瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日も午前4時に起床、着替えを済ますと、1時間ほど掛けて隅田川の川っ縁を4500歩ほど歩きました。朝食後、理髪店で久し振りに髪を切り、帰りに公園内を3000歩ほど散策して帰宅しました。
 
隅田公園にはあちこちとアジサイが植えてあります。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易(772 846)が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順(みなもとのしたごう、911983)がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれています。

 今日も起き抜けに隅田川沿いを4500歩ほど歩きました。久し振りに隅田川のご来光をカメラに納めました。
 今日は三井記念病院の耳鼻科の外来検診日なので、午前9時に病院に駆け込みました。何時もの聴力検査は何の進展もありませんが、気長に今の薬(2)を続けてみようということでした。

 今日のウェブニュースより

 照ノ富士、大関昇進!「心技体の充実につとめ、さらに上を目指して精進」――  日本相撲協会は27日午前、東京・両国国技館で開いた大相撲名古屋場所(7月12日初日・愛知県体育館)の番付編成会議と臨時理事会で、夏場所で初優勝を果たした関脇・照ノ富士(23)=伊勢ケ浜=の大関昇進を満場一致で決めた。/伝達式の口上では「今後も心技体の充実につとめ、さらに上を目指して精進いたします」と述べた。北の湖理事長は「横綱になるという気概を持って頑張ってほしい」と期待を込めた。三役2場所での通過は年6場所制となった1958年以降では初の快挙となった。/また3月の春場所に幕下10枚目格付け出しでデビューした御嶽海(22)=出羽海=と、高木改め高立(たかりゅう、23)=木瀬=の新十両昇進も発表された。御嶽海は逸ノ城、遠藤らと並び昭和以降最速となる初土俵から所要2場所での新十両。再十両は徳真鵬(31)=木瀬=のみだった。/照ノ富士「今までで一番うれしい。支えてくれた人がいるからこそ、今の地位がある。この上を目指して頑張りたい。横綱は神様が選ぶもの。選ばれるように努力していきたい」/照ノ富士の師匠・伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)「優勝を目指すのが大関。まだ覚えることがたくさんある中での昇進なので、先々が楽しみ。(指導は)もっと厳しくなるだろう」 (20155271023  スポーツ報知)

 今朝は4時に起床、隅田公園内を歩いてみました。辺りはすっかり明るくなっていて、方々でアジサイか咲き始めています。また、公園のタチアオイが所々に鮮やかな色合いを添えています。
 
 いやはや、40日間の入院で体重は5kg減り、足の方もかなり衰えたようです。1000歩ほど歩いては休み、歩いては休みして、それでも4000歩位を歩いてきました。朝食後、街中をぶらぶらと歩き、全部で7000歩ばかりを歩きました。まあ、毎日歩いてなれるほかは無いようです。

4月7日に入院以来46日ぶりに、本日退院してきました。
癌切除の手術以来、紆余曲折色々とありましたが、何とか退院することが出来たのも皆さんの温かい励ましによるものと感謝しています。

何はともあれ、何とかブログの方も復活できそうです。今後とも宜しく。

 明日から、大腸内視鏡検査のため三井記念病院に入院します。検査で以上が無ければ13日に胃癌の再手術ということになりますが、病変があれば、一旦退院して、処置を考えるとのことです。

 医師の説明によると、今の所、再手術は腹腔鏡手術を予定しているということです。群馬大学や千葉がんセンターの例もありますが、患者としては手術の医師を信じるしかありません。まあ、腹腔鏡下手術は日本で
1万例ほど行われているといいますから、群馬大学や千葉がんセンターの例は特別な例と考えるしかありません。どんな小さな手術でも死と隣り合わせにあると思って、運を天に任せて手術に臨む覚悟でいます。

 胃がん治療における腹腔鏡手術の位置づけと進め方
 胃がん手術は早期に発見すればするほど確実に体にやさしい治療が可能だといえます。
 
最も早期であれば「内視鏡治療」で腫瘍を切除することができ、そして、次の段階に控えているのが、腹部に45か所の小さなキズだけで治療ができる「腹腔鏡手術」です。
 
現在、胃がんにおける腹腔鏡手術は、日本では年間1万例ほど行われています。ただし胃がん治療のガイドラインでは、腹腔鏡手術は臨床研究の段階にあります。今でも標準治療は開腹手術です。つまり、腹腔鏡手術は開腹手術と比べて治療効果という点で、問題がないのかどうか、その点が研究されている段階といえます。
 
具体的には合併症である縫合不全や膵液漏が増えることはないか、再発は起きないか、そして予後はどうか、といったことが調べられています。
 
ただ臨床研究中とあっても、これほど一般化している腹腔鏡手術なので患者には、”研究”という受けとめ方はほとんどないのが現状です。胃がんガイドラインに沿った標準治療を行うことは病院側、医師にとっては重要ですが、治療成績をより向上させると同時に患者の負担を軽くするために、現場主導で行われている治療法だといえます。
 
腹腔鏡手術と開腹手術での比較試験では、手術直後の体への負担という点では腹腔鏡手術が開腹手術に優っています。さらに、長期的な成績(生存率や再発率)が同じだったとしたら腹腔鏡手術が開腹手術よりも良いということになり、標準治療として認められることになるでしょう。
 
では、腹腔鏡手術とは、どんな手術方法なのかというと、次の手順で行われます。
 腹部に5か所程度、510ミリ程度のキズをつけ、ここに、筒状の器具のポートを挿入します。このポートを通路として、手術で使用する鉗子、メスなどといった手術器具を入れるのです。同時に腹腔内を拡大してモニターに映し出す内視鏡も入れます。腹腔内には空間が必要となるので、炭酸ガスを入れてふくらませ、視野を広く確保します。
 
手術を行う医師はモニターを見ながら、腹部に挿入した手術器具を外から操作して手術を行います。手術で胃を大きく切除した場合には、その切除した胃を外へ出すための出口が必要となります。そのときは、34センチ程度の小さなキズをつけて、そこから取り出すことになります。
 
開腹手術よりも腹腔鏡手術を選ぶ人が多いのはメリットがあるからですが、何といっても「体につくキズが小さいので目立たない」という特徴が最大のメリットだといえます。それによって術後の痛みがきわめて少なく、術後の回復も早く(翌日にはベッドから起きあがり歩くことができる)なるため、当然、社会復帰も早いといえます。
 今日では、進行がんに対しても臨床研究として腹腔鏡手術を行っているところもあります。ステージ(病期)Ⅱ、Ⅲといった進行がんでは、がんが胃の壁に露出していたり、大きなリンパ節転移があったりする場合があります。ですから、がん細胞を取り残すなどして、がんの再発という観点から患者にデメリットがないか確認が行われています。
 胃がん手術における腹腔鏡手術の比率は2005年が14.6%07年が20.0%、09年が25.9%7431例。今日では約1万例と増加しています。
 開腹手術と同程度の進行がんにまで腹腔鏡手術を行っている病院もあり、「幽門側胃切除術」「胃全摘術」を行い、必要となるリンパ節の切除も腹腔鏡により行われています。
 この幽門側胃切除術は、がんが胃の出口の幽門近くにできたときに行われる手術です。日本人はへりコバクターピロリに感染している人が50歳以上では80%と多く、ピロリ菌の住みついている場所が胃の中でも幽門近辺なので、この近辺にがんが多く発生します。がん部分から3センチ程度離れたところから幽門までをリンパ節と共に切除する手術が「幽門側胃切除術」です。
 いっぽう胃全摘術は、がんが胃の上部に発生したときに行われる手術で、胃の入り口の噴門から幽門まで、胃をすべてリンパ節と共に切除します。
 最近では手術支援ロボット”ダヴィンチ”を使ったロボット手術を行っている施設もあります。実際、胃がんに対してロボット手術を行っている医師は、”腹腔鏡手術以上にリンパ節の切除もスムーズにできる”と話しています。ロボットの良さは「3Dなので奥行きも分かる」「関節があるので人間の手以上にスムーズに動く」「手ぶれがない」「視野がより拡大している」などのメリットがあるようです。

 明日は三井記念病院の診療を受けに行きます。先だって行った心臓エコー(超音波検査)の結果を循環器内科で聞き、そのあと、外科で胃癌の再手術の説明を聞くことになるのでしょう。

 いやはや、どんな再手術になるのやら? 専門的なことは良くわからないので、患者としては医師の言うとおりに従うほかはありません。

 聞く所によれば、群馬大学に続いて千葉県がんセンターで腹腔鏡手術で問題があったようです。
以下はウェブニュースより
 千葉県がんセンター 腹腔鏡手術複数に「問題」―― 千葉県がんセンター(千葉市中央区)で、腹腔(ふくくう)鏡を使って膵(すい)臓や肝臓などの手術を受けた患者十一人が死亡した問題で、医学的な調査・検証を行った日本外科学会が、手術方法の選択に誤りがあったことや執刀医の技術水準が手術を担うレベルに達していなかったなど、複数の事例を問題視していることが関係者への本紙の取材で分かった。十一症例のうち、手術の技量や前後の措置を含め「問題ない」と判断した事例は二例にとどまる。/同学会に調査を依頼した県の第三者検証委員会(会長=多田羅浩三・日本公衆衛生協会会長)は、こうした検証結果などをもとに二十六日にも最終報告書をまとめる。/検証対象となっているのは、二〇〇八年六月~一四年二月に腹腔鏡下手術を受け死亡した事例。男女十一人のうち八人の手術を一人のベテラン男性医師が執刀、残り三人をそれぞれ別の三人の医師が担当した。/一三年一月にベテラン医師が実施した肝門部胆管がんの男性=当時(74)=の手術について、「開腹手術でも難しい手術で腹腔鏡下で行ったことが最大の問題点」「挑戦的な選択だった」とそれぞれ批判した。/さらに腫瘍が転移していない部分まで肝臓を切除したことなどが死亡につながったと判断。初めて行う手法を伴った手術にもかかわらず、倫理委員会で検討した記録がなく、「患者や家族への説明や、同意を得る過程も適切ではなかった」と結論づけた。/同学会は、ベテラン医師について、腹腔鏡下手術の経験が豊富で「実績があり日本をリードする医師だった」と評価する。しかし一二年九月、手術中の出血による心筋虚血で亡くなった膵がんの女性=当時(76)=の場合は、大量出血時にしばらく腹腔鏡下で止血を試みており「腹腔鏡下での止血に固執したきらいがある」などと指摘した。/〇八年十一月の胃がんの男性=当時(58)=の手術を担当した別の医師については、手術記録から「盲目的な手術操作が目立ち、手術を安全に実施できる水準に至っていなかった」と技量不足を指摘。/一一年八月、さらに別の医師が執刀した肝細胞がんの男性=当時(72)=の手術では「胆のう管と他の管を誤認して切り離した」ため死因の肝不全につながったと分析した。/県がんセンターを所管する県病院局は「第三者検証委員会の調査が最終段階に入っており、コメントは差し控えたい」としている。

◆「選択は誤り」「家族へ説明足りず」「技量不足」
 日本外科学会による千葉県がんセンターで行われた腹腔鏡下手術の事例検証からは、病院内の倫理委員会の審査を経ずに保険適用外の高難度の手術に踏み切るなど、患者八人が死亡した群馬大病院と類似点が浮かび上がる。/一般的に保険適用外の腹腔鏡下の手術は難易度が高く、日本肝胆膵(すい)外科学会が二十三日に発表した調査でも、肝臓切除手術の死亡率は保険適用外の手術で保険適用の手術と比べ五・四倍高く、膵臓切除の場合は一〇・八倍に上った。/千葉県がんセンターの場合も十一の症例中、保険適用外の手術は八例を占めた。このうち少なくとも五例で倫理委員会の審査を経ていなかった。一〇年七月に胆管がんの手術を受けた男性=当時(82)=のケースは、手術や術後の管理には問題がなかったものの、日本外科学会の検証結果は「倫理委員会の審査が行われないままに実施されたことに問題があった」と明確に指摘している。/こうした危険度の高い手術だったにもかかわらず、倫理委員会の事前承認だけでなく、患者や家族に対しても、手術方法のメリットやデメリット、発症しうる合併症について説明をしたかどうか、すべての事例で十分な記録を残していなかったことも明らかになった。/日本肝胆膵外科学会理事長の宮崎勝・千葉大教授は、同センターの死亡事例十一件のうち、保険適用外が八件に上ることについて「難しい症例に挑戦し過ぎたのかどうか、センターは調査で明らかにする責任がある」と指摘。/センターを所管する県は第三者委員会の報告を受けた後、センターの過失の有無を含めて対応を協議する。
 <千葉県がんセンターの患者死亡問題> 昨年4月、腹腔鏡を使った手術で患者が相次いで死亡していたことが発覚。県は同6月に原因究明と再発防止を目的とする第三者検証委員会を設置。これまで8回開催され、死亡した11人の事例について、医療の専門的見地からの調査・検証を日本外科学会に委ねた。同センターは日本肝胆膵外科学会により、高度な手術例が多い「修練施設」として「A認定」されている。体に数カ所の穴を開け、カメラ(腹腔鏡)や操作器具を挿入して行う手術は開腹手術に比べて体の負担が少ないのが利点だが、高度な技術が必要とされる。  (東京新聞 2015326 朝刊)

 ブログに篠山在住の姪が「隅田川香合」についてのコメントを入れてくれました。
 香合とは、お茶室(ちゃしつ)でたくお香(こう)を入れるための器のことです。お茶を点てるには、はじめににお湯(ゆ)をわかさなければいけません。そのために炭点前(すみでまえ)ということをするのだそうます。そのときにお香をたくのだそうです。ただし、ふつうのお茶会(おちゃかい)などではやらないことも多く、その場合(ばあい)お香を入れた香合を床の間(とこのま)に飾るのだそうです。
 
隅田川香合は多少ふくらみのある四方形で、蓋の甲に対角を結んで川に架かる橋を表わしたハジキ(弦状の摘み)が付き、これを境に上部に枝垂柳、下部に川面を行く船人物を描いたものです。図柄は少しずつ異なるのだそうです。写真の香合は根津美術館のものだそうです。

 今日は
3月の末日、隅田川の桜(ソメイヨシノ)はどうやら満開のようです。例年に比べると5日も早いそうです。向島のテラスを通る時はまだ夜が明け切れていませんが、吾妻橋を渡るころはすっかり明るくなります。朝日に照らされた満開の花を楽しみながら桜並木の下を歩いて帰宅しました。桜橋の水上バス発着場の遊歩道への上り口で塾友のO氏に追いつかれました。早朝の徘徊でO氏と会うのは久し振りでした。

 気温も上がり、朝の冷え込みも大して気にならなくなりましたので、久し振りに早朝4時に起きて何時ものコースを一周してきました。
 人通りも少なく、冷たい空気が身を引き締めてくれます。まだ暗いうちのライトに照らされたソメイヨシノの下を歩くのも気分爽快です。
 吾妻橋を渡るころ、やっと明るくなり、墨堤の千本桜がはっきり見渡されるようになり、足取りを軽くしてくれるようです。

墨堤の桜の由来については墨田区向島5-1の「隅田公園」内にある『墨堤植桜の碑』に詳しく書かれています。この石碑は、榎本武揚(18361908年)の篆額、濱邨大澥(はまむらたいかい)の撰文、宮亀年の彫刻だそうで、全文が漢字で書かれていますが、墨田区の掲示板によれば以下のような意味だと言います。
 墨堤の桜は、初め4代将軍家綱の命で、皆と共に楽しむためにと植えさせ、享保2年(1717)に8代将軍吉宗が100本の桜を、享保11年(1726)には桜、桃、柳各150本植えさせ、その世話は代々隅田村の名主阪田氏が担当しました。その後文化年間に佐原鞠塢(きくう)、朝川黙翁(もくおう)、中山ト(ぼくりん)150本、天保2年(1831)に阪田三七郎が200余株の桜を植えました。弘化3年(1846)洪水で堤が決壊し、それを須崎村の宇田川総兵衛が独力で修築、そのことを顕彰して村人が150本、安政元年(1854)に阪田三七郎が200株、明治に至り其角堂永機、旧水戸藩知事、寺島村の人々が各々桜を植えました。
 さらに大蔵喜八郎、成島柳北が名勝を守るため白鴎社を設立、村人もこれに応じ、南葛飾郡長伊志田友方は、このことを府知事に告げ植樹を助成しました。志半ばで死去した成島柳北の遺志を継いで、安田善次郎、大倉喜八郎、川崎八右衛門が出資し、村人の協力を得て墨堤の植桜が完成しました。
 このような功績を永世に伝えるため、明治20年(1887)に建碑されましたが、後に堤が壊れ碑が傾いたので、明治29年(1896)に本所区長飯島保篤が大倉、安田、川崎三氏と共に起工し、榎本武揚、小野義真も出資して移設しました。   平成2年(19903月 墨田区

 昨日までの冷たい強風は落ち着いて、今日はスッカリ穏やかな春日和です。朝食後、隅田川周辺を言問橋西より隅田公園遊歩道を桜橋まで上り、桜橋を渡り、テラス沿いに隅田川をくだり、向島遊歩道を枕橋→吾妻橋東に出て、吾妻橋を渡り、隅田公園に入り、花川戸からテラス沿いに桜橋水上バス乗り場まで一周し、帰宅しました。
 改築した築山には三春滝桜(千年桜)が植えられ、花を付けていました。山谷堀水門の傍に植えられたソメイヨシノは3分咲きというところです。枕橋に近い向島遊歩道には皇太子妃に肖(あやか)ってつけたという「雅(ミヤビ)」という桜がほぼ満開の花を付けていました。吾妻橋を渡って隅田公園に入ると、三分ざきのソメイヨシノ越しに春霞にかすんだスカイツリーが見られます。
 
 
大寒桜はまだ花を付けてはいますが、葉桜になりつつあります。ここは中国の観光客が多く、大寒桜をバックに写真を撮る客がいっぱいで、遊歩道を抜けるには、人を分けて歩かなければなりません。
 
因みに今朝の携帯の歩行記録によれば、歩数は12000歩強、歩行距離8.3kmとありました。
 何時もの年なら、水門会の花見をするところですが、今回は胃袋変調で日程が定まらず、中止になってしまいました。

2月4日の内視鏡による手術後の検査で、どうやら癌が全部とりきれていなかったようです。再手術を宣告されて何度か通院したが、行く度に検査を受けるよう言われ、3月に入って、検査検査で全く疲れてしまいました。今まで何の自覚症状も無かっただけに本当の病人にされてしまったような気持ちです。何だか行く度に担当の医師が変わり、盥(たらい)回しにされているような感じさえします。とはいっても、今は医師の言うままにするほかは無いようです。
 風の噂に水門会のT氏が胃癌の手術を申し渡され、頑なにそれを拒否したという話を聞いていますが、現在自分がその立場に遭ってみると、その気持ちも宜(むべ)なるかなと思います。
 4月に入ってからも8日に大腸の内視鏡検査のため入院することになっています。
 
 
 此処2・3日、風が強く肌に冷たく感じましたが、午前の徘徊は続けています。天気は春の陽射しで、公園やテラスでは木々の花が咲き誇り、目を楽しませてくれます。

 塾友のB兄妹の父上が亡くなられました。3月11日(水)はその通夜に参加しました。始まる少し前に会場に到着したので、B兄妹や母上と話を交わすことが出来ました。妹のHitoちゃんは昨日のうちにシアトルから駆けつけてきたとのことでした。

 昨日12日(木)は三井記念病院で血圧脈波検査を受け、心臓血管外科医の診察を受けました。右足の骨盤を通って大腿部に到る動脈に動脈硬化による閉塞症が見られるとのことでした。動脈硬化は、全身の血管に起こり、様々な病気の原因となるとのことで、脳へ血液を届けている頸動脈や脳動脈の動脈硬化により「脳梗塞」が起こり、また、心臓の冠動脈の動脈硬化により「狭心症」や「心筋梗塞」、胸部と腹部をつなぐ大動脈分枝の動脈硬化では「腎血管性高血圧症」などが起こるとのことです。そして、足への動脈に動脈硬化が進んで血流障害を起こす病気が「閉塞性動脈硬化症」なのだそうです。
 
 今の所軽症なので運動療法がもっとも適切だと言うことです。運動療法の基本は、歩くことだそうです。歩くことにより、足の血行が良くなるだけでなく、天然のバイパス路である側副血行路が発達することも知られているといいます。
 検査の結果は右足首の血圧が左足首の半分しかないということです。脈波も右足首が弱いということです。
 
動脈硬化が進むと「間歇性跛行」という症状が現れます。間歇性跛行とは「一定の距離を歩くと、足が痛くなり歩けなくなるが、しばらく休むと、また歩けるようになる」という症状だそうです。
 このほかに、血液検査・心電図検査・肺活量検査・レントゲン撮影(胸部&腹部)をして昼過ぎに帰宅しました。まあ、検査検査でまっこと厭になってしまいますが、3月17日(火)には、胃透視の検査を受けるように言われています。

 今日は天気もいいし、隅田川周辺を桜橋~吾妻橋の間を往復してきました。スポーツセンター脇のハクモクレンが咲き始め、花川戸のダイカン桜は満開を迎えたようです。少年野球場の傍の梅園では枝垂れ梅が咲いていました。もう春が来たようです。

プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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