世に与えた影響は非常に大きく、遅くとも唐代初期のころには遠く日本にも伝わっていたといいます。なかでも、『万葉集』第五巻に収録されている大伴旅人の歌が記された書状「梧桐日本琴」の語句は、嵆康の「琴賦」および『文選』中の他の詩賦や『游仙窟』、『荘子』、『史記』等の典籍に由来しており、「琴賦」と「梧桐日本琴」の関係性が高いことから、研究者たちから特に関心を集めています。
天平元年(729年)10月、時の大宰帥であった大伴旅人(665~731年)は、梧桐の日本琴を一面、遠く奈良の藤原房前(681~737年)に贈り、書状と歌を添えて送りました(「梧桐日本琴」)。その文章は房前からの返信とともに『万葉集』第五巻に収録されています。そして、その中の多くの言葉は、の「琴賦」からそのまま引用したものです。(昨日ブログ参照)
引用された語句や文章の構想、結びの部分から見れば、大伴旅人は音楽の道に精通していた上に、嵆康の世俗から離れた音楽的思想を深く理解していたこと、そして「梧桐日本琴」においては老荘思想の道に基づき、嵆康の「琴賦」にひそむ隠棲思想に従い、それを体得していたことがわかります。特筆すべきは、このような大伴旅人の引用の方式は単なる引用にとどまるものではないことです。北京外国語大学日語系の何衛紅が示すように、『万葉集』に登場する「梧桐日本琴」は、その名は「日本琴」ではあるが、魏晋六朝文学における「琴」の文学的な情趣を引用することによって、日本文学においてかつての「日本琴」とは異なるものが創造されたといえましょう。
梧桐日本琴
『万葉集』におさめられる大伴旅人(おおとものたびと)(665~731)の「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對島結石(ゆいし)山の孫枝(ひこえ)」は、明らかに琴、すなわち七絃琴を歌ったものです。
題名の「梧桐」とはアオギリのことであり、琴は梧桐をもって製す。前文の典拠となったものは、嵆康の『琴賦』で、「惟(こ)れ椅梧(いご)の生ずる所、峻獄(しゅんがく)の崇岡(しゅうかう)に託(たく)す」「旦(あした)に幹を九陽に晞す 」とあります。また「左琴」とは、劉向(りゅうきょう)『列女伝』(前漢)巻二、賢明伝、楚於陵妻(そのおりょうのつま)「君子は琴を左にし書を右にするも、楽しみまたその中に在り」によります。「声知らむ」とは「知音」の謂(いい)であり、伯牙断琴の故事を典拠とします。『琴賦』にも「音を識る者希(まれ)なり、孰(いづ)れか能(よ)く雅琴を盡(つく)すは、唯至人(しじん)のみ」とあります。「散じて小琴となる」の「散」という字だが、これは「斲」とあったのが同字の「斮」から「散」に誤写されたのではないかとも言われ、「斲琴(たくきん)」とは七絃琴を製することを意味します。膝の上にのること、音量が小さいこと、たとえ音質が悪くとも「徳音」とは琴の音をいう尊称です。これらのことを鑑みるなら「梧桐日本琴」は七絃琴であると断定せざるを得ません。しかしそこで疑問になるのはなぜ「日本琴」なのか、ということです。この琴を和琴というなら七絃琴の代用だったのでしょうか。
それとも「膝の上」ということから埴輪琴型の倭琴でしょうか。それならあえて「日本」と言う必要もないでしょう。誰に対し「日本」という言葉を使ったのでしょうか。旅人は明らかに自国の人に向かってこの言葉を使っています。ならば、この琴は中国で作られ日本に伝来された唐琴ではなく、日本の地に生ず梧桐で作られた日本の七絃琴であると、そう考えられないでしょうか。
梧桐(あをぎり)を詠んだ歌
梧桐(あをぎり)は、アオギリ科の落葉高木です。葉が桐(きり)に似ていて、樹皮が緑なので、青桐(あをぎり:)といわれます。梧桐は、中国名です。亜熱帯地域に自生しますが、日本でも街路樹として植えられています。
万葉集第5巻に、次のような手紙といっしょに以下の3首が詠まれています。
巻5-0810:いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
巻5-0811:言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
巻5-0812:言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも
大伴淡等謹状 大伴旅人(おおとものたびと)謹んで申し上げます。
標題:梧桐日本琴一面 對馬結石山孫枝
標訓:梧桐(ごとう)の日本(やまと)琴(こと)一面 対馬の結石(ゆふし)山の孫枝(ひこえ)
序:此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒(蠻) 晞韓九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰
序訓:此の琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて曰はく、「余(われ)、根を遥嶋(えうたう)の崇(とうと)き蠻(はずれ)に託(つ)け、韓(から)を九陽(くやう)の休(よ)き光に晞(ほ)す。長く烟霞を帶びて山川の阿(くま)に逍遥し、遠く風波を望みて鴈木(がんぼく)の間に出入す。唯(ただ)百年の後に、空しく溝壑(こうかく)に朽ちむことを恐るるのみ。偶(たまため)良き匠(たくみ)に遭ひて、散られて小琴と為(な)る。質の麁(あら)く音の少(とも)しきを顧みず、恒(つね)に君子(うまひと)の左琴(さきん)を希(ねが)ふ」といへり。即ち歌ひて曰はく、
意訳:この琴が娘子になって言うには、「自分は遥かな島の尊き外れの地に根をおろし、幹を美しい日の光にさらしていました。長く霞に包まれ、山川の間に遊び、遠く風波を望み、お役に立てる用材になるかならないかと案じていました。唯、心配な事は、百年の後に寿命を向かえ、いたずらに谷底に朽ち果てることを恐れています。図らずも良き工匠の手にかかり、削られて小さい琴となりました。音色も粗く、音量も小さいのですが、どうか君子の側近くに愛琴となりたいといつも願っています。」と言って、次のように歌いました。
注意:原文の「余託根遥嶋之崇蠻」は、一般に「余託根遥嶋之崇巒」とし「余(われ)、根を遥嶋(えうたう)の崇(たか)き巒(みね)に託(つ)け」と訓みます。
原文:伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武
万葉集 巻5-0810
作者:大伴旅人
よみ:如何(いか)にあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)吾(わ)が枕(まくら)かむ
意訳:どんな日のどんな時になれば、私の音を聞き分けて下さる人の膝で琴である私は音を立てることが出来るのでしょうか。
標題:僕報詩詠曰
標訓:僕(われ)詩に報(こた)へて詠(うた)ひて曰はく
原文:許等々波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志
万葉集 巻5-0811
作者:大伴旅人
よみ:事(こと)問(と)はぬ樹にはありとも愛(うるは)しき君が手馴(たな)れの琴にしあるべし
意訳:(琴の娘よ)立派な音を鳴らさない木であったとしても、立派な御方の愛用の琴にならなければいけません。
試訓:子(こ)等(と)問はぬ貴にはありとも愛(うるは)しき大王(きみ)が手馴れの子(こ)等(と)にしあるべし
試訳:家来である家の子たちを区別しない高貴なお方といっても、家来は麗しいあのお方の良く知る家の子らでなくてはいけません。
標題:琴娘子答曰 敬奉徳音 幸甚々々
標訓:琴娘子の答へて曰はく「敬(つつし)みて徳音(とくいん)を奉(うけたま)はりぬ 幸甚(こうじん)々々」といへり。
意訳:琴娘子が答へて云うには「謹んで立派なご命令を承りました。幸せの限りです」と答えました。
標題:片時覺 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳 (謹状不具)
標訓:片時にして覺(おどろ)き、即ち夢の言(こと)に感じ、慨然として止黙(もだ)をるを得ず。故(かれ)、公使(おほやけつかひ)に附けて、聊(いささ)か進御(たてまつ)る。(謹みて状す。不具)
意訳:ほんのわずかな間で夢から覚め、そこで夢の中の物語に感じるものがあり、興奮して黙っていることが出来ません。それで、公の使いに付託して、ぶしつけですが、進上いたします。(謹んで申し上げます。不具)
左注:天平元年十月七日附使進上
謹通 中衛高明閤下 謹空
注訓: 天平元年十月七日に使に附して進上す
謹通 中衛高明閤下 謹空 (漢文慣用句のため、省略)
標題:跪承芳音、嘉懽交深。乃、知龍門之恩、復厚蓬身之上。戀望殊念、常心百倍。謹和白雲之什、以奏野鄙之歌。房前謹状。
標訓:跪(ひざまづ)きて芳音を承り、嘉懽(かこん)交(こもごも)深し。乃ち、龍門の恩の、復(また)蓬身(ほうしん)の上に厚きを知りぬ。戀ひ望む殊念(しゅねん)、常の心の百倍せり。謹みて白雲の什(うた)に和(こた)へて、野鄙の歌を奏る。房前謹みて状(まう)す。
意訳:謹んで御芳書を拝承し、芳書が立派である思いとその芳書を頂くことが嬉しいとの気持ち入り交じり思いは深いことです。そこで、規律を守り品格高い貴方と交遊を許されるご恩は、今も卑賤の身の上に厚いことを知りました。貴方にお会いしたいと願う気持ちは、常の気持より百倍も勝ります。謹んで、遥か彼方からの詩に和唱して、拙い詩を奉ります。房前、謹んで申し上げます。
注意:原文の「龍門之恩」は、後漢書の李脩伝の一節「是時朝廷日亂、綱紀頽地、膺獨持風栽、以聲名自高。士有被其容接者、名為登龍門」からの言葉で「規律と品格を保ち、李脩(ここでは旅人)と交遊を結べたこと」を意味します。
原文:許等騰波奴 紀尓茂安理等毛 和何世古我 多那礼之美巨騰 都地尓意加米移母
万葉集 巻5-0812
作者:藤原房前
よみ:事問(ことと)はぬ木にもありとも吾(わ)が背子が手馴(たな)れの御琴(みこと)土(つち)に置かめやも
意訳:立派な音を鳴らさない木であっても、私の尊敬する貴方の弾きなれた御琴を土の上に置くことはありません。
試訓:子(こ)等(と)問はぬ貴にありとも吾が背子が手馴れの御命(みこと)土に置かめやも
試訳:家来の家の子たちを区別しない高貴なお方であっても、私が尊敬するあのお方が良く知るりっぱな貴方を地方に置いておく事はありません。
左注:謹通 尊門 (記室) 十一月八日附還使大監
注訓:謹通 尊門 (記室) (漢文慣用句のため、省略) 十一月八日に、還る使ひの大監に附す
※藤原房前(ふじわらのふささき、681~737年)
飛鳥時代後期~奈良時代前期の公卿です。藤原北家の祖。
藤原不比等の次男。23歳で巡察使となり、主に東海道の行政監察に当たります。717年に兄武智麻呂を差し置いて参議へ昇進します。元明上皇の信任篤く、その遺詔を長屋王と二人で受け、内臣として元正天皇の補佐を務めます。728年には新設の中衛府の大将に就任。長屋王の失脚後は参議に留め置かれ、兄の後塵を拝するようになります。当時流行していた天然痘によって兄弟に先んじて急死しますが、子孫の藤原北家は藤原氏の本流として大きく繁栄してゆきます。
菖蒲(あやめぐさ)を詠んだ歌5
巻19-4177: 我が背子と手携はりて明けくれば.......(長歌)
標題:四月三日、贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥謌、不勝感舊之意述懐一首并短謌
標訓:四月三日に、越前判官大伴宿祢池主に贈れる霍公鳥(ほととぎす)の謌、舊(ふる)きを感(め)づる意(こころ)に勝(あ)へずして懐(おもひ)を述べたる一首并せて短謌
原文:和我勢故等 手携而 暁来者 出立向 暮去者 授放見都追 念鴨 見奈疑之山尓 八峯尓波 霞多奈婢伎 谿敝尓波 海石榴花咲 宇良悲 春之過者 霍公鳥 伊也之伎喧奴 獨耳 聞婆不怜毛 君与吾 隔而戀流 利波山 飛超去而 明立者 松之狭枝尓 暮去者 向月而 菖蒲 玉貫麻泥尓 鳴等余米 安寐不令宿 君乎奈夜麻勢
万葉集 巻19-4177
作者:大伴家持
よみ:我(わ)が背子と 手携(たづさ)はりて 明けくれば 出で立ち向ひ 夕されば 振り放(さ)け見つつ 思ひ延べ 見(み)なぎし山に 八(や)つ峯(を)には 霞たなびき 谷辺(たにへ)には 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば ほととぎす いやしき鳴きぬ ひとりのみ 聞けばさぶしも 君と我れと 隔(へな)てて恋ふる 砺波山(となみやま) 飛び越え行きて 明(あ)け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて あやめくさ 玉貫くまでに 鳴き響(とよ)め 安寝(やすい)寝(ね)しめず 君を悩ませ
意訳:いとしいあなたと手を取り合って、夜が明けると外に出で立って面と向かい、夕方になると遠く振り仰ぎ見ながら、気を晴らし慰めていた山、その山に、峰々には霞がたなびき、谷辺には椿の花が咲き、そして物悲しい春の季節が過ぎると、時鳥がしきりに鳴くようになりました。しかし、たったひとりで聞くのはさびしくてならない。時鳥よ、君と私とのあいだをおし隔てて恋しがらせている、その砺波山を飛び越えて行って、夜が明けそめたなら庭の松のさ枝に止まり、夕方になったら月に立ち向かって、菖蒲を薬玉に通す五月になるまで、鳴き立てて、安らかな眠りにつかせないようにして、君を悩ませるがよい。
巻19-4180: 春過ぎて夏来向へばあしひきの.......(長歌)
標題:不飽感霍公鳥之情、述懐作謌一首并短謌
標訓:霍公鳥を感(め)づる情(こころ)に飽(あ)かずして、懐(おもひ)を述べて作れる謌一首并せて短謌
原文:春過而 夏来向者 足桧木乃 山呼等余米 左夜中尓 鳴霍公鳥 始音乎 聞婆奈都可之 菖蒲 花橘乎 貫交 可頭良久麻而尓 里響 喧渡礼騰母 尚之努波由
万葉集 巻19-4180
作者:大伴家持
よみ:春過ぎて 夏来向へば あしひきの 山呼び響(とよ)め さ夜中に 鳴く霍公鳥(ほととぎす) 始音(はつこひ)を 聞けばなつかし 菖蒲(あやめくさ) 花橘を 貫き交(まじ)へ 蘰(かづら)くまでに 里響(とよ)め 喧(な)き渡れども なほし偲(しの)はゆ
意訳:春が過ぎて夏に季節が向かうと、葦や檜の生える山に友を呼び鳴き声を響かせ、夜中に鳴くホトトギス、その始声を聞けば心が惹かれる、菖蒲の花、花橘を薬玉に貫き交え蘰にする季節まで、里で鳴き響かせろ、鳴き渡るけれど、なお一層心が惹かれる。
ウェブニュースより
トランプ氏、米軍医療施設に数日間入院 「万全期すため」 ――
【ワシントン】マクナニー米大統領報道官は2日の声明で、新型コロナウイルスに感染したトランプ大統領が「数日間」にわたって首都ワシントン郊外の米軍医療施設に入院すると明らかにした。トランプ氏はツイッターに投稿した動画で「確実に治るようにする」と入院の理由を説明した。
トランプ氏は2日夕方、ホワイトハウスでマスクを着用しスーツ姿で報道陣の前に現れた。歩きながら報道陣に右手の親指を立てたり、手を振ったりしたりしたが表情は険しかった。大統領専用のヘリコプターに乗り、ワシントン郊外のウォルター・リード陸軍医療センターに移動。到着後はヘリの操縦士に声をかける場面があった。
トランプ氏は出発直後にツイッターに投稿した動画メッセージで「みなさんの多大な支援に感謝している。決して忘れない」と強調した。
米メディアによると、ホワイトハウスのアリサ・ファラー広報部長は声明で「大統領は責任を全うしている」として、ペンス副大統領に権限委譲を行っていないと説明した。合衆国憲法修正25条は大統領が職務の継続が困難になれば副大統領が大統領代行を務めると規定している。
トランプ氏の主治医は2日付のメモで同氏の健康状態について「2日午後時点で疲労が残るが元気だ」との見方を示した。予防的措置として臨床試験中のコロナの抗体医薬品を服用したとも説明した。複数の米メディアは微熱やせきがあると報じたが、メモでは触れていない。主治医はメラニア大統領夫人について、軽いせきと頭痛の症状があると説明した。
メドウズ大統領首席補佐官は2日、ホワイトハウスで記者団に対し、トランプ氏が執務を継続していると説明した。一方でトランプ氏は2日夕方まで日課のツイッターへの投稿がなかった。ホワイトハウス当局者によると、昼に予定していたコロナに関する電話会議に参加せず、代わりにペンス副大統領が出席した。コロナ感染が執務の支障になっている可能性は排除できない。
トランプ氏の選挙陣営は2日、同氏が参加を予定していた選挙集会について、オンラインで開催するか延期する方向で調整を進めていると明らかにした。来週にかけて激戦の中西部ウィスコンシンや西部アリゾナの両州で集会を予定していた。トランプ氏が得意とする対面形式の集会を自粛することになり、大統領再選に逆風になる。
国防総省のホフマン報道官は2日の声明で「米軍は国家や国益を守る準備が整っている」と強調した。トランプ氏の感染による政権内の混乱に乗じて、他国やテロ組織が挑発行動を起こさないようけん制した。国防総省の警戒レベルに変化はないとも説明した。 [日本経済新聞 2020/10/3 6:31 (2020/10/3 7:51更新)]
ウェブニュースより
大相撲秋場所 関脇 正代が初優勝 ―― 大相撲の関脇 正代が秋場所千秋楽、13勝2敗で初優勝を果たしました。
大相撲秋場所は14日目を終えて関脇 正代がただ1人2敗でトップに立ち、大関 貴景勝と平幕の翔猿が星の差1つで追う展開でした。
千秋楽、正代は翔猿と対戦し、突き落としで勝って、13勝2敗で初優勝を果たしました。
時津風部屋の正代は、熊本県出身の28歳。
3場所連続の関脇で迎えた今場所は、相手の力を受け流す上半身の柔らかさに加えて前に出る圧力が増し、7日目までに2敗を喫したものの相手を圧倒する相撲が目立ちました。13日目にはトップに並んでいた貴景勝、14日目には大関 朝乃山を相次いで破り、重圧がかかる終盤になっても勝負強さを見せました。
熊本県出身力士の優勝は初めてで、時津風部屋の力士の優勝は、昭和38年名古屋場所の大関 北葉山以来、57年ぶりです。
白鵬と鶴竜の両横綱が休場し横綱不在となった今場所は、終盤まで混戦となりましたが、この1年で何度も優勝争いをするなど確かな実力をつけた正代が、両大関を退けて念願の初優勝を果たしました。
正代「地元の声援が力に」
正代は、取組後の優勝インタビューでまず「信じられないですね」と心境を話しました。
優勝を決めた翔猿との一番については、「初めての対戦だったので、とても意識したし、やりにくさを感じた。今までの相撲人生で一番緊張したかもしれない。よく体が反応してくれた」と振り返りました。
地元、熊本からの声援については「たくさんの声援などが力になった。両親も自分に心配をかけないように気をつかっていたと思うが、とりあえず優勝できて両親に感謝したい」と話しました。
また、みずからの大関昇進について尋ねられると「ちょっとわからない。まだ全然わからなくて。大関は相撲界に入る前から憧れている地位。信じられない」と話していました。
正代 学生横綱から大相撲に
初優勝を果たした正代は熊本県宇土市出身の28歳。
右四つやもろ差しなど四つ身の相撲がうまく、相手の力を受け流すような上半身の柔らかさが持ち味で、土俵際での逆転も得意としています。
東京農業大学では2年生の時に「学生横綱」のタイトルを獲得するなど活躍し、平成26年春場所、前相撲で初土俵を踏み、持ち前の四つ相撲で番付を上げていきました。
平成28年の初場所には新入幕、平成29年の初場所には新関脇昇進を果たしました。
年6場所制となった昭和33年以降に前相撲でデビューした力士としては、所要11場所での新入幕が3番目、所要17場所での新関脇昇進は2番目と、いずれもスピード出世でした。
一方で新十両や新入幕の会見では、「緊張する。対戦したい人はいない」と答えるなど弱気な一面も見せ、“ネガティブ力士”として話題になりました。
それでも平成28年にふるさとで発生した「熊本地震」のあとは、たびたび被災地を訪れ、地元の期待を強く自覚するようになりました。
ことしに入って立ち合いから前に出る圧力が増して、初場所で優勝争いに絡み、春場所では関脇に復帰し初めて三役で勝ち越しました。さらに続く7月場所でも11勝を挙げ、横綱不在となった今場所は混戦となった終盤で2日連続で大関を破る勝負強さも見せて初優勝を果たし、確かな実力を証明しました。
優勝争った翔猿「力士人生で一番楽しかった」
翔猿は千秋楽の取組を終え、「うれしさ反面、悔しさが大きい。思い切り自分の相撲を取ろうと思っていた。前に出ていたが詰めが甘かった」と振り返りました。
また、優勝については、「意識していなかった。勝ったら変わってくるかなと思っていた」と話していました。
そのうえで翔猿は、「自分の相撲を取れていて体がよく動いていた。力士人生でいちばん楽しかったと思う。これからもどんどん楽しい相撲を取っていきたいです。たまたまだと思われないように、来場所も稽古を積んで活躍できるように頑張ります」と、来場所に向けた意気込みも語っていました。
八角理事長 正代も翔猿も評価
日本相撲協会の八角理事長は、初優勝を果たした正代について「今場所は初日から内容がよかった。本人はうれしいが、地元の人もうれしいだろう。この1年は優勝争いに絡むなどいい相撲を取っているのは確かだ。頑張っていれば、いつかいいことがあるということなのかなと思う」とたたえました。
一方、千秋楽で正代に敗れた新入幕の翔猿についても「負けはしたが、いい相撲だった。自信がついたのではないか」と評価していました。
また、今場所を振り返って「お客さんが協力してくれてここまで来られた。力士もよく頑張ってくれたと思う。感染症の先生たちの指導のもと開催できたことはうれしい。また先生たちの意見を聞きながら進めないといけない」と話していました。
中入り後の勝敗
▽逸ノ城に十両の千代ノ皇は、逸ノ城が上手投げで、勝ち越しました。
▽十両の勢に松鳳山は、松鳳山が引っ掛け。
▽佐田の海に新入幕の豊昇龍は、豊昇龍が寄り切りで、勝ち越し。佐田の海は負け越しました。
▽志摩ノ海に若隆景は、若隆景が寄り切りで、11勝目。
▽徳勝龍に阿武咲は、徳勝龍が寄り切り。
▽竜電に石浦は、石浦が下手出し投げ。
▽魁聖に輝は、輝がすくい投げで、勝ち越し。魁聖は負け越しました。
▽高安に明生は、高安が突き出しで10勝目。
▽琴恵光に宝富士は、琴恵光が寄り切りで、勝ち越し。宝富士は負け越しです。
▽琴奨菊に照強は、照強が寄り切り。
▽妙義龍に炎鵬は、炎鵬が下手投げ。
▽琴勝峰に玉鷲は、琴勝峰が突き出しで、10勝目です。
▽北勝富士に栃ノ心は、北勝富士が押し出し。
▽碧山に隆の勝は、隆の勝が押し出しで10勝目。碧山は負け越しました。
▽関脇 大栄翔に隠岐の海は、大栄翔が突き落とし。
▽霧馬山に関脇 御嶽海は、霧馬山が寄り切りで、9勝目。御嶽海は8勝7敗で終えました。
▽2敗でトップに立つ関脇 正代に、3敗で追う新入幕の翔猿は、正代が突き落としで勝って、13勝2敗で初優勝を果たしました。熊本県出身力士の優勝は初めてです。
▽大関 朝乃山に大関 貴景勝は、貴景勝が押し倒しで、12勝目。朝乃山は10勝5敗で終えました。
千秋楽 各力士の談話
▽返り入幕の逸ノ城は、千秋楽に勝ち越しを決め、「下がらないで、投げないで、我慢してやろうと思った。とりあえず勝ち越せてよかった」と落ち着いた様子で話しました。
▽新入幕の豊昇龍は、13日目から3連勝で勝ち越し、「立ち合いで負けないように、思い切り自分の相撲を取ろうと思っていた。勝ち越したかったのでよかった」と話していました。
▽若隆景は勝って、自己最高位の前頭8枚目で迎えた今場所を11勝で終え、「11番勝てたのは自信になった。下からの攻めがよかったのではないか。一から体をつくって来場所に臨みたい」と話していました。
▽千秋楽に勝ち越した輝は「勝ち越しのプレッシャーはあまり意識していなかった。最後までしっかりきちっと勝ちきる相撲を、もっとやっていきたい」と次の場所を見据えていました。
▽勝って2場所連続で10勝を挙げた高安は「落とした星がもったいないが、最後までいいモチベーションでできた。稽古を積んで一回り成長して次を迎えたい」と意気込んでいました。
▽琴恵光は幕内に復帰してから2場所連続の勝ち越しを決め、「もう少し早く自分の相撲が取れていたらきょうより前に勝ち越せていたが、自分の相撲が取れたので自信になると思う」と振り返りました。
▽勝って10勝5敗で終えた隆の勝は、3場所連続の勝ち越しで「こんな勝てるとは思っていなかった。自信にもなるし、来場所もこの調子で頑張りたい」と話していました。
▽新関脇の大栄翔は、千秋楽で勝ったものの5勝10敗に終わり、「実力不足だなと思う。突き押しでもっと攻めたい」と話していました。
▽霧馬山は、休場明けの13日目から3連勝し9勝4敗、2日の休みで終え、「3連勝してよかった。自分の相撲を取れた。左肩の状態は、朝はよかったが終わったときはちょっと痛かった」と話していました。
▽新入幕の翔猿は、正代に敗れたものの最後まで優勝争いを演じて11勝4敗で敢闘賞を受賞し、「目標だった三賞、二桁勝利ができてうれしい。楽しかった。土俵際まで攻めれるが、そこからが弱い。どんどん攻められるようにしていきたい」と力強く語りました。
▽貴景勝は、朝乃山との大関対決を制し、12勝3敗、「悔しい。優勝したかったら、もっといい成績を残すべきだと思う。大関である以上優勝しかないので、そこは残念だ。来場所に向けやるべきことは変わらないので、自分と向き合って頑張りたい」と悔しさをにじませていました。
▽一方、朝乃山は10勝5敗で初日からの3連敗が響く結果となり、「序盤の3連敗の相撲はだめだなと思う。優勝争いには残らないといけないし、自分の相撲を取らないと結果もあとからついてこない。来場所はしっかり自分の相撲を取りきれるよう稽古して頑張りたい」と淡々と話していました。 (NHK WEB NEWS 2020年9月27日 22時55分)
ウェブニュースより
大相撲秋場所14日目 関脇 正代が2敗守り単独トップに ―― 大相撲秋場所は14日目、関脇 正代は大関 朝乃山に勝って2敗を守った一方、新入幕の翔猿が大関 貴景勝に敗れ3敗目を喫しました。秋場所は2敗を守った正代が単独トップに立ちました。
中入り後の勝敗です。
▽松鳳山に十両の錦木は松鳳山がはたき込み。
▽石浦に十両の勢は石浦が下手出し投げ。
▽逸ノ城に佐田の海は佐田の海が寄り切り。
▽琴恵光に志摩ノ海は琴恵光が押し出し。志摩ノ海は負け越しました。
▽琴勝峰に徳勝龍は琴勝峰が押し出し。徳勝龍は負け越しです。
▽琴奨菊に竜電は竜電が上手投げ。
▽碧山に魁聖は魁聖が押し出し。
▽輝に豊昇龍は豊昇龍が掛け投げ。
▽明生に妙義龍は明生が突き落とし。妙義龍は負け越しました。
▽照強に炎鵬は炎鵬が送り出し。
▽高安に北勝富士は高安がはたき込み。
▽玉鷲に栃ノ心は栃ノ心が寄り切りで勝ちました。
▽隆の勝に阿武咲は隆の勝がはたき込み。
▽霧馬山に隠岐の海は霧馬山が寄り切りで勝ち越しました。
▽宝富士に大栄翔は宝富士が押し出し。
▽御嶽海に若隆景は御嶽海が下手投げで勝ち越しました。
▽正代に大関 朝乃山は、正代が押し倒しで勝って2敗を守りました。朝乃山は4敗目です。
▽大関 貴景勝に翔猿は、貴景勝がはたき込みで勝って3敗を守りました。翔猿は3敗に後退しました。
秋場所は14日目を終えて優勝争いは2敗の正代と、3敗の貴景勝、翔猿の3人に絞られました。
正代の大関昇進 千秋楽に話し合いへ
日本相撲協会の審判部は、14日目の26日、12勝目を挙げて単独トップに立った関脇 正代の大関昇進について、27日の千秋楽に話し合うことになりました。
これは26日、幕内後半の審判長を務めた高田川親方が報道陣の取材に対して明らかにしました。
高田川親方は、14日目に2敗を守って単独トップに立った正代の相撲について「迷いなく真っ向勝負で、小細工なく好感が持てる。いい相撲を取っている」と高く評価しました。
そのうえで、場所後の大関昇進について「あしたの判断になる。あしたの相撲を見てからの判断だ」と話し、27日の千秋楽に審判部で話し合うことを明らかにしました。
正代は27日、3敗の新入幕 翔猿との対戦が組まれ、勝てば初めての優勝が決まります。
八角理事長「正代 勝ち方がすばらしい」
日本相撲協会の八角理事長は、関脇 正代が大関 朝乃山を破った一番について、「正代が馬力勝ちした。朝乃山も悪い立ち合いではなかったが正代の馬力で体が浮いてしまった。きょうは正代を褒めるべきだ」と話しました。
そのうえで正代が2日連続で大関を破り、今場所ここまで12勝を挙げていることについて「立派ですね、勝ち方がすばらしい。横綱2人が休んでいる中でだが立派、内容がいい」と高く評価していました。
十両優勝は千代の国
大相撲秋場所の十両は、千代の国が勝って1敗を守り27日の千秋楽を待たずに3回目の十両優勝を決めました。
秋場所の十両は、25日の13日目を終えて千代の国がただ1人1敗、3敗で明瀬山が追う展開でした。
千代の国は14日目の26日、若元春に突き落としで勝って1敗を守り、千秋楽を待たずに3回目の十両優勝を決めました。
千代の国は三重県伊賀市出身の30歳。
九重部屋に入門して平成18年の夏場所で初土俵を踏み、平成24年の初場所で新入幕を果たしました。
突き押しを中心とした激しい相撲が持ち味で平成29年の夏場所には、東前頭筆頭まで番付を上げましたが去年の初場所中に左ひざのじん帯を痛めました。
その後、手術をして4場所連続で休場し幕下に陥落していました。
ことし7月場所で幕下優勝を果たし十両に復帰して迎えた今場所は、持ち味の突き押しで相手を圧倒する相撲を見せて白星を重ね、5日目から10連勝で十両優勝を決めました。
千代の国は「ちょっと緊張したが集中できていたのでよかった。素直にうれしい。今場所は気負わずに頑張れている。あと1日あるので、しっかり取りきることを考えたい」と話していました。
力士の談話
足首のけがのため7日目まで休場したものの中日からの途中出場で3勝目をあげた石浦は「足首は日に日によくなっています。まずはけがを悪化させないことに集中し、勝っても負けてもいい相撲を取りたい。健康な体で幕内の土俵に上がれていることに感謝の気持ちが大きくなりました」と話していました。
9勝目を挙げて初のふた桁白星まであと1勝とした琴勝峰は「立ち合いから落ち着いて攻められたと思う。まだあと一番あるので気を抜かずに頑張りたい」と話していました。
勝って7勝7敗とした新入幕の豊昇龍は「何としても勝ちたかった。諦めないであと一番、しっかり自分の相撲をとって頑張ります」と話し、27日の千秋楽での勝ち越しに向け意気込んでいました。
大関経験者の高安は9勝目を挙げ「調子がよくなっている。3連敗もしたけれど立て直せた。負けた相撲はバタバタしていたので、腰を落として相撲を取れているのはいいと思う」と冷静に振り返っていました。
4敗目を喫して優勝争いから脱落した阿武咲は「あと一歩、足が出なかったです。優勝争いは意識していなかったけれど脱落と聞くと残念です」と悔しそうに話し「土俵に上がれることに感謝して一番、一番、取っているので、勝っても負けても思い切ってやってきた。残り一番あるので、最後まで自分の相撲に専念したい」と気持ちを切り替えようとしている様子でした。
阿武咲を退けた隆の勝は「土俵際はギリギリだったが落ち着いて足を運べたと思う」と振り返っていました。
10日目から3日間休場したものの26日に勝ち越しを決めた霧馬山は「再出場したかいがあったか」と聞かれ「そうですね。勝ち越せてうれしい」とほっとした様子でした。
敗れて4敗に後退し、優勝の可能性がなくなった若隆景は「思い切って攻めようと思ったけれど中途半端になってしまった。優勝争いの意識は特になかった。あしたまた一番あるんで、そこに気持ちを持っていきたい」と話していました。
若隆景に勝って勝ち越しを決めた関脇 御嶽海は、8勝6敗という成績に「もの足りない部分はありますが、しっかり勝ち越せたのはよかったと思う。しっかり最後まで取りきって、やるだけですね」と喜びも半ばという表情でした。
2敗を守り単独トップに立った関脇 正代は大関 朝乃山に完勝した相撲について「すごく立ち合いがよかったと思います。思い切り当たれて足も踏み込めたので、そのあとも休まずに出るのを意識した」と満足げでした。
そのうえで、優勝争いについて「今回はメンタル的にも余裕というか、気持ちの持っていきかたが分かってきた。あしたで終わりなので、思い切り相撲が取れればそれでいいと思います」と落ち着いて27日を見据えていました。
正代に敗れた朝乃山は「正代関のほうが強かったっていうことじゃないですか。圧力に負けたと思う。相手はトップで走っていますし自信もあるのでは。メンタルでも負けたかもしれない」と脱帽していました。
新入幕の翔猿の初挑戦を退け、優勝に望みをつないだ大関 貴景勝は「いつもどおり変わらず反応にまかせて、集中してやりきれれば結果がついてくると思ってやりました。あすは集中して、自分の持っている力を出し切りたいと思います」と静かに話しました。
敗れたものの大関相手に健闘した翔猿は「楽しくてしかたなかったです。きのうはわくわくして眠れなかった。大関は強かった。まだまだ稽古が足りないですね」と晴れやかな表情で話し、27日の千秋楽に向けては「もともと優勝を考えてないので思い切りいきます」と話していました。 (NHK WEB NEWS 2020年9月26日 23時37分)
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