今朝のウェブニュースより
メア氏発言に、沖縄で非難高まる. ―― 外交官の仕事とは、外国との友好な関係を促進し、事が起きた際にはその関係の円滑化を図ることである。しかし、米外交官のケビン・メア氏は、それとは正反対のことを行ったとされ、日本で波紋を巻き起こした。/昨年5月に那覇市の沖縄県庁前で行われた米軍基地反対デモの様子同氏は米国務省で長く日本を担当してきた外交官だ。同氏の昨年末にオフレコでの沖縄県民に対する侮辱的な発言が地元メディアによって明らかになり、8日には日本国内から厳しい非難の声が上がった。/沖縄県議会は8日、メア氏に対する抗議決議を全会一致で可決するとともに、クリントン米国務長官宛てに正式な抗議を送ることを明らかにした。一方、枝野幸男官房長官は、そのような発言が事実ならば、沖縄県民や日本国民の心情を傷つけるものであり、「容認しがたい」と述べた。/同氏は現在、米国務省の日本部長を務めている。今回の件に関するコメントを求めるメールへの回答は今のところ得られていない。同省のフィリップ・クローリー次官補(広報担当)は記者会見で、メア氏が行ったとされる発言をめぐって論争が起きていることを認識しているが、実際にどんな内容であったかは把握していないと語った。/沖縄県民の間にはかねて在日米軍の受け入れを不公平に負担させられているという認識が浸透しており、メア氏発言の真偽はさておき、今回のニュース報道は沖縄県民の怒りをかき立てた。多くの県民は、民主党政権が評判の悪い普天間基地の県外移転という公約を果たしていないことにも裏切られたと感じている。/在日の米国外交官トップは今回の騒ぎの火消しに懸命である。ジョン・ルース米駐日大使は8日、枝野官房長官と電話で協議した。在日米国大使館の声明文によると、ルース氏は一連のニュース報道によって沖縄県民の心情が傷づけられたとして、深い遺憾の意を表明した。さらに、「発言は米政府の見解を全く反映していない。米国政府は沖縄とその人々に対し非常に深い敬意を持っている」と強調した。/では、メア氏は正確にはどんな発言をしたのか。現時点では、同氏の話を直接聴いた者以外は誰も分からない。共同通信によると、同氏はワシントンの大学生らに対し、沖縄の人々は、日本政府に対する「ごまかしとゆすりの名人」などと発言。これは明らかに、米軍受け入れの代償として日本政府が沖縄に補助金を払っていることを指していると思われる。さらに共同通信が入手したオフレコの発言録によると、沖縄県民は怠惰で、特産のゴーヤー(ニガウリ)も他県のようには育てられないとも語ったという。/日本のメディアは8日、メア氏発言を一斉に取り上げた。キー局の番組では、この発言にかなりの時間が割かれ、国務省の中堅幹部であるメア氏の過去に撮影された写真や映像が流された。/県庁所在地の那覇市議会も8日、独自に抗議決議を可決。同決議には、メア氏の発言は沖縄県民に対して差別的であり、在日米軍の4分の3を受け入れている同県を米国の植民地扱いにしているといった文言が盛り込まれた。 (THE WALL STREET JOURNA L2011/3/9 12:26.)
元和14(819)年、時の天子憲宗は仏法を信ずる心が厚く、仏舎利を都に招き入れて盛大な供養を催した。かねてから儒教の振興を念じ、園最大の敵は仏教と考えていた韓愈は、当時刑部侍郎(法務省の次官に当たる職)であったが、仏教を痛烈に批判して天子を諌める「仏骨の表」を書き、憲宗に捧げた。憲宗はこれを読んで大いに怒り、作者を死刑にせよと命じたが、とりなす人があって一等を減じ、潮州刺史に左遷することになった。潮州は今の広東省と福建省との境に近い海岸の町で、未開野蛮の土地であり、左遷と言っても事実上は流罪であった。
この詩は配所へ赴く旅の初めの頃に作られたものである。長安から領南の地方に行く普通のルートは、東南に山越えをして河南の平原へ出るものだったらしい。その山は終南山をふくむ秦領山脈で、先ず超える峠に儲けられた関所が藍関であった。
韓湘は韓愈の兄韓会の孫で父を老成という。韓愈は早く父を失くして韓会に育てられたが、この兄弟の年齢はひどく離れていたので、韓愈と老成は叔父と甥の関係であるが、ほぼ同じ年齢であった。韓会も老成も早く死んだので、韓湘は韓愈の世話になっていた。韓愈が流されたとき、湘はこの事件と無関係であったが、ワザ゛を坐あとを追ってきて藍関で追いついた。喜んだ韓愈が作って見せたのがこの詩である。
韓湘は仙人になったと伝えられる人物で、この詩が作られた動機についても、湘が韓愈の運命を予言して的中したと言う伝説がある。
左遷(させん)されて藍関(らんかん)まで来た時 甥(おい)の子の湘に示す
今朝 一通の意見書を九重(ここのえ)の宮居(みやい)に捧げた
夕方には流されて 辿る潮州への道は八千里
聖天子の御為に弊害を除きたいと思ったのである
老い朽ちたこの余生を惜しいなどと思うものか
秦嶺(しんれい)に雲が横たわり わが家のかたはいずれであろうか
藍関を雪が包んで 駒も進もうとせぬ
お前がはるばる来てくれたのは 私を思うゆえであろう
ならば頼もう 瘴江(しょうこう)のほとりで私の骨を どうか拾ってもらいたいと
sechin@nethome.ne.jp です。
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