今朝ほどの桜橋で見たご来光は、太陽が一際でかく真っ赤な円形に見えた。これも黄砂による影響かもしれない。中天には上弦の月が輝き、一点の雲も無いので快晴には違いないが、何となく薄靄がかかった感じである。白鬚橋にかかるあたりで、ワンさんと出会う。
白鬚を渡り、件の柳の木の下で立ち止まり、風にそよぐ柳をよく見ると沢山の花穂を付けている。しだれ柳は早春葉が伸びきらないうちに黄緑色の花が開くという。花穂は弓状に曲がり、長さ15~30mmぐらいまで伸びる。雌雄異株である。雄花には2本の雄蕊があり、雌花には雌蕊に柄は無く柱頭は2裂するという。
遊歩道に面するマンションや民家の裏庭には、いろいろな庭木や草花が植えられていて歩行者の目を楽しませてくれる。燃えるような赤に純白の混じった珍しい椿の花をカメラに収めた。ソメイヨシノの蕾は2日前に写した時よりもいっそう膨らんだように思えた。
一昨日は砂尾山不動院、保元寺、長昌寺と、その昔「浅茅が原」と呼ばれた湿地帯であったという所を歩いたが、引き続き玉姫稲荷に立ち寄ってみた。
玉姫稲荷の鳥居
玉姫稲荷本殿
江戸時代の浅茅が原
社伝によると、天平4年(760)、京都伏見稲荷の御分霊を勧請し創建したとある。『江戸砂子増補』(文政10 (1827)刊) 年にも著されている。曰く、「此社は山城国稲荷山のいなり(伏見稲荷大社)をうつししなり。王子村岸稲荷(現王子稲荷神社)と神縁ありと云伝ふ。御玉姫いなりといふも故ある事なり。正慶2年(1333)、新田義貞朝臣、鎌倉の(北条)高時を追討のみきり、弘法大師直筆の像を襟掛にし玉ひしを、瑠璃の玉塔にこめて当所におさめまつり玉ふ故に、御玉ひめ稲荷と称するよし」明治5年11月17日二村社に列せられた。
江戸時代のこの景勝について『遊歴雑記』に記述がある。曰く、「武州豊島郡三谷町の東裏、玉姫稲荷の宮は浅ぢが原の西、耕地の中弐町にあり。社内尤(もっとも)広く、東南北の三方の耕地を見はらし、元より江戸の片ほとりの田舎なれば、社内の廻り、垣根等の構えなく、松・杉こころままに繁茂し、木の間に古樹のさくらも四五株あれど、誰手折るいたづらなければ天然に咲乱れ、道敷の外は芝生じて苅込ざるに、そのうつくしさ人のあそぶ事邂逅(たまさか)なれば、諸鳥此神地に求食、市中に遠からずして、而も閑寂の勝地たり。扨又(さてまた)、風色の天然、眺望の面しろき、田の畦には摘草する徒あり。又、田螺拾ふ人あり。或は畦路を人の行通ふ。花あり、芽出しの樹々あり。扨遥に北西をかえり見れば、千住・小塚原より縄手路を三谷へ往来の、引もちぎらざる、田に畑に菜のはなの見事なる、その景望一々兎角の論なし。」
菊池寛賞受賞の面々
昨日は、午後5時からホテルオークラ東京で、菊池寛賞贈呈式に、招待されていて、雨と風の中、顔を出しては見たが、まあこの爺には全くそぐわぬ会であり、人・人・人を見るだけの会であり、立食パーティーも料理1つ取るにも人を掻き分け掻き分け行かねばならぬ。早々に引き揚げて帰宅した。
白鬚橋東詰より
言問橋をバックに U氏
今朝は、昨日とは逆のコースを回ってみた。月は昨日よりやや痩せて、西空のやや高い位置に明るく輝いている。白鬚橋にかかる頃からだんだんしらみはじめ、白鬚橋を渡りながら正面の高速6号線の上ではかぎろひが立っている。かえりみすれば、下弦に近い月が西空にいまださまよっている。桜橋にかかる頃にはすっかり明るくなっていた。言問橋にかかるてまえで猿若にすむU氏と出会う。あたりを見回していた所為か声を掛けられたときは、一瞬何方かわからなかった。
駒形橋
山の宿の渡し跡
枕橋を渡って何時もは右折吾妻橋に出るのだが、今朝はそのまま直進、墨田区役所の前を通って、吾妻橋の東詰に出る。吾妻橋を渡って帰路に着こうと思ったが、何となくそのまま駒形橋まで下ってしまった。駒形橋を渡って、吾妻橋の西詰めから隅田公園に入る。昨日は暗くて判らなかったが、なんでも東京芸大が「みずたたまギャラリー」とやらをやっていて、公園中水玉模様だらけだ。写真を撮るのも馬鹿馬鹿しい。
東武伊勢崎線のガード付近はごく最近まで橋梁補修のため板塀で囲んであったのだが、補修工事が終ったらしく、板塀が取り除かれてスッキリした。ガードを潜ると今まで板塀に隠れて見えなかった山の宿の渡し跡の石碑が姿を見せていた。
隅田公園での場所取り
第2会場打ち上げ場所
駒形橋~吾妻橋間の場所取り(墨田区側)
朝5時というのに我家から隅田公園に入ったあたりから、今日の花火見物のための場所取りの人たちで混みあっている。場所によっては通行の妨げになる所もある。公園をぬけ駒形橋上からみると、すでに花火打ち上げのための浮き桟橋が運び曳かれている。
駒形橋~吾妻橋にかけての堤防沿いに場所取りのシートが敷かれていて、シートを踏んづけなければとおれない。
桜橋近辺(墨田区側)
白鬚橋近辺(墨田区側)
隅田グラウンド周辺(台東区側」
勿論桜橋近辺の場所取りも大変な込みようである。さすがに高速したの青御殿の前辺りは剃刀堤防で見通しも悪く、何時もの道と変わりないが、白鬚播視東詰のリバーサイド隅田の前の広場でも場所取りがおこなわれている。
何時ものように白鬚橋を渡り、剃刀堤防の道に来ると、テラスからご引越しの自由人の方々か所々に屯して御座らっしゃる。隅田グラウンド(野球場)は花火の為に開放されるらしい。グラウンドを廻って人の群れがつづく。
第1会場打ち上げ場所(桜橋東詰より)
第1会場打ち上げ場所(桜橋上より)
桜橋の上から見ると、第1会場にも浮き桟橋が運曳されていた。
今夜はここから打ち上げられる花火を見ることになるのである。
ラジオ体操をやるべく聖天公園に立ち寄ったが、6時半になっても誰も来ない。今日は土曜日でお休みなのか。そんな話はちっとも聞いていないのだか…
本日の日没は午後6時50分ごろ。7時過ぎに花火大会が始る。
Y 君とS一家
M・Oさんと友人
橋場りMさん一族
下の道は動きも取れないほど
の人でいっぱい
花火の写りはいかがな?
連発で息も継がせず
色鮮やかに
フィナーレ
何はともあれ、夏の最大のイベントも無事に終ってなによりじゃ。
sechin@nethome.ne.jp です。
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