瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
暑さ寒さも彼岸までというが、ここの所めっきり秋らしくなった。夜明けも5時半を過ぎなければ、明るくならないし、夕方もも17時を過ぎるともう薄暗くなる。気温もかなり低く、今年は酷暑が続いた所為もあり、何だか駆け足で秋が来たようである。
三夕(さんせき)とは新古今和歌集にある、下の句が「秋の夕暮れ」で終る次の3首をさしていう。
さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮(新古今361)
寂連法師(1139? ~1202年)
〈訳〉なにが寂しいと言って、目に見えてどこがどうというわけでもないのだった。杉檜が茂り立つ山の、秋の夕暮よ。
心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮[新古今362]
西行法師(1118~1190年)
〈訳〉心なき我が身にも、哀れ深い趣は知られるのだった。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れよ。
見わたせば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮〔新古今363〕
藤原定家(1162~1241年)
〈訳〉まわりを見渡しても、美しい花や鮮やかな紅葉があるわけではない。海辺の苫葺(とまぶ)きの粗末な小屋が建っているだけの秋の夕暮れなのに、胸に染みてくるこの思いは何なのだろう。
新古今和歌集のこの3首につづく和歌も下の句は「秋の夕暮」で終っているが、四夕としなかったのは、何故だろう。主題が「秋の歌」というより「恋の歌」と見たからだろうか?
たへてやは思ひありともいかがせむ葎(むぐら)の宿の秋の夕暮(新古今364)
藤原雅経(1170~1221年
〈訳〉耐えられるものですか。恋しい思いがあるとしても、どうにもならない。こんな、葎の生えた侘び住居の秋の夕暮、とてもあなたの思いを受け入れることなどできない。
「唐詩選」の巻三 五言律詩のなかに、「野望」という秋の夕暮を詠った詩を見つけた。
野望
王績
東皐薄暮望 東皐(とうこう) 薄暮に望み
徙倚欲何依 徙倚(しき)して何(いずこ)に依らんと欲す
樹樹皆秋色 樹樹 皆 秋色
山山唯落暉 山山 唯 落暉
牧人驅犢返 牧人 犢(こうし)を駆って返り
獵馬帶禽歸 獵馬 禽(とり)を帯びて帰る
相顧無相識 相顧みて 相識 無く
長歌懐采薇 長歌して 采薇(さいび)を懐う
〈訳〉夕暮れの迫る頃 東の丘にたって眺めやり
どこへ身を寄せるあてもなしに歩き回る
木々はみな秋の色に染まって
山々はすべて夕日の光
牧夫たちは子牛を追いながら小屋へともどり
猟師の馬は獲物の鳥をさげながら帰ってくる
見まわしても顔を知る者は一人もない
私は声長く詠いつつ首陽山に薇を採った人を懐かしむ
王績(おう せき、585年 - 644年)は、中国・唐の詩人。絳(こう)州竜門(山西省河津県)出身。字は無功。隋末の儒者・王通(おう つう)の弟。隋の官僚となったが、天下の乱れを察し、職を捨てて郷里へ逃げ帰った。唐になってから召し出され、門下省の待詔となったが、仕官を望まず、太宗の貞観初年に辞職して帰り、黄河のほとりの東皐(とうこう)に隠棲した。酒を好み、家の周りには黍(きび)を植えて春秋に酒を造り、鴨や雁を飼い、『易経』『老子』『荘子』だけを座右に置き、東皐子(とうこうし)と号して自由な生活を送ったという。
三夕(さんせき)とは新古今和歌集にある、下の句が「秋の夕暮れ」で終る次の3首をさしていう。
さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮(新古今361)
寂連法師(1139? ~1202年)
〈訳〉なにが寂しいと言って、目に見えてどこがどうというわけでもないのだった。杉檜が茂り立つ山の、秋の夕暮よ。
心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮[新古今362]
西行法師(1118~1190年)
〈訳〉心なき我が身にも、哀れ深い趣は知られるのだった。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れよ。
見わたせば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮〔新古今363〕
藤原定家(1162~1241年)
〈訳〉まわりを見渡しても、美しい花や鮮やかな紅葉があるわけではない。海辺の苫葺(とまぶ)きの粗末な小屋が建っているだけの秋の夕暮れなのに、胸に染みてくるこの思いは何なのだろう。
新古今和歌集のこの3首につづく和歌も下の句は「秋の夕暮」で終っているが、四夕としなかったのは、何故だろう。主題が「秋の歌」というより「恋の歌」と見たからだろうか?
たへてやは思ひありともいかがせむ葎(むぐら)の宿の秋の夕暮(新古今364)
藤原雅経(1170~1221年
〈訳〉耐えられるものですか。恋しい思いがあるとしても、どうにもならない。こんな、葎の生えた侘び住居の秋の夕暮、とてもあなたの思いを受け入れることなどできない。
「唐詩選」の巻三 五言律詩のなかに、「野望」という秋の夕暮を詠った詩を見つけた。
野望
王績
東皐薄暮望 東皐(とうこう) 薄暮に望み
徙倚欲何依 徙倚(しき)して何(いずこ)に依らんと欲す
樹樹皆秋色 樹樹 皆 秋色
山山唯落暉 山山 唯 落暉
牧人驅犢返 牧人 犢(こうし)を駆って返り
獵馬帶禽歸 獵馬 禽(とり)を帯びて帰る
相顧無相識 相顧みて 相識 無く
長歌懐采薇 長歌して 采薇(さいび)を懐う
〈訳〉夕暮れの迫る頃 東の丘にたって眺めやり
どこへ身を寄せるあてもなしに歩き回る
木々はみな秋の色に染まって
山々はすべて夕日の光
牧夫たちは子牛を追いながら小屋へともどり
猟師の馬は獲物の鳥をさげながら帰ってくる
見まわしても顔を知る者は一人もない
私は声長く詠いつつ首陽山に薇を採った人を懐かしむ
王績(おう せき、585年 - 644年)は、中国・唐の詩人。絳(こう)州竜門(山西省河津県)出身。字は無功。隋末の儒者・王通(おう つう)の弟。隋の官僚となったが、天下の乱れを察し、職を捨てて郷里へ逃げ帰った。唐になってから召し出され、門下省の待詔となったが、仕官を望まず、太宗の貞観初年に辞職して帰り、黄河のほとりの東皐(とうこう)に隠棲した。酒を好み、家の周りには黍(きび)を植えて春秋に酒を造り、鴨や雁を飼い、『易経』『老子』『荘子』だけを座右に置き、東皐子(とうこうし)と号して自由な生活を送ったという。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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