日高涼台
爺と同姓のK氏、M氏の依頼で、爺が平成7年に製作した、「系譜」をスキャン貼り付けして送付することになった。
よく、こんなものを作ったものだと我ながら驚嘆している。、自分の跡継ぎも作れなかった爺がよくもこんなものを作る気になったものだ。まあ、1つには遊び心で自分の先祖様がどんな生き様をしたのか知りたかったのだろう。
爺の長兄が、シーボルト伝から、日高涼台なる名を見つけ、その系譜がどうやら我が家の系図の写しと同じ系統のものであるらしいことを見つけた。長兄は平成2年に亡くなったが、半ば姉や次兄に勧められて、長兄が果さなかった系譜調べを始めざらたのである。
まあ、あまり大げさに考えずに、半分遊び心で取り組んだのでどうやら1冊に纏めることができたのであろう。
何事も大上段に構えて、やれ家名だの、自分史だのとしゃちこばらないほうが、自由に描けていい。
大体が、自分が語り部になろうなんて考えると、結局はカタリになり、嘘っぱちのことばかり書いてしまうことにならんとも限らん。
この自作の系譜だって聞きかじりのことばかりで、全部が真実を伝えている訳ではない。まあ、謂わば、自己満足の産物にしか過ぎない。でも、こうして、スキャンコピーして送れば、喜んでくださる方もいるんだ。誠にうれしい限りだ。
でもね、ご先祖様がいくら立派でも爺が瘋癲であることには変わりない。アア、情けなや。
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今朝は起き抜け4時にはまだ小雨が残っていた。あれやこれやとパソコンのスキャンやコビーで時間をつぶしていると、窓から薄日が差し込んでくる。やりかけのスキャンやコピーを中断するわけにはいかない。
10時過ぎ、着替えて徘徊に出掛けた。吾妻橋を渡り、何時もは背中に太陽を浴びて逆光の位置に在ます墨田区役所裏の勝麟太郎さん、本日は曇りなので何とかデジカメに収まるものとシャッターを切った。
勝海舟の銅像
榎本武揚の銅像
シャッターを切りながら、徘徊のコースにもう一人の幕臣榎本武揚さんが御座らっしゃるのを思い出した。
そういえば、福沢諭吉さんは、このお2人をこっぴどく非難なさっていらっしゃる。
幕臣たるもの、明治政府の高官に取り立てられたのがお気に召さなかったらしい。まあ、いわばお2人は諭吉さんから観れば裏切り者というわけだろうか。
ちょっくら武揚さんにもご機嫌伺いをしたくなり、明治通りを横切り、水神大橋を渡って帰ることにした。
ここのところ、東白鬚公園ばかり通っているので、墨堤通りに立っていらっしゃる武揚さんにはついついご無沙汰してしまっていた。
木母寺
水神大橋
水神大橋に差し掛かりながら、グラウンド越しに木母寺の塔が見えた。左手には梅若塚も望まれる。
木母寺と水神大橋をデジカメに収め、汐入公園を抜けて、旧石浜河岸をを通って、家に帰り着いた頃はもう正午であった。
10時過ぎ、着替えて徘徊に出掛けた。吾妻橋を渡り、何時もは背中に太陽を浴びて逆光の位置に在ます墨田区役所裏の勝麟太郎さん、本日は曇りなので何とかデジカメに収まるものとシャッターを切った。
勝海舟の銅像
そういえば、福沢諭吉さんは、このお2人をこっぴどく非難なさっていらっしゃる。
幕臣たるもの、明治政府の高官に取り立てられたのがお気に召さなかったらしい。まあ、いわばお2人は諭吉さんから観れば裏切り者というわけだろうか。
ちょっくら武揚さんにもご機嫌伺いをしたくなり、明治通りを横切り、水神大橋を渡って帰ることにした。
ここのところ、東白鬚公園ばかり通っているので、墨堤通りに立っていらっしゃる武揚さんにはついついご無沙汰してしまっていた。
木母寺
木母寺と水神大橋をデジカメに収め、汐入公園を抜けて、旧石浜河岸をを通って、家に帰り着いた頃はもう正午であった。
爺は飯を食うのも、テレビを観るのも畳にじかに座っているほうが好い。
最近は、立ったり座ったりするのに腰が重く、ついつい「ドッコイショ」と口走ってしまう。婆さん、気をきかしてか、座椅子ならぬ椅子ならぬお膳の前に写真のごとき中途半端な腰掛を置いた。
これじゃ、飯を食うのも不便だし、テレビを観ていて横にもなれん。でも、爺さんは文句1つも言わず、黙々と従っているのである。
まあ、こんなのをありがた迷惑というのだろうが、この爺もどちらかというとお節介やきやであるから、随分みんなに迷惑を掛けているんだろうなぁ。
雨が降って、外にも行けず日がな一日、内に閉じこもっているとつまらんことばかり考えていることになる。
テレビの報道では東京は入梅したということだ。
弟の蒼空ちゃんだよ
蒼空(そら)と申します
叔父さんも嬉しそう

海人ちゃんは伯父さんがお気に入り
逃げる坊やをひっ捕まえて

海人くん、何のお話?
爺婆のために沢山ご馳走
いやぁ、とても食いきれん

昨夜のうちに、I代ちゃんより、写真9枚が送られてきた。
爺が北小金にいた頃は、国鉄の常磐線が走っていただけ。先ず、迷うということはなかった。三河島事故(1962年)なんていうのがあった。
三河島事故現場
今はすっかり様変わりして、南千住だけでも、東京メトロ千代田線、日比谷線、つくばエクスプレスなどが入り、昨日は行きも帰りも、迷ってしまい、あっちうろうろ、こっちうろうろ南千住からはタクシーでようやく帰宅した。
爺が、東京に来た昭和26(1951)年には東京を走る地下鉄は渋谷と浅草を結ぶ、今の東京メトロ銀座線の1本だけ、2本目の丸の内線の工事の最中であった。あらためて、日本の高度成長の凄まじさを感じる。
朝は5時何時ものとおり、ぶらつきに出る。昨日の天気もどうやら1日だけ。今日からまたくずれそうだ。
今日は4週間に1回の定期健診日。9時A病院へ。
血圧、上は136、下は86、爺には良いのか悪いのかわからぬが、異常ありといわれないのだから、大丈夫なんだろう。
海人ちゃんは伯父さんがお気に入り
海人くん、何のお話?
昨夜のうちに、I代ちゃんより、写真9枚が送られてきた。
爺が北小金にいた頃は、国鉄の常磐線が走っていただけ。先ず、迷うということはなかった。三河島事故(1962年)なんていうのがあった。
三河島事故現場
爺が、東京に来た昭和26(1951)年には東京を走る地下鉄は渋谷と浅草を結ぶ、今の東京メトロ銀座線の1本だけ、2本目の丸の内線の工事の最中であった。あらためて、日本の高度成長の凄まじさを感じる。
朝は5時何時ものとおり、ぶらつきに出る。昨日の天気もどうやら1日だけ。今日からまたくずれそうだ。
今日は4週間に1回の定期健診日。9時A病院へ。
血圧、上は136、下は86、爺には良いのか悪いのかわからぬが、異常ありといわれないのだから、大丈夫なんだろう。
午前8時にメールを開くと、珍しく7時40分発信のメールがはいっていた。曰く、
きのうから、テレビで、自動車に紅葉マークを付けるのが義務化 されたと報道されて、「前から、買いに行かなきゃね」と思っていたけど、一度くらい、お巡りさんから注意されてみたい??というわけで、まだつけていない。こう騒がれると、スーパーでも売るかもね。スーパーには、まず2日に一度は行くから、ここで売ってくれると、帰りにでもボディーに貼れる。
いろいろあるらしい。高齢者運転標識とか初心者運転標識とかを車に貼りつけて、運転する義務があるらしい。「紅葉マーク」「若葉マーク」と言うんだそうだ。
拙痴无爺は若い頃からかなりの飲兵衛だから、それに人にテストされるのが大嫌いで免許等とる気はさらさらなかった――本当は金がなかった――
それに、車庫・維持費と面倒なことが大嫌いだったから、必要なときはタクシーを利用すればよいという考えだった。
まあ、爺の考えは正解だった。いやいや車を運転するとは大変なことなんだなぁ。それにガソリン代は今後あがることはあっても、下がることはないだろうからね。
この爺が、浅草に移り、種々事情はあれど、ここは、義弟1家が手を加えて住まうことと相成った。義弟亡きあと、今は愛妻であったN子さんが、2人の息子と慎ましく住まわっている。本日は、嫁に行った愛娘のI代ちゃんに2番目の息子が出来て、里帰りしているというので、初見えに出掛けることになった。いうなれば、わが愛婆の姪の息子に会いに行ったのである。
晴れ着を着せて
2番目の甥です
一家に祥福あれ、パチリ
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プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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