瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今朝のウェブニュースより
小沢氏、広がる健康不安 「大丈夫だ」沈静化に躍起 ―― 6日夜に救急搬送され、そのまま東京都内病院に入院した民主党の小沢一郎元代表(69)。病名は「左尿管結石」という。小沢氏の健康不安は、これまでもたびたび表面化してきたが、刑事裁判の初公判を終えた当夜の体調不良に、政界には驚きが広がった。/ 「検査の結果、左尿管結石と判断しました。経過を観察中です」。小沢氏が入院した日本医科大付属病院(東京都文京区)の福永慶隆院長と本間博医師は7日、記者会見して小沢氏の病状を説明した。/6日の初公判終了から約4時間後の午後8時ごろ、腰に強い痛みを感じて嘔吐(おうと)。その後も激しい腰痛と嘔吐があり、自宅から救急車で搬送された。1週間程度の入院が必要という。/小沢氏には、健康不安がつきまとう。1991年には狭心症で約40日間入院。最近では、民主党代表当時の2008年10月に体調を崩して入院している。/ 刑事裁判は今月14日に2回目の公判が予定されている。本間医師は、延期やドクターストップの可能性について「本人に聞かないといけない。その場で考えたい」と述べるにとどめた。/支持候補も含めて小沢氏は党代表選に3連敗したうえ、刑事裁判で身動きが取れず、求心力に陰りが見える。それだけに、広がる波紋を鎮めるのに躍起だ。/小沢氏は7日朝から、民主党の輿石東幹事長や鳩山由紀夫元首相に電話で「心配かけて悪かった。大丈夫だ」とアピール。見舞いに訪れた側近の樋高剛、松木謙公両衆院議員や小沢グループの谷亮子参院議員らには、点滴を受けながら「痛みがある時は痛いけど、ない時は何ともない」と笑顔を見せた。/小沢グループの議員によると、病院側の記者会見も「メディアが騒いでうるさいから、病状を教えてやれ」と小沢氏が指示して設定したという。別の側近議員は「結石なんて病気じゃない。石さえ出ればすぐに退院できる」と強調した。 (asahi com 2011年10月7日22時27分)
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より(昨日の続き)
太史公曰:知死必勇,非死者難也,處死者難。方藺相如引璧睨柱,及叱秦王左右,勢不過誅,然士或怯懦而不敢發。相如一奮其氣,威信敵國,退而讓頗,名重太山,其處智勇,可謂兼之矣!
〈訳〉
太子公曰く――
死を覚悟すれば、必ず勇気があふれてくる。死それ自体が難しいのではなく、死に処することが難しいのである。藺相如が璧を取り返して柱をにらんだ時、あるいはまた、秦王の左右を叱りつけた時には、勢いのおもむくところ自分が誅殺されるのだと知っていたのだ。しかし、士のある者は怯懦〈きょうだ〉であって、あえて勇気をだそうとしない。相如は一たびその気を奮って、威は敵国に伸び、退いては廉頗に譲り、その名声は太山(泰山)よりも重かったのである。智・勇に処して、この二つを兼備した人物というべきであろう。
小沢氏、広がる健康不安 「大丈夫だ」沈静化に躍起 ―― 6日夜に救急搬送され、そのまま東京都内病院に入院した民主党の小沢一郎元代表(69)。病名は「左尿管結石」という。小沢氏の健康不安は、これまでもたびたび表面化してきたが、刑事裁判の初公判を終えた当夜の体調不良に、政界には驚きが広がった。/ 「検査の結果、左尿管結石と判断しました。経過を観察中です」。小沢氏が入院した日本医科大付属病院(東京都文京区)の福永慶隆院長と本間博医師は7日、記者会見して小沢氏の病状を説明した。/6日の初公判終了から約4時間後の午後8時ごろ、腰に強い痛みを感じて嘔吐(おうと)。その後も激しい腰痛と嘔吐があり、自宅から救急車で搬送された。1週間程度の入院が必要という。/小沢氏には、健康不安がつきまとう。1991年には狭心症で約40日間入院。最近では、民主党代表当時の2008年10月に体調を崩して入院している。/ 刑事裁判は今月14日に2回目の公判が予定されている。本間医師は、延期やドクターストップの可能性について「本人に聞かないといけない。その場で考えたい」と述べるにとどめた。/支持候補も含めて小沢氏は党代表選に3連敗したうえ、刑事裁判で身動きが取れず、求心力に陰りが見える。それだけに、広がる波紋を鎮めるのに躍起だ。/小沢氏は7日朝から、民主党の輿石東幹事長や鳩山由紀夫元首相に電話で「心配かけて悪かった。大丈夫だ」とアピール。見舞いに訪れた側近の樋高剛、松木謙公両衆院議員や小沢グループの谷亮子参院議員らには、点滴を受けながら「痛みがある時は痛いけど、ない時は何ともない」と笑顔を見せた。/小沢グループの議員によると、病院側の記者会見も「メディアが騒いでうるさいから、病状を教えてやれ」と小沢氏が指示して設定したという。別の側近議員は「結石なんて病気じゃない。石さえ出ればすぐに退院できる」と強調した。 (asahi com 2011年10月7日22時27分)
史記 列伝 廉頗藺相如列傳 第二十一 より(昨日の続き)
太史公曰:知死必勇,非死者難也,處死者難。方藺相如引璧睨柱,及叱秦王左右,勢不過誅,然士或怯懦而不敢發。相如一奮其氣,威信敵國,退而讓頗,名重太山,其處智勇,可謂兼之矣!
〈訳〉
太子公曰く――
死を覚悟すれば、必ず勇気があふれてくる。死それ自体が難しいのではなく、死に処することが難しいのである。藺相如が璧を取り返して柱をにらんだ時、あるいはまた、秦王の左右を叱りつけた時には、勢いのおもむくところ自分が誅殺されるのだと知っていたのだ。しかし、士のある者は怯懦〈きょうだ〉であって、あえて勇気をだそうとしない。相如は一たびその気を奮って、威は敵国に伸び、退いては廉頗に譲り、その名声は太山(泰山)よりも重かったのである。智・勇に処して、この二つを兼備した人物というべきであろう。
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目高 拙痴无
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92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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