瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今朝のウェブニュースより、
日本兵の遺骨に違う遺骨混入 ―― 太平洋戦争で戦死した日本兵として、フィリピンで収集され、現地に保管されている遺骨の中に、フィリピン人とみられる遺骨が混入していたことが分かりました。厚生労働省は遺骨の収集方法を見直すとともに、すでに日本の戦没者墓苑に納められた遺骨にもフィリピン人の遺骨が混入している可能性があるとして、詳しく調べる方針です。/厚生労働省は、フィリピンで収集された日本兵とされる遺骨の中にフィリピン人のものが含まれているのではないかという、報道機関からの指摘を受けて、ことし3月から遺骨のDNA鑑定を進めていました。その結果、現地に保管されている110の遺骨のうち、半分近くの54の遺骨はフィリピン人に多く見られるDNAの型だったことが分かりました。さらに、女性や子どもとみられる骨も混入しているということで、厚生労働省は、収集された遺骨の中に日本兵ではないものが混入している可能性が高いとしています。フィリピンで見つかった日本兵の遺骨は、平成18年度は45人分でしたが、厚生労働省が平成21年度に日本のNPO法人に委託してからは急増し、昨年度は6289人分が収集されていました。一方、平成20年度以降は、遺骨収集の現場に厚生労働省の職員が立ち会うことがなくなったということです。厚生労働省は今後、遺骨収集には厚生労働省の担当者を立ち会わせ、日本に持ち帰る前に遺骨のDNA鑑定を徹底するよう、見直すことにしています。また、すでに日本に持ち帰って、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められた、およそ4500人分の遺骨についても、フィリピン人のものが混入している可能性があるとして、厚生労働省に移して詳しく調べることにしています。厚生労働省は「これまでの対応に問題があり、反省している。今後、疑惑を持たれることがないよう、事業の見直しを進めたい」と話しています。/太平洋戦争の際、フィリピンで戦死したおよそ52万人の日本兵のうち、今も日本に戻っていない遺骨は37万人分に上ります。フィリピンでの遺骨の収集事業は昭和32年から始まりました。当初の収集方法は、厚生労働省の職員が収集の現場に立ち会ったうえで、フィリピンの人類学者など専門家が判別していました。しかし、戦後60年以上たち、収集が難しくなってきたことから、厚生労働省は平成21年度から、現地に詳しい日本のNPO法人に遺骨収集を委託しました。さらに、その前の年からは、遺骨を判別する際に、発見した地元住民などの証言だけで、日本兵の遺骨と認めていました。数年前からは現地で墓地から遺骨が盗まれる事件が相次いでいますが、厚生労働省は、遺骨の収集事業と関連づける具体的な証言は確認されなかったとしています。また、収集された遺骨は現地で焼かれたうえで日本に戻しているということで、厚生労働省は、日本に戻った遺骨について、外見上不審な点を見つけるのは難しかったと説明しています。/厚生労働省から委託を受け、フィリピンでの遺骨収集を行っていたNPO法人は、ホームページ上で「大枠において我々の取り組みの妥当性が示されたと考えています。事業全般において改善すべき点も指摘されておりその点はしんしに受け止めた上で、前進してまいりたい」というコメントを掲載しました。/フィリピン大統領府のラシエルダ報道官はNHKに対し、「日本政府から調査結果が届きしだい内容を確認したい」と述べました。日本の遺骨収集事業の問題を巡っては、フィリピン政府も独自の調査を行って、結果をまとめる予定で、日本政府の調査の結果も踏まえながら、今後の対応について慎重に判断するものとみられます。一方、先祖の遺骨が墓地から盗まれたと訴えている地元住民からは、今回の調査結果に反発する声が出ています。このうちフィリピン中部、ミンドロ島の住民グループの代表、アニウ・ルバクさんはNHKの取材に対し、厚生労働省が、事業と遺骨の盗難事件を関連付ける具体的な証言は確認されなかったとした点について、「関連性は明らかであり、調査結果は受け入れられない」と話し、強く反発しています。さらにルバクさんは、「正義がもたらされるまで遺骨の収集を再び許すわけにはいかない」と話し、日本側の調査が不十分だとして、フィリピン政府に対し、遺骨収集事業の再開を認めないよう求めていく考えを示しました。(NHK NewsWeb 10月5日 18時36分)
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より (またまた、昨日の続き)
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。廉頗曰:“我為趙將、有攻城野戰之大功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。”宣言曰:“我見相如、必辱之。”相如聞、不肯與會。相如每朝時、常稱病、不欲與廉頗爭列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。於是舍人相與諫曰:“臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉頗同列、廉君宣惡言而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、況於將相乎!臣等不肖、請辭去。”藺相如固止之、曰:“公之視廉將軍孰與秦王?”曰:“不若也。”相如曰:“夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其群臣、相如雖駑、獨畏廉將軍哉?顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也。”廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客至藺相如門謝罪。曰:“鄙賤之人、不知將軍寬之至此也。”卒相與驩、為刎頸之交。
〈訳〉
すでに会合を終えて帰国すると、趙王は相如の功績の偉大なことを認めて上卿に任じた。相如の位は廉頗の上になったのである。廉頗は言った。
「わしは趙の将軍として、攻城野戦の大功がある。藺相如はただ口先ばかりの働きで、位はわしの上だ。それに、相如はもともと卑賤の出身だ。わしは恥ずかしくて、とても彼の下となるのに忍びない」そして、
「相如に会ったら、きっと侮辱してやる」
と、宣言した。相如はこれを聞いて、できるだけ廉頗と会わないように心掛けた。朝廷に出仕すべき度ごとに、いつも病気と称して欠席し、廉頗と序列をあらそうことを望まなかった。その後、相如が外出して、はるかに廉頗を見かけると、車を引いて避け匿(かく)れた。すると、舎人(けらい)たちが、みな諌めた。
「私たちが、親戚の下を去ってあなたにお仕えしているのは、ただあなたのご高義をお慕いしているからです。いま、あなたは廉君(廉頗)と序列を同じくしておられます。ところが、廉君があなたに対して悪言いたしますと、あなたはおそれて避け匿れ、異常なまでに恐懼しておられます。これは、凡庸の者でも羞じることです。まして、将軍・大臣であればなおさらでしょう。私たちは不肖者で、これ以上お仕え出来ません。どうかおひまをください」
藺相如は固くとめて言った。
「きみらは、廉将軍と秦王とどちらが恐ろしいと思うか」
「秦王にはかないません」
「そもそも、秦王の威をもってしても、私は朝廷でこれを叱り付け、その群臣を辱めたのだ。私が駑鈍だからいって、どうして廉将軍だけをおそれようか。ふりかえって考えてみるに、強秦があえて兵を趙に加えないのは、ただ、わが両人(藺相如と廉頗)がいるからだ。いま、両虎が闘えば、勢いとしてともにはいきられない。私が廉将軍を避けるのは、国家の急を咲きにして私讎(ししゅう)をあとにするからなのだ」
廉頗はこのことを聞いて、肌脱ぎになって荊の鞭を背負い、賓客にとりなしてもらって藺相如の門にいたり、謝罪していった。
「鄙賎の人間たる私は、将軍がこれほどまでに寛大にしてくださったのをしらなかったのです」
こうして、二人はついに仲直りし、刎頚の交わりを結んだ。
日本兵の遺骨に違う遺骨混入 ―― 太平洋戦争で戦死した日本兵として、フィリピンで収集され、現地に保管されている遺骨の中に、フィリピン人とみられる遺骨が混入していたことが分かりました。厚生労働省は遺骨の収集方法を見直すとともに、すでに日本の戦没者墓苑に納められた遺骨にもフィリピン人の遺骨が混入している可能性があるとして、詳しく調べる方針です。/厚生労働省は、フィリピンで収集された日本兵とされる遺骨の中にフィリピン人のものが含まれているのではないかという、報道機関からの指摘を受けて、ことし3月から遺骨のDNA鑑定を進めていました。その結果、現地に保管されている110の遺骨のうち、半分近くの54の遺骨はフィリピン人に多く見られるDNAの型だったことが分かりました。さらに、女性や子どもとみられる骨も混入しているということで、厚生労働省は、収集された遺骨の中に日本兵ではないものが混入している可能性が高いとしています。フィリピンで見つかった日本兵の遺骨は、平成18年度は45人分でしたが、厚生労働省が平成21年度に日本のNPO法人に委託してからは急増し、昨年度は6289人分が収集されていました。一方、平成20年度以降は、遺骨収集の現場に厚生労働省の職員が立ち会うことがなくなったということです。厚生労働省は今後、遺骨収集には厚生労働省の担当者を立ち会わせ、日本に持ち帰る前に遺骨のDNA鑑定を徹底するよう、見直すことにしています。また、すでに日本に持ち帰って、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められた、およそ4500人分の遺骨についても、フィリピン人のものが混入している可能性があるとして、厚生労働省に移して詳しく調べることにしています。厚生労働省は「これまでの対応に問題があり、反省している。今後、疑惑を持たれることがないよう、事業の見直しを進めたい」と話しています。/太平洋戦争の際、フィリピンで戦死したおよそ52万人の日本兵のうち、今も日本に戻っていない遺骨は37万人分に上ります。フィリピンでの遺骨の収集事業は昭和32年から始まりました。当初の収集方法は、厚生労働省の職員が収集の現場に立ち会ったうえで、フィリピンの人類学者など専門家が判別していました。しかし、戦後60年以上たち、収集が難しくなってきたことから、厚生労働省は平成21年度から、現地に詳しい日本のNPO法人に遺骨収集を委託しました。さらに、その前の年からは、遺骨を判別する際に、発見した地元住民などの証言だけで、日本兵の遺骨と認めていました。数年前からは現地で墓地から遺骨が盗まれる事件が相次いでいますが、厚生労働省は、遺骨の収集事業と関連づける具体的な証言は確認されなかったとしています。また、収集された遺骨は現地で焼かれたうえで日本に戻しているということで、厚生労働省は、日本に戻った遺骨について、外見上不審な点を見つけるのは難しかったと説明しています。/厚生労働省から委託を受け、フィリピンでの遺骨収集を行っていたNPO法人は、ホームページ上で「大枠において我々の取り組みの妥当性が示されたと考えています。事業全般において改善すべき点も指摘されておりその点はしんしに受け止めた上で、前進してまいりたい」というコメントを掲載しました。/フィリピン大統領府のラシエルダ報道官はNHKに対し、「日本政府から調査結果が届きしだい内容を確認したい」と述べました。日本の遺骨収集事業の問題を巡っては、フィリピン政府も独自の調査を行って、結果をまとめる予定で、日本政府の調査の結果も踏まえながら、今後の対応について慎重に判断するものとみられます。一方、先祖の遺骨が墓地から盗まれたと訴えている地元住民からは、今回の調査結果に反発する声が出ています。このうちフィリピン中部、ミンドロ島の住民グループの代表、アニウ・ルバクさんはNHKの取材に対し、厚生労働省が、事業と遺骨の盗難事件を関連付ける具体的な証言は確認されなかったとした点について、「関連性は明らかであり、調査結果は受け入れられない」と話し、強く反発しています。さらにルバクさんは、「正義がもたらされるまで遺骨の収集を再び許すわけにはいかない」と話し、日本側の調査が不十分だとして、フィリピン政府に対し、遺骨収集事業の再開を認めないよう求めていく考えを示しました。(NHK NewsWeb 10月5日 18時36分)
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より (またまた、昨日の続き)
既罷歸國、以相如功大、拜為上卿、位在廉頗之右。廉頗曰:“我為趙將、有攻城野戰之大功、而藺相如徒以口舌為勞、而位居我上、且相如素賤人、吾羞、不忍為之下。”宣言曰:“我見相如、必辱之。”相如聞、不肯與會。相如每朝時、常稱病、不欲與廉頗爭列。已而相如出、望見廉頗、相如引車避匿。於是舍人相與諫曰:“臣所以去親戚而事君者、徒慕君之高義也。今君與廉頗同列、廉君宣惡言而君畏匿之、恐懼殊甚、且庸人尚羞之、況於將相乎!臣等不肖、請辭去。”藺相如固止之、曰:“公之視廉將軍孰與秦王?”曰:“不若也。”相如曰:“夫以秦王之威、而相如廷叱之、辱其群臣、相如雖駑、獨畏廉將軍哉?顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也。”廉頗聞之、肉袒負荊、因賓客至藺相如門謝罪。曰:“鄙賤之人、不知將軍寬之至此也。”卒相與驩、為刎頸之交。
〈訳〉
すでに会合を終えて帰国すると、趙王は相如の功績の偉大なことを認めて上卿に任じた。相如の位は廉頗の上になったのである。廉頗は言った。
「わしは趙の将軍として、攻城野戦の大功がある。藺相如はただ口先ばかりの働きで、位はわしの上だ。それに、相如はもともと卑賤の出身だ。わしは恥ずかしくて、とても彼の下となるのに忍びない」そして、
「相如に会ったら、きっと侮辱してやる」
と、宣言した。相如はこれを聞いて、できるだけ廉頗と会わないように心掛けた。朝廷に出仕すべき度ごとに、いつも病気と称して欠席し、廉頗と序列をあらそうことを望まなかった。その後、相如が外出して、はるかに廉頗を見かけると、車を引いて避け匿(かく)れた。すると、舎人(けらい)たちが、みな諌めた。
「私たちが、親戚の下を去ってあなたにお仕えしているのは、ただあなたのご高義をお慕いしているからです。いま、あなたは廉君(廉頗)と序列を同じくしておられます。ところが、廉君があなたに対して悪言いたしますと、あなたはおそれて避け匿れ、異常なまでに恐懼しておられます。これは、凡庸の者でも羞じることです。まして、将軍・大臣であればなおさらでしょう。私たちは不肖者で、これ以上お仕え出来ません。どうかおひまをください」
藺相如は固くとめて言った。
「きみらは、廉将軍と秦王とどちらが恐ろしいと思うか」
「秦王にはかないません」
「そもそも、秦王の威をもってしても、私は朝廷でこれを叱り付け、その群臣を辱めたのだ。私が駑鈍だからいって、どうして廉将軍だけをおそれようか。ふりかえって考えてみるに、強秦があえて兵を趙に加えないのは、ただ、わが両人(藺相如と廉頗)がいるからだ。いま、両虎が闘えば、勢いとしてともにはいきられない。私が廉将軍を避けるのは、国家の急を咲きにして私讎(ししゅう)をあとにするからなのだ」
廉頗はこのことを聞いて、肌脱ぎになって荊の鞭を背負い、賓客にとりなしてもらって藺相如の門にいたり、謝罪していった。
「鄙賎の人間たる私は、将軍がこれほどまでに寛大にしてくださったのをしらなかったのです」
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