瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
璧(へき)は古代中国で祭祀用あるいは威信財として使われた玉器で、多くは軟玉から作られたという。形状は円盤状で、中心に円孔を持つ。表面に彫刻が施される場合もあるという。和氏の璧(かしのへき、-たま)は、中国の春秋時代・戦国時代の故事にあらわれた名玉とされ。『韓非子』および『史記』に記される。連城の璧(れんじょう-)とも称する。
韓非子 第十三 和氏篇 より
楚人和氏得玉璞楚山中、奉而獻之厲王、厲王使玉人相之、玉人曰:“石也。”王以和為誑、而刖其左足。及厲王薨、武王即位、和又奉其璞而獻之武王、武王使玉人相之、又曰“石也”、王又以和為誑、而刖其右足。武王薨、文王即位、和乃抱其璞而哭於楚山之下、三日三夜、泣盡而繼之以血。王聞之、使人問其故、曰:“天下之刖者多矣、子奚哭之悲也?”和曰:“吾非悲刖也、悲夫寶玉而題之以石、貞士而名之以誑、此吾所以悲也。”王乃使玉人理其璞而得寶焉、遂命曰:“和氏之璧。”
〈訳〉
楚の和氏(かし、姓は卞《べん》)は璞(あらたま)を楚山(荊山)の中で発見したので、これを大事に持参して楚の厲王(れいおう)に献じた。厲王は玉人に鑑定させたが、玉人はただの石でございますと言ったので、王は和氏をお上をだますものだと怒って彼の左足を切断した。やがて厲王は死んで武王が位に就くと、和氏はまたもや、その璞を大事に持参して武王に献じた。武王は玉人に之を鑑定させるとまたもや、ただの石でございますと言ったので、武王も和氏をお上を欺くものだとおこって右足を切断した。武王が死に、文王が位に就いたとき、和氏はこの璞を抱いて、楚山の麓で大声を上げて哭きつづけること三日三夜、涙は涸れてしまって血を流すほどであった。文王はこのことをきき、人をやってその哭泣するわけをたずねさてこういった。
「世間では足を切られるものが非常に多いが、おまえはなぜそんなにかなしそうに哭いているのか」
和氏は答えた。「私は、足を切られたのを悲しむわけではございません。かような宝玉でありながら、ただの石といわれ、誠実な人間であるのに、君を欺くといわれますからかなしくてなりません」
そこで王は玉人にその璞を磨かせると、宝石を得た。よってこれを「和氏の壁」と名付けた。
和氏の璧は、暗闇で鈍く光り、置いておくと夏は涼しく、冬は暖かくしてくれ、虫除けにもなったという言い伝えがある。そのため、春秋戦国時代では最高の宝石として位置づけられており、上述の「韓非子」以外にも「史記」、「十八史略」などの書物にも登場している。しかし、趙没落後は歴史上には登場せず、行方知れずとなっている。一説では、趙の滅亡後に中原を統一した秦に渡り、始皇帝が和氏の璧を玉璽(伝国璽)にしたとされ、その後漢王朝の歴代皇帝もその玉璽を使用していたとされる。「三国志演義」などでもその説を採っているが、仮に和氏の璧=伝国璽だとしても、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の太宗に捕らえられた時に伝国璽は紛失してしまっており、現在では実際に存在する可能性は低いと考えられている。
十八史略
趙恵文王、嘗得楚和氏璧。秦昭王、請以十五城易之。欲不与畏秦強、欲与恐見欺。藺相如願奉璧往。「城不入則臣請、完璧而帰。」既至秦。王無意償城。相如乃欺取璧、怒髪指冠、却立柱下曰、「臣頭与璧倶砕。」遣従者懐璧間行先帰、身待命於秦。秦昭王賢而帰之。
趙の恵文王、嘗て楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王、十五城を以て之に易へんと請ふ。与へざらんと欲せば秦の強きを畏れ、与へんと欲せば欺かるるを恐る。藺相如、璧を奉じて往かんことを願ふ。
「城入らずんば則ち臣請ふ、璧を完うして帰らん。」と。既に秦に至る。
王に城を償ふ意無し。相如乃ち欺きて璧を取り、怒髪冠を指し、却き柱下に立ちて曰はく、「臣が頭は璧と倶に砕けん。」
従者をして璧を懐きて間行し先づ帰らしめ、身は命を秦に待つ。秦の昭王、賢として之を帰す。
〈訳〉
趙の恵文王は、かつて稀代の名玉、和氏の璧を手に入れた。秦の昭王は、十五の城と和氏の壁を交換しようと申し出た。秦の強大さが恐ろしくて断れず、また欺かれるのも恐ろしく、承諾するのもどうかと思われた。そのとき、藺相如という者が和氏の璧を持って秦に行きたいと願い出た。
「城が手に入らなかったら、私にこう命じられよ、和氏の璧を完全な状態で持ち帰れ、と。」藺相如は秦に到着した。
秦の昭王には城を与える意思は無かった。そこで、藺相如は欺いて和氏の璧を奪い返した。その瞬間に髪は怒りで逆立ち、冠を突き上げた。彼は後ずさりして柱の下に立ち、こう言った、「私の頭をこの壁にぶつけ、もろとも砕いてやる。」
後に、従者に璧を懐に抱いて抜け道を通り、気づかれないように帰るようにさせて、自身は秦の処分を待った。秦の昭王はこれを賢いとして藺相如を趙に返した。
韓非子 第十三 和氏篇 より
楚人和氏得玉璞楚山中、奉而獻之厲王、厲王使玉人相之、玉人曰:“石也。”王以和為誑、而刖其左足。及厲王薨、武王即位、和又奉其璞而獻之武王、武王使玉人相之、又曰“石也”、王又以和為誑、而刖其右足。武王薨、文王即位、和乃抱其璞而哭於楚山之下、三日三夜、泣盡而繼之以血。王聞之、使人問其故、曰:“天下之刖者多矣、子奚哭之悲也?”和曰:“吾非悲刖也、悲夫寶玉而題之以石、貞士而名之以誑、此吾所以悲也。”王乃使玉人理其璞而得寶焉、遂命曰:“和氏之璧。”
〈訳〉
楚の和氏(かし、姓は卞《べん》)は璞(あらたま)を楚山(荊山)の中で発見したので、これを大事に持参して楚の厲王(れいおう)に献じた。厲王は玉人に鑑定させたが、玉人はただの石でございますと言ったので、王は和氏をお上をだますものだと怒って彼の左足を切断した。やがて厲王は死んで武王が位に就くと、和氏はまたもや、その璞を大事に持参して武王に献じた。武王は玉人に之を鑑定させるとまたもや、ただの石でございますと言ったので、武王も和氏をお上を欺くものだとおこって右足を切断した。武王が死に、文王が位に就いたとき、和氏はこの璞を抱いて、楚山の麓で大声を上げて哭きつづけること三日三夜、涙は涸れてしまって血を流すほどであった。文王はこのことをきき、人をやってその哭泣するわけをたずねさてこういった。
「世間では足を切られるものが非常に多いが、おまえはなぜそんなにかなしそうに哭いているのか」
和氏は答えた。「私は、足を切られたのを悲しむわけではございません。かような宝玉でありながら、ただの石といわれ、誠実な人間であるのに、君を欺くといわれますからかなしくてなりません」
そこで王は玉人にその璞を磨かせると、宝石を得た。よってこれを「和氏の壁」と名付けた。
和氏の璧は、暗闇で鈍く光り、置いておくと夏は涼しく、冬は暖かくしてくれ、虫除けにもなったという言い伝えがある。そのため、春秋戦国時代では最高の宝石として位置づけられており、上述の「韓非子」以外にも「史記」、「十八史略」などの書物にも登場している。しかし、趙没落後は歴史上には登場せず、行方知れずとなっている。一説では、趙の滅亡後に中原を統一した秦に渡り、始皇帝が和氏の璧を玉璽(伝国璽)にしたとされ、その後漢王朝の歴代皇帝もその玉璽を使用していたとされる。「三国志演義」などでもその説を採っているが、仮に和氏の璧=伝国璽だとしても、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の太宗に捕らえられた時に伝国璽は紛失してしまっており、現在では実際に存在する可能性は低いと考えられている。
十八史略
趙恵文王、嘗得楚和氏璧。秦昭王、請以十五城易之。欲不与畏秦強、欲与恐見欺。藺相如願奉璧往。「城不入則臣請、完璧而帰。」既至秦。王無意償城。相如乃欺取璧、怒髪指冠、却立柱下曰、「臣頭与璧倶砕。」遣従者懐璧間行先帰、身待命於秦。秦昭王賢而帰之。
趙の恵文王、嘗て楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王、十五城を以て之に易へんと請ふ。与へざらんと欲せば秦の強きを畏れ、与へんと欲せば欺かるるを恐る。藺相如、璧を奉じて往かんことを願ふ。
「城入らずんば則ち臣請ふ、璧を完うして帰らん。」と。既に秦に至る。
王に城を償ふ意無し。相如乃ち欺きて璧を取り、怒髪冠を指し、却き柱下に立ちて曰はく、「臣が頭は璧と倶に砕けん。」
従者をして璧を懐きて間行し先づ帰らしめ、身は命を秦に待つ。秦の昭王、賢として之を帰す。
〈訳〉
趙の恵文王は、かつて稀代の名玉、和氏の璧を手に入れた。秦の昭王は、十五の城と和氏の壁を交換しようと申し出た。秦の強大さが恐ろしくて断れず、また欺かれるのも恐ろしく、承諾するのもどうかと思われた。そのとき、藺相如という者が和氏の璧を持って秦に行きたいと願い出た。
「城が手に入らなかったら、私にこう命じられよ、和氏の璧を完全な状態で持ち帰れ、と。」藺相如は秦に到着した。
秦の昭王には城を与える意思は無かった。そこで、藺相如は欺いて和氏の璧を奪い返した。その瞬間に髪は怒りで逆立ち、冠を突き上げた。彼は後ずさりして柱の下に立ち、こう言った、「私の頭をこの壁にぶつけ、もろとも砕いてやる。」
後に、従者に璧を懐に抱いて抜け道を通り、気づかれないように帰るようにさせて、自身は秦の処分を待った。秦の昭王はこれを賢いとして藺相如を趙に返した。
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