瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 春の夜の桃李園の宴  李白
10c1251e.JPG 一体、天地は万物の宿舎とも言うべきものであり、時間は永遠の旅人にも譬えられるであろう。そして、はかない人間の一生は、夢のように取り留めがなく、歓楽に浸れる時間はどれほどあるというのだろう。古人が昼間だけでは飽きたらず、灯火(ともし火)を手に持って夜が明けるまで遊んだのはまことに理由のあるところである。

74b050a6.JPG まして、陽春の候は霞たなびく風景によって、われわれを誘(いざな)い、造物主は文章をわれわれに授けられたのである。かくて一同の者は、桃花(とうか)薫(かお)る園苑(その)に集(つど)い、兄弟の間で開く宴会の楽しさを述べようとしている。弟達は俊秀の誉れ高く、何れも謝恵連に較べられるであろうが、それに引き換え、私の詩歌の才能が、謝霊運に及ばぬのは、慙愧(ざんき)に堪えぬところである。
b48467ab.JPG※ 謝恵連(397~433年) 陽夏(安徽省)の人。南朝宋の詩人で書画にも巧みであった。族兄謝霊運に非常に愛された。
※ 謝霊運(385~433年) 康楽公に封ぜられたので、謝康楽とも呼ばれる。六朝の代表的詩人で、山水詩の開祖として、後代の詩人に大きな影響を及ぼした。

da1d0626.JPG 自然の奥深さをたずねる心が弥増すころ、互いに交わす高尚な談議は、いよいよ佳境にはいってきた。世にも類稀な心嬉しい宴会が進むうちに、花辺りに散り敷き、羽觴(うしょう)は飛び交って、月までが酔い心地であるように思える。もし佳い作品が生まれなければ、一同の杯の進みも遅くなるであろうし、万一、詩が作れないようなことがあれば金谷薗の定めに従って、罰酒三杯を課すであろう。

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魏晋玄学
 李白の詩は謝霊運から影響をうけたようですね。後者の思想は老荘を祖述し、「礼教」と「自然」との統一を目指す魏晋玄学の延長線上に位置づけられると思います。
 前漢における売官制度(178年)の流行に伴う学問無用論により、儒学の地位が一時下がりました。そのさい、興った思想流派は玄学です。玄学といえば、すぐ「竹林七賢」のことを思い出すでしょう。そのの一人たる劉伶はある日、素っ裸でお酒を飲んでいる途中、急にお客さんに邪魔されました。そのとき、劉は「天は我が家の屋根、地が我が家の床、お前はなんで勝手に俺の褌に入ったのか」と怒ったそうです^^
 やれやれ、それはそれとして、自然を謳う点で、詩というものは、儒学の思想より道家の思想を如実に現しているように思います。しかも李白は商家出身により、科挙試験に恵まれなかったのでもともと儒学から一歩離れている存在でした。
シン 2011/02/19(Sat) 編集
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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